チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

よく視聴するユーチューブ

2021年、目黒川の桜

同上

同上

同上

同上

同上

 

よく視聴するユーチューブ

■よくわからない戦争

東京靖国神社の桜も開花し、これから日本は心浮き立ついい季節になる。チェンライは相変わらず煙害で気が滅入る日々である。気が滅入るのは煙害のせいばかりではなく、最近はWBCを除けば嬉しくなるようなニュースが聞こえてこないからだ。

ウクライナ戦争に関して日本のメディアはロシア=悪、ウクライナ=善の二元論だが、自分にはどっちがいいのか悪いのかよくわからない。武力で領土の変更を謀ろうと、ウクライナに攻め込んだロシアがよくないとは思う。でも米国はロシアの思惑を把握しながらウ国に派兵しないと言い、対戦車ミサイルのジャベリンを侵攻するまで渡さなかった。米国はロシアの侵攻を願っていたとしか思えない。白人はアングロサクソンをトップとしてゲルマン、ラテンと等級があって、スラブは下等と見られている。欧米は二等白人であるスラブ人同士が殺しあうのだから構わないと思っているのではないか。戦争を待ち望み、そして戦争が終わらないほうがいいと思っている勢力がある限り戦いは続く。

旧ソ連諸国はマフィアに支配されている。ウクライナのマフィアは、欧米から援助された武器、弾薬、ミサイルをソマリアなどアフリカの紛争国に横流ししているという。日本は武器の援助はできないので、防弾チョッキを送った。でもその日本製防弾チョッキがネット販売されている。日本の防弾チョッキは首周りの防備が完全でない、またライフルで貫通試験をしたところ、防弾できなかったとかであまり高い値段では取引されてないとのこと。ネット販売でもしっかりと品質管理をしているようで、この点は良心的というべきだが、援助って何だろうと考えてしまう。

 

■日台友情

ウクライナだけでなく、いわゆる小西文書で空転する国会やみすみす韓国にまた騙される岸田首相、LGBT理解増進法成立を目指す自民党など暗澹とするニュースが目白押しだ。高橋洋一、山口敬之など保守系各氏のユーチューブを視聴してきたが、最近は腹が立つし、無力感に襲われるので見出しだけ見てスキップすることが多い。

その代わり、オレンジの悪魔、「橘色惡魔來了!國慶典禮京都橘高校吹奏樂部精彩演出!」のユーチューブを何度も見ている。中国繁体字に台湾人の感動が伝わってくる。

橘色惡魔「京都橘高校吹奏樂部」笑容甜美 速變雙十隊形。超人氣「橘色惡魔」來了!京都橘高校驚喜演出。木花百花️真的很日本士氣。自分も指揮をとる木花百花さんのファンになってしまった。清楚で気品がある。

日本橘高校初訪台灣展現滿滿活力 橘色惡魔展現青春無敵魅力 為台日關係熱情加溫。台湾と日本の友情は一気に高まった。この功績に対し、彼女たちに勲章を授与してもいいのではないか。真是非常非常精彩的表演,我們的國慶日有你們的表演真好。青春洋溢熱力無限,不愧為國際知名的「橘色惡魔」。青春の活力に溢れ、「地表最強!高人氣に恥じないと、最高の賛辞が寄せられている。日本人として嬉しくなる。

 

日本食に外国人が大感激。

「初めての日本食」は欧米、豪州の白人に日本食をご馳走して、その感動ぶりを紹介するという番組だ。最近は和食を自国で経験しているという欧米人も少なくない。でも日本で食べる和食には「これまで自分の食べてきた和食は何だったんだ」と愕然としている。それに美味しいものを口にすると自然と幸せそうな顔になる。これは演出ではない。海鮮料理、天ぷら、寿司、和牛、トンカツ、うな重などが登場する。生まれて初めての和食という外人もいるが、誰にも美味しいものは美味しいとわかるようだ。

飲み物ではビールの評判がいい。ベルギー人やドイツ人も日本のビールはうまいという。シンハビールも悪くはないが、日本の生ビールとは比較にならない。日本酒はタイ人には人気がないが、番組に登場する欧米人はおしなべて料理との相性や銘柄による微妙な味の違いを理解するようだ。

