チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

トーナメント四方山話(3)

渾身のサーブ

豪州のギブソン選手

荒川晴菜選手

ウクライナの選手

気迫を感じる

肩幅が広い

 

トーナメント四方山話(3)

■ネット視聴時間が減った
タイに住むようになって日本はいい国だと再認識している。イチローも「米国に住んで益々、日本が好きになりました」と言っている。周りの邦人を見てもそれほど反日の人はいない。タイは親日国だ。どうして日本人に温かく接してくれるのか、と思えば先人のお陰と気づく。また異国にあると、日本ならと思うことは多々ある。タイではビザ取得一つとっても係官や入管事務所によって対応が違う。日本ならどの窓口でもどの係官でも、また誰に対してもルールに基づいて同じ対応をしてくれる。

日本ほどいい国はないのにどうしてタイに住むの、と日本国籍を取得したネパール女性に諭されたことがある。日本はいい国とわかっている。タイとの比較、世界の中の日本という視点で見て日本が好きなのである。

昨今のウクライナ戦争や領海侵犯を繰り返す中国のユーチューブを見て考えることはあるが、4月中はテニス観戦に精出したので、以前よりネットを見る回数が減っていた。ネットの国際ニュースではまず、爬虫類を思わせるプーチン大統領とか薄ら笑いを浮かべる習近平主席の顔を見ることになる。気分が害される。こんなユーチューブより、大谷翔平クンが投げた、本塁打を打った、といった映像を見るほうががよっぽど気分がいい。同じように、日本の若者が頑張っている、という姿をチェンライの世界テニストーナメントで見ることができた。

朝のテニス仲間は若くても50代、似たり寄ったりの年代だ。まあ爺さん中心のチンタラテニスに慣れていたので、プロの華麗なプレーを間近に見ることができ、心が洗われる思いだった。翔平クンと同じくプロのフォームは美しい。

■試合前のウォーミングアップ
グランドスラムの試合をネットで見ることがあった。ボクシングの対戦前の如くプレーヤーが主審と顔を合わせて、サーブ順を決める。ネットではそれからすぐ試合となる。でも本当はすぐ試合になるのではなく、両選手でウォーミングアップをする。始めはボレー、そして片方がロブを上げてもう一方がスマッシュ、ラリー、それから交代でサーブを打ちあう。形式美を感じるほど順番と型が決まっている。そういえば日本滞在中、テニスクラブに週1回90分のレッスンに通った。そこでもまず始めにボレーの練習、ラリー、スマッシュの練習と型と順番が決まっていた。試合前のウォーミングアップを見て自分の知らない決まり事があるのだと知った。

東京のテニスクラブは朝から夕方まで90分毎の入れ替えで、コート上に人が途切れることはない。それに引き換え、9面あるチェンライの市営コートは朝の10時から夕方の4時過ぎまで全くの無人となる。暑い日中にタイ人は、テニスはもちろん、街中を歩くことすらしない。日中は誰もテニスをしないと聞いて日本の女子プロは一様に驚いていた。

日本では公営のコート確保は抽選で有料が普通。10年以上週5日、このコートでテニスをしているが、いつも空いているし、管理費とか維持費などを請求されたことはない。こういった大らかさはタイの良い処、といっていいのではないか。

■金持ちのスポーツか
若い頃、テニスはやんごとなき人々の遊びと横眼に見ていた。今でも低所得者のスポーツではないように思う。日本選手のプロフィールを見ると幼児の頃にお稽古事としてテニスを始めている。少なくとも中産階級以上だ。
現代では、才能あるテニス少年、少女は高校に入るか入らないかで米、豪、スペインなどに留学する。日本にもテニス専門の高校、大学がある。相当裕福な家庭でなければ留学、進学の費用は払えないだろう。

トーナメントに出場しているアジアの選手の中には見るからに裕福な家庭の子女という感じの人がいる。日本選手は基本、個人参加だ。でも外人選手の中には、コーチはもちろん家族帯同、女中さんも一緒ではないかという選手もいた。
自分が接した限りでは、日本の男女の選手はみな礼儀正しく、いいご家庭のお坊ちゃん、お嬢さんという印象を受けた。

