チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

2回目の入院で感動したこと

チェンライ花祭り2026

同上

 

同上

同上

同上、やはり蘭

植え込み

こんな花も。1月初めだったが体調は良くなかった。





2回目の入院で感動したこと

■あれよ、あれよという間に

入院7日目となった。昭和医大病院にお世話になるのは2回目である。32-33歳だったと思う。当時、やたらと海外出張が多く現地ではあまり野菜を食べなかった。繊維質が不足すると便秘になり大腸壁の弱い部分が外側に膨らんで憩室が形成される。そこに便が溜まり炎症を起こす。これが憩室炎であるが、自分の場合、憩室が破れ腹膜炎を起こした。救急車で昭和医大に担ぎ込まれた。胃穿孔を疑われ、鳩尾から臍までの開腹手術を受けた。確か8人部屋に1月以上入院していた。牧歌的な昭和感漂う8人部屋の社会生活は今となっては懐かしい。

あれから40有余年、これ同じ病院かと思うくらい医療関連は格段の進歩を遂げていた。兄と彼女に抱えられるように病院入り口に着いたのが午前10時、大変な数の診察希望者をマイナカード、診察カードを基に事務員がさばいていく。タイの病院から受け取ったCD,各種データも受付で渡した。

診察ブースの前では1時間以上待ったが、この間に医師が紹介状やタイの病院のデータを読み込んでいたようだ。昼を回って受診できたが、先生の丁寧な説明の後、このまま入院を申し渡された。それからは早かった。採血、レントゲン、心電図、午後4時には主治医の若い医師が夕刻に行う手術の概要を丁寧に説明してくれた。内視鏡(カメラ)を口から入れて食道・胃を通り十二指腸まで進め、胆管や膵管に直接細いチューブを介して造影剤を注入して、胆嚢や胆管及び膵管の異常を詳しく調べる。異常があれば検査途中でも、即手術となるとのこと。

■AIの進歩を実感

日本の病院でもまずはいろいろな検査を行い、その結果を見て治療方針が決まるものと思っていた。でもわが炎症はそれほど悠長ではなく待ったなしだったようだ。緊急外来病室のベッドで印刷済みの「入院診療計画書」並びに各種書類の説明と書類への署名を行った。自分のためにこの昼過ぎから医師、パラメディカル、事務方、数十人あるいはそれ以上の関係者が手術、入院に向けて一糸の乱れもなく迅速に動いてくれている。日本に帰ってよかった。バンコクの大病院なら可能かもしれないがチェンライの、こういっては悪いが田舎病院ではこのような手術に向けての緊急合同作業はとてもムリだ。手術室まで車いすを押してくれた看護師もバトンタッチを受けた手術室の看護師もわが緊張をほぐそうと「タイではどんなお仕事を?」とか話しかけてくれた。午前中に受付に渡したデータ、情報が1日もしないうちに病院全体に共有されていることが感じられた。

■導線も完璧

手術翌日から平熱に戻り、腹部の鈍痛も和らいだ。点滴棒付きであるが自由に動き回れる。消化器内科の11階病棟には52床のベッドがある。見たところ満杯に近い。トイレは男子小用便器が3つ(大人用2子供用1)しかないがおむつの人もいるだろうからこの数で充分だ。混みあうこともない。トイレ内の広さが絶妙で点滴棒が複数入ってきてもぶつかることはない。手洗いは2か所だが、一般の手洗いに比べ位置が低い。車椅子患者を考慮しているのであろう。

病院建築は専門の設計建築会社があたると聞いたことがある。エレベータホール前に受付事務、ナースステーションのスペースがあり、窓際は放射線上に病室が並ぶ。廊下はPC付き医療具を運ぶ看護師、車椅子、自分のような点滴棒歩行者がぶつからずに行き交える絶妙のスペース幅となっている。

昔は看護婦さんが患者の体を「清拭」してくれた。今は自分でシャワーを浴びる。浴室は一つで1回30分の予約制だが、半分も埋まっていない。日頃、チェンライの電気式給湯器のショボいシャワーしか浴びていないので、病棟浴室の豊富な湯量には感動した。宿泊者52人のホテルでシャワー室が一つでは大騒ぎとなると思うが病院設計には相当のデータ、ノウハウの蓄積があるのだろう。

