チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

円安と和食

センタン・フェスティバル、4階建て

かつや

黒トリュフラーメン299B

やよい軒、200B前後が多い

饂飩屋銀の入口

銀のメニュー

 

円安と和食

■4割減
チェンライで暮らす邦人の最大関心事の一つは為替である。円安で手取りバーツが少なくなっている。民主党政権時代は円高で1万円が4千バーツ以上あった。今,1万円をバーツに交換すると2500バーツちょっと、40%は目減りしている。更にタイもインフレ傾向だ。みな困ったものですな、せめて1万円が3千バーツくらいにならないもんですかねー、などとぼやくが、為替は個人の力ではどうしようもない。

円だって高い時も安い時もある。10年前は良かったと懐かしんでも仕方がない。それに年金の手取りが実質減っていても、一軒家から小さなアパートに引っ越した、とか車を売って中古のバイク乗り換えたという話は聞かない。自分もなんかクイッティオや野菜が値上がりしているなあとは思うが、生活水準が下がっているという感じはない。雨が降る日もあれば天気の日もある、為替はそんなものといった気持ちだ。

ロングステイを始めた頃に比べ、道路は良くなったし、車も増えた。大型バイクなど殆ど見なかったのに、今はホンダ、ヤマハはもちろんハーレー、デュカティ、BMWの大型バイクが走り回っている。経済成長著しいタイ、という感じがする。チェンライの和食店も10年前に比べ格段に増えた。セントラルプラザ(センタン)にはやよい軒8番ラーメンが入っている。やよい軒味噌カツ定食が好きで2,3カ月に1度は食べに行く。出店したころの味噌カツ定食は確か120Bほどだった。でも何度か値上げして先日食べたところ、199Bになっていた。おまけにカツがいくらか小ぶりになっている。円に換算すれば昔は350円くらいだったが今は800円弱、これでは日本とあまり変わりがないのではないか。

帰国していた時、やよい軒に行って味噌カツ定食を食べた。カツはそれほど変わりはないと思ったが、お代わりできるゴハンの美味しさには瞠目した。お替り自動給飯機があって、大盛りとか小盛りのボタンを押すと適量のご飯が下に置いた茶椀にポトリと落ちてくる。チェンライのやよい軒はご飯のお替りはないし、味もいまいちだ。半額ならば仕方ないと諦めるところだが、値段X満足度から言えば日本の味噌カツ定食に軍配が上がる。

■北タイの和食
4月と6月にITFのプロテニストーナメントがあった。女子プロのお嬢さんたちは「タイ料理は好きですし、センタンで和食も食べられますから」と言っていたが、センタンの和食といえばやよい軒程度、ないよりはいいけれど、あの和食では実力が発揮できないのではないかと心配になった。センタン以外にも和食店はあるが夜、不案内なレストランに行くこともできない。従ってやよい軒が日本選手御用達となっていた。

チェンマイにはチェンライのセンタンより巨大なセンタン・フェスティバルというメガショップがある。ここのレストラン街にはやよい軒はもちろん、てんや、かつや、大戸屋吉野家鉄板焼き宮崎、とんこつちゃぶやなど日本の和食チェーンがひしめいている。

かつ丼、天丼、チャーシュー麵、牛丼などは日本円で600円から800円くらい、日本のテニス選手もここならばいろいろな和食が楽しめたはずだ。
和食の値段は日本と変わらないと女子プロが言っていたが、味を考えるとタイの方が割高だ。天丼、かつ丼は海老天やトンカツはともかく、ご飯がこれでも日本米か、と思うくらいまずい。更にタイ人は熱いご飯が苦手だから、冷や飯に近い温度のご飯が出てくる。タイの和食は長らく ロングステイしている日本老人の郷愁をわずかに満足させるものではあるが、やはり日本の熱々の白いご飯が恋しい。

チェンマイのうどん
チェンマイのナイトバザールを背にしてロイクロー通りを抜け、堀端を少し左に歩くと「銀」という饂飩屋がある。製麺機があって打ち立てのうどんが供される。