でも、テニス選手がすべて紳士淑女というわけでもない。気が狂うほどの暑さの中、6-5から日本選手に追いつかれ、6-7でセットを落とした米国人選手はラケットを叩きつけ、スエアワードを連発し、主審にも食って掛かっていた。続く2セット目で最初のゲームを落とすと、ラケットを思いきりコートを隔てる幕に叩きつけた。隣のコートでちょうど幕近くに置いたタオルを取りに来ていた女子選手が、バシンという音にビビっていた。プロもいろいろだ。

 

老人の覚悟(4)

トードタイの朝市

自家製野菜

朝取り春菊、一山10B

鶏肉屋

豆乳と揚げパン



老人の覚悟(4)


■「戒老録」曽野綾子著より

「死ぬまでに、ものを減らして死ぬこと」
私の母は、みごとな始末をしてこの世を去ったと思う。 
 もう体が不自由になって、外出もできなくなったと自分で思ったのだろうか、
 彼女は死の数年前に、着物から新しい草履、ハンドバック、ちょっとした指輪まで、全部ほしいという人にあげてしまっていた。 
 母の遺品を始末するのに半日だけしかかからなかった。

 後には、ただ爽やかな日差しだけが空っぽになった部屋に残っていた。
 母が亡くなった時、僅かばかり持っていたへそくりもちょうど尽きかけた時だった。
 財産さえうっかり残すと、後に残された遺族は手数がかかる。 
 何も残さないのが、最大の子供孝行だと私は感じている。(引用終り)

品川区の家を兄が整理した。一部は自分も手伝ったが、書籍、写真、衣服、電化製品、箪笥、鍋釜什器の類を一切合切捨てた。捨てきれないものは家の取り壊しを請け負った業者に頼んだ。数十年に亘るわが家の歴史はきれいさっぱり無くなった。気持ちが楽になった。思い出に浸っていては捨てるものも捨てられない。写真があっても思い出を語る人が消えていれば残していても意味がない。自分にも何も思い出せない時が来る。いい機会だったと思っている。

チェンライに戻っても捨て癖が付いていて、衣服、書籍、10年分の無料情報誌ちゃーおなどを処分した。チェンライではゴムの伸びたパンツや古い運動靴でも喜んで貰ってくれる人がいる。衣服も戸棚ひとつに納まるが、短パンを数えてみたら8本もあった。ニイさんが2日に1度は洗濯をしてくれるからTシャツも数枚あれば足りるはずだが20枚以上ある。遺品の始末に半日もかからないと思うが、まだモノが溢れている。第2次整理活動が必要だ。

■「戒老録」曽野綾子著より

「ほどほどの効用」                 
 人は、一度に死ぬのではない。機能が少しずつ死んでいるのである。
 今迄歩けた人が歩けなくなり、今迄見えていた目が見えなくなり、今迄聞こえていた耳が聞こえなくなっている。 だから、中年を過ぎたら、いつも失うことに対して準備をし続けていなければならない。失う準備というのは、失うことを受け入れるという準備のことである。

しかし、やはり冒険はいいものだ。 冒険は心の寿命を延ばす。若い日に冒険しておくと、たぶん死に易くなる。

 60を過ぎたら、その人は人間として良い処は既に生きたのだ。 70を過ぎたら、その人はもっと余分に良い処は生きたのだ。

 だから、その後どれだけ長く生きたかと言うことは、大した問題ではない。
迄歩けた人が歩けなくなり、今迄見えていた目が見えなくなり、今迄聞こえていた耳が聞こえなくなっている。 だから、中年を過ぎたら、いつも失うことに対して準備をし続けていなければならない。 失う準備というのは、失うことを受け入れるという準備のことである。(引用終り)

■人はどれだけの土地を必要とするか
モノはなくなっていく。身体能力は失われていく。でもがっかりする必要はない、墓場に持って行けるものはないのだから、もともとなかったと思えばいい。

トルストイに「人はどれだけの土地を必要とするか」という短編小説がある。土地さえあれば幸せになれると信じる農民、パホームは、バシキール人から土地購入の契約をする。夜明けから始めて、好きなだけ広いエリアを歩き回って、その日の日没までに出発地に戻ると、ルートが囲む土地はすべて彼のものになるが、出発点まで戻ってこられないと、お金を失い、土地を受け取ることができない。