出汁巻き卵を、始めはそのままで、次はおろしポン酢で、とひとつの料理でもバラエティに富んだ味わい方をする。いぶりがっこクリームチーズの揚げ物は歯触り、味で人気だった。指揮者の岩城宏之さんが「沢庵はドラムだ、和食は交響曲だ」と随筆に書いていた。天ぷらでも蓮根は打楽器と言っていいし、刺身盛り合わせは室内曲だ。それに盛り付けの美しさには外人も瞠目する。

タイ飯は概ねガチャガチャと炒めて牡蠣油で一丁上がり、という料理が多い。外人が美味しそうに和食を味わっているユーチューブを見ると涎が出てきて、日本に帰りたくなってしまう。

 

 

煙害は解消するか

 

AQI180 道路が霞む

遠くの信号がよく見えない

木々の向こうに山があるのだが

コック川,昼頃

珍しく農民がいたのでパチリ

これでも昼近く

 

煙害は解消するか

■花粉症と煙害

日本の春は花粉症の人にとってつらい季節となる。花粉にもいろいろな種類があるが、スギ花粉が一番悪さをするらしい。気温が20度を越えると花粉飛散量が激増する。今年はスギ花粉が例年の12倍飛ぶ花粉症の当たり年という。

花粉が飛ぶ季節、日本を離れてタイで過ごす人もいる。タイでもいろいろな花粉が飛んでいるので花粉症に罹る人はいるが、スギ花粉に比べて軽症で済むらしい。

スギ花粉を避けて、どうぞチェンライへ、とお勧めしたいところであるが、2月から4月にかけて北タイはPM2.5の煙害の季節だ。PM2.5とは大気中に浮遊する2.5ミクロン以下の小さな粒子だ。小さいので肺の奥まで入り込み、呼吸器、循環器に悪影響を与え、アレルギーの原因になると言われている。

朝、テニスに行くとき、道路の先はうすぼんやりと濁っているし、7時前なら太陽が裸眼で直視できる。チェンライは山に囲まれているのだが、いつもは紫に見える稜線も濁った空気の中で何も見えない。ただ一面に立ち込めた、というと、文部省唱歌、「牧場の朝」を思い出すが、チェンライの煙害は陽が上がっても雲散霧消することはなく、朝から夕方まで1日中、うすぼんやりしていて気が滅入る。

 

北京より高いAQI

空気の汚染度を計る指標としてAQI(Air Quality Index, 大気質指標)がある。AQI100以下であれば健康に影響はない。しかし、このところチェンライは「健康に良くないレベル」のAQI 150を越えていて、連日170-190となっている。AQI150-200は「心疾患や肺疾患を持つ人、高齢者、子供は、長時間または激しい活動を中止する必要がある。それ以外の人でも、長時間または激しい活動を減らす必要がある」のレベルだ。ステント入り高齢者である自分はテニスなどしてはいけない環境下にあるが、息苦しいほどでもないので、いつものようにコートに通っている。

3月に入れば、時に「パーユ」と呼ばれる暴風雨が来る。この時は、大気はもちろん、自分の肺もきれいになるような清涼感が味わえる。でも北タイの煙害が解消するのはやはり雨の多くなる4月中旬まで待たないとダメだろう。日本には中国から黄砂が飛んできて、九州地方ではAQIが少し高くなることがあるが、日本の平均AQIは38と最低レベルの汚染度となっている。

北京や上海から日本に来た中国人が成田で深呼吸して「ああ、空気がきれいで気持ちいい」という話を聞いたことがある。それだけ中国の大気は汚染されているのかと思っていた。でもネット検索してみると最近の北京のAQIは65、上海は119、天津は65とチェンライよりずっと健康的なレベルに収まっている。もちろんこれは各都市の平均数値であって、特定の交差点等では異常にAQIが高くなっているので何とも言えないが、中国の都市よりチェンライの大気汚染がひどいと知って少し落胆した。

 