また、コイン式乾燥洗濯機もある。付き添い、面会者がいない孤独老人(自分ではない)でも少ない着替えでやっていける。

障害物なく廊下を周回できるので元気な患者はぐるぐると歩いている。病室もコンパクトで使いやすい。やはり日本はすごいなあと感動する。

なお、帰国してやるべきことの一つに投票があったが、帰国の翌日に入院ということで投票所に足を運ぶことはできなかった。病院で投票できると聞いて事務に尋ねてみたが病院での投票は自分の入院前に終了していた。高市政権に投じることはできなかったが全くその必要がなかったほどの大勝利、選挙戦の時から与党有利が伝えられていたし、総選挙結果は我が病状回復に大いに貢献していると思う。

 

 

 

 

入院、即手術

 

チェンセーンの街、左はメコン

メコン

同上

この舟に乗った

舟から見える釈迦像

チェンセーン名物

入院、即手術

■経過

昨年9月の健診で血糖値が異常に高いことが分かった。生活習慣病と思い、薬以外に3カ月、南国の果物も砂糖も一切断ち、テニスは週5を6回に増やし、徹底的な食事、運動療法に努めた。動画を参考に食後の運動、ツボなどストイックに頑張った。しかし12月の血液検査ではGHbA1cの値が思ったように下がっていない。

チェンライの病院に行った。血糖値降下薬が倍量になった。食事療法のため体重は3キロほど減った。糖尿病対策として減量はいいのだがこれでは体力が持たない。鶏の胸肉料理から豚肉も食べるようにした。1月に入って食欲が落ちてきた。1月16日、病院での血液検査で空腹時血糖値が12月より悪化していた。これまで飲み続けてきた薬は効いていない。医師の好判断で急遽エコー診断、CTスキャンを行った。消化器の医師の診断では慢性膵炎、癌の疑いもある、胆道炎を起こしているかも、だった。2カ月後にMRIをやりましょうと言って胃薬を2種処方してくれた。

体調は元旦からよくなかったが、それでも5日からテニスを始めていたし、食欲はないものの何とか食事はしていた。しかし、16日以降、みぞおちの鈍痛と時には7度台の熱が出るようになった。胃薬が効くはずがない。日本の友人(医師)の指示で薬屋で買った抗生物質を服用するようになって少し体調が戻った。

1月30日に消化器の医師から抗菌薬、抗生物質を処方された。でも鈍痛と熱は出る。

■前日に点滴入院

体調を心配してチェンマイに住むパートナーが2月1日から我が家に詰めてくれた。4日の成田便を取ってあった。友人の助けで帰国翌日に大学病院で見てもらえるし、一人で帰国できると言っていた。しかし帰国前日3日の夜に熱が出た。友人の車で病院へ、すぐベッドに乗せられ、採血、点滴、ERの医師は明朝日本に帰国すると聞いて言葉を失った。2,3日入院することをお勧めします、明日、飛行機に乗るなんて命の保証はできません。

ベッドの横でパートナーが10時間後に飛ぶ成田便を予約、急遽、彼女が自分に同行することになった。自分では気付かなかったが黄疸で顔が黄色くなっており、付き添いなしでは乗機を拒否される惧れがあった。

ビジネスクラス

腰が悪いということにしますから、とチェンライ、バンコク、成田とずっと空港の車いすサービスを利用した。出入国、税関、乗降等、優先してくれる。70歳以上の人は原則利用できるとのこと、ご同輩のご利用をお勧めしたい。

バンコクー成田間は6時間ほどであるが、彼女の決断で乗機直後にビジネスクラスに変更した。LCCのチケットは2万5千円、ビジネス料金は3万5千円だったが、ビジネス席はフラットになったのでゆっくり休むことができた。彼女にはもう頭が上がらない。彼女についてはいつか書くかもしれないが2年ほど前からの仲。自分が一人でアンダマン海や北タイを旅するはずがないと気付いていた人もいると思う。

■即入院

品川の家に着いたのは夜9時過ぎ、翌5日午前、兄と彼女に支えられながら大学病院の消化器内科を受診、これだけ早く受診できたのも友人の助けがあってのこと。

先生はタイのCTや各種データを見ながら丁寧に病状を説明してくれた。チェンライではタイ語、英語、携帯翻訳を駆使してもいまいちよくわからなかった。やはり日本はいい。家族を含めての病状説明の後、このまま入院ということになった。熱は時折出るがそれほど急を要する状況とは思わなかった。

