チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

先進国とは 

チェンライ、サンサーイ市場

同上

同上

バナナの種類が多い

雑然とした市場が懐かしい

場外では帽子も売っている


先進国とは
 

■予定通りの復旧

829日のニュースで熊本地震で損壊した給水設備が完全に復旧したことを知った。地震発生は728日だったから予定通りだ。まだ2千人を越える市民が不便な避難生活を送っているが、インフラ復旧に伴って元の生活に戻れる希望が出てきたと思う。それにしても地震のあと現地を視察し、復旧に必要な工数を計算し、工事業者の選定など行政、業者を交えた綿密な計画が立てられたのだろう。県内外からの助力もあったに違いない。

米国で洪水などの自然災害が起これば、助け合うどころかスーパー、モールには大勢の人が押し寄せて略奪を始める。発展途上国の災害では本当の地獄は災害のあとに起こる。暴行、略奪、殺人などなど。熊本でも多くの人が集まったが、ボランティアで家のごみ片付けを手伝っていた。こうしてみるとこれだけの思いやり、助け合いが当たり前の国は世界にないと気付く。

日本は15千年の縄文時代の歴史を持つ。縄文時代の人口は遺跡からの推計によるが、紀元前8千年には日本全国に2万人の先人が住んでいた。紀元前5千年には26万人、その後、紀元前3千年頃には地球寒冷化のせいで8万人に減ったが弥生時代には56万人と増加している。縄文時代には人を殺せる武器が発見されていない。ということは日本人は縄文時代に戦争を経験していない。これは海に隔てられ、外敵が侵入しなかったという特殊条件もある。2万人が12千万に増えたが、日本人は皆、親戚関係にあると言える。まあ日本社会もギスギスしてきたと言われているが、15千年ののんびりと戦争もなくお互い助け合ってきた縄文人の血が熊本地震のような自然災害における日本人の振る舞いに顕われているいるのではないか。

■殺し合いが当たり前

世界は戦乱の歴史、大陸は地続きだから、ある日突然、毛色の変わった言葉も通じない蛮人が現れて、男、子供は皆殺し、女は兵士の慰み者となる。ジンギスカーンに襲われたサマルカンドは完全に壊滅した。わずかに残った女たちは食べるものもなく蒙古軍に付いて行こうとしたが足手まといになると全員殺された。勿論、日本にも戦国時代はあったが、領民皆殺しの殲滅戦はしていない。それどころか武田勝頼の家来を信長は高禄で召し抱えている。

欧米ではゲルマン民族大移動などと綺麗ごとを言っている。北方のゲルマン人が中央アジアに出現したフン族に押され、またこの時期、寒冷化で食い詰めていたので、暴行、略奪集団となって欧州を南下していった。フン族も怖いがゲルマンはもっと怖いと西ローマ帝国は思っただろう。

やられたらやり返す、これは欧米人の原体験に基づく。欧州の王族はどうやって今の王朝を建てたのか?あまり褒められた方法ではなかったように思う。米国も白人が建てた国だから1千万人いたインディアンを殺しまくって土地を拡大していった。殺しておかないとやり返される恐れがある。やり返されるかも、という米国の恐怖は今の対日政策にも表れている。米国は2発原爆を落としたのだから日本も2発落とす権利がある、と米国人に言ったことがあるが反論はなかった。やはり日本を押さえつけておかねば、と思ったのではないか。

GDPでは測れない

経済評論家の三橋貴明氏の見立てでは世界で先進国と言えるのは日本だけだそうだ。小学生の子供が一人で通学できる。こんな国はない。訪日外国人も深夜の街を歩いても危険を感じない。また都会でも田舎でも日本人が親身になって道案内を務めてくれたと、訪日客が感動している。海からやってきた七福神のうち六名は外国の神様だ。マレビトに手厚いのは当たり前か。

先進国の指標としてGDPがある。でも災害が起これば暴動略奪、未成年の誘拐事件数が年間30万以上の国、国民の10億人が車どころか食うや食わずの生活を余儀なくされている国がGDPでは世界の12位を占める。こんな国が豊かで幸せな国、と思うだろうか。

