チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

コロナ恐怖症

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秋の日展から

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顔だけ望遠

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同じく日展から

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顔を望遠で

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日展から、絵の全体

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顔の部分を望遠で

 


コロナ恐怖症

 

■入国緩和措置は延期?
自分が日本を出た11月の中旬には「オミクロン」の名は聞いたことがなかった。今やオミクロンはチェンライのテニスコートでも誰もが話す身近な単語となっている。どれくらい怖いのかよくわからないが、正しく恐れて通常の社会生活に大きな影響を与えないことを望んでいる。

タイでは入国に際して1泊の隔離宿泊が必須であったが、12月16日からPCR検査のタイ入国制限緩和が決定した。タイの1日あたり感染者数が4千人台と漸減傾向にあるせいか。具体的には隔離免除(Test & Go)でのタイ到着後の検査方式がRT-PCRからATK(抗原検査キット)方式に変更される。ATK方式だと、結果判明まで5分程度、陰性と判定されればそのまま市内へ、または乗継が可能となる。PCR検査は1泊のホテル隔離が必要でお金も2万円ほどかかっていたから正に朗報と言える。ただこの緩和措置発表はオミクロン騒ぎ前のことであるから、決定が覆される可能性もある。

漸減傾向にあると言っても、チェンライでも陽性者が出ているから、周りの感染症恐怖は日本人以上だ。マスクはあごから目の下までかかっていないと注意される。日本では汚れていないからと1週間以上同じマスクを使い回していたし、洗濯してきれいになったマスクも再使用していた。基本、同調圧力に応じていただけでそれほど真面目にマスクをかけていたわけではない。

ところが先日、メーサイの入管から戻ってきたところ、女中のブアさんから掛けていたマスクを捨てるように申し渡された。メーサイはミャンマー人もいて感染症に汚染されているからそこで使ったマスクは使い捨て、とのこと。更に手を石鹸で洗い、ついでに足も水で洗った。これは外出から戻った時の習慣となった。日本にいるときよりも清潔に過ごしていると思う。

■チェンライワクチン事情
タイでワクチンを2回接種した人の割合はOur World in Dataの集計12月2日現在で59%となっている。(日本は77%)。一時は接種料として3000B (1万円強)、病院によっては弱みに付け込んで6000Bとるところもあった。今は無料で接種が受けられる。戻ってすぐ市内のセンタン(デパート)に行ってみたら、1階の広場は大勢の人がぎっしり密に並んで接種を待っていた。ブアさんの話では接種されるワクチンはシノパックかシノファームであまり人気がないという。それでも無料なら、ということだろう。ブアさんは近くの病院で予約を取り、1回目は混合、2回目はファイザー社製のワクチンを打つことになった。運転免許がない彼女のために忙しい中、病院の送り迎えをやらされた。

日本は何事もきっちりしていて、接種に関して公平、公正、正確に行われるが、タイでは接種は表向き無料であるが、お金を払うと中国製以外のワクチンになる。でも中にはモデルナやファイザー製ワクチンを無料で受けられたという人もいる。基本、無料の場合、1回目は中国製、2回目が欧米系のワクチンとなるらしいが、どうしても中国製はイヤだと言えば、欧米系のワクチンに変えてくれる。いずれにしてもタイでは何かと交渉の余地がある。しかしながらお金が必ずしもモノをいうわけでもない。正直よくわからない。

■市場と飲み屋
ビザ申請で訪れたメーサイは人流が途絶え、全く侘しい街に変貌していたことは書いたが、チェンライはどうか。先ず、中央市場に行ってみた。市内の中心、時計塔の裏にある市場だ。市場に隣接する寺の塀沿いにアカ族のおばさんが地べたに野菜を並べているはずだったが、露店がほとんどない。エキゾチックな民族衣装のおばさんをカメラに収める観光客もいない。市場はその日の食材を求める人でにぎわうはずだし、店自体は少ないながらも開いているのだが、活気がない。市場に隣接するスーパーは品ぞろえが変わっていて客はいない。