値段は、ざるうどん760円、ライムうどん(日本の素うどん)800円、海老天ざるうどん920円、焼うどん800円、他にファランを意識したのか、カルボナーラうどん、ボロネーゼうどんがあって、それぞれ960円、1000円となっている。うどんの値段ってこんなもんかなあ、と兄に聞いたら、とんでもない、丸亀製麺のざるうどんは340円だ、竹輪をつけても500円あれば食える、という。1バーツ4円で計算したが、円高の時の2.5円で計算してもチェンマイのうどんのほうが高い。

ニューヨークほどではないにしてもタイの食事も和食に関する限り、日本のほうがコスパはいいと言えそうだ。タイでのロングステイは安く上がる、はもうすぐ昔話になるかもしれない。

 

住みやすい国は

フアヒンの朝

プラチュアップキリカーンの浜

漁船

誰も泳いでいない

空軍基地内の浜

同上、泳いでもいいらしいけれど・・・


住みやすい国は

■マレーシア
以下、最近のクオーラからの引用。(Quora 『クオーラ』とはコミュニティサイトの一種で質問や質問に対する回答、質問したい内容を検索できるサービス)

定年後にあまり貯金が無くても日本より住みやすい国はありますか?

いいえ、そんな国はありません。たとえ外国語ができても、健康保険の問題や、新しい文化に適応できるかどうかという問題があります。
多くの国でリタイアメント(定年)ビザがありますが、その資格を得るにはかなりの貯蓄が必要です。だから、お金がないと、そういう国には簡単に住めないんです。
多くの日本人が定年後でマレーシアに行きましたが、ほぼ全員が日本に帰ってきます。マレーシアに残った人は、もともと日本社会でうまくやっていけなかった人たちです。日本人にマンションを売ろうとする日本人も多いため、そのような人には十分注意すべきです。(引用終り)

マレーシアはロングステイ候補地のトップになったことがある。以下はマレーシア政府観光局のネットから。

マレーシアが選ばれる理由
1.     温暖な気候
    赤道に近く常夏で、日中の平均気温は27~31度ですが朝晩は25度程度と過ごしやすい。

2.     安定した治安
    政治も安定しており、最低限を注意すればトラブルに巻き込まれる事は少ない。

3.     温厚で親日的な国民性
    温厚で親しみやすい国民性に加え、親日家の人が多い。

4.     多民族が尊重しあう社会
    お互いを尊重し、よそ者扱いされず居心地が良い。

5.     生活コストがリーズナブル
    日本の生活費でより豊かな生活ができる。

6.     日本から近く時差は-1時間
    日本にいる家族とも連絡が取りやすい(日本が10時の時、マレーシアは9時)。

7.     英語でコミュニケーションが取れる
    母語でないので、完璧に話せなくても理解してもらえる。

8.     ビザ無しで90日まで滞在ができる。(日本国籍の場合)
    政治も安定しており、最低限を注意すればトラブルに巻き込まれる事は少ない。


■リッチでないとムリ
英語でコミュニケーションが取れる、を除けばタイのロングステイ勧誘条件に重なる。マレーシアもいいなあ、と思うが、10年滞在可能なマレーシアマイセカンドホームビザ(MM2H)を取得するには50歳以上の場合、

•    35万リンギット(約1,050万円)の財産証明
•    毎月1万リンギット(約30万円)以上の収入証明または年金証明
•    仮承認後に現地の銀行に15万リンギット(約450万円)以上を定期預金
の条件を満たさなければいけない。タイに暮らすロングステイヤーで月に30万円以上の収入(年金)があるという人は少ないのではないか。タイの場合、80万バーツの預金があれば1年ビザを毎年更新できる。タイ人と結婚していれば40万バーツの預金があればいい。マレーシアからチェンライに移り住んだ知人がいた。奥さんがタイ人だったこともあるが、警官が袖の下を要求するなど、バラ色のマレーシア生活ではなかったようだ。

何処に住んでもいいところと悪いところがある。東京並みの美味しいお寿司やうな重をチェンライで求めるのは不可能だし、逆に東京にいてマンゴーやドリアンを毎日食べたいと思っても財布が許さない。ロングステイに関する限り、「青い鳥」は存在しない。

■帰国の理由
マレーシアでもチェンライでも同じだと思うが、日本人夫婦の場合、LSを楽しんでいても体調を理由に日本に帰国する人が多い。年を取ればどうしても体の不調が生じる。タイでも充分な医療を受けられる、といってもやはり体の不調があれば日本に戻って治療を受けたい、というのが人情だ。病状の説明、治療の経過説明だってよっぽどの人でない限り日本語の方が安心だ。

