チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

Entries from 2006-01-01 to 1 year

日本で買ったもの、食べたもの

日本で買ったもの、食べたもの 授業のとき、板書といって黒板に図やポイントを書くのだが、ウズベクのチョークはローセキみたいでのりが悪く、後ろの席の生徒にはよく見えないようであるし、書いているほうもイライラする。だから帰国してまず文房具店に行っ…

日本での師走

仲間やJICA関係者からゆっくり日本で骨休めを、というありがたいお言葉とともにタシケントを発ったわけであるが、日本ではかなりハードな日が続いている。12月2日に成田に到着し、その足で銀座で開かれていた忘年会に駆けつけたのを皮切りに、毎日のように飲…

冬がきた

タシケントに冬がきた タシケントの冬は突然来た。11月の初めは日中20度を越え、半そででも十分な暖かい気候だった。11月9日に初めて傘が必要な雨が降った。あと1,2回、雨が降ると冬が来ますとベク君が言った。17日に雨が降って肌寒くなったと思ったら、11…

相対的な見方

相対的な見方 小さい時、自分は、東千代之介、中村錦之助の出てくる東映時代劇がはじまると、隣にいる母に「あの人、いい人?悪い人?」と聞く子供だったそうだ。 それから風雪半世紀、少しは進歩したのか、世の中100%正しいことも100%間違っていることも…

一時帰国とビール

一時帰国とビール JICAの「健康診断一時帰国」制度により12月2日から1月間の予定で日本に滞在している。シニアボランティアには赴任後6ヶ月以上18ヶ月未満の間に胃カメラ検診、肝機能検診などの健康診断を日本国内で受けることが義務付けられている。これは…

出会った人々

旅行で出会った人々 このところ任国内旅行のレポートが多かったため、中西は旅行ばかりしているといった印象をお持ちの方がおられるかもしれないが、ブハラ、ヒバの旅行は土日を含めて4泊5日の小旅行であった。それにしても初めて訪れる場所は何かと印象が…

ダンス・ナイト

スコティッシュ・ダンス・ナイトに参加 タシケント・インターナショナル・スクールのPTAが主催するスコティッシュ・ダンス・ナイトのご案内が来た。タシケントのコミュニティを巻き込んだ大人を対象としたイベントだと言う。 呑みトモのQさんと参加するかど…

ブハラ、ヒバ8

任国内旅行(ブハラ、ヒバ)その8 シルクロードの中心、ホレズム地方 シルクロードと聞くと、人は夢とロマンをかきたてられる。砂漠を通るラクダの隊商、砂に埋もれた古代の城郭都市、その失われた楼蘭王国から発掘されたコーカシアンの美女、ミイラ化してい…

ブハラ、ヒバ7

任国内旅行(ブハラ、ヒバ)その7 カラめぐり カラは砦を意味する。紀元前10世紀にはホレズムに城郭都市の出現を見ており、ギリシャの歴史家ヘロトドスによれば、その数1,100を数えたという。今、発掘され、判っているだけでも300くらいのカラがある。まだ未…

ウズベク会

ウズベク会でトーク ウズベク会という会合がある。原則月一回、日本センター(写真)のセミナー室で、在ウの日本人が講師となり、1時間弱話をして後は質疑応答を行うというものである。すでに20回以上開かれている。日本にいたら聞くことができないような専門…

ブハラ、ヒバ 6

任国内旅行(ブハラ、ヒバ)その6 ヒバの一夜 太陽の国<ホラズム>と呼ばれるウズベキスタン北西部。この一帯は年間300日は雲ひとつ出ない過酷な土地だ。トルコ系の遊牧民であったウズベク人は、16世紀、この地にヒヴァ・ハーン国を建設し、ヒバはその王都…

ブハラ、ヒバ 5

任国内旅行(ブハラ、ヒバ)その5 ヒバ旧市街、イチャン・カラ訪問 ウルゲンチからヒバまで乗り合いタクシー(一人400スム)で20分くらいの距離だ。土曜だったのでホレズム州立がんセンターに派遣されているF隊員が案内をかってくれた。 ヒバは6千年前から…

ブハラ、ヒバ 4

任国内旅行(ブハラ、ヒバ)その4 「スィターライ・マーヒ・ハーサ」ブハラ市内から北へ5噌圓辰申蠅法屬月さまとお星さまの宮殿」という美しい名を持った夏の離宮がある。ロシアで教育を受けロシア文化に心酔したブハラの最後のハーン、アリム・ハーンの趣…

日本紹介巡回展と人種差別

日本紹介巡回展と人種差別 10月の下旬、バンク・カレッジで日本紹介展が開催された。これは8月に海外青年協力隊員が主体となり日本センターで開催された展示会がウ国6都市13箇所を巡回しているものである。 展示内容は広島、長崎の原爆ポスターの展示、…

ブハラ、ヒバ 3

任国内旅行(ブハラ、ヒバ)3 マコギ・アッタリ・モスク ブハラ旧市街で現存する最古のモスクは12世紀の建築になるマコギ・アッタリ・モスクである。1934年にロシアの考古学者に16世紀の建物の土台の中から発見された。マゴキは、「穴の中」という意味だ…