タイの非常事態宣言は来年1月まで継続だ。レストランでの酒の提供は禁じられている。チェンマイほどではないにしてもチェンライにも紅灯緑酒の一角はある。バービヤで働いていたおねえさん達はどこに行ったのだろう。テニス仲間で元警察署長のタニさんに聞いてみた。いや、バービヤはないことはない、XXホテルの近く、それからあの街道沿いの店など、でも開店時間は夜7時から9時までの2時間、それを過ぎると警察が回ってくるよ。レストランの酒類提供が禁止されているのに飲めるバーもあるようだ。規則と実際には乖離があるのがタイである。しかし、時として規則が厳格に適用されることがあるから、それじゃ飲みに行こう、という気にはとてもなれない。

10日間の出来事

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国境事務所

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タイ最北端、記念写真を撮るところ

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国境の橋。人流、車もない

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どこでも道路を横切れる

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正面の建物は国境事務所

f:id:hidenaka24:20211130145805j:plainメーサイ川、対岸はミャンマー



10日間の出来事

■携帯電話
デスクトップのPCを立ち上げた。日本から持ち帰ったラップトップに比べれば起動は遅いが立ち上がる。1年8カ月通電しなかったが問題はないようだ。メールも開く。ネットは開くHP と開かないHPがある。長くほおっておいたのだからこのくらいの拗ね方は仕方ない。

帰宅翌日、携帯の電話番号を購入するためスーパーのAISに行った。電話番号は消去されており、新規に番号を取らないといけない。でもAISのおねえさんが、PCを操作しながら、元の電話番号で登録できます。助かった。シムカードの取り換えは無料、先払いの電話代を補充するだけで済んだ。友人に電話してみた。本人が出た。これで大丈夫。

大家さんにも帰国の報告をし、ビザ申請に必要な賃貸契約書等の書類の送付を依頼した。電話が通じれば、次はビザだ。今回のタイ入国はビザなしだから30日しか滞在できない。できるだけ早く1年ビザを取る必要がある。

■ビザ申請でメーサイへ
大家さんからの書類はメールの添付PDFで着いた。USBに移して街の印刷屋に持ち込んでプリントしてもらう。4枚で20B。滞在期間が30日以上ないとビザ申請はできない。出入国管理事務所に行ってまず滞在期間の延長をしてもらい、しかる後、1年ビザの申請ということになる。ある情報では感染症蔓延の関係で簡単に90日の延長ができるという。でもまずは入管での確認が必要。チェンライの入管出張所に行くと、滞在期間延長はメーサイの本事務所でやっているからそこへ行け、という。翌日、片道70キロを飛ばしてメーサイの入管へ行く。メーサイで必要書類やビザ取得手続きについて聞く。受付の女性が英語で丁寧に説明してくれる。明日、これこれの書類を持参し、この申請書類を記入してくれば1年ビザ申請ができます(と言っているような気がした)。

1年ビザ取得は今の自分にとって最重要案件だ。ビザが取れないことにはおちおちテニスなどしていられない。翌日、銀行の開店と同時に窓口へ行き「残高証明書」を作成してもらった。何種類ものコピーを取り、申請書を完成させ、メーサイに向かう。これまでの経験から、入管でこの書類が足りない、契約書の原紙がないとダメ、署名が青インクでない、などの些細な意地悪をされるものと覚悟していた。この国では人の経験談を聞いても、自分の場合も同じ取り扱いを受けるとは限らない。入管が違う、係官が違う、係官のその日の気分によっても対応、必要書類が違ったりする。
ここはタイだから、とこの10年、何度、空を仰いだことか。

■再びメーサイ入管へ
メーサイの入管に到着したのは11時45分、こちらのお役所は12時から13時まで昼食閉鎖となる。前日に会った受付嬢が申請書、コピーを点検して、足りない書類は無料でコピーしてくれた。申請書類が整ったのは12時10分、それでは書類を係に渡しておくから13時過ぎにまた来てください。こんな親切な入管職員に出会ったのはこれが初めてだ。

メーサイはミャンマーとタイの国境の街、メーサイ川を隔てて両国の車や人々が行き来して活況のある街だった。しかし、国境は封鎖されていて、全く人流が途絶えている。いつも渋滞している片道3車線の道路はどこからでも横断できる。駐車している車や歩道にひしめいていた露店もまばら、侘しく寂れた街になっていた。お目当ての両替店も消えていた。お土産店や雑貨店の店員も投げやりで元気がない。客がいないのだから仕方がない。