タイ人の奥さんがいても、体を壊して日本へ戻り、治療を受けたがそのまま日本で亡くなるという人も少なくない。日本に戻ってそのまま施設に入っている、という噂の人もいる。「故郷へ回る六部の気の弱り」の古川柳を思い出してしまう。

ともあれ、介護ロングステイが終わったのに、また奥さんも愛人もいないのにチェンライに住み続けている。そうなると国は違えど、前述の「マレーシアに残った人は、もともと日本社会でうまくやっていけなかった人たちです」の一言が胸に突き刺さる。チェンライに残っているのはもともと日本社会に適応できない問題児だからか。自分としては日本社会でうまくやっていけないことはないと思うが、10年以上異国に暮らしていると、山岳民族の老婆がスーパーのエスカレータの前で逡巡しているような恐れを日本社会に感じるようになっている。

のんびりしたタイの生活に馴染みすぎたのだろうか。多分、住めば都ということだろう。今のところは・・・・・。

 

フアヒン一人旅(3)

フアヒンの馬

海岸へ続く土産物店、人が少ない

フアヒン、海の家

波打ち際で遊ぶ子供

同上、もちろん望遠撮影

フアヒン夕暮れ、波は静か


フアヒン一人旅(3)

■フアヒンの思い出

フアヒンには1度来たことがある。8年前の2014年5月20日だ。どうして日付を覚えているかというと、丁度この日に、タイ王国陸軍が政治的混乱の収拾、平和と秩序の維持を名目として全土に戒厳を発令したからだ。プラユット陸軍総司令官によるクーデタである。

戒厳令が出ているなどとつゆ知らず、チェンライからフアヒンまで1200キロ、タイを南下していた。国道沿いにやたら兵隊さんが出ているなあ、とは思ったがチェックもなく、スムーズにフアヒンに到着した。これがタイで19回目のクーデタだったそうだから、国民もクーデタ慣れしていたのだろう。それでも22時半以降の外出禁止、テレビ放送中止など戒厳令発令下らしい感じがしたものだが、感染症による娯楽施設や飲食店閉鎖に比べれば可愛いものだったように思う。少なくともクーデタによる経済的打撃は感染症よりは小さかったと思う。

クーデタ以来、プラユット氏が政権を掌握して8年以上経つ。安倍元総理並みの長期政権だ。タイの憲法では首相任期は8年を越えてはならないとされている。それで憲法裁判所の裁定により、8月にプラユット首相は首相の座を陸軍時代の上官だったプラウィット第一首相に代行させているが、国防相のポストは保持している。プラユット氏の首相在任期間の数え方には複数意見があり、9月末に下される憲法裁判所の最終判断によっては、更に首相を続けると言われている。

クーデタ以来、タイは長期「軍事政権」が続いているが、プラユット首相の人気は今一つ。今年6月にタイ国立開発行政研究院が行った政党支持率調査によると、野党タクシン派のプアタイ党が36%で第1位、与党第1党で軍の支持を受ける「パランプラチャーラット党」は7%で3位となっている。政党支持率から見ると野党が優勢であるが、いろいろカラクリがあって総選挙があっても軍政が続く仕組みになっている。

強圧的な軍事政権と言われようとここ8年、国を2分する政争はなく、穏やかな暮しが続いている。それまでは赤シャツ、黄シャツと反目しあって、デモを繰り返し、お互いに死者が出た。日本のジャーナリストもデモのさなか銃弾に倒れた。空港がデモ隊に占拠され、国際便の発着が停止したこともある。あの大混乱に比べれば、世界の民主国家が「タイは軍政で怪しからん」といっても、人が死なないだけ軍事政権のほうがマシ、と個人的には思っている。

 

■静かな海と乗馬

8年前はプミポン前国王がフアヒンでご静養中だった。王様を警護するためかフアヒンの沖合に灰色の軍艦が停泊していた。現ワチラロンコン国王はフアヒンではなく、ドイツにご滞在、という日々が多いと聞いている。