彼はできるだけ遅くまで歩き回って、太陽が沈む直前まで土地に印をつけていく。日没近くなって彼は自分が出発点からはるか遠くまで来てしまったことに気づき、待っているバシキール人のところまで一目散に走る。ちょうど太陽が沈む頃、彼はついに出発点に戻ってくる。バシキール人は彼の幸運を称えるが、走りに疲れ果てたパホームはその場で倒れて息絶えてしまう。彼の使用人は彼をたった6フィートの長さの普通の墓に埋めて、物語のタイトルで提起された質問に答えが出る。

タイは小乗仏教の国、死者のための墓は建立しない。遺灰を川や山に撒くだけ、6フィートの土地もいらない。何もこの世に残さず、きれいに消える。タイ式に葬られれば、葬式の費用はほとんどかからず、残された人も安心だ。100カ日の法要が終われば、皆の記憶から死者は消える。それでいいのだ、と思う。

 

トーナメント四方山話(2)

岡村恭香選手

同上

小林ほのか選手

牛島里咲選手

荒川晴菜選手、マッチポイントを制した直後、ガッツポーズに笑顔

フランス、ビハン選手

 

 

トーナメント四方山話(2)

■ウェアで認識
ワールドテニストーナメントは4月4日から5月1日まで4週に分けて行われた。土日も含め毎日、コートで観戦した。我ながらよく続いたと思う。やはりプロの華麗で力強いプレーを見ることは刺激になる。ああやればいいんだな、というほどの技量は持ち合わせていないが、それでも何か学べるかもしれない、という気持ちはあった。朝は6時半からいつもの仲間とテニス、その時間には選手も来て他のコートで練習をしていた。日本の女子選手もこの時間に現れていたので、顔が会えば挨拶をする。日本の若い女性がにこやかに挨拶してくれるなんて日本でも殆どなかった。

プロ選手が各国を転戦するとき持ち運ぶ荷物の重量は30キロを超えるそうだ。ラケットも6本以上はあるし、着替えのテニスウェアの数もある。でも女子プロを見ているうちにテニスウェアは2,3種類しか持っていないことに気付いた。気に入った同じウェアを何着持っているかもしれないが、遠くからウェアを見て、あ、XXさんだとわかるようになった。これは外人選手も同じ、それぞれお気に入りの同系統ウェアを着用する傾向がある。

ダブルスで優勝した岡村恭香選手は一回戦のときから目立つウェアを着用していた。美人であるし、ウェアも垢抜けている。ググってみたら彼女のスポンサーにアパレル産業があった。ウェアはすべて提供されたものなのだろう。岡村さんは試合のない日、ロングのワンピースに日傘を差してコートに現れた。なかなかシックでタイ人もカメラを向けていた。

■トーナメントと感染症
タイでも感染者が減少傾向にあるが、トーナメントでクラスターが発生したとなれば大変だ。そのため、プレイヤー、大会関係者、観戦者すべてに週に一度のATKテストが義務付けられていた。自分も最初は市内の病院で検査を受け、陰性証明を提示して観戦者証を得ることができた。その後はコート前のテントで土曜日ごとに選手たちと一緒に100B支払ってATKテストを受けた。選手だからといって優先的に検査してもらえるわけではない。検査の順番待ちで20分ほど、また結果が出るまで5分ほどかかる。この間は日本の女子プロとの雑談タイムである。何せ日本にいる間も若い女性とお話しする機会は殆ど無かったのだからこういう機会は逃せない。チェンライにいて本当に良かった。

テニスコート入り口からマスク着用が原則である。またコート上で試合前に主審と選手が集まって、どちらが先にサーブをするかのコイン投げを行う。その時は選手も主審もマスク着用である。しかし、3週目、4週目となるとマスクをしない選手が出てきた。概ね、ファランである。インドの選手もマスクなし。真面目にマスクをしているのはタイと日本の選手くらいだ。主審も特に注意する様子はない。我が国ではマスク着用は義務でないからタイでもマスク無しでいいでしょう、という感じである。自分も観戦中はマスクを下げていた。気温が37度を越える日もあり、マスクの中が汗まみれになるからだ。