13時過ぎに入管に戻る。いつもはタイ妻を伴ったファランで一杯の待合室は自分だけ。女性係官が書類をチェックしたり、ここにサインを、と作業を進めていく。彼女が手を留めて、アッと小さな声を上げる。ああ、やはり、と暗い予感が頭をよぎる。出直しか。
あなた、30日の滞在期間しかないから、まず30日の延長手続きをしなさい、という。親切に申請書類を出し、サインだけで後は彼女が記入してくれた。失効した国際免許に使用した陸運事務所のハンコがべったり押してある写真を転用したが問題はなかった。日本の外務省なら突き返される。ここはタイだから、のいい面である。こうして30日の滞在延長書類はこの日受理され、1年有効のOビザが1月後に交付されることになった。この日に出頭すればホントに1年ビザがもらえるのね、と確認した。彼女はにっこり笑って、そうよ、という。ここはタイ、疑い深い自分であるが彼女の笑顔を信じたい。

なお、ラインは携帯をいじっているうちに9割のお友達が復活した。PCのネット、電話、ラインは大丈夫、そしてあとはビザ、これでチェンライ生活は軌道に乗る。

総選挙の争点から

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今年の日展

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猫の絵には人が一杯だった

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美人を撮る

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同上

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顔だけ大写し

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同上、


総選挙の争点から


LGBT
中露の軍艦が日本を一周したり、北朝鮮がミサイルを公示日に合わせて発射したから、安保問題が総選挙最大の争点だったのかと思っていた。でも最大の争点はLGBTだったとか。なんだかなあ。性差別は確かに問題かもしれないが、迫りくる有事に比べれば取るに足りない。ポリコレ、BLM、LGBTと米国社会は大騒ぎだが、日本でも同じような現象が起こるのだろうか。

「私は見た目、男であるが心は女性なので女とみてほしい」と言えば女性としての扱いを受けられるという。ホントかよ、と思っていたが、米国では自称女性という人が女子の陸上競技に参加してメダルを総ざらい、また筋肉隆々の自称女性ボクサーが相手選手をぶちのめすということが実際に起きているらしい。

変なオジサンが自己申告で「私、ホントは女なのよ」と言って女湯に入る、女子トイレを使用するとなったら一般の女性はたまったものではない。それともLGBTは本人の責任でないのだからおおらかに人権を認めるべき、となるのだろうか。LGBT擁護派はリベラル勢力と重なる。人権を振りかざしながらちっとも寛容でないのがリベラルだから、どうも胡散臭いと自分は思う。

■映画の偏向
帰国中に映画館で観た映画は140本を越える。洋画、邦画、新作、旧作、アニメと雑多に観た。中にはキレやすい老人に「忍耐」を教えてくれる教育映画だと思うような退屈な作品もあったが、アングル、構図、情景の遠近など、なるほど、写真もこうやって撮ればいいんだな、と感じ入る点もあった。どんな作品にも学ぶところはある。
オスカー賞を受賞するのは白人ばかりじゃないか、という「人種差別」非難があって、アカデミー賞をはじめカンヌ、ベルリン、ベネチアなどの国際映画祭でも白人以外の俳優、監督が受賞することが多くなった。また、ポリコレ、LGBTなどリベラル傾向の作品の受賞も目立つ。

昨年公開されたソフィア・コッポラ監督の「オン・ザ・ロック」は、白人の小説家ローラが主人公、黒人の夫、ディーンとの間に2人の娘があり、仲良く暮らしている。ローラは、帰宅が遅い夫が会社のアジア系女性フィオナといい仲なっているのでは、と邪推する。そうだ、尾行して突き止めようとローラの父、フェリックス(ビル・マーレイが好演)が焚きつける。夫の出張先のメキシコまで尾行するが、夫の部屋にいたのはフィオナとレズ相手の女性、あら、ご主人は仕事が早く終わったからご自宅に戻ったわよ。急いで帰宅したローラは全てを夫に告白し懺悔する。
たわいのない話だが、人種混交、レズ、ゲイとポリコレ、LGBTと盛だくさん。
最近、「サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~」を観た。聴力を失っていくドラマーの話。アカデミー賞を2部門で受賞している。ポリコレ、LGBTときて次は身体障碍者か、と少し暗い気持ちになった。

