チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

和食、大谷君、日本文化

 

靖国神社

拝礼を待つ人の列

靖国神社能楽堂

靖国神社神池庭園

靖国神社 八重桜が咲いていた

靖国神社 遊就館入り口

 

和食、大谷君、日本文化

■いい時期に帰国

このブログがアップアされている頃はチェンライに戻っている。桜の季節に一時帰国したからではないが、今回はいつもにも増して日本の良さを満喫できた。「故郷へ回る六部の気の弱り」というのだろうか、今回の帰国は恋しさ一入だった。というのは訪日外国人に和食を食べてもらってその感想を聞くというユーチューブ、特にMomoka Japanをよく視聴していたので帰国したらこれも食べたい、あれも食べたいと思っていたからだ。

まず帰国の主目的である歯科治療は1日だけ、それも30分で終了した。外れた義歯をパチンとはめ込んで固定する、これだけで終わり。あちこち削られたり、もしかすると義歯の作り直しで2週間の滞在期間に終わらないのではないか、と心配していた。でもお蔭で左右の歯で何でも嚙めるようになった。近所の歯科医院だが、ここの先生は兄や自分の帰国よりもチェンライの珈琲の到来を心待ちにしている。よっていつもの珈琲豆一袋を差し上げた。その効果は絶大、「珈琲もらったから治療費はいいよ」だった。

動物は老齢化で歯が駄目になると死ぬ。人間は入れ歯があるから年を取っても食物が摂れる。ただ食べられればいいというものではない、日本人として生まれたからには和食を食べなくては・・・・。Momoka Japanでは様々な和食が供される。刺身、煮魚、てんぷら、出汁巻き卵、和食のバリュエーションは広い。こんな料理、初めて、魚ってみんな味が違うんだ、同じ材料でも料理法でこんなに変わるんだね、などと外人は感心しているが、全部自分が食べてきた料理ばかりだ。日本に生まれて本当に良かったと思う。

 

■上を目指す文化

ホタルイカイワシ、ブリ、タイなどの刺身はもちろん、カブの漬物、イブリガッコ、牛筋と牛蒡の煮物など、何を食べても「あー、これはチェンライでは絶対にお目にかかれない」と感謝しながら食べた。チェンライでも日本米が売られている。でも日本で食べる日本米は年々、進化を遂げており、帰国するたびに美味しくなっている。兄の話でも毎年、新しい銘柄米が出てくるとのこと。コメも農家の方が「どうすれば美味しいお米ができるか」と日々、研究、努力を積み重ねているのだろう。京都の老舗の漬物店では毎年工夫して時代や人の嗜好の変化に合わせて、微妙に味を変えているそうだ。

サイゼリア、ガスト、バーミヤンなどファミリーレストランから同じ料理を出してもらい、それを一流レストランのシェフが5点満点で採点するという番組があった。あるファミレスのオニオンスープに全シェフが高得点を付けた。スープ提供レストランの担当者はこう言った。「お客様に今日のスープは美味しかったね、という声が少なくなると味を見直してさらにおいしいスープを作る。同じ味だと美味しいと褒めて頂けないのです」。料理も少しでもお客様に喜んでもらえるよう日夜、努力、研鑽を積んでいるわけだ。現状に甘んじないでより上を目指す、は日本人の特性ではないか。また味を厳格に判断する客のレベルもすごい。

 

大谷翔平は日本にしか生まれない

通訳の使い込みにもめげずドジャースの大谷選手が快進撃を続けている。彼は幼少のころから目的を持ち、最優先課題は何かを自覚し、理想を目指して日々精進してきた。彼の周りは彼の成長を見守り応援してきた。大谷選手は決しておごることはない。二桁勝利を挙げた時も「打ってくれなければ勝てないわけですから」とチームメートへの感謝を述べている。オレが、オレがの能力主義一辺倒の米国にこういった謙虚な選手がいるだろうか。

日本の職人、料理人、篤農家に見られる美徳を翔平はすべて体現している、翔平は日本でしか生まれない、とハーバード大学マイケル・サンデル教授は断言している。 (因みに大谷選手はサンデル教授の著書の愛読者である)

