

同上




2回目の入院で感動したこと
■あれよ、あれよという間に
入院7日目となった。昭和医大病院にお世話になるのは2回目である。32-33歳だったと思う。当時、やたらと海外出張が多く現地ではあまり野菜を食べなかった。繊維質が不足すると便秘になり大腸壁の弱い部分が外側に膨らんで憩室が形成される。そこに便が溜まり炎症を起こす。これが憩室炎であるが、自分の場合、憩室が破れ腹膜炎を起こした。救急車で昭和医大に担ぎ込まれた。胃穿孔を疑われ、鳩尾から臍までの開腹手術を受けた。確か8人部屋に1月以上入院していた。牧歌的な昭和感漂う8人部屋の社会生活は今となっては懐かしい。
あれから40有余年、これ同じ病院かと思うくらい医療関連は格段の進歩を遂げていた。兄と彼女に抱えられるように病院入り口に着いたのが午前10時、大変な数の診察希望者をマイナカード、診察カードを基に事務員がさばいていく。タイの病院から受け取ったCD,各種データも受付で渡した。
診察ブースの前では1時間以上待ったが、この間に医師が紹介状やタイの病院のデータを読み込んでいたようだ。昼を回って受診できたが、先生の丁寧な説明の後、このまま入院を申し渡された。それからは早かった。採血、レントゲン、心電図、午後4時には主治医の若い医師が夕刻に行う手術の概要を丁寧に説明してくれた。内視鏡(カメラ)を口から入れて食道・胃を通り十二指腸まで進め、胆管や膵管に直接細いチューブを介して造影剤を注入して、胆嚢や胆管及び膵管の異常を詳しく調べる。異常があれば検査途中でも、即手術となるとのこと。
■AIの進歩を実感
日本の病院でもまずはいろいろな検査を行い、その結果を見て治療方針が決まるものと思っていた。でもわが炎症はそれほど悠長ではなく待ったなしだったようだ。緊急外来病室のベッドで印刷済みの「入院診療計画書」並びに各種書類の説明と書類への署名を行った。自分のためにこの昼過ぎから医師、パラメディカル、事務方、数十人あるいはそれ以上の関係者が手術、入院に向けて一糸の乱れもなく迅速に動いてくれている。日本に帰ってよかった。バンコクの大病院なら可能かもしれないがチェンライの、こういっては悪いが田舎病院ではこのような手術に向けての緊急合同作業はとてもムリだ。手術室まで車いすを押してくれた看護師もバトンタッチを受けた手術室の看護師もわが緊張をほぐそうと「タイではどんなお仕事を?」とか話しかけてくれた。午前中に受付に渡したデータ、情報が1日もしないうちに病院全体に共有されていることが感じられた。
■導線も完璧
手術翌日から平熱に戻り、腹部の鈍痛も和らいだ。点滴棒付きであるが自由に動き回れる。消化器内科の11階病棟には52床のベッドがある。見たところ満杯に近い。トイレは男子小用便器が3つ(大人用2子供用1)しかないがおむつの人もいるだろうからこの数で充分だ。混みあうこともない。トイレ内の広さが絶妙で点滴棒が複数入ってきてもぶつかることはない。手洗いは2か所だが、一般の手洗いに比べ位置が低い。車椅子患者を考慮しているのであろう。
病院建築は専門の設計建築会社があたると聞いたことがある。エレベータホール前に受付事務、ナースステーションのスペースがあり、窓際は放射線上に病室が並ぶ。廊下はPC付き医療具を運ぶ看護師、車椅子、自分のような点滴棒歩行者がぶつからずに行き交える絶妙のスペース幅となっている。
昔は看護婦さんが患者の体を「清拭」してくれた。今は自分でシャワーを浴びる。浴室は一つで1回30分の予約制だが、半分も埋まっていない。日頃、チェンライの電気式給湯器のショボいシャワーしか浴びていないので、病棟浴室の豊富な湯量には感動した。宿泊者52人のホテルでシャワー室が一つでは大騒ぎとなると思うが病院設計には相当のデータ、ノウハウの蓄積があるのだろう。
また、コイン式乾燥洗濯機もある。付き添い、面会者がいない孤独老人(自分ではない)でも少ない着替えでやっていける。
障害物なく廊下を周回できるので元気な患者はぐるぐると歩いている。病室もコンパクトで使いやすい。やはり日本はすごいなあと感動する。
なお、帰国してやるべきことの一つに投票があったが、帰国の翌日に入院ということで投票所に足を運ぶことはできなかった。病院で投票できると聞いて事務に尋ねてみたが病院での投票は自分の入院前に終了していた。高市政権に投じることはできなかったが全くその必要がなかったほどの大勝利、選挙戦の時から与党有利が伝えられていたし、総選挙結果は我が病状回復に大いに貢献していると思う。



