フアヒンは王室の静養地であるから、騒音をまき散らすモーターボートやジェットスキーは禁止されている。高速艇に引かれて空に舞い上がるパラセイリングもない。マリンスポーツができない代わりにフアヒンでは乗馬ができる。浜に行くと馬が10頭くらいいた。ネットには60頭くらいいるとあるが、少ないのはやはり感染症の影響であろうか。馬子が危なくないから是非、と乗馬を勧めてくる。子供が安心して乗れるポニーもいる。乗馬時間によって値段が違うが20分で400Bが高いのか安いのかよくわからない。

人は動物に乗りたがる人とそうでない人に分けられる。息子はタイで馬、象、ダチョウに乗っている。携帯の待ち受け画面にダチョウにしがみついている写真を暫く使っていた。自分は乗馬や象乗りに全く興味はない。

 

■英国女王の国葬

フアヒン滞在中にエリザベス2世の国葬があった。1回目のフアヒンはクーデタ、2回目は英国女王の国葬と共に記憶に残ることだろう。ウェストミンスター寺院での葬儀には、世界中の約200の国・地域の元首・首脳が集った。その内訳は天皇陛下を始め、国王などの君主が18人、大統領が55人、首相が25人で、国連加盟国193か国のうち167か国が代表を派遣した。

この世紀の大葬儀に当然、参列すべき国王が一人欠けていた。ラーマ10世、タイのワチラロンコン国王である。エリザベス女王は1975年に一度だけ日本を訪問されているが、タイには1972年、1996年と2回訪問されている。

ワチラロンコン国王はロンドンから1000キロも離れていない独バイエルン州の豪華ホテルにいたので行けないことはない。結局、タイは王族ではなく、駐英タイ大使の参列にとどまった。タイ国王と何十人もの愛人との放蕩三昧スキャンダルはよく知られている。でもヘンリー王子、アンドリュー王子も式典に参列したのだからワチラロンコン国王も胸を張って参列すべきだった、と自分は思っている。

 

フアヒン一人旅(2)

 

見渡す限り砂浜が続く

蟹の作った模様

砂団子を巣穴の周りに並べる

第5航空隊歴史博物館

勇敢なる航空兵の彫像

日泰戦闘のレリーフ

 

フアヒン一人旅(2)

■旅の目的
たまたま購入したチェンライーバンコクの航空券を無駄にしたくないためにフアヒン旅行をくっつけた。もともと海に行きたいという気持ちはあった。「あした浜辺をさまよえば昔のことぞしのばるる」というではないか。シャム湾の静かな波打ち際をそぞろ歩きすれば、過去の記憶もいくらかは蘇るかもしれない。それにここまで行けばチェンライでは口にできない海の魚や海老も食べられるだろう。観光名所を目指してあちこち徘徊する元気はない。南海のどこまでも続く砂浜と静かに打ち寄せる白波を見ながら、デッキチェアに身を横たえ、冷たいビールを飲む。椰子の葉を渡る微風に吹かれながら意識が遠のくように午睡に入る。

怠けるならチェンライですでに怠けているじゃないか、と思うのであるが、生きている以上は刺激が必要だ。それにタイ有数の海浜リゾートであるフアヒンがどんな状況になっているか自分の目で確かめてみたい。観光客は戻っているのだろうか。ファランが多いのだろうか。それともインド、アラブの客が大半か、若い人や家族連れが多いのか、それとも年寄りばかりか。

フアヒンはバンコクから車で3時間、100年ほど前に王室の保養地として開発された海浜リゾートで、他のリゾートより品がよく治安もよいと言われている。バンコクからゴルフに来る駐在員も多いとか。バンコクから列車で行く方法もあったが、感染症のため間引き運転、最近復活したバスの定期便を利用した。以前は乗り合いのミニバスが頻繁に往復していたし、200キロしか離れていないのにバンコクから航空便も出ていた。

■浜辺の観察
バスに乗るとすぐに宿泊先を聞かれた。ホテル名を告げると100B徴収された。バスはフアヒン空港横のバスターミナルが終点で、そこに待っていたミニバスに乗客は乗り換えた。ミニバスでホテルまで送ってくれるシステム。100Bはミニバス代だった。