日本にはぐるりと塀で囲まれ、ガードマンが常駐している団地はない。チェンライではショボい団地に住んでいたが数十棟ある敷地は高い塀に囲まれ、ゲートには常時3名の警備員が張り付いていた。チェンライの対岸、ミャンマーのタチレクはもっとすごい。小さな住居でも鉄条網、ガラス片をびっしり植え込んだ塀で囲まれている。自宅防御にミャンマーのGDP10%位は投じられているのではないか。米国では豪邸のゲートには機関銃を持った警備員が常駐している。こんな国には住みたくない。

日本は暗い道がないし、安全、安心、人も穏やかだ。国民がお互い助け合い、思いやりを持つ、こういった国を後世に残したいものだ。

世界初の人種平等提案

チェンライ花祭りから

同上

同上

蘭ばかりでもない

やはり蘭

同上


世界初の人種平等提案

■国際会議の宣言

80数年前、ある国際会議が開かれた。この会議で以下の五項目の宣言が採択された。

  1. 大東亜各国は、協同して大東亜の安定を確保し、道義に基づく共存共栄の秩序を建設する。
  2. 大東亜各国は、相互に自主独立を尊重し、互いに仲よく助け合って、大東亜の親睦を確立する。
  3. 大東亜各国は、相互にその伝統を尊重し、各民族の創造性を伸ばし、大東亜の文化を高める。
  4. 大東亜各国は、互恵のもとに緊密に提携し、その経済発展を図り、大東亜の繁栄を増進する。
  5. 大東亜各国は、すべての国との交流を深め、人種差別を撤廃し、広く文化を交流し、すすんで資源を開放し、これによって世界の発展に貢献する。

昭和1811月に東京で開催された大東亜会議である。日本の他、中国  汪兆銘国民政府行政院長タイ  ワンワイタヤーコーン親王(首相代理)、満洲  張景恵国務総理大臣フィリピン  ホセ・ラウレル大統領、ビルマ  バー・モウ内閣総理大臣、インドチャンドラ・ボース(首班)など6カ国の首脳が参加した。

前文には「そもそも世界各国がそれぞれその所を得、互いに頼り合い助け合ってすべての国家がともに栄える喜びをともにすることは、世界平和確立の根本である。しかし米英は、自国の繁栄のためには、他の国や民族を抑圧し、特に大東亜(東アジア全般)に対しては飽くなき侵略と搾取を行い、大東亜を隷属化する野望をむきだしにし、ついには大東亜の安定を根底から覆そうとした。大東亜戦争の原因はここにある」とある。

大東亜会議は日本の侵略目的を糊塗するものだったと左翼に非難されているが、東条英機首相はこの会議主催を生涯誇りに思っていたそうである。「自主独立」「共存共栄」、「人種平等」、この流れは1955年のバンドン会議にそのまま引き継がれている。思えば有色人種による初の、また人種平等を初めて闡明した国際会議であった。

■外国人を招聘

ほんの100年前まで人種差別は当たり前、有色人種は人間扱いされていなかった。100年前どころか、現在でも欧米駐在員時代、差別にあったという友人はざらにいる。米国で黒人に参政権が与えられたのはほんの60年前だ。

1868年、日本は開国した。当時、アジア、アフリカで植民地でない国はほとんどなかった。欧米、それともロシアの支配下になるのか。我々の先祖は独立を全うするために「富国強兵、殖産興業」の道を突き進む。先ずは教育だ。海外から専門家、技術者を招いた。『資料 御雇外国人』、『近代日本産業技術の西欧化』と言った資料から2,690人の外国人国籍が確認できる。法律分野ではボアソナード、フルベッキ、学術教育では大森貝塚のモース、ラフカディオ・ハーン、札幌農学校のクラーク、芸術・美術分野ではフェノロサ、医学ではベルツ、その他工業、産業技術、軍事、外交分野でも多くのお雇い外国人がいた。

給料はというと伊藤博文首相が月収500円のところ1000円以上貰っていた外国人もいた。今のアジア、アフリカ諸国で大統領より高い給料で何百人もの顧問を招聘する国があるだろうか。

食うか食われるかの弱肉強食の無法世界、このままでは欧米列国に飲み込まれてしまう、先人の切迫感が伝わってくる。お雇い外国人の中でも教職は給料が200円と安かったが、それでも自国で得られる給料の数倍はあったという。また欧米各国においては自国の影響をお雇い外国人を通して日本に植え付けておこう(それが日本を植民地化する時に役立つ)という考えもあった。