当初は入り口でマスク着用をうるさく指導されたが、自動検温器が入り口に設置された後はマスクで注意されなくなった。というより、多くの選手がマスク無しで出入りするようになったので、大会関係者も「もういいんじゃない」ということにした、ような気がする。

■炎天下のプレー
日陰の観戦席にいても汗が流れるというのに、選手は炎天下で2時間のプレー、夏の甲子園どころではない暑さだ。野球なら2時間動きっぱなしということはないが、テニスでは一対一の戦い、休む暇はない。ダブルスを含め1日2試合をこなす選手もいる。その持久力、体力には脱帽する。コートは通常、朝と夕方に人が来るだけ。9面あっても10時から16時までは無人となる。タイ人は暑い時間はテニスなどしないし、街中でも日中歩く人はいない。

選手だって暑さには苦戦する。試合中、体の不調を訴えてリタイアする選手も見たし、集中力が途切れて自滅する選手もいた。
女子プロの小林ほのかさんは「思い通りにポイントが取れた時、普通は『カモーン』と叫ぶのですが、声を出すとエネルギーが取られるのではないかとセーブしました」と話していた。また、観戦席で隣り合わせた牛島里咲選手は「暑さって慣れるもんですか」と訊ねてきたから、皆さん、暑さ対策には苦労したようだ。

でも暑い時期は果物の美味しい季節でもある。彼女たちが一様に「マンゴーが安くて美味しい」というので、自分も毎日マンゴーを食べるようになった。若い女性にすぐ影響を受ける性格のようだ。

 

コラム「変見自在」から

パヤオの夜市

洋服売場

マスク姿が多い

寿司の屋台

サツマイモのボール

揚げ物



コラム「変見自在」から


今回は元産経新聞記者、高山正之さんが週刊新潮に連載しているコラム、「変見自在」からの引用です。高山さんは我が出身高校の大先輩なので、勝手に親近感を持っています。
(引用開始)
「戦争とは別の手段で行う政治」とかクラウゼウィッツは言った。しかし彼がそう規定する前から戦争には伝統的な形があったように思う。
例えば旧約聖書民数記でモーゼは「戦争とは相手民族の淘汰だ」と 言った。
だから敵兵士を皆殺しにするだけでなく、民族の種を持つ男の子は赤ん 坊に至るまで殺させた。人妻も子種を宿している可能性があるから殺した。処女は神から兵士へ の贈り物で、「生かして楽しめ」とモーゼは言った。モーゼはまた相手民族の家畜も食糧も富も洗いざらい奪わせた。

戦争とは政治の手段である前に神が許した「殺戮と略奪と強姦」だった。ただ相手は同じセム族だ。異民族は必須条件ではなく「勝てる相手」な らどこの誰でもいいみたいだ。
それでロシアのイワン雷帝は同じスラブのノブゴロド市を滅ぼすときも モーゼの教えに従った。まず彼の親衛隊が入り込んで城門を閉め、誰も逃げ出せないようにした。
その上で5週間にわたって強姦と略奪を恣(ほしいまま)にし、貴族から 市民に至るまで数万人を殺戮した。

 そう言えば米宣教師ベイツは東京裁判で「日本軍は南京城を封鎖して略 奪と強姦を恣にし、6週間にわたって市民を殺し続けました」と偽りを 語った。
何を大ぼらと日本人は思うけれど、イワン雷帝を知る白人たちには怪し む理由はなかったようだ。

 そんなロシア人と最初に出会った日本人は北辺を守る松前藩藩士らだった。
1806年、択捉島紗那で露艦2隻が砲撃してきた。樺太居留地利尻島 も攻撃され、略奪された。殺戮略奪に戸惑いはないという風情だった。

 次に彼らは対馬を襲った。露艦ポサドニクが浅茅湾に侵入、芋崎の永久 租借と女と食糧を差し出せと対馬藩に要求した。対馬藩が要求を断り、退去を求めるとロシア人は交渉役を殺害して、後 は好き放題に略奪していった。幕府は苦境に立つが、最終的に英公使オールコックの計らいで英艦2隻 が出かけて追い払った。

 これを機に日本は本気で夷狄に備えて富国強兵策を取り、43年後の日露 戦争で芋崎の屈辱を倍返ししてやることができた。非白人国家に負けた屈辱は大きい。スターリンは日本が米国の経済封鎖 で弱るのを見てノモンハンで挑んできたが、また負けた。司令官ジューコフは「あんな苦しい戦いはなかった」と敗北を認めている。