■改善の気配

遠くの風景は煙害でうすぼんやりしているが、テニスのボールがみえないほどではない。煙害は山岳民族の野焼きの他にディーゼル車の排気ガスに含まれる微粒子も関係していると言われる。10年ほど前は1ミリほどの植物の燃え滓がちらちらとテニスコートに降っていた。テニスボールは鮮やかなオレンジ色をしているのだが、新品のボールもラリーをしているうちに黒く煤けてしまったものだ。最近はボールが汚れることがない。降灰が無くなった割にはAQIが下がらないのは北タイでも車、特にジーゼルエンジンのトラックが増えているからだと思う。真っ黒な排気ガスをまき散らしながら猛スピードで走るトラックをよく見かける。

これでは、と思っていたがタイ政府も大気汚染に手をこまねいていたわけではない。タイで供給過剰となっているパーム油を7-10%混ぜたバイオ・ジーゼルオイルの普及が昨年から始まっている。これは従来の軽油100%のジーゼルオイルに比較して窒素酸化物などの微粒子の排出が半分以下になるという。東京では石原都知事の時代にジーゼル車規制を断行し、それ以来、東京の空気はきれいになった。

「百年河清を待つ」は黄河の水の澄むのを待つようにいつまでたっても実現性の当てがないことを言うが、北タイの煙害が消える日は来るのだろうか。焼き畑を必要としない農業開発の進展やバイオ燃料の普及によって百年も経たないうちに「煙害セロ」が実現する可能性がないとは言えない。

「百年煙害ゼロを待つ」であるが、自分の生きているうちに実現すると思うほど楽観的にはなれない。

サヨクのビジネスモデル

 

近くのサンサーイ市場

バナナは一房20B

宝くじ販売

コオロギの油いため

カイコの蛹

3月でも新鮮な枝豆が買える

 

 

サヨクのビジネスモデル

■原稿が書けないと

各種統計が網羅されている社会実情データ図録 Honkawa Data Tribune (sakura.ne.jp) はブログ原稿に詰まったときに参考にする。例えば「テレビ時代の盛衰:視聴時間の長期推移」を見ると、どうやら新聞と同じくテレビも消えゆく存在であることが示唆されている。「結婚相手の条件として人柄、容姿、経済力、家事分担などの何を重視するか?」では人柄が第一に来るが男性は容姿、女性は学歴、職業、経済力重視、という傾向が見て取れる。「もし戦争が起こったら国のために戦うか」では高齢の男性が国の為に戦う意識が高い、また各国比較では中国を始め、8割、9割の回答者が戦う、と答えているのに対し、日本は戦うと回答した人は13.2%と調査79カ国中、最低となっている。

統計は質問方法によって回答が変わってくる。例えば、「安倍政権では防衛予算を増やし、消費税を上げ、労働者一人当たりの賃金は低下しました。アベノミクスの行方に多方面から疑問の声が上がっていますが、あなたは安倍政権を支持しますか」という左翼系メディアの世論調査では当然、安倍政権の支持率は低くなる。だから統計を鵜呑みにするのではなく、調査主体や同様の調査を見比べる必要がある。

またどれだけ回答者が質問の意味を理解しているかどうかも大切だ。皇統問題では女系、男系の理解がない人に、「欧州ではエリザベス女王のように女性の王様がいます。愛子内親王女性天皇になることに賛成ですか」と聞かれれば、いいんじゃない?と答える人が多くなる。皇統問題は多数決で決めるべき事柄ではないのだが、世論の多数は、と言われると、選挙を考え、腰が引けてしまう政治家はいる。

LGBT理解増進法も差別はいけないんじゃない?という多数意見で決めてはいけない問題である。私は女性ですという男が女子刑務所や女湯で入ってくるということは常識では考えられないが、欧米ではこの問題は深刻である。それにこの法案が通ると、各都道府県、地方自治体にLGBT理解増進センターが設立され、そこにはLGBTの人ではなく、サヨクの人が入り込んで公金チューチュースキームを構築する。差別反対を旗印に公金チューチューの前例はある。

 

男女共同参画の前例

1999年平成11年)6月23日公布・施行の「男女共同参画社会基本法」を基本法として男女が政治的、経済的、社会的及び文化的利益を均等に享受可能で、男女共に喜びも責任を伴いつつ個性と能力を発揮できる社会、又はそれを目指すこと、という男女共同参画の社会政策が始まった。以来、年間10兆円の予算が投じられて、男女差別をなくそうと頑張ってきたのだが、そもそも日本にそれほど男女差別があったのか。しがない社会人として、またン十年に亘る結婚生活を通しての経験しかないが、虐げられていたのは男の方ではないか、という気がする。少なくとも明らかに性差別があったという例は見ていない。