■大東亜戦争の遠因

こうして日本は欧米の技術、社会システムを必死に取り入れて、第一次世界大戦後には世界5大強国の一角を占めるまでになった。1919年、第一次世界大戦後の パリ講和会議  国際連盟 委員会において、 日本 は「国際連盟規約」中に人種差別の撤廃を明記するべきという世界初の提案を行った。この提案は過半数の賛成を得たにも拘らずウィルソン米国大統領の独断により否決された。

「先生のいう通りにやって先生にやっと追いつくことができました」と報告したところ「その態度が生意気なんだよ」と横面を張り飛ばされたに等しい。この人種差別が大東亜戦争の遠因になったと昭和天皇の独白録にある。

支那の権益をめぐって日本は欧米の神経を逆なでした。日本は先生がやってきたことを少し真似しただけです、と言っても横面どころか鉄、石油の禁輸という手段で日本の首を絞めてきた。有色人種のくせして俺たちに並ぼうとするのは許せん、これが本音だった。絞め殺されるまで我慢すべきだったか。

現代でも人種差別は戦争の原因の一つになっている。だから個人的には所謂「世界平和」には懐疑的である。

補足事項

近所の神社

同上

狛犬にもいろいろな種類がある

小山神社

何処にでも神社はある

コロナの頃なので人出は少なかった




補足事項

■体調補足

このところ体調不良である。散歩に出かける日もあるが、午前、午後に38度以上の熱が出る日もある。気分的にはそれほど不快感はないし、解熱剤を服用すると23時間以内に36度台に体温が下がる。パターンがわかっているのでそれほど心配はしなかったが、高熱となると食欲は落ち、体力、気力が落ちる。熱が下がった時を見計らってブログ原稿を書くのだが、考えがまとまらず、ゴチャゴチャと書き過ぎたり、コピペ主体の手抜き作業となりがちだ。申し訳ない。

抗がん剤治療は週1回の点滴を3週続けて1週休む。これをワンクールといって数カ月続く。自分の場合、点滴は6月に1回、7月に1回受けただけで、体調不良は抗がん剤の副作用ではないようだ。どうやら胆道に入れたステントが耐用期間を過ぎてこれが悪さをしているらしい。それで819日に帰国以来、8度目の入院をしてステント交換手術を受けた。7度目のステント手術であるからすっかり慣れている。手術室に入って先生に片手を上げて軽く挨拶、向こうも片手で返す。今回は胆道に膿が溜まっていてその除去に時間が掛かったらしい。翌日になっても麻酔の影響でボーッとしていた。でも翌日、手術から3日目に退院、これまでの最短入院だ。大部屋なので同室の患者さんの人生模様が何となくわかるので退屈はしないのだが、大学病院には入院希望者が列をなしている。主治医からもう1日いてもいいですよと言われたが、好きな物を食べられるだけでも退院の価値はある。

■中国、北朝鮮の工作

台湾有事発言以来、中国の高市政権叩きは激しさを増している。辺野古沖転覆事件のあと、ヘリ基地反対協議会始め、沖縄反日団体の後ろで中国や北朝鮮が暗躍している、沖縄の反日運動の闇が事件によって暴かれるのでは、という期待を述べた。その後、毅然と中国に対峙している高市政権に影響を受けたのか、沖縄の反日集団と中国、北朝鮮の関係を示唆する動画が出回り始めた。大手マスコミは中国の代弁者だからこういった情報はSNSが頼り。2030代の若者の高市政権支持率は8割越えだ。三派全学連の記憶を持つ70代、80代の老人が死に絶えればマスコミは一緒に消えていくだろう。

高市首相は総選挙で圧勝したし、皇室典範改正、食料品消費税減税、戦略分野370兆円の官民投資など成果を上げている。熊本震災ではこれまで指定に3年掛った「激甚災害指定」をわずか2週間で成し遂げている。慣例主義を排し、自ら資料を読み込み、これまでの政治家が歯が立たなかった財務省の改革にも乗り出している。

