チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

和食、大谷君、日本文化

 

靖国神社

拝礼を待つ人の列

靖国神社能楽堂

靖国神社神池庭園

靖国神社 八重桜が咲いていた

靖国神社 遊就館入り口

 

和食、大谷君、日本文化

■いい時期に帰国

このブログがアップアされている頃はチェンライに戻っている。桜の季節に一時帰国したからではないが、今回はいつもにも増して日本の良さを満喫できた。「故郷へ回る六部の気の弱り」というのだろうか、今回の帰国は恋しさ一入だった。というのは訪日外国人に和食を食べてもらってその感想を聞くというユーチューブ、特にMomoka Japanをよく視聴していたので帰国したらこれも食べたい、あれも食べたいと思っていたからだ。

まず帰国の主目的である歯科治療は1日だけ、それも30分で終了した。外れた義歯をパチンとはめ込んで固定する、これだけで終わり。あちこち削られたり、もしかすると義歯の作り直しで2週間の滞在期間に終わらないのではないか、と心配していた。でもお蔭で左右の歯で何でも嚙めるようになった。近所の歯科医院だが、ここの先生は兄や自分の帰国よりもチェンライの珈琲の到来を心待ちにしている。よっていつもの珈琲豆一袋を差し上げた。その効果は絶大、「珈琲もらったから治療費はいいよ」だった。

動物は老齢化で歯が駄目になると死ぬ。人間は入れ歯があるから年を取っても食物が摂れる。ただ食べられればいいというものではない、日本人として生まれたからには和食を食べなくては・・・・。Momoka Japanでは様々な和食が供される。刺身、煮魚、てんぷら、出汁巻き卵、和食のバリュエーションは広い。こんな料理、初めて、魚ってみんな味が違うんだ、同じ材料でも料理法でこんなに変わるんだね、などと外人は感心しているが、全部自分が食べてきた料理ばかりだ。日本に生まれて本当に良かったと思う。

 

■上を目指す文化

ホタルイカイワシ、ブリ、タイなどの刺身はもちろん、カブの漬物、イブリガッコ、牛筋と牛蒡の煮物など、何を食べても「あー、これはチェンライでは絶対にお目にかかれない」と感謝しながら食べた。チェンライでも日本米が売られている。でも日本で食べる日本米は年々、進化を遂げており、帰国するたびに美味しくなっている。兄の話でも毎年、新しい銘柄米が出てくるとのこと。コメも農家の方が「どうすれば美味しいお米ができるか」と日々、研究、努力を積み重ねているのだろう。京都の老舗の漬物店では毎年工夫して時代や人の嗜好の変化に合わせて、微妙に味を変えているそうだ。

サイゼリア、ガスト、バーミヤンなどファミリーレストランから同じ料理を出してもらい、それを一流レストランのシェフが5点満点で採点するという番組があった。あるファミレスのオニオンスープに全シェフが高得点を付けた。スープ提供レストランの担当者はこう言った。「お客様に今日のスープは美味しかったね、という声が少なくなると味を見直してさらにおいしいスープを作る。同じ味だと美味しいと褒めて頂けないのです」。料理も少しでもお客様に喜んでもらえるよう日夜、努力、研鑽を積んでいるわけだ。現状に甘んじないでより上を目指す、は日本人の特性ではないか。また味を厳格に判断する客のレベルもすごい。

 

大谷翔平は日本にしか生まれない

通訳の使い込みにもめげずドジャースの大谷選手が快進撃を続けている。彼は幼少のころから目的を持ち、最優先課題は何かを自覚し、理想を目指して日々精進してきた。彼の周りは彼の成長を見守り応援してきた。大谷選手は決しておごることはない。二桁勝利を挙げた時も「打ってくれなければ勝てないわけですから」とチームメートへの感謝を述べている。オレが、オレがの能力主義一辺倒の米国にこういった謙虚な選手がいるだろうか。

日本の職人、料理人、篤農家に見られる美徳を翔平はすべて体現している、翔平は日本でしか生まれない、とハーバード大学マイケル・サンデル教授は断言している。 (因みに大谷選手はサンデル教授の著書の愛読者である)

チェンライのレストランは始めのうちは美味しいのだが、いつ行っても同じ味の同じ料理、メニューも代わり映えしないから、段々客足が落ちて閉店する。日本の食堂は季節限定、新メニュー、XX入荷などと手を替え、品を変え、時には内装まで変えて顧客の獲得、繋ぎ止めに必死だ。同じことをやっていては向上はない、絶え間ない工夫、努力で上を目指す、これは日本全体に漲る特性だ。またその特性を是とする文化がある。和食が美味しく、豊富な種類があるのも、翔平クンの活躍や技術の進歩もサンデル教授が称賛してやまない日本文化の支えがあってのことであろう。