それにここ20年以上、毎年、防衛予算の倍額をつぎ込んだが、目に見えて女性の地位が向上したという感じはない。差別を言い立てて公金チューチューはサヨクの常套手段だ。

男女共同参画を担当する部署は各都道府県市町村に設けられているが、多くの地方自治体で「人権同和・男女共同参画課」の名称で同和対策を含んで「差別」に対処している。これがサヨク人権利権と結びついていると批判する声もある。

 

■目くらまし

1999年から男女共同参画基本法が施行され、年間10兆円、総額約200兆円の予算が投じられたが、結果はどうなっているのか。同和対策、男女共同参画アイヌ新法など「差別をなくそう」という政策には誰も表立って反対できないから、予算も使い方も実績評価も杜撰になりがちだ。Colaboの不適切経理を指摘した人たちは、初めは10代の困難女性を助ける活動を妨害するのか、誹謗、中傷には法的手段を取る、と逆に脅されたものだ。

ところで防衛増税の問題はどうなっているのだろう。コロナ対策には100兆円の国費が費やされた。財源は国債発行だったがスーパーインフレにはなっていない。防衛費の不足分1兆円は防衛国債を発行するか、あまり政策的価値のない男女共同参画の予算を少し回せば済むことではないか。

新しい資本主義、資産倍増、異次元の少子化対策 LGBTなど岸田首相の言うことは実体が無かったり、日本の文化を壊すようなことばかりだ。実行もせず、妙な話を次々に繰り出すのは増税景気対策憲法改正など重要課題をかわす目くらまし戦術ではないかと思ってしまう。

こういった責任感のない、サヨクに阿り、日本の伝統を破壊する岸田内閣を貴方は支持しますか、といった世論調査なら支持率は10%台に下がると思うけれど。。

 

 

イワシが食べたい

豊漁

勿体無い

おいしそう

さば

さんまの開き、15枚5000円

 

 

イワシが食べたい

イワシが安い

現在、日本海側を中心に「マイワシ」が異例ともいえる豊漁となり、地域のスーパーでは格安価格で販売され、物価高騰の中、「救世主」として注目を浴びています。

富山県や石川県のスーパーでは、「マイワシ」の価格が普段の4分の1程度まで低下、1尾10円ほどの価格で販売されており、消費者からは「栄養もあるし、安いのは購入する側にしたらありがたいね」「色々値上がりして厳しいときなので消費者としてはうれしい限り」といった喜びの声が上がっています。(ニュースサイトPAPT+α 2月24日付から)

イワシの漁獲量は、2005年におよそ2.8万トンにまで落ち込んだが、その後、徐々に回復、2020年には25倍のおよそ70万トン、過去20年で最大となった。

東海大学海洋学部・山田吉彦教授は、この状況について「イワシは大体20年おきに大豊漁と大不漁が繰り返されています。20年ほど前に大不漁がありまして、それからジワリと回復し、最近大分取れるようになってきている。特に海水温が上がってきている中で、(イワシのえさの)プランクトンが大量に発生している」と分析している。

漁獲量が増えているだけではない。現在、新潟県糸魚川富山県高岡、青森県陸奥湾など日本海側の砂浜には大量のマイワシが打ち上げられ、そのイワシを拾い集める人の姿もみられたという。打ち上げられた当初はピチピチ跳ねていたそうだ。自分が近くに住んでいたらきっと拾いに行ったと思う。新鮮な海の魚が無料で好きなだけ手に入る。チェンライでは夢のような話だ。

 

■サバはある

チェンライのスーパー、BigCで見かける海の魚といえば小ぶりのサバである。イワシと共にサバの漁獲量も増えている。サバはイワシをエサとしており、イワシの豊漁はあと数年続くとみられているので、サバも暫くはチェンライに出回ると思う。