若いN医師が内視鏡を口から入れ、スコープの先を十二指腸から膵臓に挿入する手順を丁寧に説明してくれた。診察当日に入院、検査、手術という異例に早い展開となった。

手術開始が18時半、麻酔でほぼ記憶がないのだが途中、目が覚めて二人の若い医師が掛け合いでモニターの内視鏡をみていた。「あ、ぐちゃぐちゃだ」と言っていたのは覚えている。目が動いているからXX増量して、と聞いてまた寝てしまった。終わりました、とベットを移ったのが20時、1時間半の手術だった。

22時過ぎにN医師から彼女に電話報告があった。膵臓の内部は膿で一杯だったという。全部取りました。ご安心ください。

チェンライの医師の診たても慢性膵炎で同じであったが、タイでは当初は胃薬、2回目から抗生物質の処方のみ、手術の選択肢はなかったし、膵臓にスコープを入れる高度医療は難しかったと思う。あのままチェンライにいたら敗血症で終わりになっていたかもしれない。

タイでも医療は受けられる。でも言葉の問題、安心感はタイの比ではない。おかしいと思ったらとにかく日本で診て貰って下さい。多くの人の助けで一命をとりとめた自分からのお願いです。

現在帰国中

いつものサンサーイ市場

同じ品が同じ店にあるので安心

珍しく田ネズミを売っていた

肉に香りがあり、美味しいそうだが食べた経験なし

里芋

バナナは一年中ある。

 

現在帰国中

急遽決定

2月4日に帰国した。高市内閣応援のため我が1票を投じる、まあそれもあった。でも緊急帰国した本当の理由は健康問題だった。ブログではこれまで自分の健康状態を書かないことにしていた。人の頭痛や腹痛の話を聞いても何も面白くないし、大体、そういった湿っぽいことを書く人間に限って皆さんに同情されたいという弱さをさらけ出し、却って同情されない。

でも病気は誰もが罹る可能性はあるし、しっかり対応していれば、自分のように重篤にならずに済むかもしれない。早期発見、早期治療、これに越したことはない。前者の轍を踏むことのないように、おかしいと思ったらすぐ医師と相談、この心掛けがあれば自分のように後悔しないで済む。

前置きが長くなったが今年に入って、みぞおちに鈍痛を感じるようになった。テニスに行ってゲームに勝てば胃の具合もよくなるかと15日の週の平日はずっとテニスコートに行ったが、体調のせいか6ゲーム先取の試合をやって29敗と大幅に負け越した。いつもは悪くても半々、いつも対戦している相手だからペアができた途端に6-3、苦戦しても6-4で勝てるなと予測がつくのだが今年に入って思い通りいかない。

そうこうするうちにみぞおちの痛みは尋常でなくなり、食欲も落ちた。食べなければ痩せる。昨年9月に日本から戻って5キロほど体重が落ちた。

膵臓機能に異常

激やせについては心当たりはある。9月の一時帰国中に健康診断を受けたところ糖尿病の傾向を表すGhbA1cの値が半年前の倍、12.9%に跳ね上がっていたのだ。年寄りのA1c許容範囲は7%強だからかなりの異常値。

血糖値を下げるには食事療法、運動、薬と色々な対処法がある。チェンライに戻って糖分を一切断ち、食事の前にはシナモン、ブルーベリー入りのヨーグルト、ワカメとキュウリの酢の物食べて、肉は鶏の胸肉主体、ご飯はタイの黒米、そして週5日のテニスを6日にして食事も運動も頑張った。運動、食事ばかりでなく、血糖値を下げるツボ、食後5分以内にする体操、動画で「これは効きます」ということは何でもやってみた。。3ヵ月経ってチェンライの健診センターで測定したところA1c値は10%と思ったように下がっていなかった。これは薬に頼らなければと病院に行った。

1月になって胃薬も血糖値降下薬の効果は殆どない。どうやら高血糖値は生活習慣病ではない。膵臓が本来の機能を果たしておらず、インシュリンの分泌に問題があることが疑われた。そしてエコー、CTスキャンの検査を受けた。

