チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

微笑みのない国(2)

北京のホテル、次の間

同上、この部屋にはテレビがあった。

ホテルの窓から、朝日が上がる

望遠でアパートを撮影

これはタイのスワンナプーム空港

スワンナプーム、出国手続きを済ませてまず見る彫刻

微笑みのない国(2)

■迎えのバスを待つ

羽田発-北京着の中国國際航空便が大幅に延着し、北京-チェンマイ便への乗り継ぎに失敗した。幸い、北京で放り出されることなく無料で市内のホテルに1泊滞在し、翌日のチェンマイ行きに乗れることになった。入管、税関手続きに1時間ほどかかり、航空会社のサービスカウンターに到着したのは19時、そこでワッペンを胸に貼られた。言われた言葉は英語の「Sit」だけだったが同じワッペンを貼った人々が近くにたむろしていたので必要なことは理解した。だが送迎バスの連絡はなかなか来ない。空港内は混雑していたが客も係員も男ばかりで女性が少なく、やたらと警官が目に付く。

自分がここで超望遠83倍を取り出したら、ホテルではないところに連行される恐れがある。中国には改正反スパイ法があって理由があろうとなかろうと自国民はもちろん外人でも逮捕、拘束される。家を出る前に兄からお前は中国の悪口を書いているから北京空港で捕まるかもしれないぞ、と脅かされていた。イミグレ、税関だけでなく、監視カメラはそこら中にあった。もう当局に自分の思想信条がばれているかもしれない。大学教授やビジネスマンが拘束されても日本政府は何もしてくれない。自分が逮捕されても「写真撮ってたんでしょ、自己責任ですよ」と無職老人は放置されるに決まっている。

緊張の中、1時間半待ったところで小旗を持った男が現れ、ついてこいという。30-40人の客が空港の外を歩かされる。列が止まると男は人数を数え始めた。そして2人連れだと男女でなくても「お前たちは1室だ」という。自分は単独客なので1室占有できるようだ。

全員乗り込んで、暗い夜道をバスが走り始めたその時である。後部座席から「ヘイ、ヘイ、ストップ」と大声を出しながら外人が運転席に突進してきた。何事かと思ったらバス下部にある荷物室の扉が跳ね上がったままだった。急右折すれば中の荷物は大方道路に放り出される。日本ではまず起こらない不注意だ。ここは中国、と更に緊張感が高まる。

 

■北京の一夜

ホテルは空港隣接でなくても近隣にあるだろうと期待していたが、バスは15分経っても30分経っても走り続ける。街灯は暗く、建物の明かりもない。時折「協力して豊かな社会を作ろう」といったスローガンのイルミネーションが見える。バスは1時間近く走って、雪のマークのある建物の前に止まった。ここから歩いて行けという。建物はどうやら室内スキー場で我々の行くホテルはこのスキー場に隣接しているようだ。我々難民一同は建物横の暗い道をひたすら歩く。みな歩く速さが尋常でない。落伍したらよくないことが起こるに決まっている。足元に注意しながら列に続く。

ホテルの受付には長い行列ができていた。自分は列の前から3分の2ほどのところに並んだ。カウンターではコピー機を前にした男がいて旅券などのコピーをしている。列前方に並んだ中国人に、大きな荷物を持った仲間が次々に合流する。中国式割り込みだ。バスを降りた先頭集団が小走りだった理由はこれだったか。旅券の他に翌日便の搭乗券、そして羽田から北京までの搭乗券の提示を求められた、通常、降機したらその搭乗券は捨ててしまうのであるが、この時は偶々持っていて幸運だった。男はコピーだけでなく、帳面に何やら書きつけている。それが終わって隣にいる不愛想なおばさんからルームキーを受け取る。

おばさんは自分の旅券を1ページずつめくっていく。これを2回繰り返して自分に旅券を投げて何か言う。ああ、一時ビザのページがわからないのか。ビザのページを見せてやっとカードキーを受け取ることができた。部屋番号は8403、このホテルは8階建てだ。8階に上がったが番号通りの部屋がない。仕方がないのでフロントに聞きに降りる。8403は4階に決まってるでしょ、おばさんに怒られてやっと4階の部屋に辿り着いた時はもう22時を回っていた。

部屋はシングルベッドが二つ、そして次の間があってそこにもベッドが2つ並んでいた。それぞれの部屋にはトイレ、シャワー室、洗面台があり、歯磨き、髭剃りセットなどのアメニティも完備している。タイのホテルであれば靴を脱いで裸足になるのだが、中国では気持ち悪い。幸い、次の間に使い捨てスリッパがあった。

窓の外は真っ暗で灯りは一つも見えない。バンコクならこの時間でもちょっと外に出て軽食調達、は可能であるがここは北京だ。羽田空港のコンビニで買ったアンパンが残っていた。今夜の夜食はこれだけか。(続く)