主に日本では食用に向かない小型のサバが、アフリカと東南アジア向けに輸出されてきた。2018年には24万トンと過去最高の輸出量となった。東南アジアに輸出された一部のサバは、サバ缶ブームに乗って缶詰になり、日本に戻っていくとのこと。チェンライのサバは20センチ強と大きなアジ程度の小サバである。冷凍段ボールにはXX水産と日本の漁業会社の名前があった。冷凍技術の進歩により、サバの鮮度は問題ないと思うが、小サバは買ったことがない。でも中型以上の冷凍サバ、もしくはノルウェー産の加工済みサバは良く購入する。味噌煮、焼サバ、シメサバにして食べる。

イワシをエサにする魚はサバ以外にヒラメ、クロマグロなどの高級魚があるし、ブリ、ハマチ、タイなどの養殖魚のエサはイワシだから、当面、値段をあまり気にせずに刺身を味わうことができるだろう。

 

■漁獲量の変化

イワシ、サバの漁獲量が増える時はサンマの漁獲量が減ると言われている。サンマの漁獲量は2018年12万トン、2019年4万1千トン、2020年3万トン、2021年1万8千トンと激減傾向だ。自分が小学生だった1958年のサンマ漁獲量は57万トンだった。やたらとサンマが食卓に上ったはずだ。その後、増減を繰り返しながらも2014年まで年間、20万トンから30万トンの漁獲量があった。2015年から10万トン台に落ちてまだ回復に至っていない。サンマが取れなくなったのは中国や韓国の船が公海上でごっそり搔っ攫っていくからだと言われていたが、どうもそうではないらしい。餌が少なくてサンマが育たない。今、獲れるサンマは小ぶりで1匹せいぜい100g程度、自分が子供の頃のサンマは、1匹200gの大型揃いで脂ものっていた。

ウズベクでもチェンライでも乾燥した気候を利用して「サンマの開き」を作って友人に喜んでもらったものだ。2006年から2011年にかけて日本でも20万から30万トンのサンマ水揚げ量があったから、冷凍サンマがタシケントやチェンライにも出回ったのである。ウズでは2日干しただけなのにカチカチになり、サンマの開きというよりサンマセンベイだよと苦情を言われたことを懐かしく思い出す。いつかまたサンマの開きや丸干しを作る日が来るだろう。

 

■昆虫など食べなくても

漁業資源は増減を繰り返しながらサンマとイワシのように相補って推移していく。これは統計でも明らかだ。だから、ムリしてコオロギなど食べる必要はない。チェンライの市場ではコオロギを売っているし、自分も食べたこともある。コオロギが好きで好きでたまらないというタイ人を見たことがないからそれなりの味ということだ。

食は文化であるから伝統に従って美味しいものを食べればいい。コオロギ食はコオロギ太郎さんにお任せして、庶民は新鮮なイワシを食べるに越したことはない。ああ、イワシが食べたいなあ。

 

 

 

高齢者は集団自決すべき

 

 

 

 

成田悠輔氏 眼鏡に注目

 

チェンライの花祭りから

花祭りから

百合

 

 

高齢者は集団自決すべき

■成田悠輔氏発言
2月12日、ニューヨーク・タイムズ日曜版が、イエール大学に在籍する経済学者・成田悠輔氏の「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹をすればいい」という発言を取り上げた。成田氏の顔写真つきで、紙面にするとかなり大きなスペースを割いていた。
成田氏は、少子高齢社会の解決方法について、これまで数年間にわたって「集団自決」「集団切腹」といった過激な表現を繰り返してきた。このたびニューヨーク・タイムズに取り上げられたのは、2021年12月17日配信の「ABEMA Prime」での以下の発言だ(成田氏は、「ABEMA Prime」に不定期MCとして出演してきた)。

「僕はもう唯一の解決策は、はっきりしていると思っていて、結局、高齢者の集団自決、集団切腹みたいなのしかないんじゃないかなと。やっぱり人間って引き際が重要だと思うんですよ。別に物理的な切腹だけじゃなくてもよくて、社会的な切腹でもよくて。過去の功績を使って居座り続ける人が、いろいろなレイヤーで多すぎるっていうのがこの国の問題」(「ABEMA Prime」 (Business Insider からの引用)