合わせて腫瘍マーカーであるCA19-9 も測定した。その結果、消化器の医師の判断では膵臓癌の可能性があるということになった。1月中旬以降は、食事が満足に摂れず、みるみる痩せてきた。半年で5キロ、1年前に比べれば10キロ、体重が落ちた。誰から見ても激やせだ。

日本の友人(医師)もMRIや生検の結果を見なければ確定診断は出来ないが、まあ膵臓癌ではないかという。MRIも生検、それに手術もチェンライで出来ないことはないが、何かと日本のほうが安心だ。

胆嚢炎か胆道炎を併発していて、一時は39度近くまで熱が出たが、抗菌剤、抗生物質が効いたのか、熱は下がり、少ないながらも食事が摂れるようになってきた。

お世話になりました

タイに移住して17年、色々な人々のお蔭で良き晩年を送ることができた。我が人生、チェンライに来るまでは57敗といった感じであったが、後半、勝ち星が上がってきて今なら87敗で終われそうな気がする。だが熱も下がり、食事もとれる今のうちなら日本に戻って、悔いのない治療が受けられる。「浜までは海女も蓑着る時雨かな」ではないが、自分とて命は惜しい。色々な人の勧めもあって帰国することにした。到着した週に大学病院で診察が受けられるよう友人が手配してくれた。

癌は治る病気といわれているが自分の場合、治療には最低でも3ヵ月は掛かるらしい。場合によってはもうチェンライに戻れない、もうテニスができなくなるかもしれない。でもそれでも命ある限りは前向きに生きていかなければならない。

テニスもブログも気力がある程度、充実していなければ出来ないし、書けない。テニスはしばらく無理にしても、2006年、ウズベクに赴任した時から足掛け20年続けてきたブログなので、息子たちへの生存証明としてしばらくは続けようと思っている。

チェンライの皆さんはご挨拶もせず帰国しましたが、長年のご厚誼に深く感謝し、とりあえずのお別れのご挨拶とさせて頂きます。



2月2日記



ほぼ結果は見えた

台北故宮博物館

同上、台湾に行ったのは数年前

同上

至宝 翠玉白菜

館内

そういえば金門島にも行った

 

ほぼ結果は見えた

覚悟の違いを見せつけた

このブログがアップされる頃は選挙戦も終盤、結果予想も固まっているのではないか。選挙戦開始当初、多くの評論家、ジャーナリストが一様に「今回の選挙当落予想は難しい」と言っていた。創価学会、連合の組織票がどう動くか、投票率の高低、高い内閣支持率とそうでもない自民党支持率、参政、国民民主の勢いの読み方、色々と投票行動に影響する要素はあったと思う。

でも選挙戦を通じてわかったことは、高市総理の覚悟と中道の不甲斐なさである。党首討論、街頭演説をいくつか見ただけで、野田さんてひどい人だなあ、それに引き換え高市さんは、といいたくなる。でも民主党300のも議席を与え、鳩山、菅、そして野田さんを首相にしたのも国民の審判だったことも事実。民主3総理のうち、まだ野田さんはマシだと思っていたが、まともな政治理念、政策を持たず、票のためには前言を翻して恥じない。こんな人にまた総理になってほしいと思う国民がいるのだろうか。

高市さんの訴え方は秀逸だ。「高市が総理でいいか、それとも野田、或いは斎藤総理がいいのか」の選択を国民に問うた。あれだけ統一教会問題で与党を攻めた野田氏自身が統一教会の後援会を持っていたことが写真付きでバレた後も「記憶にない、調査中」と答えている。このブログがアップされているときも「調査中」なのだろうか。

斎藤中道共同代表も3億円ほどの「裏金」があったことが報じられた。裏金ではない不記載の単純ミスだと言い訳したが、それなら安倍派議員の追及は謝罪の上、取り消してほしい。

こういったニュースはSNSや産経では一部報じられているがNHK、キー局、大手新聞にはほとんど報じられていない。まあ自分が偶々、目にしなかっただけかもしれないが。

兎に角、高市総理の気迫、信念に圧倒される選挙戦であるが、何といっても健康第一、政治家でも北タイの老人でも体が資本、は変わらない。高市さんのご健勝をお祈りする次第です。

