チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ザルツブルグの思い出 1

イメージ 1

イメージ 2

ザルツブルグの思い出(1)

■ 読み返すことは余りない
ウズベクに行ったときにブログを書き始めた。半年ほどの中断期間はあったがここ4年半、450本以上のレポートを書いている。一本につき400字詰原稿用紙にして4枚半といったところ。ブログを書くに当たって友人が3つの助言をくれた。
1.人の悪口を書かないこと。2.自分の健康状態のことを書かないこと。3.長さは一回につき800字程度に収めること。
何事も最初が肝心という。最初にウズで書いたブログの長さが1800字で、これがくせになって、どうしても800字に収まらない。冗長で読みづらいといわれることもある、原稿を書いた後、何行も削っているのだが、どうしても1800字前後になってしまう。過去のブログをネットで読むことができるが、余り読み返すことはない。ここを直せば読みやすくなるのに、とかもう少し簡潔に書けないか、と反省点ばかりが目につくからだ。デキの悪い息子を見る父親の気持といったところだろうか。

■書くことが仕事だった時期
「悪筆のさほど困らぬ職をもち」といった感じの化学会社勤めであったが、サラリーマンの宿命、転勤、出向によってその生活は激変する。何度か書いたが、40代の終わりに、経済産業省系のシンクタンクに「主任研究員」として出向になった。そこでは「書く」ということが仕事の大半だった。その研究所では月刊のニュースレターを発行していた。その編集作業も自分の仕事。大学の先生などにお願いした原稿が来ない場合、その部分を白抜き印刷し、そこに墨を一滴落として、余白の美、日本の寂びを感じてもらうなどということは許されない。原稿の穴は自分で埋めるしかない。ニュースレターの半分以上が自分の書いた記事、論文で埋まっているということもあった。サラリーマンはこれが仕事といわれれば大概の仕事はこなすものだ。内容はともかく量をこなしていると、書くスピードが早くなり、書くことがそれほど苦ではなくなってきた。。まあこれが現在のブログに続いていると言える。

ある大学の先生に講演の依頼に行ったことがある。研究室に通された。初対面にもかかわらず「あなたが中西さんですか」といわれた。え?と聞き返すと「あなたはニュースレターに時々いいことを書いていますね」。この先生はいい人だ、と思ったものだ。先生はそう言ってくれたが、自分の書き飛ばしたものはその場限りのもの。気恥ずかしさが先にたって、読み返すことはしなかった。

■お気に入りのエッセイ
しかし、書いたものが全部気に入らないかというとそうでもない。ブログの中にも我ながらよく書けたと自画自賛するものはあるし、研究所時代に書いたレポートでも時折読み返すものがないではない。以下は、経団連の関係団体の広報誌に掲載してもらった原稿である。自分の書いたものの中ではお気に入りのひとつである。

研究所に入って1年ほど経ち、自分ではシンクタンクの主任研究員の恰好がついてきたなどと思っていた頃である。「何処かタダで外国に行けないかなあ」と呟くと、ソニーから出向してきた同僚が「経団連ザルツブルグセミナーへ派遣してくれるプログラムがありますよ。応募者がいなくて困っているらしい」と教えてくれた。
無料で1週間、オーストリアザルツブルグへ行けるようだ。ずうずうしく英文のレポートやら推薦状などを書いて経団連へ提出した。応募者が自分一人だけだったらしく、無事合格。しかし偽研究員の悲劇はそのあと始まる。鷲の真似をしてひどい目に会うカラスの話がイソップ物語にあるが、まさにそれを地で行くことになるとは知る由もなかった。

ザルツブルグセミナーに参加して

1.ザルツブルグセミナーとは
ザルツブルグセミナーは、1947年に3人のハーバード大学の卒業生が第二次世界大戦で疲弊したヨーロッパの若者に対し「アメリカ文化を伝える」目的で始めたものです。
当時の欧州経済復興援助計画(マーシャルプラン)になぞらえて「インテレクチュアルマーシャルプラン」と呼ばれました。その後、50年に及ぶ歴史を経て、欧州のみならず世界各国の人々が集い、テーマも今日的、世界的課題をとりあげています。セミナーの会場はオーストリアの古都、ザルツブルグ。18世紀にたてられた宮殿に1週間泊まり込みで行われます。このセミナー受講者はフェローと呼ばれ、その数は120ヶ国、1万7千人におよびます。
先頃、ザルツブルグセミナー、「世界貿易:保護主義かグローバリゼーションか」という8日間のセッションに、参加させて頂きましたのでその模様をご紹介したいと思います。(以下次号)

画像はチェンライの市場にて撮影