チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

#ボランティア活動

教えること、学ぶこと

パヤオ湖の夕暮れ 同上 同上 若い二人 パヤオ湖 チェンライから100キロ南にある湖 教えること、学ぶこと 2007年2月にアップした記事を加筆訂正の上再録します。 ■教師の悩み 今年(2007年)1月初めにアップした「バンク・カレッジのクラーク先生」には、読者…

熟年ライダー(4)

熟年ライダー(4) ■日本とタイは戦った 先の大戦において日本とタイは日泰攻守同盟条約を結び、連合国と戦ったことはよく知られている。戦前、アジアの独立国は日本とタイのみであった。タイは同じアジア人として日本の政策にはおおむね好意的で、満州事変…

介護ロングステイ8年7カ月

介護ロングステイ8年7カ月 ■風邪が蔓延 8月の初旬に弟夫婦が高松へ帰国した。次に和食が堪能できるようになるのは10月末ということになる。チェンライにも日本料理店は自分の知っているだけで数店あるが、日本から持参の食材で作ってもらう料理はお世辞抜き…

初めての授業

初めての授業 10年前、ウズベクのバンクカレッジでやった最初の授業。読み返してみると突っ込みどころ満載であるが、自分なりに張り切って準備したことを思い出す。小見出しをつけ、一部カットして再録します。 ■ベンチャー論は経営学の一部 エー、まず皆さ…

雨に想う

雨に想う ■雨季真っ盛り チェンライでは7月から9月は雨季となっている。平均雨量は7月317弌8月368弌9月280个澄10月になると132个半なくなる。東京の平均雨量を見ると7月162弌8月155弌9月209弌各月の降雨日数は10日前後だが、チェンライの場合、月のうち20日…

チェンライ県北部一泊の旅

チェンライ県北部一泊の旅 ■開発進む中進国 フア・メ―カムを出たのは昼過ぎだった。広場ではセレモニーが続き、午後からは各山岳民族による踊りがあるようで、続々と人が集まってくる。まるで浅草寺仲見世通り、と思ったが年に一度の祭り、それも初日である…

光陰矢の如し(2)

光陰矢の如し(2) ■ロイクラトン 11月初旬は連日雨が降った。季節的には乾季であるが、まるで日本の梅雨空のよう。一晩で50mmを越すような大雨もあり、幹線道路から団地に入る道の右に広がる田んぼでは、実ったばかりの稲穂が倒伏し、冠水してしまった。…

ソード・タイ(2)

ソード・タイ(2) ■シャン族 シャン族は別名タイヤイ族、カレン族、象使いで知られる山岳民族だ。シャンはタイの旧名、シャムから来ている。タイ人もシャン族ももともとは中国雲南省から移住してきており、同じ民族と言われている。 ミャンマーにピンヤ朝、…

オークパンサー

オークパンサー ■今年の出安居は皆既月食 10月8日はオークパンサーの日だった。オークパンサーとは出安居、雨季の3ヶ月間、お寺に籠って修行していた僧侶たちが寺を出る日だ。旧暦11月の満月の日、日本の暦では二十四節気の「寒露」に当たる。寒露とは露が冷…

ご近所の葬式へ(1)

582. ご近所の葬式へ(1) ■ナーさん お坊さんが我が家にやってくるとき、ご近所やブアの村から信心深い女性が同席する。一緒にお経を唱えタンブンをするためだ。同じ団地に住むナーさんは、我が家はもちろん、近所のお寺の行事でも必ず顔を合わせる。年は4…

8月の恒例行事に思うこと

8月の恒例行事に思うこと ■春秋に義戦なし 8月になった。この時期になるとNHKで終戦記念特集を流す。広島、長崎の原爆慰霊祭の様子も放送する。戦没者を悼むについては人後に落ちるものではないが、先の大戦で日本が一方的に悪かった、世界に頭を垂れるべき…

介護ロングステイ5年6カ月

介護ロングステイ5年6カ月 ■モトはとれた チェンライに移り住んで5年半になる。乾季の寒さ(といっても15度はあるのだが)を感じることはあっても、年間を通してTシャツ、短パンで過ごせる。のんべんだらりと日が過ぎていくためあまり月日の流れを感じない。…

今年もまたソンクラーン

今年もまたソンクラーン ■ 事故多発 大使館から次のようなお知らせがきた。 「ソンクラーン祭中における注意喚起 例年、ソンクラーン祭(タイ正月)の期間中には、盗難・スリ・置き引き・見せ金詐欺等をはじめ様々な犯罪やトラブルに巻き込まれるケースが多…

千客万来 6

千客万来 6 ■中国人観光客増加 タイ最北端の街メーサイまでゴールデン・トライアングルから約40キロ、車で30分ほどだ。道が広いのでついスピードが出てしまう。こう配がきつい場所があり、坂を登りきったところで中央線を乗り越えてくる対向車があったらどう…

憂国、ならびに日常的な話

憂国、ならびに日常的な話 ■保守派台頭 今、日本では反中、嫌韓が一種のブームになっている。その手の本が次々に出版されて、よく売れているようだ。 菅政権当時、尖閣諸島の領海で中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりするという事件があった。仙石官房…