高市首相は記者会見をあまり開かない。聞いた話、官邸のブリーフィングに頼る政治記者は情報源が途絶えて困惑しているとか。最近、記者出身のジャーナリストの動画が少なくなったと感じるが、彼らの情報源が後輩の記者なのだから仕方ない。その点、経験、読書、信頼できる情報源、データを持つ評論家は「道聴塗説」の記者出身ジャーナリストとは視点を異にする。

■大東亜戦争の呼称

自分は先の大戦を大東亜戦争と書くようにしている。「大東亜戦争」という呼び名は、1941年(昭和16年)の1212日の閣議で正式に決まった。この閣議決定は戦後になっても変更されていない以上、日本として大東亜戦争と呼称することが法的にも正しい。

戦後、GHQは大東亜戦争には日本の戦争目的を正当化する意味を含むとして、大東亜戦争の代りに太平洋戦争の呼称を使用するよう命じた。昭和27年のサンフランシスコ条約で日本が独立を回復した折、GHQの命令は効力を失った。だから大東亜戦争と呼称してもかまわないのだが、米国の占領時代に蔓延った教育界、マスコミなどの反日勢力は、ひたすら無効となった太平洋戦争に固執している。小中高の教科書にも一部を除いて大東亜戦争は出てこない。

20244月、第32普通科連隊の隊員が、大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に旗衛隊として参加した。この陸自のポストが物議を醸した。先の大戦を美化するのか。マスコミのバッシングを浴びて大東亜戦争の呼称を取り消さざるを得なかった。マスコミは未だにGHQの呪縛を逃れられないのだ。米国だけでなく、大東亜戦争とか大東亜共栄圏、八紘一宇などと発言するとヒステリックに抗議してくる国がある。マスコミは中国に絡め取られているから法的根拠よりもどのように報道すれば中国に喜ばれるかを第一に考えている。大新聞、テレビが凋落していくのも日本国民がマスコミの後ろで糸を引いている邪悪な国があることをうっすらと自覚し始めたからではないか。

唐突な抗議 

2020年コロナ全盛

商店街の人出もまばら

日本では出汁も売っている

売れているのだろうか

相変わらず人出は少ないが

2021年には値崩れ、一時は50枚で5千円

唐突な抗議 

■台湾外交部、タイ政府に抗議

タイのアヌティン首相は71620日の日程で中国を公式訪問し、習近平主席始め高官と面談した。李強首相とアヌンティン首相は、同月20日、両国の「繁栄ある共通の未来」を強調した共同声明を発表、関連分野での政策協調や交流拡大など技術・イノベーション分野での協力を一段と強化することを表明した。

だが唐突に台湾外交部がこの声明に抗議した。抗議内容とそれに対する反論をニュースクリップで読んだが、前後関係がよくわからない。ニュースクリップ725日付

タイ首相「一つの中国を支持、しかし台湾との関係も良好」

アヌティン・チャーンウィーラクーン首相は、タイが「一つの中国」政策を支持していることに対する台湾からの批判を退けた。その上で、「タイと台湾の経済関係に影響はない」とも強調した。

 台湾外交部は、アヌティン首相の中国公式訪問の際に発表された「中タイ共同声明」の文言に反発し、「事実を歪め、主権を損なうもの」と批判。タイが中国側に同調したことに「失望と遺憾」を表明し、「中華民国は主権を持つ独立国家であり、中華人民共和国とは相互に従属関係にない」との立場を改めて示した。

 共同声明には、タイが一つの中国政策を再確認し、北京政府が中国を代表する唯一の合法政府であることを認め、台湾を中国の不可分の一部と位置づけ、台湾独立に反対し、中国の一国二制度方針を支持する内容が盛り込まれている。

 アヌティン首相は記者団に対し、「タイは一貫して一つの中国政策を堅持しており、外交方針が変更されたわけではない」と説明。台湾との経済関係への影響を否定し、「貿易、投資、そのほかの協力に影響はない」と述べた。台湾への説明を行うかとの質問には「双方はすでに理解している」と答え、台湾がタイ人への査証優遇措置や労働者への対応を見直す可能性があるとのSNS上の憶測についても、「台湾に対するタイの立場は変わっていない」と改めて強調した。(引用終り)

■原文にあたってみた

共同声明に12制度、台湾併合を容認するような文言があったのか。共同声明をニュースクリップ、ロイター、JETROの記事で読み返してみたがどこにも台湾の記述はない。台湾は中国の領土だ、と明言したというタイ報道もあったらしい。でも日本語ではその記事が見つからない。

