一日で懸案終了
■どちらにもいいところがある
異国に住むようになって日本の良さを再認識するようになった。ここ十数年、チェンライが本拠であったが、感染症騒ぎでタイに戻れなくなり東京で1年8カ月過ごした。それまでは自分はタイにずっと住み続け、タイで死ぬことになるだろうと頑なに思っていた。ビアンカロンのお寺の住職と親しくなり、住職の特別の計らいで寺のメンバーとなった。メンバーの特典は死ぬ前の看取り、盛大な葬儀、メコン河への散骨など終活すべての面倒を見てくれることだ。
でも長期の東京生活はそれなりに楽しかったから、何も北タイの片隅でいじけて過ごす必要もないか、自然体で日タイを往復してもいい。また他国への旅を楽しむ時間はいくらでもあるし、それに費やす貯えもないではない。孔子様ではないが「七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」だ。後期高齢者、道を違える心配はほぼないし、心の欲するままに自由に行動できる今が人生で一番いい時なのかもしれない。
ロングステイは長期滞在であるから移民と違う。今は読む人は殆どいないと思うが『蒼氓』(そうぼう)という石川達三の小説がある。第一回の芥川賞受賞作品。ブラジル移民を余儀なくされた貧農の苦難を描いている。タイとブラジル、国は違えど異国に渡る、は同じである。でも如何に実態は違うことか。「氓」は移住民の意味だそうだ。半世紀以上前の昔、文学部の女子と『蒼氓』を語り合ったことがある。「えっ、ソーボーって読むんじゃないの?」。彼女は断言した。「ソーミンです」。我が不明を深く恥じ、タイトルの話は抜きにして感想を述べあった。でも彼女、今何してるかなあ。
■帰国初日、2日目
深夜便でチェンマイから関空へ到着、関空―成田は55分のフライトであったが、成田から品川の家までは2時間、夕方着いたが娘一家が来たので、そのまま宴会。
翌日はまず9時に医院に行って健康診断、血液採取もした。常備薬を薬局で受け取り帰宅。その足で東急線を乗り継いで大井町の品川区役所へ。ここでまず、マイナカードの受け取り、本来は予約制だったため時間はかかったが何とか受領、次に海外医療費の還付申請、チェンライで2本抜歯した。その医療費の8割が還付される。窓口のお姉さんに教えてもらいながら書類記入、費用の計算間違いを指摘されて訂正。これも無事終了。次に印鑑証明が必要だったので、まず実印登録、登録願いと印鑑証明交付願いを同時に書いて提出。これも無事必要書類を取得。係員がモタモタする情弱老人に対していやな顔もせず、てきぱきと対応してくれたので、区役所関係の懸案は2時間ほどですべて解決した。
これがもしチェンライであれば、3日もしくは1週間はかかったと思う。
ハイ、資料不備、また来てね、あ、計算が合わないね、書き直し、今日は偉い人が来ていないから明日また来てね、これは本事務所で受け付けだよ(面倒なのでやりたくない)等々・・・。
チェンライのいい加減さ、おおらかさ、融通無碍などを好ましく思うことあるが、職員さんの応対を見ていると日本国の素晴らしさに感動してしまう。
関空では顔認証で入国審査を済ませたが、旅券にも入国のスタンプを押してもらった。自分の旅券は各種ビザを始め、ラオスや台湾など入出国のスタンプがびっしり押されている。係員の女性はパラパラと旅券をめくり、一瞬のうちにスタンプを押すページを見つけ、ポンとスタンプを押して返してくれた。そういえば半年前、北京で何度も旅券のページをめくっていたが当該ページに辿り着けず、自分に旅券を投げて「探せ」と言われたことを思い出した。
■義歯を作る
区役所から戻って郵便物の処理や書類作成、そうこうするうちに今回の帰国のメインエベント、歯科治療の予約時間となった。
馴染みの歯科医師はタイで抜いた2本の歯とレントゲン写真を見て「こんな丈夫な歯を・・・抜く必要はなかったよ」。もう遅い。商売気のない先生なので、右側で噛めるんだから何もしなくていいんじゃない?と言う。 右で噛めなくなったらバナナとおかゆの生活になる。それじゃ型、取るよ。左側上下の型を取り、ついでに齲歯も治療、3本の義歯は超特急で製作し10日後に嵌めてもらえることになった。タイと違ってここは日本だから今日できるはずだったがまだ出来てないんだよ、ということはまず起こらない。これで一時帰国の目的はたった1日でほぼ全部達成された。
更に、タイ土産の珈琲豆貰ったから今日の治療費はいらないよ。あー、やっぱり日本はいい。