タイの総選挙

タイも28日に下院選挙が行われる。2月近く前から道路沿いに立て看やポスターが立てられている。特に数の制限はないようで、同じ候補の立て看が何百メートルも続いていることもある。日本の3倍くらいの大きい看板で顔の大きさも半端ではない。目付きの悪い候補だと因縁をつけられているようで怖い。

日本と同じく下院で過半数を得た候補が首相となる。でも今のアヌティン首相が属する与党、プームジャイの予想獲得議席数は500議席150議席に留まっていり、また過半数議席を取れる野党もないことから、選挙後に駆け引き、妥協を通じて連合候補が首相に選出されることになる。

それに首相となっても、王様周辺、軍部のお墨付きがないといつの間にか首相失職ということになる。同じ議院内閣制といっても内情はかなり違う。タイにはタイ式民主主義があるというのだが未だによくわからない。最近タイ政治に関し、きわどい動画を上げる邦人がいる。他人事ながらこの人、逮捕されるのではないか、と心配になる。バンコクに支局を持つメディアからは「俺たちが取材できなくなる」とSNS発信者に強烈なクレームが来るそうだ。自分も駐日タイ大使館のHP資料をもとにブログを書いたことがあるが、関係者から不敬罪でパクられるぞ、と注意されたことがある。

バーツ安の傾向

タイの政治ニュースをNews Clipで読んでいるが選挙関係の記事は殆どない。タイの新聞やバンコクポスト、ネーションなど英字紙には載っているのかもしれないが、日本の総選挙を追うほうに時間を取られているので、翻訳機能があってもタイ、英字紙を読む気になれない。

それよりも選挙戦開始の頃からバーツ安傾向がみられる。タイ政府およびタイ中央銀行BOT)が、タイバーツの5年ぶりの高値上昇に強い警戒感を示しているとか。関係筋はバーツ高の背景として、ドル安の進行、タイの大幅な経常黒字、投機的な資金流入を挙げている。タイの景気は悪く、政府金融筋による為替介入の効果は限定的という。

このところ、1万円が2000バーツに満たないという円安、バーツ高が続いていた。為替を嘆いてもどうにもならないし、必要な時に必要な額だけ替えればいいやと思って為替の変動には一喜一憂しないのだが、異国に暮らす年金老人、円高、バーツ安は矢張り嬉しい。そういえば民主党政権の時、1ドル80円、1万円を換金すると4300バーツになった。民主党でよかったことはこれくらい。でもいくら円高がよかったからといって中道改革連合が政権を担う、こういった悪夢は再来しないことを望んでいる。



選挙戦真っただ中

昨年8月スラタニ

プラットホーム

屋台はどこも似ている

点心の屋台は珍しい

市場の魚は豊富

同上、やはり海が近いから

選挙戦真っただ中

野党第一党、大丈夫?
このブログがアップされる頃は衆院選挙選たけなわだろう。関心を持っているのでヒマを見ては選挙関連動画を視聴している。自分は公明党と切れた自民党に保守票が戻ってきて自民単独過半数は行くだろうと期待している。

それにしても公明、立民が合流してできた中道改革連合、この選挙互助団体はどれくらいの議席が取れるか。創価学会、労組の組織票のバーターでできた政治団体であるが、公明、立民はついこの間まで政治理念、政策が異なっていて反目しあっていた仲だ。中道改革連合基本政策によれば原発の稼働は認めるし、憲法改正にも取り組むという。これまでの立民の掲げた政策とは矛盾する。

更に野田中革連共同代表は、公明党両院議員総会で、池田大作氏の名を上げ「政治学としての中道は一定程度理解していたつもりだったが、 、人間主義に基づく中道については斉藤(鉄夫共同代表)さんからいっぱい吸収させていただいた 」と発言をしている。政治家になった以上、自己の政治理念を持ち、その政策実行を支持者の声を聴きながら進めていくといった覚悟があるはずだ。選挙の当落の前には政治信条など何の価値もないのか。選挙活動で支持者から「中道の意味は何ですか」と聞かれて「それは池田大作先生の…」と説明するのだろうか。