ノーベル賞
ノーベル賞は科学関連の先駆者に与えられるものだと思っている。物理、化学、医学は受賞者と同じ実験をして同じ結果が得られる。平和賞、文学賞、経済学賞は実験できない。だから正しいかどうか確認できない。

今年のノーベル物理学賞に、真鍋淑郎先生=米プリンストン大学上席研究員=の受賞が決まった。地球温暖化の将来予測計算の先駆としての業績が認められた。めでたいことではあるがキヤノングローバル戦略研究所研究主幹、杉山大志氏は次のように述べる。
いまや温暖化は科学というより政治問題になっている。今回の物理学賞も利用されている。今回の受賞をもって「温暖化の科学は決着した」「CO2削減は待ったなし」と言う人々がいる。だがそれは違う。
真鍋先生は気候変動モデルを開発し、温暖化の計算をした。だが地球の気候は複雑なので、その計算は、多くの便宜上の仮定を置いたものにすぎない。その後の多くの研究でも、将来の予測は誤差が大きいままだ。
真鍋先生は、多くの仮定に依存するモデルの限界を認めていて批判者の意見を聞き議論をする。本当の科学者は「科学は決着した」などとは言わない。CO2削減についても真鍋先生は合理的だ。新しいエネルギー技術の開発に投資することが大事で、今すぐ排出を減らすために大金を使うのは効率が悪い、と述べている。

リベラルのアジェンダである温暖化対策の推進のためにノーベル物理学賞が利用された、という見方もある。オバマ氏が何の実績もない大統領就任直後に受賞したように、ノーベル平和賞のリベラルな党派性は明らかだった。それが物理学賞にまで及んだのかもしれない。(引用終り)
グーグルは「温暖化」に反するネット記事に制限を加えるという。いやな世の中になったものだ。

 

チェンライ生活再開

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バンコクドンムアン空港

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同上、人が少ない

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国内便は結構飛んでいる

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ドンムアン空港内のラウンジ

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ここもほとんど人がいない

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ラウンジの中




チェンライ生活再開

■隔離1泊
チェンライに戻って1週間が過ぎた。今は午前中2時間ほどコートへ出ている。乾季とはいえタイであるから暑い。そういえば日本をクリスマスツリーに送られて出てきたなあ、それにしてもこの気温の違いは何だ、と思う。一年中スイカが食べられる土地柄である。ちと高いがマンゴーもある。でもいつでも食べられると思うと買う気にはなれない。自宅に戻って疾風怒濤の日々であるが、バンコクからチェンライまでの経過をまずご報告しておきたい。

スワンナプーム空港で係員に案内された迎車は12人乗りのミニバン、それに一人放りこまれた。車は混雑する市内を走る。やがて病院が見えてきた。構内にいくつかテントが並んでいる。車が止まると、防護服の男性が「名前に間違いないか」と言って試験管を手渡してくれた。管に巻かれたテープに名前が書かれている。ドアが閉められ、10Mほど先のテントの前で再び停車した。白服の看護師さんがドアを開け、名前を確認すると同時に、鼻の穴に長い綿棒を突っ込んだ。ウギャと叫ぶヒマもない熟練の技、綿棒が抜かれるとドアが閉められ、車は走り出した。運転席と自分は樹脂版で仕切られている。そうか、自分は感染未確認、準感染者として隔離されているのか。

駐日タイ大使館のHPから予約したホテルに着いた。大使館ご推薦のホテルにしてはしょぼい。タイでは1泊1000Bを越えるホテルになるとバス付が普通、ところが5000Bほど払ったのに、バスはなくシャワーのみ、ベッドの横には幅は両手を広げたほど、高さは床から天井までの大きな鏡がついていた。鏡に映った自分の下半身を見ながら寝るのもそうできる経験ではない。1泊とはいえ隔離であるからチェックインを済ませるともう部屋の外には出られない。夜食はドアの外にあるテーブルに置いてあった。クリームスパゲティとデザート。味は可もなく不可もなし。酒は当然飲めない。
夜中の12時過ぎにけたたましく電話が鳴った。寝ぼけ声で出るとテンション高い女性の声で「陰性です、問題なし、朝、ホテルで証明書貰って下さい」。