チェンライのレストランは始めのうちは美味しいのだが、いつ行っても同じ味の同じ料理、メニューも代わり映えしないから、段々客足が落ちて閉店する。日本の食堂は季節限定、新メニュー、XX入荷などと手を替え、品を変え、時には内装まで変えて顧客の獲得、繋ぎ止めに必死だ。同じことをやっていては向上はない、絶え間ない工夫、努力で上を目指す、これは日本全体に漲る特性だ。またその特性を是とする文化がある。和食が美味しく、豊富な種類があるのも、翔平クンの活躍や技術の進歩もサンデル教授が称賛してやまない日本文化の支えがあってのことであろう。

 

 

 

食べたい日本食ベスト10

 

東京ミッドタウン日比谷から見た宮城

日比谷公園、向かって右手が宮城

東京ミッドタウン日比谷の一階

 

数寄屋橋交番

数寄屋橋交番 一週間前

日比谷公園

食べたい日本食ベスト10

日頃使用しないラップトップPCの中から書きかけの原稿が出てきました。一時帰国で多忙のため加筆の上、アップさせて頂きます。

 

■来日を繰り返す

訪日観光客が年間3000万人ペースに戻っているようだ。外国人観光客の6割以上が日本を訪れる回数が2回目以上のリピーターで、その割合は年々増加傾向という。リピーターの多い国は韓国、台湾、中国、香港とのことだが、絶対数の少ない欧米からもリピーターが増えている。因みに観光庁の調査によると2023年第一四半期に日本を訪れたタイ人の8割はリピーターとなっている。リピーターは訪日を繰り返すたびに旅行支出が増加する傾向がある。来るたびに日本旅行に対する価値が高まり、その分支出も増えるということらしい。

彼らを引き付ける日本のものとは何か。風景、文化、歴史、アニメ、食べ物、ファッション、さまざまである。

外国人が和食を食べてそのおいしさに感動、といったビデオをよく見る。初めて食べた本物のお寿司に思わず落涙、てんぷらってこんなに美味しいものだったのか、と驚愕する。タイにも美味しいものはあるけれど、思わず落涙するような料理に出会ったことはない。トムヤンクンに涙が出たことがあるが感動したからではなく、無茶苦茶な辛さのせいだった。リピーターに限らず、異国に住む日本人は「帰国したらこれを食べよう」という料理がある。ラーメンでも刺身でも鰻重でもいくつも料理のイメージが浮かぶ。

感染症騒ぎで1年8カ月日本に滞在していたが、タイに戻ったら、あれが食べたい、これが食べたいという具体的な料理が頭に浮かばなかった。タイに来る日本人はざっと年間100万人、リピーターも多いと思うがどうしてもタイでこれが食べたい、だからまたタイに来ました、という人は少ないのではないか。

 

■タイ料理も悪くはないが

タイに行ったら絶対食べるべき10の料理といったネット記事はある。だが訪タイ日本人がどうしても食べたいタイ料理10といった記事はない。食べるべき、というタイ料理には、ソムタム、ガイヤーン、トムヤンクン、パッタイ、クイッティオ、カオマンガイ、プーパッポンカリー、ラープなどが上がっている。辛くない料理が大半だし、全部食べたことがある。でもこれを食べずにタイを出てはいけない、絶対お勧めというタイ料理はないように思う。パッタイは日本の焼きそばのほうが、クイッティオは日本のラーメンのほうが絶対うまい。高級店で食ってないからそんなこと言うんだ、と言われればそれまでだが、まあまあの店で食べても感動はもちろん、思わず顔がほころぶといった味ではない。死ぬ前に何でも好きなタイ飯をご馳走してあげると言われても多分、日本米のおにぎりのほうがいいです、というだろう。

おにぎりというと、訪日客が食べたい日本食ベスト10の10位におにぎりが入っている。節約をしながら日本を旅する若い外人はコンビニのおにぎりのおいしさに瞠目している。日本はコメの味が違う。おにぎりの芯にも日本の職人魂がこもっている。誰がツナマヨおにぎりを開発したのか。カレーパン、カレーラーメンに匹敵する画期的発案だと思う。

9位には焼肉が入っている。外人に和食を食べさせて感動する姿を紹介というビデオをよく見るが、神戸牛の焼肉には皆感動している。

8位は蕎麦が入っている。蕎麦の味がわかる外人は和食理解度がかなり高いと言えよう。7位には焼き鳥が入っている。ガイヤーンはタイの焼き鳥だ。同じ鶏肉でどうしてこう違うのか。タレの違いか。近年はもつ焼きや焼きトンにも人気が出ているらしい。焼き鳥とビール、日本に帰りたくなる。