■変わった人の過激な発言
成田氏は高校の時から重度の睡眠障害で道端に寝ていておまわりさんによく声をかけられたとか、デパ地下で一食分の試食をする、生まれ変わったらゴキブリになりたいとか、丸・四角の眼鏡だけでなく奇矯な行動、言動で知られている。東大出身でイエール大学の先生という肩書が無ければ関わりたくないという範疇の人に属する。まあテレビに出るためには多少、鬼面人を驚かす、というか人目を引かないといけないという気持ちから「高齢者は集団切腹をせよ」の発言になったのだと思う。

彼の発言の趣旨は老害阻止に尽きる。自分のアシスタント・プロフェッサーのアシスタントが外れないのは、要するに年寄りが大学にのさばっているからだ、といいたいのだろう。老害呪詛は決して新しいものではない。自分が若手社員の頃、同期の連中が「ああいう連中が部長や役員ではびこっているようではこの会社は大変なことになる」と憤慨していた。その同期も順繰りで部長や役員になったのだから、若手社員に同じように批判されていたに違いない。

組織の幹部が一様に腹を切らされた、いわゆる戦後のレッド・パージのような例はあるが、世の中は昔から「老害」と「今どきの若いもんは」の2つのせめぎあいで成り立っている。老害を責めてやまない成田氏もそのうち年を取って、若い人に「老害」呼ばわりされる(はずである)。それとも教授になったら、すぐに退職して後進に道を譲るのであろうか。そこまで徹底して老害を非難するのであればあっぱれ、と言ってもいい。

でも養老孟さんが評したように成田氏は「今だけ、カネだけ、自分だけ」の人かもしれない。自分が老年になった時はどうだろうか、という想像力が欠如していると言われても仕方がない。

■黙っていても高齢者はいなくなる
個人的には自分の属する「団塊世代」がこの世を去れば、もう少し日本は良くなるのではないかと思っている。朝日新聞を読み、テレビのニュースショーを見て、「アベ政治は許さない」などと言っていたのは、団塊の世代だ。別に腹を切らなくても、もうすぐ寿命が来てこの世から消える。老人の読者が消えるから朝日新聞東京新聞も廃刊になる。左翼番組の視聴者を失ってテレビ会社もつぶれる。若い人は新聞も読まず、テレビも見ない。高齢者は黙っていてもいなくなる。若者も黙っていても高齢者になるが、今の若者が高齢者になったとしても団塊世代に比べてマシだから左旋回はしないような気がする。それだけ今の若者世代は団塊世代より健全で大人ではないかと思う。

成田氏の発言はニューヨーク・タイムズの日本人記者によって書かれた英文記事であった。「ハラキリ」のショッキングな見出しで世界中に広まって、それがために成田氏がバッシングを受けているという面がある。若い人が老害を言い立てるのは別に新しいことではない。成田氏は「老害は良くない」を多少、過激に表現しただけだから彼の発言に過剰に反応する必要はない。「お若いの、お主も年を重ねれば自然と分かることよの」とサラリと受け流していればいい。

それとも老害と言われることを覚悟して「悔しかったらオレと同じ年になってみろ」とでも言うか。

 

 

 

LGBT理解増進法に反対

チェンライの花祭りから

同上

同上

同上

同上

同上

 

LGBT理解増進法に反対

■ちょっと待て

その昔、人間は25年の寿命しかなかった。それに引き換え、馬、犬、猿は100年の寿命を持っていた。馬が神様のもとへ来て「100年もこき使われるのは大変なので25年分を人間に渡したい」。神様は了承した。次に犬がやってきて「100年も吠え続けるのは疲れるので25年を人間に渡したい」。猿もやってきて「100年も人に見られて暮らすのは...」と25年を人間に渡すことになった。

こんなわけで人間は、馬、犬、猿から25年ずつ貰って100年の寿命を得ることになった。しかし、人間らしく生きられるのは始めの25年だけで、その次の25年は馬のようにシャカリキに働いて過ごす。そのあとの25年は犬のように吠え付いたり、嚙みついたりの不平不満の生活を送る。そして76からの25年は恍惚の人となって人に眺められて過ごす余生となる。