 その6年後、ロシアは日本降伏という好機を得た。武装解除した日本軍 は「勝てる相手」のはずだった。ロシアは日ソ中立条約を一方的に破棄して、まず満洲に攻め込んだ。
銃を置いた日本軍将兵60万人は奴隷としてシベリアに送られ、10年間も 強制労働を強いられた。明らかな国家犯罪だ。

 スターリン南樺太も千島も北方四島も取った。上が図に乗ると下のロシア人もいい気になる。当時は世界最大級の孫呉 火力発電所に乗り込んで発電プラント1基をバラして持ち去った。残る1 基は支那人が盗み、今は洛陽で発電を続ける。

 哈爾濱(ハルピン)、新京に進駐すると彼らは邦人の家に押し入って略奪 し、女を犯した。日本人が南に逃げると彼らが後を追う。今の北朝鮮でロシア兵の狼藉は さらに拡大した。RKB毎日放送の上坪隆の『水子の譜(うた)』にはロシア兵に犯され妊 娠した19歳の女性の話がある。麻酔もない状態で堕胎手術を望んで、母子 ともに死んだ。やっとロシア人の魔手から逃れながら、同じように妊娠の重荷に耐えき れず帰還船から身を投じる悲劇が何件もあった。

 ウクライナに侵攻した露軍兵士は市民虐殺だけでなく、「略奪した楽器 をベラルーシ経由で国に送った」とか、戦地での婦女暴行被害とかの報道 が続く。

 ロシア人は素朴な民とかじゃない。ノブゴロドの昔から何の変りもな い。粗野な民でしかないのだ。(引用終り)

 

一神教の民族の戦いは概ね高山さんの述べる通り。77年前のソ連軍にはウクライナ出身の兵士も多数いた。露軍兵士だけが虐殺、略奪行為をするわけではない。露軍兵士がやるならウクライナ軍兵士(特にアゾフ大隊)もやっている可能性はある。更に両軍には、あまり報道されないが外国からの傭兵が従軍している。ISISの兵士は「ISISに入ると女はやり放題だぜ」と嬉しそうにテレビで語っていた。高邁な理想を傭兵が持っているとは思えない。

日本の報道はロシア=悪、ウクライナ=善の2元論ばかりだ。そんなに簡単に割り切れるか。どこが悪かったのかがはっきりするにはあと100年くらいかかるかもしれない。

昨今のニュースから

メ―コック公園の蘭

同上

同上

同上

同上

やはり蘭は華やか

 

 

昨今のニュースから


■ニュースの焦点
日本のニュースをネットで見ている。一頃はウクライナ戦争とオミクロンがニュースの中心だった。最近はこの2つが少し後ろに下がって、知床観光船事故と山梨県道志村の女児行方不明事件が主となっている。知床も行方不明事件は確かに大ニュースであるが、日本と日本国民を守るということからは少し外れている。異国に暮らしていると、やはり外交とか国防、日本の将来に関心が向かう。

ウクライナ戦争と武漢肺炎には共通点がある。それはいわゆる識者の意見がことごとく外れた、ということだ。ウクライナ戦争は短期には終わらなかったし、勝敗も定かではない。武漢肺炎も罹患者80万、死者40万と言われていたが、武漢肺炎で死んだ人は累計で約3万人、重篤生活習慣病を持つ老人が大半を占めた。武漢肺炎があってもなくても亡くなったという方が多いのではないか。

■2つの憲法改正
国が感染症対策で後手に回った理由として、憲法で国に緊急事態に対する規定がないことが挙げられている。武漢肺炎より強力な感染症が再来、或いは大地震など天災による非常事態発生に的確、かつ迅速な対応を取るには超法規的な権限が内閣に求められる。その権限付与には現憲法の改正が必要だ。