6位はしゃぶしゃぶ、社会人の頃、外人接待は部長の好みでしゃぶしゃぶの店によく行った。あのころから外人は感激してくれたものだ。

 

■トップ5

和食にまつわる思い出を書き出すときりがない。5位はお好み焼き。日本で何食べた?の質問にお好み焼きを挙げる外人が多い。広島風、大阪風とあるけれど、発祥は東京のもんじゃ焼きだよとテレビクルーに説明する外人がいた。4位はカレー、インド料理ではなく和食と認識されている。自分も日本のカレールーを使ってタイで食べている。

さて3位はてんぷら、欧米で食べたことあるけれど全く別物という外人は少なくない。油も違えば野菜、魚、エビ、材料も違う。2位はラーメン、日本でラーメンが食いたい、は外人ばかりでなく自分も同じ。

さて1位はもちろん寿司だ。欧米にもアジアにも寿司店はある。でも多くの訪日客はこれまで俺たちが食ってきた寿司は何だったんだ、と愕然としている。これからも和食、それもこれがが食べたいからまた日本に来ましたという外人観光客が増えるに違いない。

プーカオ寺の慰霊碑(2)

メコン河、対岸は中国資本の高層ビル

黄金三角の金ぴか大仏

プーカオ寺

S.N.氏建立の慰霊碑2本

倶会一処とあるから浄土宗?

3本の慰霊碑の位置

プーカオ寺の慰霊碑(2)

■慰霊碑建立の経緯

チェンセーン、ゴールデン・トライ・アングルを見下ろすプーカオ寺の境内に建立された戦没者慰霊碑にどうして興味を持ったのか。それはチェンライ日本人会の一部にチェンライでも戦没者慰霊碑を建立し、しかるべき日に慰霊祭を行ってはどうかという話が持ち上がったからだ。その慰霊碑を建立する場所としてすでに慰霊碑が存在するプーカオ寺が候補に挙がっている。

チェンマイではチェンマイ戦没者慰霊祭実行委員会が毎年、チェンマイのバンガード高校、ムーサン寺の2会場で慰霊祭を行っている。バンガード、ムーサンにはビルマから敗走してきた多くの将兵が亡くなった野戦病院があった。その意味では戦死、戦病死者を慰霊するにふさわしい場所と言える。

チェンライ県にも日本将兵がいたようであるが、チェンセーン辺りで亡くなった将兵の話は聞いたことがない。でもプーカオ寺に慰霊碑があるということはゴールデン・トラアイ・アングルと戦没日本将兵との何かの縁があるのかもしれない。

 

NPO慧燈

3つの慰霊碑のうち1つはNPO慧燈が、あとの2つは世田谷区のS.N氏が個人的に建立したものと分かった。NPO慧燈は、バンガード高校の慰霊塔や鐘楼を寄付し、タイ教育機関への奨学金援助活動を長く続けている佐賀県にある非営利活動法人である。

今はネットの時代、NPO慧燈に慰霊碑建立の経緯をお聞きしてみた。

 

NPO慧燈御中

突然のメールで失礼します。チェンライに住む中西と申します。

チェンライ県ゴールデントライアングルにあるプーカオ寺の境内に添付写真の慰霊碑があります。この慰霊碑は貴団体ゆかりの碑と聞いております。差し支えなければ、建立に至った経緯などお教え願えれば幸いです。

バンガード高校には何度か慰霊祭等で訪問したことがあり、貴団体のことは存じております。

 お忙しいところ恐れ入りますが何卒よろしくお願い申し上げます。

 チェンライ 中西英樹

 

同返答メール

 

中西英樹 様

このたびは、ご連絡頂きありがとうございます。

遺骨取集、慰霊に訪れた慧燈財団関係者が、プラタート・プーカオ寺内に平成3年(1991年)に木製の追悼之位を建立しました。

その後、老朽化した木製の追悼之位から大理石の石碑に立替することとして、平成16年(2004年)11月4日に起工式を行いました。

平成21年(2009年)11月11日に完成した石碑の落慶法要を行いました。

 

年に1回(今年は6月25日予定)バーンガード学校を訪問し、追悼法要をしておりますが、チェンライには訪問できないでおります。

私共の事情をお話し、プラタート・プーカオ寺の僧にお守り頂くことをお願いしております。

今後の慰霊祭の予定は今のところ計画しておりません。

プラタート・プーカオ寺は小高い丘の上にあり、タイ・ミャンマーラオスの三国国境が接する地点を見下せます。

この地に碑を立てることで、これらの国が植民地支配から独立することを願い戦って亡くなられた日本軍の慰霊になると考え、このお寺を選定したと聞いております。

 