そこで中国新華社の共同声明を取り出して翻訳にかけてみた。ハイ、ありました、中国、台湾についての記述が。その部分の和訳。

「タイと中国は家族同然の関係にあり、ワチラロンコーン国王が昨年中国を訪問し、習近平国家主席と成功裏に会談を行ったことは、タイ・中国関係の次の「黄金の50年」に新たな原動力を吹き込んだ。タイ側は「一つの中国」政策を断固として堅持し、いかなる「台湾独立」の行為も決して支持しない。」

この声明はJETRO 、ロイターも訳文を載せているが、全くこの部分が欠落している。何に忖度しているのか。タイは大東亜戦争で日本と共に英米に宣戦布告したものの、終戦直前に戦勝国入りしたというしたたかな外交を演じてきた。習主席や李強首相との会談で、台湾など中国に併合されればいいんですよ、くらいのリップサービスを行って、政府援助の積み増しを謀ったのではないか。

日本には現在92万人の中国人が在住している。世界で10番目の数だそうだ。タイにはなんと930万人、世界一中国人が多い。経済、軍事的にも密接な関係がある。小国は大国の言うことを聞くべきだ、何だったらメコンの水を止めるぞ、と言われれば、へ、へーと平伏すしかない。

■証拠があろうとなかろうと

中国があったことをない、なかったことをあると言い出すのは常套手段。7月のマニラで、日中の外相の接触があったかどうか。茂木敏充外相は同23日、前日に王毅外相と短時間接触し「2国間関係の話をした」と記者団に述べた。これに対し、中国外務省の報道官は27日、「簡単な交流」すらなかったと完全に否定した。

東南アジア諸国連合(ASEAN)の外相らが日中それぞれの外相と会談する会場で、入れ違いに顔を合わせたというのだから「会談」とはほど遠い。だが、中国側が接触さえ否定するのは腑に落ちない。日中関係悪化のおり、王氏が日本の「新型軍国主義」について茂木氏に抗議したとでも言えば顔は立つはずだ。(以上産経新聞811日グローバルレビューから)

習近平主席は部下から上がってくる耳障りのいい報告を聞き、影響下にある小国のおべんちゃらを聞いて夜郎自大に陥っているのだろう。でもロイターを含む大手マスコミまで中国に阿る必要はないと思う。でも時すでに遅し、もう中国に絡め取られています、ということか。

 

全国戦没者追悼式に想う

昨2025年チェンマイの戦没慰霊祭

タイでは10時に黙祷

同上

同上、二人ともタイ人

売り物ではないらしい

献花


全国戦没者追悼式に想う

■追悼式式辞

終戦記念日にはチェンマイ、ワット・ムンサーン寺で開催される戦没者慰霊祭に参列するするのが通例であった。しかし、今年は帰国中、同時放送を見ながら家で黙とうを捧げるにとどまった。今年は靖国神社はもちろん、新宿、渋谷、銀座にさえ足を運んでいない。入退院、通院、自宅療養の日々である。

さて、今年の追悼式ではちょっとした変化があったようだ。高市早苗首相は15日の全国戦没者追悼式の式辞で、昨年の石破茂前首相が13年ぶりに復活させた「反省」の文言は踏襲せず、「教訓」も5年ぶりに使わなかった。一方、「インド太平洋の輝く灯台」や「希望を持てる日本」になるとの思いを語り、過去への言及よりも、日本が今後果たすべき役割を強調した。全国戦没者追悼式での式辞は、歴代首相の歴史認識を反映してきた。

平成5年、細川護熙首相が「アジア近隣諸国をはじめ全世界すべての戦争犠牲者とその遺族」に哀悼の意を表明。翌6年、村山富市首相は、「アジアをはじめとする世界の多くの人々に筆舌に尽くしがたい悲惨な犠牲をもたらし」として「深い反省」を表明し