千客万来5

千客万来5 ■ ラオス パスポートが無くともタイからラオス領ドンサオ島に渡ることができる。ただし、入国料として一人30Bをラオス当局によって徴収される。お金と引き換えに「ゴールデン・トライアングル・スペシャル・エコノミック・ゾーン、ラオス人民民主…

図書館の思い出

図書館の思い出 ■サボり常習犯 中央大学多摩キャンパスの図書館に行ってまじめに勉強したかというとそうでもない。虎ノ門にある研究所には毎日出勤しなければいけないのであるが、二日酔いでなくても行きたくない日はある。そういう時、今日はちょっと大学へ…

ネットと前回の続き

ネットと前回の続き ■インターネット 自分の入っているプロバイダーはTOT、タイ電話公社である。家を借りた時、電話が引かれていたので、そのままネット契約をした。 日本でネットが繋がらなくなるとニュースになるが、こちらでは日常茶飯事と言うほどで…

千客万来4

千客万来4 ■ドンサオ島続き この島はラオス領であるがパスポートを提示する必要はない。ただし、お願いすると入国記念のスタンプを押してくれるらしい。今度試してみたい。この島のお土産店の一角にラオスの郵便局がある。オピウム博物館では入場券代わりに…

明日は我が身

明日は我が身 ■徘徊老人 知り合いのタイ人から電話がかかってきてね、とSさんが言う。なんでもタイ人が宴会をしているところに、ホームレスとみられる老人が現れたそうだ。服はぼろぼろ、足は泥だらけ、田んぼの中を歩いてきたような汚れ方だ。年齢は60過ぎ…

ラオス、アカ族の村を訪ねる 9

ラオス、アカ族の村を訪ねる(9) ■ 最悪のツーリングコンディション パヤンルアン村を子供たちに手を振られながら出発した。さらに国道をさかのぼって20キロ先にあるジョンジェン村を目指す。天候は今にも降りそうな曇天であったが、走り始めて30分もしない…

ラオス、アカ族の村を訪ねる 4

ラオス、アカ族の村を訪ねる(4) ■ ラオスについて ラオスは東南アジアで唯一、海を持たない国である。北に中国、西にミャンマー、東にベトナム、南にカンボジア、タイと国境を接する。日本の3分の2ほどの広さの国土を持ち、人口は約630万人。GDPは2011年の…

ナーン小旅行 4

ナーン小旅行(4) ■ムラブリ族 ナーン国立博物館の1階には県内に暮らす少数山岳民族の生活民具や習俗に関する展示がある。ムラブリ族について多くはわかっていない。ナーン県、隣のプレー県に合計250人のムラブリ族が確認されている。いわゆる滅びゆく、も…

ラオス旅行を終えて

ラオス旅行を終えて ■旅行記をやっと書き終えた ラオス旅行に出かけたのは昨年の11月のことだ。車中泊も含めてわずか5泊6日の旅行記を書き上げるのに18本、400字詰の原稿用紙にして80枚ほど費やしてしまった。言語抽象能力、事象簡約能力に何か欠陥があるの…

ラオス旅行 3

ラオス旅行(3) ■ドルで払うと2割はお得 GHの前、シーサワンウォン通りはルアンパバーンの目抜き通り。長さは1キロ足らずだが、この通りに王宮博物館、プーシー、ワット・マイ、ワット・シェントンなどの見どころのほか、多数のレストランやカフェ、民芸品…

ラオス旅行 2

ラオス旅行(2) ■旅程が決まる 船着き場からフエサイのバスターミナルまでソンテウで送ってもらった。乗客は二人、相方のオーストラリア人の名はアラン、半分引退した建築士、10年くらい前から北タイ、ラオスを回って少数山岳民族の写真を撮り続けていると…

パタヤへ行く

パタヤへ行く ■友人に誘われて 缶詰原稿、「ザルツブルグの思い出」をアップしたのには訳がある。パタヤへ3泊の旅行をしたからだ。前後1泊ずつバスで移動したから5泊分家を空けたことになる。旅行のバチがあたったというわけではないが、帰宅してみたらパソコ…

ザルツブルグの思い出 3

ザルツブルグの思い出(3) ■英語もできずに・・・・ 生まれて初めてのパネリストをやったのがザルツブルグ、それも英語だったのは忘れられない思い出だ。無料で外国へ行けるという単純な動機で応募したのだが、セミナーでは国の恥にならないよう精一杯だっ…

ザルツブルグの思い出 2

ザルツブルグの思い出(2) 前回の続き 2.嬉しさから不安の極地へ 昨年、化学会社から通産系のシンクタンクに出向し、大学教授、企業幹部、新聞社の論説主幹等、有識者十数名からなるグローバリゼーションに関する研究会の事務局を務めておりました。何回…

ザルツブルグの思い出 1

ザルツブルグの思い出(1) ■ 読み返すことは余りない ウズベクに行ったときにブログを書き始めた。半年ほどの中断期間はあったがここ4年半、450本以上のレポートを書いている。一本につき400字詰原稿用紙にして4枚半といったところ。ブログを書くに当たっ…