NPO慧燈

 M.T

              

■蟠龍寺

残り2つの慰霊碑の建立者、S.N.氏については何も情報が得られなかった。ただ碑に刻まれた「蟠龍寺芳誉嚞雄」を頼りに大阪と東京にある同名の寺にメールを送った。大阪からは東京のお寺でしょうという連絡を、東京目黒の蟠龍寺からは下記の返信を頂いた。

中西様

この度はお問い合わせを頂きありがとうございます。 

さて、お問い合わせいただきました慰霊碑についてですが、製作にあたり当山先代住職の吉田嚞雄(よしだてつゆう)が揮毫を致しました文字が使用されておりますようですが、残念ながら詳細な資料が残っておりません。当代住職夫妻の話では、先代は先の大戦時、中国黒竜江省で従軍経験があり、そのため平成に入ってからは、戦友会等からお声がけを頂くと慰霊法要のために旧戦地へ参っておりました。

しかしながら、当代住職の話ではチェンライ県での慰霊法要へ参加した記憶はなく、建立者でいらっしゃるN様との関りも、誰かに紹介されて揮毫の依頼をされたようだとの見解でした。石碑の建立年代近辺の法務日鑑を現在あたっておりますので、新たな記述等が見つかりましたらあらためてご連絡申し上げます。

 蟠龍寺 副住職 吉田龍雄

 

 偶然であるが蟠龍寺はわが家から歩いて20分の距離にあった。メールのお礼がてら訪問して住職、副住職から先代の人となりをお伺いした。それなりに有益だったが、S.N.氏との関連はわからないままだった。

どうも戦没将兵とチェンライの関連はなさそうだ。それでもプーカオ寺に慰霊碑を新たに建てるのだろうか。

 

 

いい時に帰国

 

 

 

目黒不動

かむろ坂

目黒川の夜桜

同上

青山墓地

靖国神社能楽堂

 

いい時に帰国

■タイから日本へ

チェンライから東京へ行く場合、バンコク経由となる。バンコク発東京行きは1日に何十便もある。チケット価格はバンコク―東京往復で3万5千円前後から30万円を超えるものまで様々だ。でも安価なLCC航空券には発着時間が深夜、早朝であるとか、経由地が多く、到着まで30時間も掛かるなどデメリットがある。安さに惹かれて30時間かかる中国系のLCCを利用した人がいる。感想は「死ぬ思いだった、もう絶対乗らない」だった。バンコク―東京の直行便の飛行時間は6時間半、年を取るとこの6時間半が結構きつく感じる。価格にもよるが自分としてはチェンマイ台北―東京の便が好きだ。台北故宮博物院や夜市を1,2日楽しみ、それから東京に行く。飛行時間はそれぞれ3時間ちょっとだから新幹線の東京―大阪と大差ない。

今回の一時帰国では隣県、チェンマイの空港から出発した。前泊が必要だったが、行き慣れているチェンマイのほうが気が楽だ。チェンマイからバンコクへ、そこからハノイ行きのヴェトジェットに乗り換える。ハノイ空港では3時間半の待ち時間があったが、カード付帯のラウンジ利用権があったので、ラウンジで昼からワインやビールを飲み、食事をしながらパソコンを眺めていた。そしてハノイからヴェトジェットで5時間半、羽田に到着したのは午前1時であった。深夜到着だがLCCだから仕方がない。雨の中、タクシーで品川の家に着いた。

 

■桜を満喫

到着した4日が東京の桜の満開日だったようだ。5日は区役所や医院へ、6日は近くの目黒不動、そして目黒川で夜桜を見物した。ライトアップされた桜を楽しむ家族連れやカップルの振る舞いの優雅さに雅の国に帰ってきたという感を強くした。7日は先輩の墓参りを兼ねて友人たちと青山墓地へ行った。ここも桜の名所である。先輩は一世を風靡したテレビの歌番組のプロデューサーだった。墓誌を見ると享年67となっている。もう10年以上になるのか。華やかな一生だったと思うが、今の67は早世の部類だ。