C国がマスコミ対策に50億円を出したとか、創価学会比例代表は中道、小選挙区では原則として中道候補に投票を呼び掛けているとか、真実かどうかよくわからない情報で溢れかえっている。仏敵、元立民候補に入れるくらいなら従来から信頼関係のある自民に投票しようという学会員はいるだろう。連合の労組票も中道の比例に投票するるかどうかわからない。

■選挙は水物
総選挙に人一倍興味を持っているが、それをブログに上げることは好きでない。自分が考えていることは多くの人がとっくに考えて動画や記事にしている。そういった情報をもとにブログ書いてるんじゃねえの、と言われることがイヤなのだ。
書くほどでなくてもこれまでの言動からこの人は信用できるという評論家やジャーナリストの意見を参考に自分なりにこうなるかなあと想像することは楽しい。

政党支持率内閣支持率の数字から議席予測はつくという人もいるが、投票日当日、例えば大寒波のために投票率が落ちた場合、雨が降っても雪が降っても投票所に足を運ぶ創価学会員、労組の割合が高くなり、案外、中革連の当選者が伸びるかもしれない。でも待てよ、期日前投票が一般的だから、投票率は上がるのではないか、投票率が高いということは高市内閣支持の若い人が投票に行くということだから、やはり与党圧勝か。

岸田、石破政権に辟易していた有権者は仕方なく、参政党、国民民主党に投票していたと思われる。今度の高市自民党が前面に出れば、参政、国民はこれまでのような躍進はムリだろう、こんなことを考えてどれくらい「当たり」が出るか楽しみである。でも選挙は水物、突然の高市人気失速という事態もないわけではなく、何事もゲタを穿いてみるまではわからない。

■実体験から国力を知る
日本から息子が来ている。40を越えて独身の気楽な身分、チェンライには何度も来ている。今回は一人でチェンコンの友好橋を渡りラオスに行った。数日後、チェンコンからローカルバスに乗って帰ってきた。国境の街フエサイから北東へ190キロ離れたルアンナムターにバスで行き、そこを拠点に中国に近いムアンシンという街に貸しバイクで行ってきたという。道はボコボコ、カーブなのに砂利道という個所もあり、道路の悪さには辟易したらしい。道路は国力を反映する。

食堂で小学校低学年と幼稚園くらいの幼い幼女が皿運びや拭き掃除をしていた。息子は持っていたグミのお菓子を上げた。子供は喜んで袋からひとつづつグミを口にした。そして袋を仕舞うと皿運びの手伝いに戻って行った。日本なら幼稚園に通っている年代の子が一生懸命、親の仕事の手伝いをしている。ただこれだけのことだが息子は痛く感動したそうだ。

IMFの発表によればラオスの一人当たりGDPは2174$(タイは7942$、日本は34713$)だ。数字を見るより実際に目にしたことで国状を判断、比較する。そうすると日本はいかに素晴らしい国か改めて実感する。総選挙の報道、動画も面白いが、個人の感想をもとに国力とは何かを話し合う、これも個人的には興味深いことだった。こういった些細なことが息子の投票行動にも影響するかもしれない。

植民地解放戦争

プーチーファ-

ドイパータンへの道

ドイパータンからタイ側を見下ろす

岩の割れ目の向こうはラオス

メコン河が見える

トレッキング

 

植民地解放戦争

今回は202010にアップした「植民地解放戦争」の再録です。

黒人差別がない国

交換留学で来日した米国の女子高生の自撮りユーチューブを見た。彼女は黒人である。日本の、それも地方の高校生が自分を受け入れてくれるかどうか初めはとても心配だった。でも差別されるどころか「黒くてカワイイ」とクラスの人気者になる。彼女は「差別なんかないからみんな日本に留学に来てくださーい」と締めくくっていた。

昔から日本には欧米人が有色人種に抱くような差別意識はなかったのではないか。100年以上前、アメリカの黒人運動家でウィリアム・デュボアという人がいた。彼は日露戦争に勝った日本に感銘を受けていた。彼は来日して帝国ホテルに泊まったことがある。彼がチェックアウトしようとしたら白人女性が割り込んできた。そうしたら日本人のフロントスタッフが、その女性のほうは見向きもせずに、デュボアのほうをきっちりと処理して、それから「お待たせしました、次のお客様」と言って、白人のチェックアウトを処理した。「なんという毅然とした様だ」とデュボアは感心して書いている。