「反省」の文言は、村山氏以降の首相も引き継ぎ、第1次政権の安倍晋三首相も含め、24年の野田佳彦首相まで19年連続で使用した。

しかし、第2次安倍政権発足後初の追悼式となった25年、安倍氏はアジア諸国への加害責任や「反省」に触れなかった。後継の菅義偉、岸田文雄両首相も踏襲した。

ところが、石破氏は戦後80年の節目だった昨年の追悼式で、野田氏以来13年ぶりに「反省」を復活させた。アジア諸国への加害責任には言及しなかったものの、「あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばならない」と述べた。

高市首相は今回、「反省」に言及しない式辞に戻した。(以上産経815日より抜粋)

■人種差別の時代

1940年当時、アジア、アフリカで実質的に独立国だった国は日本だけである。明治以来、植民地化の恐怖と戦いながら国を挙げて国づくりに邁進してきた。その結果、世界の一等国への仲間入りを果たした。だがこの結果、生意気な有色人種が、と欧米の逆鱗に触れ、鉄鉱石、石油の禁輸措置を受けた。欧米は有色人種の独立国家の存在が許せなかったのだ。「アジアをはじめとする世界の多くの人々に筆舌に尽くしがたい悲惨な犠牲をもたらし」てきたのは英米仏蘭等の宗主国ではないか。白人は馬に乗ってウサギを狩るようにアボリジニ狩り、ベトナム人狩りを行っていた。有色人種は人間ではなかった。

開戦を決める御前会議で永野海軍軍令部長は涙ながらに、座しても亡国、戦っても亡国の道は免れないだろう、しかし、戦えば大和民族の誇りは保たれ、必ず復興の日が来ると述べた。

開戦の詔勅の中にはこのようなくだりがある。

「そもそも東アジアの安定を確保し、世界の平和に寄与する事は大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、私が常に心がけている事である。
そして各国との交流を篤(あつ)くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである」、「米英両国は、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている」。ソ連に油揚げを攫われ、英米の中国支配の企みは頓挫した。

■実は勝った

3年半戦って日本はポツダム宣言を受け入れた。でも日本が立ち上がったせいでアジア、アフリカ諸国は戦後、次々に独立した。植民地のあがりが途絶えて貧乏国になり、それをいまだに恨んでいる白人国がある。

一方、タイのククリット元首相は1955年に「日本のおかげでアジアの諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。 今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは、身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである」と述べている。我々が白人と対等に喋れるのは誰のお陰か、とマハティール首相も村山首相を𠮟りつけた。

1955年、バンドンで初のAA会議が開かれた。ミズーリ号上の降伏文書調印式にも参列した外交官、加瀬俊一氏は会議場でネール、スカルノ、ナセルら各国首脳から万雷の拍手で迎えられたという。

戦術では負けたが戦略的には世界の植民地を消滅させた。戦争の大目的を果たしたという意味で日本は大東亜戦争に勝利したと言える。

習近平体制が崩壊した暁には、八紘一宇、大東亜共栄圏は更に強固なものとなるだろう。815日はAA諸国を挙げて先人に感謝する慰霊祭になるはずだ。反省はもういい。

男の嫉妬

2021年8月舞鶴若狭彦神社

同上

同上

大層古い神社のようだ

誰もいなかった

参道を振り返る



男の嫉妬

■どこの組織でも

社運を賭けたプロジェクト案が審議された。部長会でも役員会でも進めるべし、という決議がなされ、社長が実行を決意する。ところが前社長の相談役が会社の方針に一貫して反対意見を述べる。彼が社長在任時の業績は大赤字、大幅な人員整理を経験している。社長が交代してから業績が急回復したことが気に入らない。決まったことです、全社挙げてプロジェクトを推進しましょうと若手が諫めると「若い者は年配者の意見を聞くものだ」と言い放つ。

トップが最終決定すれば、異論があろうとなかろうと組織は一致協力して前に進む。そうでなくては組織は持たない。

この常識の通じない人物が石破茂前総理だ。本人は正論と思っているが本質は男の嫉妬だと自分は思う消費税ばかりでなく国旗損壊罪、皇統男系継承、スパイ防止法の制定、国家情報局の設置などの案件にも反対している。いずれも中国共産党の方針に沿った発言ばかり。嫉妬でなければ中国に篭絡されているのか。

 