自分は60代で死ななくて本当に良かったと思う。こうして桜を愛で、テニスを楽しめるのも長生きしたおかげだ。今日が千秋楽としても我が人生、8勝7敗の勝ち越しだったと確信を持って言える。なんといっても長生きするほうが勝ちである。

8日は横浜に行き、港に咲く桜を撮った。横浜はまだ7分咲きといった風情。9日は雨の中、銀座に出かけ、散り始めた数寄屋橋の桜をカメラに収めた。

10日は神田で友人と会い、有名な福尾商店のあんみつをご馳走になった。神田から九段下で降り、桜吹雪の舞う靖国神社に参拝、天気が良かったせいもあるが参拝を待つ人の列が20mほどできていた。靖国の神池公園の池は桜の花びらで一杯だった。桜もさることながら池を覆うもみじの若葉が鮮やかで、チェンライにはこういった明るい緑はないなあと思いながら写真を撮った。靖国から九段高、富士見坂を下って飯田橋へ、法政大学前の外堀を見下ろす土手公園は桜の名所ではあるが、混雑しているのでは、と桜撮影は飯田橋で終わりにして帰宅した。

ソメイヨシノはもう終わりだがこれから艶やかな八重桜の季節になる。いい季節はまだ続く。

 

■日本語

同年配の友人たちとの会食が続いている。でも老人の3大話である健康問題、孫自慢、相続の話はほとんど出ず、ずっと笑いが絶えない楽しい宴会ばかりだ。日本語だから相手の言っていることが理解できる。これが嬉しい。自分の発言もわかってもらえる(と思う)。タイではタイ語または英語だからお互い理解しているかどうか判然としない。場合によっては携帯の翻訳機能の助けを必要とする。タイ人同士の会話など始めから理解を放棄している。ところが地下鉄の中で会社員や奥様方の会話が理解できる。思わず耳がダンボになる。

「映像クリエイティブの専門学校に行ってて、XXプロに勤めようと思ったんですが、3カ月は無給で楽器運びというので・・・・」、「それはひどいな」。オジサンもそう思う。

「目黒川のワインクルーズって一人1万円だって…」、「ウーン、それくらいするでしょうね」。舟からの桜見物なら高くないでしょう。心の中で会話に参加する。チェンライではまず不可能だ。

日本語がわかるし、料理も酒も「ああ、これはチェンライでは絶対お目にかかれない」と感動しながら口にしている。季節もいいし、このまま日本にいたくなる。チェンライから東京へ飛んでくるにも決断力を要したが、これからチェンライに戻るにも多くの誘惑を振り切り、両頬をパンパンと叩いて覚悟を決める必要がある。

 

 

 

 

 

プーカオ寺の慰霊碑

 

 

チェンセーンからメコン河を臨む

ワット・プラテート・プーカオ入り口

慰霊碑

慰霊碑2

慰霊碑3

慰霊碑からゴールデントラアングルを臨む

 

プーカオ寺の慰霊碑
■刺激のない毎日
現在、日本に一時帰国中である。毎日、手帳やカレンダーをチェックして予定を確認する。その合間にも新たな予定を書き込む。やることが多くてチェンライとは違って慌ただしい生活だ。

チェンライでは週5日のテニス、10時前に帰ってシャワー(時にはかけ流しの温泉に行く)、それからPCに向かってネットサーフィン、午後はブアさんの買い物に付き合うこともあるが、概ね、PCを眺めている。疲れれば傍らのベッドに横たわってよしなしごとを考える。非生産的な毎日である。こんな生活を夢見ていた時期もあったが、こうして怠惰な日々を送っていると、人生これでいいのか、お国に対して申し訳ないという反省が湧いてくる。でも反省したところでどうなるものではないから、まあ、これでいいのだ、と自分に言い聞かせて午睡の眠りに落ちる。

土日は体を休めるためにコートには行かない。でも家にいると「チュアイカン(お互い様、助け合い)だから」とブアさんに車の運転や、家事手伝いを頼まれる。先日はマンゴーの木の枝払いをするから、とブアさんが脚立の上に上がり、自分はその脚立を抑える役目を仰せつかった。頭上から木の葉や蟻が降ってきて嫌だなあと思っていたら突然、蜂が襲撃してきた。ワーッと大声を上げて逃げたが腕を4ヵ所刺された。葉と葉の間に巣をつくる小型の蜂だ。刺された直後の痛みはブアさんがお寺でもらってきた軟膏を塗ったら治まったが、その後数日は刺された場所が赤く腫れ、痒くて大変だった。

