チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

プーカオ寺の慰霊碑

 

 

チェンセーンからメコン河を臨む

ワット・プラテート・プーカオ入り口

慰霊碑

慰霊碑2

慰霊碑3

慰霊碑からゴールデントラアングルを臨む

 

プーカオ寺の慰霊碑
■刺激のない毎日
現在、日本に一時帰国中である。毎日、手帳やカレンダーをチェックして予定を確認する。その合間にも新たな予定を書き込む。やることが多くてチェンライとは違って慌ただしい生活だ。

チェンライでは週5日のテニス、10時前に帰ってシャワー(時にはかけ流しの温泉に行く)、それからPCに向かってネットサーフィン、午後はブアさんの買い物に付き合うこともあるが、概ね、PCを眺めている。疲れれば傍らのベッドに横たわってよしなしごとを考える。非生産的な毎日である。こんな生活を夢見ていた時期もあったが、こうして怠惰な日々を送っていると、人生これでいいのか、お国に対して申し訳ないという反省が湧いてくる。でも反省したところでどうなるものではないから、まあ、これでいいのだ、と自分に言い聞かせて午睡の眠りに落ちる。

土日は体を休めるためにコートには行かない。でも家にいると「チュアイカン(お互い様、助け合い)だから」とブアさんに車の運転や、家事手伝いを頼まれる。先日はマンゴーの木の枝払いをするから、とブアさんが脚立の上に上がり、自分はその脚立を抑える役目を仰せつかった。頭上から木の葉や蟻が降ってきて嫌だなあと思っていたら突然、蜂が襲撃してきた。ワーッと大声を上げて逃げたが腕を4ヵ所刺された。葉と葉の間に巣をつくる小型の蜂だ。刺された直後の痛みはブアさんがお寺でもらってきた軟膏を塗ったら治まったが、その後数日は刺された場所が赤く腫れ、痒くて大変だった。

■黄金三角の古寺
家の手伝いがイヤだから外に遊びに行ってしまう、という子供時代の習性が抜けないのか、土日の休みを利用してチェンマイ、トードタイ、チェンセーンなどに1泊旅行によく出かけた。それぞれ野暮用がないことはないが、違ったベッドに寝て、原稿を書き、近くのタイ料理屋や屋台で現地の人と同じものを食べる。こんなことでも元気が出る。元気があるから長躯、車を走らせていつもと違う体験ができるのだ、と言えるかもしれない。

チェンセーンはメコン河に面している。タイ、ミャンマーラオスの3か国の領土が一望できる観光名所、ゴールデン・トライ・アングルがあり、観光客が引きも切らない。自分がタイに戻った頃は、例の感染症騒ぎが収まっていなかったからチェンライ県屈指の観光名所も閑古鳥であった。でもこの3月には中国人、韓国人、ファランが観光船に乗ったり、金ぴか大仏の写真を撮ったり、3カ国を見下ろせるテラスから自撮りをしたりと大賑わいだった。ここには何度も訪れているが、今回はこの黄金三角の高台にあるワット・プラタート・プーカオにある戦没者慰霊碑の確認作業のためである。

プラタートとは聖なる物質、即ち仏舎利を指す。本当に仏舎利が安置されているかどうかは別にして、寺格の高さを示していることには間違いない。プーカオ寺は759年の創建になると伝えられているが、仏塔や本堂は14世紀前後に建立されたことがわかっている。それでもタイでは古寺に属する。

■3つの慰霊碑
プーカオ寺のメコンを見下ろす境内の一角に日本語の刻まれた3本の戦没者慰霊碑がある。一つは佐賀のNPO慧燈が建立した「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之位」、黒御影石の慰霊碑である。もう2つは世田谷区のS.N氏が建立した「タイビルマ方面戦歿者慰霊」と「タイ・ビルマ方面現地人戦没者慰霊碑」である。

NPO慧燈はチェンマイのバンガード高校にある慰霊碑や鐘楼を寄付しており、毎年同高校で慰霊祭を行っている特定非営利活動法人である。また20年以上にわたってタイ学生への奨学金給付も行っている。インパール作戦で敗走してきた佐賀連隊の多くの将兵がこのバンガード校にあった野戦病院で亡くなったという。その縁で佐賀県にある大手製薬会社がスポンサーとなって設立されている。慰霊碑の文字は保利耕輔元文部大臣の揮毫となっているが保利氏は佐賀県出身の代議士である。

S.N氏の建立した碑は、1本は黒御影、もう1本は白御影製である。一つの石ではなく御影石のプレート4枚を張り合わせたもので、慰霊碑の天辺は四角錐のブリキ製の蓋で覆われている。平成13年と17年の建立である。正面に「南無阿弥陀仏」、左側面には「倶会一処 蟠龍寺 芳誉嚞雄」と彫られている。倶会一処(くえいっしょ)とは死んで阿弥陀仏の極楽浄土で共に会う、生まれることを言う。浄土宗のお寺と思うがこの僧侶と碑の関係は?

どうしてプーカオ寺に戦没者慰霊碑があるのか、戦病没将兵との関係はどうなのだろうか気になる。(続く)