ホテルはフアヒンビーチから300mほど、絶好の位置だ。荷物を置くとすぐに海へ行く。両側に土産物や海水浴道具の売店が並んでいる小路を抜けると目の前にシャム湾が広がっていた。浜の長さは数キロあるのではないか。左手にパラソルを密集させてその日陰にデッキチェアーとテーブルを並べた一角があった。日本で言う海の家だ。但し、200近いチェアがあるのに座っている人は殆どいない。海で泳いでいる人もいない。気温は高いが見た目は日本の秋の海だ。

丁度、引き潮で水の引いた浜はきれいな幾何学模様の砂絵になっている。じっと見ていると5ミリから1センチくらいの小さな蟹が1ミリほどの砂団子を抱えて穴から出てきて、その団子を穴の外へ並べていく。並べる場所は予め決められている如く一定で、団子の位置に乱れはない。無数の小蟹がせっせとこの作業を続けて、砂浜に幾何学模様を描いていく。人の気配を感じると蟹は一斉に穴に隠れる。1分くらい経つと再び砂団子を抱えて作業を続ける。幾ばくか、蟹観察の時間を過ごした。

■貸しバイクでツーリング
一応滞在中、浜辺のデッキチェアに横たわってビールも飲んだし、ナイトバザールで海の魚も食べた。一人旅だと魚一匹でも持て余してしまう。ラップトップのPCを持ってきたので、ホテルでネットを見ている時間が長くなった。自宅にいるのと変わらない。気が滅入るニュースばかりで、翔平クンが打ったとか勝利投手になったくらいしか明るいニュースはない。

貸しバイクを100キロ走らせてプラチュアップキリカーンを再訪してみた。ここに大東亜開戦直後、日本軍が上陸し、防備していたタイ国第5航空隊と銃火を交えた。実は日本とタイはアジアの独立国として友好関係にあり、日本軍は当然、無害上陸が認められるものと思っていた。しかし。その許可を出すピブン首相が雲隠れしており、停戦命令が届くのが遅れたため、無益な衝突が起こった。

その上陸地点は現在も空軍基地ではあるが、その一角が歴史公園として整備され、記念碑や戦史博物館がある。ミュージアムの視聴覚室で、日タイの「激戦」のビデオを見せられた。日本軍の上陸用舟艇にはローマ字で船名が掛かれていたから、多分ノルマンジー作戦のフィルムを盗用したのだろう。

タイ語だから理解はできなかったが、如何にタイ軍が奮戦したか、いかに頑張った史観で作られていた。戦史叢書によるとここに上陸した第15軍の宇野支隊は30分の戦闘の末、警備隊を武装解除し、飛行場を占領した、となっている。(日本軍進駐下のタイ - Wikipedia )

 

タイの子供たちはこのビデオ視聴して愛国心を掻き立てられることだろう。でもどこかの国と違って謝罪と賠償を求めてくることはなさそうだ。

日本語について

ポスター

全員故人

チェンライ土曜市

ナツメヤシを売っています。

時計は一つ100B, ちゃんと動きます。

屋台の下で

 

 

日本語について

■語彙数の差
ある日、黒沢監督の「七人の侍」を観たくなった。無料配信動画を検索してみたが、古いとはいえ人気映画なのか、無料で全編見ることはできないようだ。30分刻みではあるが英文の字幕付きのユーチューブが見つかった。通しでは見られないが1時間半ほど、つまり全体の半分くらいだが、なつかしい映画を観た。この人も死んじゃったなあ、などと思いながら視聴したが、名作と言われるだけあって、カット割り、群集の配置など事細かに計算されている。登場人物の性格もよく描かれている。改めて名作と言われる理由がわかったような気がする

英字の字幕付きだから見るともなく、どのように翻訳しているのだろうと読んでみた。ああ、こういう英語表現になるのかと感心したが、いくつか引っ掛かるところがあった。それは、英語には語彙が少ないということだ。百姓の「ありがとうごぜえますだ」も侍の「かたじけない」もThank  youだ。お前様もお主もお侍様もyou、おら、それがし、おのれ、わしはIである。英語では全く平板で情緒、感情が伝わってこない。

タイ語にはあなたを表す言葉が12ほどあって、相手と自分の上下関係を常に考えながら使い分けている、と聞いて感心したことがある。ピー(年上の人に対する呼びかけ)とノーン(年下の人に対する呼びかけ)の使い方で喧嘩になることもある。