■ドンムアンからチェンライへ
朝、フロントに、ちょっと外へ出たいのだが、と言うと、一度出たらもう部屋には戻れない、どうしても出るならチェックアウトして、と言われた。確かに感染者がいるかもしれないホテル内に戻ることは危険だ。

タイで使用していた携帯が使えると思っていたが、長らく使用していないため、もう自分の電話番号は消去されているとのこと。バンコクで新しい電話番号を購入するつもりだったが、外出できないし、暑い市街を、電話屋を探して歩くのも嫌だ。実は出発10日前にどういうわけか携帯からラインが読めなくなった。ライン友達も消えた。これまでラインで連絡を下さった方には返事もできず申し訳なく思っている。世の中には携帯を切り替えて彼氏や男友達と縁を切り、人生再出発をはかる女性もいると聞く。でも自分は単に情弱なだけ、いまさら再出発する年でもないのだが、「古い上着よ、さようなら」という新鮮さを感じないわけでもない。

チェンライ行きの便は17時過ぎ、遅くしたのはもしかしてPCR再検査、と危惧したからである。でもチェックアウトが12時なので、早めにホテルを出た。ドンムアン空港の食堂でカオ・カー・ム―(豚足甘煮飯)を食べた。2年ぶりと思うと実に美味しい。これは日本では食えないかも・・・・。
出発3時間前に搭乗手続きが終わり、待合室に向かった。その途中にラウンジがあったので、もしかしてと、例のカードを提示したら入室OK、珈琲を飲みながら、PCを立ち上げる。でも日本のニュースを読み、イヤホンで三波春夫の「元禄名槍譜・俵星玄蕃」を聞いているのだから、日本にいる時と全く変わらない。
但し、ユーチューブの合間に入るCMは日本語からタイ語中心になっていた。なんかタイ語の響きも懐かしく感じる。

なお、タイランド・パスを取得し、1泊隔離でタイに入国する人に申し上げたい。1泊のホテルは少々高くても定評のある高級ホテルが望ましい。また、検査結果は数時間で出るから、バンコクから各地へ向かうならば早朝便でも構わない。

バンコク―チェンライ便は8割ほどの乗客、国際便に比べると混んでいるな、と思ったがそれもそのはず、翌日からロイクラトン(灯篭流しの仏教行事)が始まるからだと気が付いた。連休になり、バンコクからみな故郷へ戻る。それでも満席になっていないのはやはり感染症の影響だろうか。
予定より少し早くチェンライ空港着、迎えに来てくれた友人の顔を見てほっとした。またあの生活が始まる。

チェンライの自宅に戻りました

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ラウンジ

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軽食メニュー

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うどん、そば、カレー

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食べたかったけれど・・・

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酒は飲み切れないほど

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羽田空港内、休業中の店が多い

 

チェンライの自宅に戻りました

■案ずるよりも生むがやすし
チェンライに戻り、今、自室のパソコンで2年前と同じように原稿を書いている。長らく看板に偽りの状態であったため内心忸怩たる思いがあった。この1年8カ月は「武蔵小山の商店街から」のタイトルが相応しかったかも。

タイでは日々、数千人の感染者が出ている。タイ入国許可(タイランド・パス)は取れたとはいえ、フライト状況がどう変化するかわからない。PCR陰性証明書、ワクチンパスポート、保険やホテル予約書など何度も確かめた。出発の2時間以上前に羽田第3ターミナルへ着いた。京急の駅から発券窓口まで数分もかからなかった。いつもLCCしか利用しないので、成田ではチェックインを済ませて空港待合室に辿り着くにはかなりの時間を要していた。

羽田からバンコクへ飛ぶのは初めてである。チェックインや持ち込み荷物の確認は自分でやる仕組みになっていた。昔は航空切符と旅券をカウンターのおねえさんに差し出していたものだが、今は持ち込み手荷物だけなら自分でチェックインができる。客が少なく、老人でモタモタしていたせいか、結局、手続きはJALのおねえさんがやってくれた。チェックインカウンターの前に机があり、マスクをかけた別の女性が申請書類を丁寧に捲っていく。「あ、これでは搭乗できかねます」と言われる最悪の事態を危惧していたが、目もとでにっこり笑って「大丈夫です」。