ブハラ、ヒバ 2

任国内旅行(ブハラ、ヒバ)その2 聖なるブハラ(ブハラ、イシャーリーブ)、あるいはサンスクリット語で修道院を意味するブハラは、中央アジアのみならず、イスラーム世界全体の文化的中心地として繁栄を誇った町、その威光に満ちた姿から「他の場所では光…

ブハラ、ヒバ 1

任国内旅行(ブハラ、ヒバ)その1 9月、10月の集中講義が終わり、3年生は2ヶ月ほど各地の銀行、政府機関に配属されて、現場実習を受ける。学校には出てこない。したがって教師は開店休業となる。少しうれしい。 現場実習といっても配属先での勤務態度がいい…

棉摘みツアー 3

棉摘みツアー3 プラン採用とならなかったグループ45の授業を始めたが皆、ひどくよそよそしい。見積比較を例に取り、フェア(公平)の話をしたが、余り聞く耳を持たないといった感じだ。日本の生徒だったら「なるほど、こちらは努力が足りなかったのだ、次回…

棉摘みツアー 2

棉摘みツアー2 思いがけず、いいプランが生徒から出てきた。でも一つ障害があった。カレッジの許可である。JICAには関係者に参加勧誘のメールを送ることやプランについて事前了解を得ていたが、学校側の正式な許可を得ていないことに気付いた。グループ48の…

棉摘みツアー 1

棉摘みツアー1 10月16日にご紹介したように3クラス対抗で「日本人と棉摘みに行こうツアー」の見積を授業の一環で作らせた。我ながら計画性がないというのか、この企画を思いついたのが先週、その週に3クラスに概要を話し、今週の火曜に見積もり提出、水曜に…

ラマダン

ラマダン 9月24日からイスラム教の断食月、ラマダンに入っている。いつも生徒たちでごった返している食堂が閑散としている。1つか2つのグループがひっそりとテーブルを囲んでいるだけだ。イスラム教は5行と呼ばれる基本を守らなくてはならない。5行とは 信…

'棉摘みツアー' コンペ

棉摘みツアーコンペ 製品を販売するにあたってどう企業が市場に向き合うか、という経営学の基本、マーケットコンセプトについて話をした。 まず第一が「生産指向マーケティング」。需要にあわせて生産、販売を行う。製品の数量だけあればいいという考えでソ…

マハッラ(町内会)

マハッラについて マハッラは日本でいう町内会だ。でも日本の町内会に比べて、かなり「濃い関係」にある。 ウズベク語大辞典によれば「いくつかの狭い道や、その道沿いにある家に住む住民を含む一部分」と、地域的コミュニティとして説明している。さらに「…

棉摘みを経験

棉摘みを経験 土曜に授業をして研究室に戻ったら、学長がやってきた。何事かと思ったら、日曜に棉畑(写真)に行くので一緒にいこうとのお誘いだった。もちろん異論はない。タシケント・バンク・カレッジの生徒は今年の棉摘み動員を免れたが、市内にあるバン…

宿題~持てる者のミッション

宿題 ウズベクの学生にテストをすると必ずカンニングをする。だからテストで全員に同じ問題を出題するというのは論外だ。カレッジの入学試験でも試験用紙が30種類くらい用意されていて隣の人の解答用紙を覗き込んでも意味がないようになっていた。ロシアでの…

国際人のマナー

国際人のマナー 成功を収めた起業家の話を読むことが多い。女性起業家は、日頃、家事、炊事など生活実感の中で、こうしたら便利なのに、こうしたら人に喜ばれるのでは、という観点から起業するので成功率が男性より高いといわれる。アート引越しセンターやア…

棉摘み 2

棉摘み その2 「その1」でお知らせしたようにウズベキスタンの綿花収穫は人海戦術に頼っている。ウズベキスタンの原綿輸出量は米国についで世界第2位。米国では黒人奴隷による棉の手摘み作業が昔は行われていたが今は機械で収穫している。中国に原綿収穫機…

棉摘み 1

棉摘み その1 ウ国では9月15日から棉摘みが始まる。地方の高校生、大学生は学徒動員で農村へ棉の収穫作業に赴くのだ。ただし、首都タシケントの学生、生徒は原則として農村労働を免除されている。 棉はウ国の最重要輸出作物である。機械で収穫するところもあ…

脱線授業

脱線授業 というわけで、西回りインド航路を計画し、実行し、成功したコロンブスを世界初のベンチャー、そして彼のインディアス事業を応援したカスチリアのイザベラ女王を世界初のベンチャーキャピタルと呼ぶわけです。その後、新大陸からスペインに流れ込ん…

法整備支援の苦悩

法整備支援の苦悩 1980年代後半から90年代初頭にかけての社会主義体制崩壊に伴って、グローバルな市場経済に参入を余儀なくされた東欧および旧ソ連諸国は、抜本的な法制度の変革を迫られた。効果的な市場経済体制への移行には法に裏打ちされたガバナンス、法…