でも日本語でYouを表す言葉を上げてみると、あなた、あんた、あんさん、そなた、あなた様、おたく、君、貴殿、そこもと、貴様、うぬ、お前、てめえ、お主、コンニャロ、これだけで15もある。英語ならYouひとつで済ませるところを、時代、身分、職業、性別、更には年齢まで類推できる二人称を我々日本人は使い分け、理解している。タイ人の二人称の豊富さに感心する前に日本語の豊富さに驚くべきかもしれない。

ひょいと思い出したが、昔、イーデス・ハンソンという関西弁を操るタレントさんがいた。彼女が好きな日本語は「はんなりとした」のはんなりと言っていた。名詞ばかりでなく形容詞にもおびただしい数があり、日本人はそれらを使い分ける。ところではんなりは何と英語に訳すのだろう。英語に訳せない日本語はかなりあるのではないか。

■翻訳って何だろう
やったことはないが文学の翻訳は難しいことなのだろう。源氏物語与謝野晶子谷崎潤一郎瀬戸内寂聴など10名以上の文学者による現代語訳があってそれぞれに評価されている。しかし外国文学となればいくら日本語の語彙が豊富であっても、原文のリズム、感動を伝えるのはなかなか難しいのではないか。シェイクスピアの戯曲は古今の英文学者が訳しているが、福田恆存の「ハムレット」は英語の音韻や劇場の俳優の動きまで計算して訳されているというのでかなり評価が高い。

福田恆存氏は「翻訳には創作の喜びがある。自分が書きたくても書けぬやうな作品を、翻訳といふ仕事を通じて書くということである。それは外国語を自国語に直すといふことであると同時に、他人の言葉を自分の言葉に直すといふことでもある。そういふ創作の喜びは、また鑑賞の喜びでもある。本当に読むために私は翻訳する」と書いている。

翻訳機能付きのPCがあれば、翻訳など問題ないという人がいるが、他人の言葉(英文)を自分の言葉(しっかりした日本語)に直す、これを「翻訳」ではなく「創作」という福田氏の言葉をかみしめれば、文学の奥深さを思わずにはいられない。何種類かの源氏物語、或いはハムレットを読み比べて、あー、そうなのかという感慨に耽ってみたい気もするが、読書と全く縁のない暮らしで、それは叶わぬ夢である。というより時間も根気ももう自分には残されていないような気がする。

■翻訳文化
語彙の豊富さが翻訳の質の高さにつながるような気がするが、日本は世界有数の翻訳大国である。世界の文学を読みたかったら日本語をマスターしろ、と言われるがそれは誇張ではない。英語やフランス語でタイ文学が読めるかというとそうでもなさそうだ。ノーベル文学賞の作品がすべて訳されていて自国の言語で読める国は日本しかないだろう。翻訳しても読む人がいないのでは誰も翻訳などしない。古今東西の文学を読む日本国民がいるから翻訳文化も花開く。やはり日本は文化度が高いと言えるのではないか。

日本人に生まれてよかった、と思うことは幾つもあるが,曲がりなりにも「日本語の読み書きができる」もその一つである。

 

フアヒン一人旅

ベトジェットのパンフ

普通の水が20B、エビアンは85B

展望台への案内ボード

展望台フロア

ホッケ定食が850B

1階8番出口横のフードコート

フアヒン一人旅

■保険付きクレジットカード
話は2カ月前に遡る。テニスをしていると心臓の鼓動がおかしくなり、呼吸が乱れるようになった。少しハアハア云っているうちに納まる。ワクチン忌避の友人の発信によるとワクチン接種はディープ・ステートの陰謀で、接種者は血栓を起こして早死にするとある。自分も接種はしたくなかったが、しないことにはタイに戻ることができないので2回接種した。ワクチンのせいで胸が苦しくなるのか。それとも老人によくある不整脈か。

プレー中に胸が苦しく、呼吸が荒くなった。この時ペアを組んでいたのがたまたまチェンマイから来ていた外科医、自分の様子を見とがめて、既往症などを尋ねる。どうも心臓に問題がありそうだからできるだけ速やかに健診を受けなさい。

3年前に冠状動脈が詰まっていてステント手術を受けた。あの時は健診で心臓の異常を指摘され、検査即手術となった。手術代はクレジットカード付帯の保険が効いて自己負担はゼロだった。