この話は司馬遼太郎の随筆で見たと記憶している。自分は高貴幸齢者である。だから紅旗征戎我が事に非ず、ボンヤリと陽だまりで干し芋をかじり、酔生夢死の穏やかな日々を送っていてもおかしくない。

それなのに最近の岸田内閣に我慢がならず、まるで犬の如く御政道に噛みついている。自分が思うことはすでに多くの保守論客が論じているから、今更書いてもなあ、とは思う。でもLGBT理解増進法に関しては、どうしてもおかしいよと言わざるを得ない。

マスコミが賛成に回っているものだから、テレビの世論調査では6割の人が法案に賛成と答えている。確かに「差別」は良くない。だからと言ってLGBT理解増進法に賛成、は短絡的に過ぎる。産経新聞産経抄2月18日に自分の言いたいことがまとめられていたのでご紹介したい。

 

産経抄2月18日付

女性2人をレイプした男性が裁判中に性別を女性に変更し、女性刑務所に収監される―。冗談のような出来事が、英北部スコットランドで実際に起きていた。米誌「ニューズウィーク」が9日にネット配信したジャーナリスト、コリン・ジョイス氏のコラムで知った。

▼折しもスコットランド議会は、出生時の性別と自認する性が異なるトランスジェンダーの権利保護のため性別変更手続き簡易化法案を進めていた。法案反対派はトランスジェンダー嫌悪と決めつけられていたが、「懸念はもっともだった」(ジョイス氏)

▼日本では最近、「心は女性」と周囲に説明していた男性が、部下の女性2人にわいせつな行為をしたとして準強制性交などの容疑で逮捕された。警察は女性の警戒心を解くために噓をついていた可能性があるとみている。同様の事例は過去に珍しくない。

▼「性的指向性自認を理由とする不当な差別、偏見はあってはならない」。岸田文雄首相は、オフレコで性的少数者に対する差別的な発言をした元秘書官を更迭した際、強調した。更迭をきっかけに国会では、LGBTなど性的少数者への理解増進法案を推進する動きが強まっている。

性的少数者の権利を守るのは当然として、「性自認」の部分はどうか。令和3年に自民党が同法案を議論したときには焦点の一つだったが、今回は忘れられている。「心は女性」を装う「心も体も男性」が、女湯や女子トイレに侵入しやすくなるとの懸念はいつ解決したのか。

国際政治学者の島田洋一氏によると、米国では共和党議員のほぼ全員がLGBT差別禁止法案に反対で、成立の見込みはない。主な理由は定義が曖昧で、「女性の権利、女性に対する保護を掘り崩す」である。(引用終り)

 

性自認は言ったもん勝ち

私は女だ、といえば認める以外にはない。心は女性の男子が女子陸上競技大会に出場し、本当の女性を抑えてメダル独占ということが欧米では起こっている。

カミさんが嫌いになったら「俺は女だった」と言って裁判所で離婚事由のお墨付きをもらう。離婚後、「やっぱ、男だった」もしくは「同性婚」と言って若い女と暮らすことも可能となる。それよりも「お父さんは女なんだよ」といわれた子供のショックはどうか。これまでの伝統、社会、家族関係はズタズタになる。欧州では小学生にLGBT教育を行い、10代で自分は女か男か決めさせるという。日本でもそうなる可能性がないとは言えない。

左翼の付け目は、「差別」を梃に伝統を破壊し、社会を無秩序に陥れることにある。人権を声高に叫ぶ人が一番、人権に冷淡だ。LGBT法案は彼らの社会破壊の手段であり、LGBTの人を救うことが目的ではない。

LGBTに悩む人の多くは子供の時に性的虐待を受けているという。そしてLGBTの自殺率は高い。周りで自殺した人、多いんですよ、とカルーセル麻紀さんが言っていた。差別反対、人権擁護を叫ぶ人はLGBTの心の悩みに寄り添っているのだろうか。

 

 

老害になりようがない

チェンライ花祭りから

同上

同上

同上

同上

同上

 

老害になりようがない

老害が生じるには

老害とは「企業や政党などで、中心人物が高齢化しても実権を握りつづけ、若返りが行われていない状態」を言う。転じて周囲に迷惑を及ぼしたり、周囲を不愉快な気持ちにさせる老人そのものを指す場合もある。何かと周囲に害を与えることから、老害と呼ばれる。うちの会社は老害で、とか県議会の老害は、などと批判する人は若い人である。

