チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

戦没者慰霊祭に参列

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■慰霊碑前で
今年も終戦の日にムーンサーン寺院で執り行われたチェンマイ戦没者慰霊祭に参列した。チェンマイはかつてランナー王国として栄えた歴史ある古都であり、古くからの寺院や遺跡の数々が点在している。チェンマイの歴史と共に歩んできたムーンサーン寺院には日本語で書かれた慰霊碑がひっそりと立っている。

慰霊碑には
「戦友よ安らかに眠れ―1970年2月2日吾戦友一同タイ国のこの戦跡を訪れ亡き戦友の慰霊法要を営み謹んでこの銘を納む (於チェンマイ野戦病院跡)」の文字と共に奇跡的に祖国への帰還が叶い、この碑を建立した32名の戦友の名前が刻まれている。
大東亜戦争当時、チェンマイインパール作戦の駐屯地となり、このムーンサーン寺院には野戦病院があった。ビルマから撤退してきた多くの日本将兵が祖国へ帰ることなくここで亡くなった。。

戦没者慰霊祭は今年で24回目を迎えるという。チェンマイ戦没者慰霊祭実行委員会というボランティア団体が、
先の大戦チェンマイの地でお亡くなりになられた日本人とタイ人の戦没者に対しご冥福をお祈りする。
戦没者に今日の繁栄を迎えられた感謝をお伝えし、後世を任された者としてその責任を再認識するとともに平和を誓う。
の2つの目的を持って、慰霊祭を執り行っている。

日本将兵ばかりでなく、タイ人の戦没者の慰霊も、というところに注目して頂きたい。タイは大東亜戦争において、米英の連合国に宣戦布告をし、日本と共に戦った同盟国であった。バンコクチェンマイも空襲を受けている。
何度もドラマ化された「メナムの残照」で米軍の空襲で、木材の下敷きになったコボリ大尉とタイ娘、アンスマリンとの最後の場面を思い出す人もいるだろう。
但し、タイは終戦間際に寝返って日本に宣戦布告し、戦勝国の仲間入りをした。日本は、外交をタイ国に学べ、と言われる所以である。

■日本での式典と共に
8月は雨季の真っ盛りだ。慰霊祭は雨、という年もあったが、今年は曇り空で、関係者を安心させた。慰霊碑前のテントには数十人の邦人、タイ人が集まった。数年前までは日本からの参列者もおられたそうであるが、戦友、ご遺族も高齢化が進んでいる。今年も参列者はタイ在住者ばかりだった。日本とタイは2時間の時差がある。10時少し前にNHKの全国戦没者追悼式の模様が会場のテレビスクリーンに放映された。君が代に唱和する。年に一度くらい、大きな声で君が代を歌うことは良いことだ。

安倍首相の式辞の後、1分間の黙祷。自分がタイの人に温かく接してもらえるのは、先人のお陰、と感謝している。年に一度くらい、感謝の念を捧げるのは当然のことだ。天皇陛下のお言葉を拝聴したのち、放送は終了した。その後、ムーンサーン寺の僧侶による読経があり、慰霊碑前に設けられた祭壇に一人づつ献花と焼香を行った。最後にチェンマイ日本国総領事館、黒井首席領事から日本語並びにタイ語による追悼の辞があった。

■遺骨帰還せず
チェンマイ戦没者慰霊祭は、チェンマイ県メーワン郡のバーンガート高校の敷地にある「戦病没者追悼の碑」の前でも行われている。こちらの慰霊祭には例年、総領事が参列している。この場所には当時、野戦病院があり、ここで7千名の将兵が亡くなったという。

平成元年、カンボジア難民慰問の帰りに佐賀県の僧侶及び遺族の一行はチェンマイ県を訪れた。その時会ったタイの老僧よりこんな言葉が一行に投げかけられた。
「ここにはまだ多くの日本兵が眠っている。」「あなた達日本人はそれを省みようともしない。」「そんなあなた達日本人は人間か!」その言葉がきっかけとなって、この地に眠る日本兵の遺骨収集活動が、佐賀に設立された財団によって開始された。そしてこの慰霊碑の下には日本兵・軍属・関係者の遺骨、1万8千柱が納められているという。

また、ラムプーン県パサーン郡には元日本陸軍兵士、藤田松吉さん(故人)が自費で建立した「噫 忠烈戦歿勇士の慰霊塔」があり、彼が個人的に収集した日本将兵の遺骨1000柱余りが納められている。
3つの慰霊碑の維持、管理、慰霊祭は邦人有志、並びにタイ人の奉仕によって行われている。

安倍首相は追悼式の式辞の中で、「いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。ご遺骨が一日も早くふるさとに戻られるよう、私たちの使命として全力を尽くしてまいります」、と述べている。しかし、ミャンマー各地には4万5千柱といわれる英霊の遺骨が放置されたままだ。

個人の奉仕に頼るのではなく、国として英霊の遺骨帰還に策を講じてもらいたいものだ。タイの老僧の叱責は、いまだ現実である。

 

集合写真の軍服の人はチェンマイの有名人、コボリです。毎年この格好で慰霊祭に参列するタイ人です。