国保に入っているので、医療費の大半は還付される。でも前回のように検査即手術となれば全額保険でカバーされるなら助かる。そこで、健診直前に公共交通機関の切符を買ったときから90日間疾病保険が適用されるというクレカでチェンライ―バンコクの航空券を買った。結局、心電図の検査は異常がなく、その後不整脈も出ないので普段通り生活を続けている。航空券は保険代と割り切ってそのままにする手もあったが、せっかくのバンコク行きの切符だ。どうするか。

チェンライに戻ってからの旅というとせいぜい1,2泊で近場をドライブする程度、今度は飛行機だ。この際、数日海辺でのんびりするか。バンコクの空港からバスで行ける海浜リゾートとしてフアヒンを選んだ。フアヒンは王族の静養地でパタヤより品がいい。いつもはGH泊まりであるが、今回は海沿いの高級ホテルを予約した。海の魚が食べられるだろう。この年になると楽しみは食べることしか残っていない。

■ペットボトルが500円?
チェンライからの便はLCCのベトジェット、代金を払えば機内でコーヒーやお茶、軽食が摂れる。機内で抹茶のペットボトルが販売されていた。
「京都より上質で茶葉を厳選して、健康に良いし、抗菌化作用を持つものもあります。飲むと、体がスッキリします。」ちと残念ではあるが日本語の説明がある。抹茶ではあるが抹茶ラテ、ミルクティーと単純な抹茶ではなさそうだ。300㏄程の小瓶だが抹茶ラテは520円、ミルクティーは360円とかなり高い。ちょっと自分には手が出ない。

チェンライからスワンナプーム国際空港に着いたのは9時50分だった。10時に空港からフアヒン行きのバスが出る。多分乗れないだろうなとは思っていたが、5分の差でバスは出てしまっていた。次発のバスは12時、出発まで時間があるので空港の探索に出ることにした。

スワンナプーム空港は4階建てであるがその一つ上に、展望台があることに気付いた。エレベータを下りてなだらかなスロープを登る。成田や羽田の展望台は滑走路が見えるが、ここの展望台からは滑走路は見えないし、建物の屋根や配管等で視界が妨げられて駐機している飛行機はいくつか見えるだけである。椅子も数ヵ所にあるだけでフロア自体も狭い。旅行客はほとんどいない代わりに空港職員のお姉さんたちが座り込んで、早い昼食を摂っていた。

■価格がリーズナブルな食堂も
スワンナプーム空港で誰もがもつ不満の一つは食べ物の値段が高いことである。ホッケの塩焼き定食が3400円、ギンダラの西京焼き定食が2400円、ハンバーガーが1000円、出発、到着フロアでペットボトルの水を買おうとすれば自販機で20B、セブンイレブンだと45Bだ。ところがエレベータで地下1階の電車乗り場のフロアに行き、ここのセブンイレブンで買えば1本7Bであることが分かった。

食事も1階8番口、パタヤ、フアヒン行きのバスチケット窓口横にエアポート・ストリート・フードという食券形式の大きなフードコートがあって、ここではカオカーム―、クイッティオなどのタイ食が50B(200円)ほどのリーゾナブルな価格で食べられる。

バスチケット売り場の前にはバス待ちの人が大勢たむろしており、近くのトイレは混んでいる。売り場から50mほど離れたところに待合フロアに通じる通路があって、そこのトイレは広くて清潔。トイレ手前には水飲み場があり、貧乏そうなファランが自分のペットボトルに水を補給していた。これならタダだ。

さて、バスは24人乗りの大型豪華バス、座席はベトジェットより広く快適、雨季特有の青天、雨天を繰り返す中をフアヒンに南下する。(続く)

悪い予感はよく当たる

ボークルアの塩、一袋20B

小分けされた塩、50B

サンサーイ市場

手前のキュウリは一皿20B

果物、手前はロンコン

一房15B(50円弱)手前の房は5B(20円)

 

 

悪い予感はよく当たる

■雨季でもテニス
1年中、短パンとT シャツで過ごせるから、タイは常夏の国で年間を通してあまり気候が変わらないのではないかと思う人がいる。でも大雑把に言ってタイには3つの季節がある。即ち、6月から10月の雨季、11月から3月前半の乾季、それに3月後半から5月の暑季の3つである。