また、ウクライナ戦争では米国は頼りにならず、日本は独自の国防を考えなければならないことが分かった。自衛権憲法に書き込む、をどうして今、やらないのか理解に苦しむ。ウクライナは核を持っていなかったばかりに、また同盟国を持たなかったばかりに攻め込まれた。原爆の過ち(原爆を落とされたこと)を繰り返さぬためには日本が核武装する必要がある。日本を核攻撃する可能性のある中、露、北鮮の3カ国に囲まれているのだから猶更だ。岸田首相は、「観光船の在り方に関する検討会」を発足させたが、核戦力については検討も議論もしないという。国と国民を本当に守ろうと思っているのかどうか疑わしい。

■ニュースで歴史を振り返る
ウクライナ戦争で分かったことがある。ロシア軍は市民を虐殺した。数に関係なく死体を始末することは難しい。露軍は死体焼却機を持参して稼働させているというが、火葬場でも一体焼くのに1時間はかかる。それほど能率的ではない。穴を掘って埋めるという手はあるが、穴まで遺体を運ぶにも何人もの手が掛かる。ロシア軍にとって死体運びや穴掘りにエネルギーを取られることは戦略上、望ましいことではない。結果、殺された市民の遺体は放置された。その様子は世界中に報道された。

この露軍の遺体処理を見て、南京大虐殺30万人の話が全くの捏造であることがわかる。ロシア軍はせいぜい1000体の遺体の始末に困っている。南京で30万人も殺したのであれば,遺体はどう処理したのでしょう? 2カ月足らずで30万人の南京市民が虐殺されたというから1日平均5千体、どうやって処理したのか。穴を掘って埋めたというがいまだに掘り出された遺骨はない。川に流したという説もある。だが中支那方面軍が南京に入城したのは11月、雪のチラつくような冬の時期で川には水がほとんど流れていない。川に放り込めば積み重なってしまうし、流れたとしても膨大な数の遺体の話は下流域に住む中国人の間で有名になっていただろう。

■民間人虐殺
ウクライナ、ブチャ地域の民間人135人がロシア軍により虐殺された時、バイデン大統領は、「プーチン戦争犯罪人であることが証明された」と強く非難した。
然し、プーチン大統領は「原爆を2発も落とし、非戦闘員を何十万人も殺した国が何を言うか」とせせら笑った。プーチンに先に言われて悔しいなあ、と日本人は感じないのだろうか。広島、長崎ばかりでない。東京大空襲でも老人、女、子供を中心に10万人が亡くなった。米国は日本全土200都市以上を空襲し、多くの民間人を虐殺した。

「戦争における民間人虐殺は国際法に違反する蛮行であり、人道上も到底容認できない」とロシアを非難する新聞は同じように、アメリカが約80年前に行った蛮行を糾弾しないのか。しないまでも、あの国は日本に対してこういうことをやった野蛮な国なのだよ、と国民に注意喚起してほしい。殺された女性、子供、老人の無念を日本はまだ晴らしていない。いつかあの国に2発、お返しをしなければ、と思う人はいると思うが、それは世界標準では健全な考えの人と言える。

民間人虐殺、ロシアがやるなら米国も、もちろん中国、北鮮、韓国もやる。やられないために何が必要か、ここまで言っても日本の政治家にはわからないのだろうか、と絶望的な気持ちになる。

 

トーナメント四方山話

豪州、ギブソン選手

タイ、クムクム選手、左は小堀選手

中国、マー選手

中にはこんな選手も。タイ女子プロ

ガットの張替え、機械が2台ある

何時も張替え待ちのラケットとガットが

 

トーナメント四方山話


■プロの世界は厳しい
4月4日から始まったITFワールドテニストーナメントは休みなく続いて今は24日から5月1日までの第4節に入っている。暑季の盛りに4週続けて試合が続く。選手も休みはないが自分も土日を含め、1日の休みもなくテニス観戦を続けている。多少入れ替わりはあるが4週連続でエントリーしている選手もいるので、外人選手であってもだんだん顔と名前が一致してくるようになった。先日は世界ランキングで70位まで行ったタイのクムクム選手が挨拶してくれた。

彼女は日本選手と組んでダブルスの決勝に進んだし、シングルスでは豪州の選手を6-0,6-1で下して優勝した。見ていて実力差は歴然だ。公認大会で勝ったポイント数で世界ランキングの順位が決まる。感染症騒ぎで国際大会の開催が多くの地域で見送られ、ポイントが消えてしまった有力選手もこのクラスにも出場している。クムクム選手は本来であればもっと高いランクで戦う選手だ。全く危なげなく勝ち進んでいたが、これでグランドスラムクラスに行けば、彼女が0または1ゲームしか取れずに敗退するのだろう。