■感激の空港ラウンジ
早めに空港に行ったには訳がある。それは楽天カードのプライオリティ・パスを初めて使う日だったからだ。このパスがあるとエコノミーチケットであっても空港にあるビジネスラウンジが使える。よく海外に行くならこのパスを作るべきですよ、と友人に勧められ、昨年帰国した折に手に入れた。年会費は1万円、2年目にしてやっと使える日が来た。JALの共同運航便のチケットであるがANAのラウンジへ直行した。友人にANAのラウンジはいいと聞いていたからだ。

時節柄、ラウンジは空いていた。先ず、リュックの中からラップトップのPCを出して立ち上げる。本当は飲み物コーナーに直行したかったのだが、この年でも多少の見栄はある。おもむろにオードブルのコーナーへ行き、カモの燻製の小皿を取る。酒はシャンパンからウィスキーからジン、カンパリ、ブランデー、日本酒は吟醸酒が何種類も揃っている。梅酒もあった。生ビールも2種類。夜しか飲まない主義であるが、主義主張をあっさり変更するのが凡人の常、取りあえず、濃いめのスコッチソーダをちびちびと飲みながらメールチェック。あー、幸せ、3時間前にチェックインを済ませればよかったなあ。生ビールを取りに行くついでに軽食のメニューを見た。好きな「軽食」のボタンを押して注文する仕組み。昔のラウンジではせいぜいサンドウィッチくらいしかなかったが、今はマカロニグラタン、牛丼、海鮮丼、とんこつラーメン、とろろわかめ蕎麦、チキンカレーなど20種類を超える「軽食」がある。朝食をしっかり食べてきたことを後悔した。

■羽田からバンコク
搭乗口付近では「楽しい旅行になりそうですな」と嬉しそうに語り合う男性グループもいたが、機内はせいぜい3割ほどの乗客。まだ観光は本格化していないようだ。昨年、帰国した時の記録を見るとチェンライ―日本の往復チケットを3万5千円で購入している。LCCだったから食事は別料金を払わないと食べられない。

久し振りに機内食が出てきて感激した。ついでに赤ワインを1本飲み、食後2時間ほど寝入ってしまった。起きて洋画を1本観た。機内で映画を観るのも久しくなかったことだ。
バンコクスワンナプーム空港は広い。入国手続きの前だったと思うが50ほど椅子があり、その先でタイランド・パス、ワクチンパスポートなど一連の書類を確認する場所があった。みな、透明ケースに入れた書類を取り出す。日本を出る前にJALのおねえさんが確認してくれたし、この関門はスムーズに通り抜けることができた。
書類の中にホテルの予約確認書がある。そこには到着ロビーの待ち合わせ場所が書いてある。ホテル差し回しの車でまず病院に行き、そこでPCR検査をして、ホテル向かうことになる。午後4時前にバンコクに到着したのだが、なんやかんやで空港を車で出たのは17時過ぎだった。この時間、バンコクラッシュアワー、でも渋滞の喧噪とバイク、荷台に人を乗せたトラック、そして道端では露店でカップルがクイッティオを食べている。そんな風景を見て、ああ、タイに戻ってきたよ、という気持ちを新たにした。

出発前後

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靖国神社

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神門

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日比谷公園

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九十九島

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暫くは見ることができない

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これからもご加護がありますように

 

出発前後

バンコクで1泊
このブログがアップされる11月18日はバンコクのホテルにいる(はずだ)。タイ政府が指定する複数のPCR 検査付きホテルの中から予約した。1泊5千Bとタイのホテルにしては高い。でもPCR検査料、3千B(1万円強)が含まれているからそれほど暴利とは言えない。
10月にバンコク行き航空券(変更可)を予約したものの、日本の生活が快適だったし、年内、或いは正月を過ぎてからチェンライに戻ってもいいかな、と考えていた。その一方で日本の冬は寒い、暖かい部屋から外へ出たとたん脳溢血、そんな心配をする年代でもある。

11月1日からタイ政府が入国制限を大幅に緩和したのに乗じて、ネットによる入国許可申請をやってみた。思いの外、簡単に許可が下りた。何事もその時の流れに従って行動するのがいい。チェンライに住む友人へのお土産、多少の食料品の買い付けなど慌ただしい日々を過ごしたが、なんとなくこうやってバンコクのホテルにいる。