、日本人からすると、それは黒人への思いやりというわけではなく、単なるマナーである。日本人の持っているマナーとして、「割り込みはよくない」ということだ。相手が白人であろうと黒人であろうと、割り込みは許さない日本人の自負心だ。デュボアはこれを見て、人種問題では日本人に希望を託すようになったらしい。有色人種が白人国のロシアを打ち負かした、は米国内の黒人ばかりでなく、インドのネール、支那孫文などにも大きな影響を与えた。

 

世界初の差別撤廃提案国

日英同盟があったので日本は第一次世界大戦に参戦し、戦勝国となる。日露戦争で白人国を破ったばかりでなく、有色人種でありながら世界5大強国の一つとなった。日本は有色人種のヒーローとなった。

1919年のパリ講和会議において日本代表は「人種平等を守り、差別を撤廃すること」を国際連盟規約に盛り込む提案をしている。それは、連盟の構成国は一切の外国人に対していかなる点に関しても均等で公正な待遇を与え、人種や国籍によって差別しないことを約束するという規定であり、人種差別を否定するきわめて正当な要求であった。しかしこの提案は、英、仏などの反対で採決されなかった。日本は譲歩して、具体的条文ではなく、規約の前文に「各国民の平等およびその所属各人に対する公正待遇の主義を是認し」という文を入れることを提案した。この提案は採決の結果、115の多数決で可決されるかに見えたが、議長のウッドロー・ウィルソンが前例を破り「全会一致でないため提案は不成立である」と宣言した。

アメリカの独立宣言には「すべての人は平等に作られている」と書かれているが、当時の常識では白人だけが「人」であったことがわかる。

 

2回目の人種間戦争

アメリカにとって台頭してきた日本は不愉快極まりない存在だった。アメリカは日清、日露戦争のあとからあらゆる手を使って日本を追い詰めていく。最近の研究では、チャーチルルーズベルトが日本を戦争に引きずり込んだことが明らかになっている。それでもアメリカは悪くない、ソ連コミンテルンが後ろで日米をけしかけたという宣伝を流している。だが、白人国並になってしまった日本を潰す、は長年のアメリカの国是だった。

真珠湾攻撃と同時にアメリカにあった黒人グループは一斉に手入れを受け、主だった人は逮捕された。黒人が日本に呼応して内乱を起こすのではと危惧したからだ。戦争に引きずり込んで3カ月で日本を占領する、がルーズベルトの計画だった。もし、この目論見が成功していたら、アジア、アフリカの有色人種は今でも2級国民として白人の下で呻吟していただろう。

でも開戦から半年で日本はアジアから白人を追い出した。負けはしたけれど、勇猛果敢に3年半を戦い通した。白人もそれを熟知している。日本人を怒らせたら怖いぞ。日下公人さんはこう言っている。

「私のささやかな経験だけど、特攻隊のおかげと思ったことはいくらもある。銀行員と取引していても、向こうの人間に『冗談言うな!』と強く言うと、向こうはピリッとする。私にピリッとするはずがない。やっぱり特攻隊のおかげだ。特攻隊のことを知っているから、どこかで日本人のことを恐れている。靖国神社にお参りしなきゃいかんなって思った」

国連には200ほどの国があり、いっちょ前に喋っている。別に靖国参拝などしなくてもいいが、戦後、独立出来て、白人と対等な口がきけるのは誰のおかげか、と聞いてみたい。



「世界は邪悪に満ちている だが、日本は…。」ワック新書 日下公人高山正之著から一部引用しました。





日タイ同日総選挙

昨年1月チェンマイ県アルノータイ

3人乗りは当り前、ノーヘルも当たり前

昨年1月チェンマイ県ドイアンカーン

同上、ヒマラヤ桜

同上

同上

 

 

日タイ同日総選挙
高市首相の決意
今年に入って内外の政治情勢はめまぐるしく動いている。日本では高市首相が1月27日公示、2月8日投開票の方針で23日の通常国会冒頭で衆院の解散を表明した。
これに先立って19日に行われた首相の解散記者会見と30分にわたる決意表明を視聴した。
彼女はその演説の中で解散の理由、選挙で問われる課題、高市内閣の重要政策、物価高対策について十分な説明を行い、「この選挙に首をかける、もし与党で過半数を取れなければ下野する」とはっきり言いきった。過半数を遥かに下回っても総理の地位に連綿としていた石破さんとは大違いだ。演説は説得力があり、政治家としての覚悟を感じた。どうしてこういう政治家がもっと早く首相になっていなかったのか。