■黄金三角の古寺
家の手伝いがイヤだから外に遊びに行ってしまう、という子供時代の習性が抜けないのか、土日の休みを利用してチェンマイ、トードタイ、チェンセーンなどに1泊旅行によく出かけた。それぞれ野暮用がないことはないが、違ったベッドに寝て、原稿を書き、近くのタイ料理屋や屋台で現地の人と同じものを食べる。こんなことでも元気が出る。元気があるから長躯、車を走らせていつもと違う体験ができるのだ、と言えるかもしれない。

チェンセーンはメコン河に面している。タイ、ミャンマーラオスの3か国の領土が一望できる観光名所、ゴールデン・トライ・アングルがあり、観光客が引きも切らない。自分がタイに戻った頃は、例の感染症騒ぎが収まっていなかったからチェンライ県屈指の観光名所も閑古鳥であった。でもこの3月には中国人、韓国人、ファランが観光船に乗ったり、金ぴか大仏の写真を撮ったり、3カ国を見下ろせるテラスから自撮りをしたりと大賑わいだった。ここには何度も訪れているが、今回はこの黄金三角の高台にあるワット・プラタート・プーカオにある戦没者慰霊碑の確認作業のためである。

プラタートとは聖なる物質、即ち仏舎利を指す。本当に仏舎利が安置されているかどうかは別にして、寺格の高さを示していることには間違いない。プーカオ寺は759年の創建になると伝えられているが、仏塔や本堂は14世紀前後に建立されたことがわかっている。それでもタイでは古寺に属する。

■3つの慰霊碑
プーカオ寺のメコンを見下ろす境内の一角に日本語の刻まれた3本の戦没者慰霊碑がある。一つは佐賀のNPO慧燈が建立した「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之位」、黒御影石の慰霊碑である。もう2つは世田谷区のS.N氏が建立した「タイビルマ方面戦歿者慰霊」と「タイ・ビルマ方面現地人戦没者慰霊碑」である。

NPO慧燈はチェンマイのバンガード高校にある慰霊碑や鐘楼を寄付しており、毎年同高校で慰霊祭を行っている特定非営利活動法人である。また20年以上にわたってタイ学生への奨学金給付も行っている。インパール作戦で敗走してきた佐賀連隊の多くの将兵がこのバンガード校にあった野戦病院で亡くなったという。その縁で佐賀県にある大手製薬会社がスポンサーとなって設立されている。慰霊碑の文字は保利耕輔元文部大臣の揮毫となっているが保利氏は佐賀県出身の代議士である。

S.N氏の建立した碑は、1本は黒御影、もう1本は白御影製である。一つの石ではなく御影石のプレート4枚を張り合わせたもので、慰霊碑の天辺は四角錐のブリキ製の蓋で覆われている。平成13年と17年の建立である。正面に「南無阿弥陀仏」、左側面には「倶会一処 蟠龍寺 芳誉嚞雄」と彫られている。倶会一処(くえいっしょ)とは死んで阿弥陀仏の極楽浄土で共に会う、生まれることを言う。浄土宗のお寺と思うがこの僧侶と碑の関係は?

どうしてプーカオ寺に戦没者慰霊碑があるのか、戦病没将兵との関係はどうなのだろうか気になる。(続く)

タイの麻薬事情

 

これが大麻マリファナの原料

同上

栽培許可を得た農場で撮りました。

市場で、まな板屋さん

市場で。バナナ専門店か

魚干物、アジに似ているが種類が違うらしい。

 

タイの麻薬事情

マリファナ

タイでは実質マリファナが合法化されている。但し、医療目的であれば合法だが、娯楽目的でマリファナを吸引した時は罰せられる。世界で法律がしっかりと守られている国は日本くらいである。タイにだって大麻取締法も罰則もあるが、時には適用されることがある、と考えていたほうがいい。パタヤプーケットの歓楽街ではもちろん、静かな北タイの街、チェンライにも大麻の葉っぱのマークを出しているカフェが10軒以上ある。さすがに公共の場でスパスパという人はいないが、カフェの中でならマリファナが供される。目抜き通りにある大麻専門店は午後2時からの開店であったが最近は朝から店を開いている。外人観光客の増加に従って商売繁盛となっているのだろう。