チェンライに暮らして10年以上になるが、老害と批難されたことはない。老害は組織の中で発生するが、自分はまず組織というものに属していない。日本人会は組織と言えるかもしれないが、会員の平均年齢は70歳を越えているのだから、老害と言うなら全員が老害だ。老害(老人)は身を引いて、実権を若い世代に譲れ、こう発言する人は若い人である。日本人会には60歳以下の若い会員もいるが数が少ないし、実権を譲られても困るので小さくなっている。

周りの若い人と言えばタイ人になってしまうが、こっちは外国に住まわせてもらっている手前、周囲に迷惑をかけるとか不愉快な思いをさせることのないよう自重して暮らしている。だからあの日本老人は老害だよ、と言われてはいない(と思う)。また、親日国であるし、先人の築き上げた日本ブランドもあって、敬意をもって扱われている面さえある。

というわけでチェンライの老人は老害と無関係に暮らしている。と言っていいだろう。

■石を投げれば老人にあたる

ところで日本の総人口に占める高齢者人口の割合の推移をみると、1950 年(4.9%)以降一貫して上昇が続いており、1985 年に10%、2005年に20%を超え、2021 年は29.1%となり、数にして3,640万人となっている。
 国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、この割合は今後も上昇を続け、第2次ベビーブーム期(1971年~1974年)に生まれた世代が65歳以上となる2040年には、35.3%になると見込まれている。そうなると3人に1人は高齢者だ。

年金は少ないし、高齢者となっても働く必要がある、という人もいるだろう。またお国では一億総活躍社会と言って、引き籠っている老人を非国民とまではいわないが、社会に貢献していない、少しは働けと無言の圧力をかけている。家に居れば奥さんに「邪魔だからどこか働きに出て」と命じられるご主人もいる。高齢になっても様々な理由で組織に属して活動している人は少なくない。それなりに社会のお役にたっているのに、若い人に老害と批難されるのでは立つ瀬がない。組織においては、よく働く人2割、そこそこ働く人6割、働かないで足を引っ張る人2割という割合だそうだ。この割合は年齢には関係がない。

余談であるが働き蟻の集団も全員が同じように働くのではなく上記の2・6・2の割合になるそうだ。そして働かない蟻だけの集団を作ると、やはり2・6・2の割合に落ち着くとか。

■世代間の軋轢

老害の反対語は「この頃の若い者は」だそうだ。老人は5千年前から同じセリフを吐いていたらしい。世代間の軋轢は昔からあったが、ほんの百年前は老人の数が少なかったから、老人の蔑称である老害はあまり使われていなかった。人生七十古来稀なり、ほとんど老人がいない世であれば老人には希少価値が付く。供給が少なければ価値が上がるは経済学の常識だ。ネットや書籍のない時代には古老の話に若者は耳を傾けた。つまり老人の話に需要があった。老人敬うべし、は経済原則から言ってもごく当たり前だった。

今のように3人に1人弱が老人となれば、供給過剰で価値が下がる。スマホもパソコンも使えない、と若い人は老人をバカにする。現役の頃、新入社員に「パソコンのない時代、どうやって仕事していたんですか」と聞かれて答えに詰まったことがある。

オレの若い頃はナー、算盤で決算書を作ったもんだよ、女子社員も深夜残業してナーなどと言えば感心してくれるどころか、そんな自慢話で存在感を示したいのか、と疎まれるのが関の山だ。自慢話をする老人に限って変にプライドが高いから、なんだ―、お前はオレをバカにするのか―、とキレてしまう。昔は「切れる人」というと仕事のできる人のことを指したが、今は若者が老害の代名詞として使うようになった。

チェンライでは若い人と組んでやるのはテニスくらいだから若い人との軋轢が生じようがない。周りの邦人は同年配の人ばかり。利害関係がないし、お互い、職歴、学歴、ムショ歴等、個人的な話は話題に上らない。その人がいい人かどうかだけが付き合う基準となる。それに人間的に質のいい人ははまず自慢話などしない。

「君子の交わり」をチェンライで実感するとは思ってもみなかった。