今は雨季であるから雨が降る。今年は例年より降雨量が多く、この時期に田植えをする農家は喜んでいるが、スコタイ、アユタヤ、バンコクでは洪水となっている。雨季といっても1日中降ることは稀である。天気予報で1週間続けて雨傘マークがついていても週に4,5回はテニスができる。雨は夕方から朝にかけて降ることが多く、明け方に雨が上がっていれば、コートに行って水切りを行った後、プレーできる。水切りはゴム板を貼った専用器具と竹箒で行うのであるが、ITFのテニストーナメント開催に合わせて、効率の良い水切り器具が配備された。今年の始め頃はネットをすり抜けてボールが飛んでくるようなボロコートだったが、トーナメント前にネットは交換、コート表面も再塗装された。毎朝、無料で使わせてもらっている自分としては、費用の一部を負担してもいいと思うくらいコートの環境整備には感謝している。

コートの樹脂塗装はトーナメント期間中でも選手の激しい動きによって一部、剥離していた。トーナメント終了後もコート表面の剥離は進んでいるが、我々のゲームには全然支障はない。逆に再塗装工事が始まるとすれば、またトーナメントが始まり、1コートを除いて、我々、アマチュアプレイヤーが締め出されることになる。塗装剥離が放置されている限り、我々の天下は安泰といえる。

■テニスでの悪い予感
朝起きてみると雨が降っている、という日もある。局地的な降雨で我が家では降っていても、8キロ離れたテニスコートでは曇りということもあるので、小雨ならばとりあえず出かけてみる。概ね、6割の確率でプレーできる。でもコート上で雨が降ってきたらどうするか。2日続けてプレー途中で小雨が降ってきたことがある。全面的にコートが濡れるほどではないがスリップが心配である。プロトーナメントでは雨がぽつりとしてきただけで試合中断となっていた。仲間は大丈夫、問題ない、とゲームを続行したがるが、自分は頑なに「危ない、やめよう」。

プロを見習っているわけではない。10年前にプレー中に左足首を骨折したことを思い出すからだ。雨上がりのコートでスリップ、滑りきらず中途半端に止まった足に全体重が掛かって足首が90度外側に曲がってしまった。その瞬間、痛いより先に、あー、折れちゃったよ、しばらくテニスできねーな、と気分が落ち込んだものだ。

雨のコートというと悪い予感が頭をよぎる。また骨が折れるんじゃないか。「悪い予感はよく当たる」という。これは嫌な体験は記憶に残りやすく、無意識に防衛反応が起こるからという。自分の場合は無意識ではなく、あの骨折事故がまた起きるんじゃないかという予測から「悪い予感」が起きている。その悪い予感を軽視して、プレーを続けて足を捻じったとすると、あ、予感が当たった、俺はバカだ、と反省することになる。防衛本能や蓋然性のある予測が働くならば、その本能、予測に従って悪いことが起こらない対策を取る。テニスならプレーを中止する、だ。

■洞察力からくる予感
いやな記憶が無意識に蘇る、いやな記憶を思い起こして予測する、この2つから「悪い予感」が来るのだが、記憶のあるなしに拘らず、状況の変化を見てこれは何か起こりそうだ、と感じることがある。これを洞察力という。

遠くで波が立っている、風の向きも変わった、今日は泳ぎすぎて疲れが出ている。友人がボートで少し沖に行こうと誘ってくる。何か悪い予感がする。海難事故にあった経験がなくても一種の洞察力で危険を察知する訳だ。慎重な人、思慮深い人はこうして対策を取る。「君子、危うきに近寄らず」はこのことを差す。君子は思慮深い人、学識識見に優れた人を指すことが多いが、君子には為政者という意味もある。

日本は核弾頭を向けている国に周りを取り囲まれ、その脅威は自分でも感じている。文字通り、「悪い予感」がある。君子たる日本の為政者は自分より洞察力に優れた方たちばかりだと思う。為政者各位は悪い予感に対して賢明な対策を取って国民の心配を吹き飛ばしてほしいものだ。まさか「悪い予感はよく当たる」事態に陥ることはないと思うけれども世の中、何が起こるかわからない。