酒にもアルコール度数1%未満の甘酒から40%のウィスキー、50%のテキーラ、さらに96%のスピリタスまでいろいろな酒がある。大麻にも種類があり、有効成分の多少で効き目が違う。大麻は大体みな同じだろうと思っている人が多いが、これには気を付けたい。

大麻には大きく分けて、サティバ、インディカ、ハイブリッドの3つがある。サティバ種は多幸感が増し、テンションが高くなり、集中力も高まる。ミュージシャンに人気。インディカ種はリラクゼーション効果が高く、ストレス緩和、鎮痛、食欲増進など、古来より人気のある品種で夜のマリファナともいわれる。ハイブリッドはサティバ、インディカの掛け合わせだから、モノによって高揚感、リラックスと効き目が違うそうだ。

効き目の違いは品種ごとにTHC(テトラヒドロカンナビノール)とCBD(カンナビジオール)の含有率が違うからである。日本人は何でも含有量が高く、値段の高いものがいいと思って購入、吸引、そして店先で倒れてしまうとか。酒だ、酒だ、と言ってテキーラを一気飲みするようなものだ。タイに来たら専門店、あるいは先人の知恵を借りて自分の体に合ったマリファナの嗜みを身につけて頂きたいものだ。

 

大麻取締り

タイのセター首相はタイにおける娯楽用マリファナを禁止する法案を国会に提出している。医療用マリファナに限定して許可するようであるが、バンコクパタヤの夜の繁華街ではトラックによる移動販売が盛んでファランマリファナを求めて群がっている。一度、緩めたら元通りに厳しく取り締まれるかどうか疑問である。東南アジアでは大麻厳禁の国が多く、タイで大麻を吸引したシンガポール人は帰国しても罪に問われ、最悪死刑になるという。大麻健康ツーリズムは12億ドルの市場と言われているが、セター政権の取り締まり強化は大麻市場拡大に影響するかもしれない。

セター首相が大麻取り締まりに乗り出す理由の一つとして若年層の大麻使用が覚醒剤乱用にに繋がることを憂慮したことがある。マリファナの習慣性はタバコや酒よりも低いと言われるがマリファナを吸っているうちに覚醒剤に手を出す。覚醒剤は中毒になる。それこそヤクがなければ、ヤクを手に入れるためには何でもする。日大のアメフト部員はマリファナを購入した時、タダで覚醒剤を何錠か貰ったそうである。タイでも同じ光景があちこちで繰り広げられているのだろう。

 

■日本語総合サイトnewsclipから

(引用開始)

タンクローリー覚醒剤1000万錠 タイ中部ロッブリ

タイ当局は18日、中部ロッブリ県で、タンクローリーのタンクに積まれていた覚醒剤約1000万錠を押収し、タンクローリーを運転していたタイ人の男(33)と先導車を運転していたタイ人の男(30)を逮捕したと発表した。

 

タイ警察は14日、23年10月1日から今月12日にかけ、覚醒剤の錠剤1億6670万錠、粉末4296キロ、ヘロイン250キロ、ケタミン1451キロなどを押収し、容疑者219人を逮捕したと発表した。

 

3日で覚醒剤1100万錠と141キロ押収 タイ北部パーイ

7日から9日にかけ、タイ北部メーホンソン県パーイ郡のミャンマー国境近くの山中で、タイ軍と警察の合同パトロール隊が覚醒剤の錠剤約1100万錠、粉末141キロを発見し、押収した。
10日夜には、タイ北部チェンライ県のミャンマー国境近くの山中で、タイ軍のパトロール隊が7、8人の武装グループと銃撃戦になった。武装グループ側は5分ほどで逃走し、現場で覚醒剤約160万錠がみつかった。(引用終わり)

本年3月だけで以上の報道がある。

尚、令和4年版犯罪白書によると日本での覚醒剤の押収量は、令和3年は998.7 kg(前年比21.1%増)であった。訪日外人客の増加に従って麻薬事犯は増えているというが、何処でも誰でも100Bも出せば覚醒剤が手に入ります、のタイに比べれば日本は健全と言える。

 