■阿比留瑠比の極言御免から

産経8月6日付、上記コラムにこの件は言い尽くされている。謹んでコピペさせて頂く。

「みっともない」石破氏の現状 高市首相の後ろから鉄砲 歴史や伝統語る資格はあるか

月刊『Hanada』編集長の花田紀凱氏の2日の本紙コラム「週刊誌ウォッチング」で、前任者であるにもかかわらず、改正皇室典範や国旗損壊罪法成立を巡って高市早苗首相の後ろから鉄砲を撃ちまくる石破茂前首相について、「みっともない」と切り捨てていた。こんなふうで全く容赦ない筆致である。

《同じ党の前首相が現首相をいろんなメディアで批判する。前代未聞というべきだろう。たとえば菅義偉前首相が岸田文雄首相を批判したか。岸田前首相が石破茂首相を批判したか》

首相・自民党総裁を務めた人物は、後任首相に助言はしても批判は控える。要職にあった者としての作法であり、自民の伝統でもあったはずである。

現首相を批判

ところが、石破氏はこれを簡単に踏み外し、てんとして恥じない。ちなみに筆者は、同じ党の前任首相が現首相を露骨に批判した例としては、鳩山由紀夫氏が菅直人氏を「ペテン師」と呼んだことぐらいしか思いつかない。

石破氏と対照的なのが麻生太郎党副総裁(元首相)である。2日配信の西日本新聞のインターネット記事によると、麻生氏は7月28日に高市首相と会談した際に、飲食料品の消費税率引き下げについてこう述べたという。

「私の意見としては反対だが、首相として決めたことは尊重せにゃならん」

首相としての重い決断には異論があっても従うという点が、自身も首相経験者であり、その時々の地位や職責を大事にする麻生氏らしいと感じる。

同じ消費税を巡っては、平成28年5月にもこんなことがあった。消費税率引き上げの再延期を目指す安倍晋三首相(当時)と、予定通りの実施を主張する麻生副総理兼財務相(同)との間に緊張が走ったように見えた場面があった。

5月30日夜には、国会裏のホテルで3時間にわたって2人が会談した。さぞや白熱した議論が戦わされたかと思いきや、筆者が安倍氏にどうだったかと聞くと、上機嫌でこう答えた。

「もうね、もう少し気を持たせてもよかったかもね。麻生さんとの会談ではほとんど雑談だった。麻生さんとは(緊密な関係の)日米同盟だからね」

居座り決め込み

石破氏はこれまでも、自らが率いた選挙に負けたら身を引くという自民の伝統の正反対のみっともないことをやってきた。

以前の拙欄でも触れたが、石破氏自身、19年7月の参院選で当時の安倍自民が大敗した局面では、安倍降ろしの急先鋒(きゅうせんぽう)となった。同年8月2日付の夕刊フジのインタビュー記事では、こう明言していた。

「責任を取るべき人が取らないのは組織ではない。その責任を追及する声が上がらない組織は病んでいる。このまま追及する声がないようなら、そんな党は存在意義がない」

石破氏はまた、インタビューの中で多くの自民議員が落選したことに触れ、こんな憤りを示した。

「私だったら即座に辞めて、落ちた人のところに謝って回る。でも(安倍)総理は落ちた人の気持ちが分からない」

石破氏が首相だったわずか1年余の間に、自民は衆参両院選で惨敗し、少数与党に転落した。重要な東京都議選でも大敗した。

ところが、石破氏は首相・自民総裁らしく後進に道を譲らず、居座りを決め込んだ。消費税率下げに関しても、もっと丁寧な議論が自民の歴史に沿うと強調するが、歴史や伝統を語る資格はあるのか。(引用終り)

 

だが石破氏本人の心には全く響かないし、党内には石破氏同様の反高市派がいる。それが問題だ。

 

 

 

 

 

抗がん剤の副作用

サンサーイ市場

バナナは日本に比べれば安い

ご存じタケムシ、コオロギや蚕蛹より美味しい

野菜売り場

朝取りオクラは50円弱

朝から鳥の丸焼きか


抗がん剤の副作用

■やることはある

病人は布団でゴロゴロしていればいいというものではない。日課としてやることはあるし、体調を自分なりに把握して薬の量を増減する必要もある。

自分の場合、起床は6時半くらい、5時前に目が覚めていることもある。先ずは検温、37度残後なら安心。起きるとすぐに血糖値の検査、指先に針を刺して1ミリほどの血液を出し、吸引した血液を検査キットで測定する。血液を採る指先は神経が張り巡らされているから毎回、指先にチクッとした痛みが走る。概ね、朝の血糖値は100前後だ。膵臓がやられているのでインシュリンが出ない。そのため帰国してから1日4回のインシュリン注射が必要となっている。朝の血糖値が100を越えていれば、朝食直前に4単位のインシュリンを腹部に打つ。先日、孫に注射の実演を行ったがあまり受けなかった。