と、これは予定稿であって、今、これを書いている14日はまだ戻れるかどうかの確信が持てていない。昨年、チケットのキャンセルを繰り返した暗い記憶があるせいか、そんなに物事がスムーズに運ぶとは考えられないのだ。タイではいつも、ここは日本ではない、タイだから、と諦めることが多かった。なんせタイだからなあ、と疑心暗鬼になる。

■日本の暮しは最高だった
60歳で仕事をやめ、タイに移り住んだ。母の介護は女中さんに任せ、テニスや旅行など気儘に過ごした。3年前に母が亡くなって更に心が軽くなったのは事実。残された時間をどう過ごすか。天の配剤というかそういった時期に日本に1年8カ月住むこととなった。数日差でタイに戻れなくなり、昨年の8月までは焦っていたが、秋風と共に日本の生活を楽しむようになった。九州、四国、京都、それに北関東の温泉に旅した。山中湖にある友人の山荘にも何度か招かれた。映画も見たし、本も多少は読んだ。日本の良さを改めて噛みしめることができた。あらゆるものに感謝する気持ちが強くなった気がする。

10月から11月にかけて小室圭夫婦のことでマスコミは大騒ぎだった。14日にNYに向けて出国するようであるが、混雑を考えると自分の出発日と重ならないでよかったと思う。
ここ1月、友人との話題といえばKK問題だった。人生経験の少ない若い二人の幸せを祈ろう、という人からKKは許せない、宮内庁が悪いという人まで意見は様々。KK問題を通して、ご皇室の在り方、ひいては日本の在り方、家庭の在り方にまで思いがめぐるから誰もが話題にしたのだろうと思う。

■KKはえらい
自分はベンチャー論の立場から、KKはえらい、と思っている。起業の目的は様々あろうが、大金を手にすることも目的の一つであろう。KKは1億以上の金を手しようと思った。そしてそのためのビジネスプランを作成し、実行し、成功した。元手はそれほどかかっていない。あなた、悔しかったら1億儲けることができますか? ゴールドディガー(ひも)というビジネスモデルは昔からあったのだろうが、KKほど鮮やかにやってのけた人物はいない・・・・。

戦前は宮家についての総ての権限、義務は天皇にあった。そもそも「皇室典範」だって御皇室内部の家憲であって、外部の人間があれこれ口を出すものではなかった。家憲は2600有余年の歴史を持つ。そんじょそこらの憲法とはわけが違う。
ご皇室でなくても家業が医者、坊さん、歌舞伎、政治家という家庭はある。お前はこういう家に生まれたのだから、家業を継いでおくれ。そういわれて、例えばロック歌手の道を諦め、家業を継いだ人はいる。皇室は2600年以上続いた「家業」だ。それを憲法に書いてあるからと勝手に結婚して許されるのか。もし悠仁親王殿下が「ボク、天皇じゃなくロック歌手になる」と言われたらどうなるのか。

■長子相続の美風
兄に「世が世であればお前なんか部屋住みの身分だ」と言われたことがある。でも家長であるなら、異国で尾羽打ち枯らして帰ってきた弟を一椀の飯であっても養ってはくれるだろう。

長男が家を継ぐ、その代わり親や兄弟の面倒を見る、ご皇室に限らず戦前の民法は長子相続だった。それが今は平等相続、葬式に妾の子まで登場して権利を主張する。結果として血族の絆は崩壊する。5チャンネルをみると相続争いの話で一杯だ。家族をバラバラにして個人を国家に結び付けて管理する、は共産主義が目指していることだ。

今年は皇室カレンダーを買う気がしないと言っている人がいた。こうして日本民族の絆が切れていくのだろうか。国柄を基にした憲法改正が望まれる所以である。

タイに戻れるか

 

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11月初めの富士山、山中湖から

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暫く富士山ともお別れか

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これは河口湖から

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北富士練習場が見える

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登山道が見える。望遠で

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山中湖、夕暮れ

 

 

タイに戻れるか

■チェンライは空き家
チェンライの家は2カ月前に兄が帰国して以来、無人である。人が住んでいなければその家から何か持ち出していい、という不文律がタイにはあるような気がする。ある邦人は長期旅行に出た時に物置の大工道具がごっそり無くなっていたそうだし、アパートに住んでいた知人はドア上の配電盤が無くなっていた。ちゃちな鍵なら開けられて、金目のものもそうでないものも他人に借りられてしまう。盗る、というよりちょっと借りるという感覚のようだ。