世界の子供に日本の漫画を

2021年3月横浜

同上日本丸

同上

何処を撮ってもきれい

カフェも垢ぬけている

カフェの外の路上、センスがいい。 チェンライでは絶対見られない

世界の子供に日本の漫画を

移動中につき、2016年5月にアップしたブログを再掲します。

■影響を受けた漫画
自分が影響を受けた漫画をあげるならば、やはり鉄腕アトムゲゲゲの鬼太郎だろう。両方ともテレビアニメになった。

西欧ではロボットは人間と対立する禍々しいもの、というイメージがある。アメリカのSF作家、アイザック・アシモフは、ロボットが従うべき「ロボット3原則」を定めた。

曰く、
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

人工知能やロボットが人間を凌駕し、人類滅亡を画策するという設定のSF映画はハリウッドの定番だ。ロボットは人間と対立する存在で、人間はいつかロボットに復讐されるのではないかという恐怖心がアメリカ人にはあるようだ。上記3原則の「ロボット」を「奴隷、または有色人種」、「人間」を「白人」と言い換えれば、彼らの変わることない差別意識がはっきりとわかるだろう。

鉄腕アトムに代表される日本のロボットは人間と共生し、感情も共有してお互い助け合う存在だ。欧米では職場にロボットが入ると、自分達の仕事が奪われると拒否反応が起こるが、日本の工場では、これで仕事の能率が上がり、いい製品を生み出せる、助かった、と歓迎されるそうだ。

製造現場のロボットマシーンに、工員が「花子」とか「百恵」という名前を付けていて、今日も機嫌よく働いてくれよな、と話しかける様子を見て、欧米人が驚愕したという。対立ではなく共生、これは鉄腕アトムが日本人に与えた思想的影響と言っていいのではないか。渡部昇一先生はどうして手塚治虫文化勲章を授与しなかったのか、と言っておられたが自分も同感である。


■鬼太郎の共生思想
ゲゲゲの鬼太郎は、人間と妖怪の共生の話である。鬼太郎は人間界を滅ぼそうとする妖怪と死闘を演じる。戦いでは目玉の親父はもちろん、猫娘、一反木綿、子泣き爺、砂かけ婆たちの協力を得る。これは集団安全保障の精神だ。

最近「ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂 2007」劇場版をユーチューブで見た。鏡ジジイの鏡の中に閉じ込められた美少女ハナを救おうとするうちに鬼太郎は海外妖怪と対決する。悪役、鏡ジジイは、実は善玉で、情けを失った人間世界に警鐘を鳴らすため、少女を誘拐したことがわかる。

ジェイソン、エイリアン、ダークサイドなど、ハリウッドのホラー映画では悪役は始めから最後まで悪役、妖怪は退治されるまで醜悪で獰猛であるが、鬼太郎の世界では妖怪は人間の投影だ。

鬼太郎は最後に「人間の皆さん、いつかどこかで僕ら妖怪と出会うことがあるかもしれません。その時は驚かないで下さいね。皆さんがやさしい心を持ち続ける限り、僕たち妖怪はずっと友達です」と呼びかける。

妖怪と人間はきっと友達になれる。悪い妖怪もいるが人間を守る良い妖怪もいる。テレビアニメの鬼太郎シリーズでは、目玉の親父が、終わりに「考えてみれば、あいつも哀れな奴じゃったのう」と鬼太郎に退治された妖怪を悼み、ああ云う風に悪くなったのは、人間があまりにも正しい心を失ってしまったからじゃ、と妖怪を擁護し、人間を戒める。

生きとし生けるもの、目に見えるものも見えないものも、すべて平和に暮らしていけるはずというメッセージが鬼太郎シリーズに流れていると自分は思う。

セーラームーン
1990年代少女漫画の金字塔。中学2年のドジな少女、月野うさぎが、愛と正義のセーラー服美少女戦士「セーラームーン」に変身し、街を襲う妖魔を倒していき、街の平和を守っていく。彼女も鬼太郎と同じく、仲間のセーラー戦士、タキシード仮面と協力して悪と戦う。悪役の、あやかしの四姉妹、クイン・べリル、カオリナイト、皆、セクシーなお姉さんばかりで、彼女たちにも人気があった。実は自分もあやかしのファン。

アメリカホラー映画の悪役、ジェイソンやゾンビを好きになる人は少ないだろう。日本の漫画、アニメには敵をどこかで受け入れる包容力がある。以前、ワンピースには戦うことによって仲間が増える、という日本特有の考えが盛り込まれていることを紹介した。

日本の漫画、アニメに親しんだ外国の子供が、戦いとは敵を殲滅することではないという「和の心」に気づいて、それがもしかしたら世界平和につながるかもしれない。そう自分が思うのはあまりにも馬鹿げているだろうか。