1月15日に時事通信が昨年の参議院選挙の投票結果をもとに、もし公明党の票が自民党でなく立憲民主党候補に流れていたら、立民が地滑り的勝利を収めていたという記事を流した。石破さんと高市さんの人気の違いを考えない数字のお遊びに過ぎない。ナンミョー政党の軛から離れた自民党には参政党や国民民主党に流れた票が戻ってくるから1選挙区当たり1万から1万5千票と言われる公明票は当落にそれほど影響はないのではないか。

高市首相のぶれない「台湾有事と存立危機事態」発言も多くの国民の支持を受けている。台湾有事で米軍が攻撃されているのに自衛隊が動かないということになれば、その途端に日米安保条約は破棄される。世の中には「日本は中国の属国で生きていけばいいのです」と広言している人もいるが、取りあえず、米国と中国、どっちが信用できるか。米中、どちらも信用できないとなれば今の防衛費9兆円を倍の20兆円に増額して、自ら核保有国になる必要がある。

■中道とは?
そうなるという話はあったが、立憲民主党公明党がくっついて「中道改革連合」ができたことには驚いた。政治理念、綱領、政策のすり合わせもなかった。選挙互助会と揶揄されても仕方ない。産経が書いていたが「中道」は左翼でもなく右翼でもない真ん中の考え方と野田佳彦共同代表は言っている。だが公明党が従来から主張している中道は池田大作氏の書籍に出てくる中道人間主義のことで左右に囚われない真ん中という意味はない。野田さんは中道の意味を問われ、「現実生活に根ざしたところに意味がある」と歯切れが悪い。立民議員も意味が分からないと戸惑っているようだ。

政党名発表の時に野田さんは「新党中道 」とつい言ってしまった。候補にあったのだが略称が「シンチュー」になるというので却下されていた。斎藤共同代表は「中道人間主義」と池田大作氏の言葉を繰り返している。立民はすでに折伏されたか。

斎藤氏はTBSの番組で「これまで一番中国に厳しいことを言ってきたのは公明党です」と言っている。耳を疑うとはこのことだ。また野田、斎藤両氏は報ステの大越キャスターに「政治生命をかけると言われましたが、敗北したら政界から引退するのですか」と問われ、無言だった。高市首相との覚悟の違いがはっきりした瞬間だった。

■タイも総選挙
日本と同じ2月8日の投票でタイの下院総選挙が行われる。多分公示前、1月以上前から道路沿いには候補者のポスター、立て看が一杯だった。タイではリベラル系の野党プラチャーチョン党が有利に選挙戦を進めている。アヌンティン現首相の率いる与党プームジャイタイ党 も追い上げているが下院過半数を占める政党はなさそうなのでタイの政治は総選挙後、混乱すると言われている。景気も良くないので、タイバーツの大暴落を予想(期待?)する報道もある。

タイとカンボジアの国境地帯では昨年来、小競り合いを繰り返している。何度か停戦協定が結ばれたが、双方が協定違反をしたと非難している。
タイは他のアジア諸国と同じく中国の影響下にある。軍装備も中国製が多い。

1月15日デイリーNKジャパンの記事から

タイ陸軍が運用する中国製主力戦車「VT-4」 に対して、隊員や装甲部隊からの不満が噴出している。カンボジア国境での実戦行動で砲身の破損や機械トラブルが相次いだ ほか、エンジン・電子系の信頼性や砲塔の取り回し性能に関する不満が内部で強まっており、「旧式の米国製戦車の方がまだマシだ」との辛辣な声まで出ている。 

連続射撃をすると砲身が破損する。また現代の戦車は電子的に火器管制、統合運用されるが電子制御に問題があるという。ベネズエラのレーダー迎撃システムだけでなく戦車も「張り子の虎」だったわけだ。それでもタイ海軍は中国製潜水艦を導入する予定で、政権の動きに拘わらずタイのシンチューは続きそうだ。