チェンライの我が家は警備員付きの団地だから、黙ってモノを借りに来る人はいない。でも室内は埃で汚れるし、蟻などの虫も入る。それで女中さんに鍵を渡し、週1回の掃除を頼んでいる。タイでは金の切れ目が縁の切れ目で料金の支払いが滞ると、すぐ電気が止まる。それで友人を介して月々の電話代、電気代、水道代を払ってもらっているがいつまでもというわけにもいかない。かといってタイの厳しい入国制限を乗り越えてまでなあ、と兄と入れ替わりのチェンライ戻りを躊躇していた。14日もタイのホテルで隔離されたら足が萎えてしまう。2年前は5万円以下で往復していたのに隔離費用、保険を含め、片道ン十万かかる。それなら日本の生活を楽しんでいたほうが・・・。

タイランド・パス
ところが11月からタイ政府が入国制限を大幅に緩和する「タイランド・パス」を始めることになった。戻れるかもしれない。タイランド・パスの要旨は以下の通り
・飛行機でタイに入国すること。
・タイ到着時に受検したPCR検査の陰性結果が判明するまで指定ホテルで一晩待機すること。ホテル代、検査代は自己負担。ホテルの支払い確認書要
・英文のワクチンパスポート
・タイ滞在期間全てを対象とする最低5万米ドルの医療保険に加入していること。保険証書要。

書類をそろえてネットで駐日タイ大使館に申請する。受理されれば許可番号(タイランド・パス)がメールで送られてくる、という仕組みだ。
実は制限緩和を見越してバンコク行きの航空券を予約していた。早めに戻りたいとは思っていたし、たまたま他の航空会社の半額以下、それに変更も可能チケットだったので思わず予約してしまったというわけ。でも11月にタイに戻れる可能性は半分くらいと思っていた。昨年、何度もチケットを無効してしまったという苦い経験がある。

兄は野暮用があって9月初めに日本に帰国してきたが、帰国できると確信が持てたのはチェンライを出る1日前のことだったという。バンコク―東京間のチケットはあるがバンコクまでの国内便、長距離バスはすべて運休、誰かに車でバンコクの空港に連れてきてもらいなさい、という状況だった。事実、友人にバンコクまで長躯800キロ送ってもらった人もいる。兄の場合、運よく帰国直前に国内便が再開した。

■申請は受理された
情弱老人がタイのホテルを予約し、保険に入り、必要書類を揃えて駐日タイ大使館に「タイランド・パス」の申請に至る苦労話を書けばブログ3本分はある。だから申請が受理され、PC画面に「サクセスフル(成功)」の文字が出た時は、思わず歓声を上げた。
タイランド・パスの取得法を懇切丁寧に説明してくれるネット記事やユーチューブは参考になった。世の中には親切な人がいるものだ。一方で情弱者をカモにしようとする輩もいる。英文保険証書製作を代行するという大手保険会社の代理店があった。タイ政府は500万円でいいと言っているのに補償額は3000万円、更に片道切符なら1年間の付保が望ましい、と電話口で言う。それで掛け金は?と聞くと70歳以上なら39万円です。それなら日本にいます、が普通と思うが、情弱老人の中には払う人もいるのかもしれない。
そして申請受理後、待つこと4日、許可番号がメールで送られてきた。

■一路、チェンライへ
バンコクに向けて立つ日は11月17日、用意万端のはずであるが、離陸するまではわからない。渡航前72時間以内に受検するPCR検査で引っ掛かる可能性もないとは言えない。
この1年8カ月は日本の素晴らしさを再認識したという意味で、わが生涯の中で最も有意義な日々だった。武漢肺炎も悪いことばかりではない。というより人生、常にコインの裏表、楽観的に生きなければ生きている意味がない。これまで帰国する機会が少なかったが、これからは頻繁に日タイを往復することになるでは、と思っている。とりあえずタイに戻ったら日本で増えた体重を減らすことから始めたい。
日本滞在中、みなさまには大変お世話になりました。またお目にかかれる日を楽しみにしております。