日本のプロの名前は全く知らなかった。対戦表のローマ字の名前を頼りに、ネットで調べる。インカレ、インターハイ、全日本の優勝経験者ばかり。そういう人に「この大会に来ている人はみんなプロなんですか」などとアホな質問をした。ネット上の写真で選手を確認するのだが、お化粧のせいかなかなか実物と一致しない女子プロもいた。男女とも日本のトップクラスの選手ばかりだが、なかなかトーナメントを勝ち進めない。女子は華奢な感じで、どこにでもいるようなお嬢さんが多い。男子もまあ大柄ではあるが、外国人は体だけはジョコビッチ並みの大男ばかりだ。大坂なおみさんは身長180センチある。今大会、飛びぬけて強いクムクム選手も180センチでがっちりした体型。テニスには体重別がないから、日本選手のグランドスラム入りは体力的に難しそうだ。

■6月にも
タイで開催されるITFのトーナメントはこれまでバンコクで行われていた。だがこの時期のバンコクは北タイのチェンライより高温多湿である。熱中症で選手がコート上で倒れ、救急車で運ばれることがあったという。それで、これからのタイでの大会はチェンライに行う、ということになったらしい。6月にまたチェンライでトーナメントが開催される。チェンライに再度やってくる日本選手も何人かいるようだ。顔見知りになったことではあるし、チェンライ県在住日本人を代表して、また応援に行きたいと思っている。

タイで開催される大会にはアジア、オセアニアの選手が多くエントリーしている。暑いので欧州、南北アメリカの選手はあまり来ない。確かに北欧やドイツからの参加者はいなかった。

豪州の大男が日本選手と対戦した。金網の外では豪州人の仲間が応援していた。2セット目に入ると、大男は目に見えて集中力が途切れ、ミスが多くなった。彼が5ゲーム落としたところで、豪州の仲間は「やはり、日本人は暑さと湿気に強いんだ」と対戦中の仲間を見捨てていなくなってしまった。暑さと湿気が辛いのは日本選手も同じ、でもその苦しさを顔や態度に表さない。それが大男にプレッシャーをかけたのだろう。ポーカーフェース、これもテニスの作戦の一つと言える。

■ガットの張替えなど
コートの受付手前に「ガット張り替えサービス」のコーナーがある。ラケット一つに付き450B(約1600円)だから安くはない。でもコーナーのカウンターには常時、ラケットが何本も積まれている。

チェンライのスポーツ用品店ではガットを買うと張り替えは無料サービスでやってくれる。ガットは切れたら張り替えるものだと思っていたが、素人でも3カ月に1回は張り替えないと技術が向上しないそうだ。張り替えた時に比べ、テンションが緩くなってくると、いつも通り打っていてもボールが飛びすぎたり、スピンがかかりにくくなるという。でもそれを実感できるほど自分はうまくない。

プロは試合ごとに張り替える。大体、プロは常時、6本ほどラケットを持参している。その日の天候、気温、それに自分の調子を考えてラケットを使い分ける。試合途中に張り替えたばかりのラケットを出前よろしく張替え職人が選手に届けるシーンも見た。

試合が終わると選手はラケット6本、その他もろもろの入ったテニスバックを背負ってコートを後にする。日本の女子プロが大きなバッグを背負っている後ろ姿から兵隊さんの重装備行軍を連想してしまった。

 

 

暑季のチェンライ

 

イカ売り場

4-5個で300円弱

マンゴ-は一個30円くらいか

スロバキアのトソーバ母子

二人の間にはいつもタッパが

コート上のトソーバ選手、この日は細木祐佳選手に4-6,3-6で敗れた



暑季のチェンライ

■暑季のトーナメント
タイの4月は暑季に当たる。チェンライでも最高気温が35度を越える。いくらタイの子供でも暑くて勉強する気にならないので3月末から5月初めまで夏休みとなる。武漢肺炎のため、タイでもネット授業で登校日が少なかったはずであるが、先生も生徒も夏休みを短縮して授業を行う、という殊勝な考えはなく例年通りの休暇となっているようだ。

