チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

タイに戻れない

 

タイに戻れない

 

■帰国中
このところ、ウズベクで書いた原稿を再掲している。御察しのいい方はお分かりと思うが、現在、旅行中、タイを出て日本に一時帰国している。

3月23日にタイに戻る予定であったが、タイ政府が実質上日本人の入国を禁止してしまったため、よんどころなく、東京、品川区の家に滞在している。
もしかして、と成田空港に行ってみたが、コロナ陰性英文証明書など必要書類がないため、搭乗を断られた。LCCのノックスクート航空であったが、搭乗できるのはタイ人のみ、それも書類不備で乗機できない人もいるとか。マスクをしたチェックインカウンターの女性は「私たちも仕事なくなってしまうんですよー」と嘆いていた。空港は閑散としていた。

なんで、こんな時期に帰国したかというと、それには訳がある。昨年、12月に娘が出産した。生まれたらぜひ見に来てねと頼まれていた。
また三男にも今年の2月に男児ができた。一方だけ見て帰ると問題だ。それで昨年10月の段階で、娘の住む佐世保、そして次男夫婦のいる東京と回って帰るチケットを手配した。もちろんその時は武漢肺炎の騒動はなかった。

2月末あたりから航空便が怪しくなってきて、チェンマイ台北間は問題なかったが、台北ー福岡の便が休便になった。返金するからご免、まあLCCだから仕方ない。台北関空関空ー長崎のチケットに変更した。台北から関空までが6,500円、関空から長崎までの航空券が1万円という値段にはちょっと違和感を覚えたが。

佐世保に1週間、東京も1週間の旅程であったが、3月中旬から武漢肺炎は世界で猖獗を極め、タイでも感染者数が3桁にのぼり、死者も出た。
危機感を強めたタイ政府はバンコクの事実上の封鎖、感染国からの入国を禁止した。なんせ日本と違って独裁国だからやることが早い。


■蟄居閉門
というわけでいつタイに戻れるかわからない。
考えようによっては桜が満開となり、若葉が萌え出すいい季節である。2008年の3月にウズベクから帰国して以来、12年ぶりの桜である。タイに移り住んで,桜の季節に帰国したことがない。

3連休の1日、靖国神社に参拝した。遊就館は休館していたが、神社内の桜の美しさに息をのむほど感動した。やはり日本はいいなあ。

しばらくは戻れないだろうから、東北にでも行ってみようかと思ったが、東京封鎖もありうる、と小池都知事が警告している。東京を出たら戻れなくなる可能性もある。
まさに非常時、65歳以上は外出禁止という国もある。自分勝手な行動で感染でもしたら、多くの人に迷惑をかける。

感染は罪でない、と山梨県知事は言ったが、罪ではなくても罰を受ける。飲食店なら14日も休んだらつぶれてしまうし、雑居ビルの会社なら、ビル全体が消毒、他社の従業員に多大の迷惑をかける。業種によっては客先に出入り禁止となって多大の損失が出る。多くの人は自分の健康状態より、他者に迷惑をかけてはいけない、そういった危機意識とともに働いているのだろう。

呑気に旅に出ようかなどという自分の不明を恥じるばかりである。お目にかかりたい友人、知人は少なくないが、時節柄、声を掛けることもはばかられる。


■ブログ休載
この原稿は兄のPCを借用して書いているが、使い勝手が悪いうえに、どうやって写真をアップしていいかわからない。台北には1泊し、観光客の途絶えた故宮博物院で満足のいくまで美術品の写真を撮ってきたのに残念だ。桜の写真もまるで外人観光客のごとくぱちぱちと撮りまくっている。いい写真もあると思うがPCでうまく再生できない。ソフトの入れ方もわからない。


写真どころか文章のアップもおぼつかないので、チェンライに戻るまで、メール配信、ブログのアップを休止させて頂こうと思っている。久し振りの日本は清潔で、秩序が取れていて、民度は高く、食べるものは何でもおいしい。なんて素晴らしい国に生を受けたのか、という喜びを感じる。タイも好きだから住んでいるのであるが、母国の良さは外国に住んでいるからこそ実感できるものが多々ある。刺激を受けることの多い日々である。望んだことではないが、武漢肺炎のおかげで与えらえれた時間をゆっくりと過ごしたいと思う。