インシュリン注射の針は直径0.2 mm以下の極細、2005年に墨田区の従業員6名の中小企業が5年の歳月をかけて開発したものという。インシュリン注射を必要とする全国100万の糖尿病患者にとって痛みの少ない針と大歓迎された。腹部に針をさす場合、痛点のない個所を探す。注射だから本来はチクリとするのだがチョコチョコと針先を試し刺しして痛みのない場所に針を刺す。血液に触れた針や試料はPEボトルに別保管、病院に持参して処理してもらう。

朝食のあと朝の薬を服用、気分が良ければ少し散歩をするが、病人にとっては食事を摂るにもエネルギーを消費する。食後は羽布団に潜り込む。少しずつパターンが読めてきたが、寝ると抗がん剤が働いて、その副作用として発熱するようだ。布団にくるまっていても体温が38度半ばを越える。気分はそれほど悪くない。解熱剤を1錠飲むと4時間以内に平熱に戻る。午前、午後と2回寝るが時にはイビキをかいているらしい。寝ると体力回復、が普通だが自分場合、寝ると発熱する。体温の自己調節機能が低下している。

■食欲不振

食欲はない。でも食べないことには体力が付かない。無理して食べると胃痛で食欲が更に落ちる。食レポ動画を見ながら、何時になったらあれが食べられる体になるのかと考える。本来、4月に行うはずであった膵臓全摘手術が急遽、中止になった。代わりの抗がん剤による治療は長丁場、と覚悟している。食事もさることながら、もうテニスコートを走り回ることは難しいかもしれない。現実を受け入れて一つずつ諦めていく。年齢を重ねるということはこういうことなのかもしれない。

昼食前に2回目のインシュリン注射、食欲はないが目の前にお皿が並ぶとつい食べてしまう。それで食後苦しい思いをする。苦しくならない程度の食事を摂ることにも慣れてきた。昼食後の薬を服用した後は布団に潜り込む。朝食後に眠ったはずなのに、午後も1,2時間、すやすやと眠る。目覚める頃には体温が38度半ばを越えている。風邪で9度近い熱が出ればフーフー言っているところだが、不思議なことに気分はそれほど悪くない。38度を越えたら呑むという解熱剤を服用する。1,2時間で平熱に戻っていく。上がったり下がったり体温のジェットコースターだ。こういうパターンがわかってきたので、発熱は抗がん剤の副作用としては心配する必要はないようだ。

夜は血糖値検査、食前、食後、2回のインシュリン注射(1日4回)、夜薬の服用、更に体温、血糖値、体重などの健康状態記録も大事な仕事だ。しっかり朝寝、昼寝をしているのに夜9時過ぎには眠くなる。正に寝たり起きたりの日々だ。

■当面の目標

他に副作用として手先の痺れがあるが、キーボードを打てるくらいだから大したことはない。頭髪もタイの坊さんのようにツルッパゲになると思っていたが、全体的に白い毛が少し残っている。眉毛、薄くなったが睫毛は残っている。髯も生えてくるがポヤポヤしていて頼りない。病院から貰った「治療の手引き 膵がん版」という小冊子には起こりうる副作用について事細かに記されている。軽いけれど唇の両端に口内炎ができたし、貧血で点滴延期となったこともある。まあすべて想定内、治療に支障をきたす副作用は起きていない。

今は午前、午後に38度以上の熱が出るので、遠出は控えている。食事を摂るにも体力を使うくらいであるから、朝夕、涼しい時の海岸散歩のあとは疲れを感じる。逗子から旗の台まで2時間かけての通院はエベレスト頂上アタックに等しい一大事業だ。

「治療の手引き」には,無理をしない程度での外出や旅行は、治療中の気分転換、ストレス解消になります、とある。旅行は無理にしても外食ができる体力に戻る、が当面の目標だ