テニストーナメントも乾季に行えば選手もベストコンディションでプレーできると思うのだが、よりによって暑季真っ盛りの大会となった。10年以上チェンライに住んでいるがプロテニスのトーナメントが開催されるのはこれが初めて、素晴らしいプレーを目の当たりにできるので選手には申し訳ないが大変嬉しい。

トーナメント第一節は最高気温が32,3度と暑季にしては過ごしやすかったが、第二節のソンクランの週は気温が37度を越える日が続いた。コート上は40度を越えていただろう。苛酷な条件下で、1日に、時にはシングルス、ダブルス、計、約4時間の試合を戦う選手の体力、持久力には感心する。観戦している自分も汗ダラダラとなったが熱戦が続いたせいばかりではなく、単に気温が高いからだ。

選手ばかりでなく観戦者も消耗する。家に帰ると家の壁が西日で温められているため、陽が落ちても室温が下がらない。机もベッドも枕も触ると熱い。部屋の中の物全体が体温より高くなっているのだ。こんな夜でも扇風機だけで眠りに入れるのは、チェンライには熱帯夜がなく最低気温が暑季でも20度ちょっと、夜半には涼しくなるからである。

■選手の食べるもの
選手に「チェンライ、暑いでしょう?」とか話しかける。タイへの遠征経験がある選手もいるがチェンライはみな初めてという。半月以上、会場近くのホテル住まい、3食は提供されるが、パクチを受け付けない選手もいて、気候ばかりでなく体調管理には気を遣うようだ。

街へ出れば日本食も食べられますから、それにマンゴー、ソムオーなどの果物が安くて美味しい、という選手もいた。日本食と言ってもチェンライのそれはロングステイヤーの郷愁を何とか満足させる程度の味、センタンの食堂街に日本のやよい軒があって、味噌カツ定食を食べることがある。プロ女子がやよい軒に行きました、と言っていた。あの日本食でも元気を取り戻してくれるなら、と思ったものだ。

今、マンゴーは1キロ20B(70円)、1キロで3,4個はある。今年のマンゴーは豊作で、スコタイなどの生産県では、売り渡し価格がキロ・2Bと下落したため、出荷を諦める農家もあるという。ビタミンA、Cを多く含み、世界三大美果の一つというのにもったいないことだ。

マンゴーはウルシ科の植物で漆のウルシオールに似たマンゴールというかゆみの原因となる物質が含まれている。それで食べすぎると口の周りなどにかぶれ、湿疹を起こすことがある。選手達も食べすぎなければいいが。自分の場合、1日に2個食べることがあるが、痒くなったことはない。

■果物
こう暑いと食べたくなる果物はある。スイカだ。スイカは蔓になる瓜の一種だから野菜ではないかと言われる。正確には野菜的果物という分類とのこと。チェンライには年間を通してスイカが売られている。だから暑季のものと決まっているわけではないが、この時期のスイカは一段と甘いような気がする。スイカの形状はウズベクのスイカと同じく楕円形が中心。兄がランムアンの卸売市場で買ってくる。大きなスイカのほうが甘い。一般の店ではキロ当たり20Bだがいつもの店ではキロ10B、5キロのスイカで50B(200円弱)と安いから、食後によく食べる。

喉が渇いたときに水やお茶を飲むのも悪くないが、スイカを短冊状に切り、大皿に盛って好きなだけ食べるのもいい。日本ではスイカは高級食品になっていて、1個2000円くらいしたと思う。
イカにはビタミンAが含まれ利尿作用があり、腎臓にもいいそうだ。酷暑の中、喉が渇いた、と気が付くとき、老人だったら熱中症寸前という。スイカは夏バテ防止に最適だ。

テニスコートの観戦席に毎日、スロバキアのトソーバ選手とお母さんが座っている。お二人とも180センチはあろうかという長身だ。特に娘さんは美しい。いつも二人の間にスイカとマンゴーの小片が入ったタッパが置かれていた。

日本から十数人の選手がトーナメントに参加している。彼女、彼らがもう結構です、というほどの数のマンゴーやスイカを差し入れることには吝かではないし、財政的裏付けも充分ある。でも失礼ではと思い、申し出ることはなかった。