チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

慰霊祭参加(2)

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慰霊祭参加(2)

インパール作戦
自分はインパール作戦に詳しいわけではない。8月15日に放送されたNHKの「戦慄の記録 インパール」で述べられているように、牟田口中将の狂気で始められた無謀な戦いであったかもしれない。援蒋ルートを断ち、インド独立を図る起死回生の作戦だったかもしれない。でも確かなことはこの作戦で多くの将兵が戦死、戦病死、餓死し、日本軍は壊滅的損害を被ったということだ。
軍隊であれ、会社であれ、組織には上からの命令、指示がある。命令に違反したり、指示を守らない組織であれば組織として存続しえない。この作戦では弾薬、食糧を3週間しか与えられずに4カ月も戦わざるを得なかった。比較にはならないだろうが、海外駐在を命ぜられたビジネスマンが資金供与も人的支援もなく、会社を設立し、シェアを100%にせよ、と本社から指示されたに等しい。民間会社なら、ばかばかしい、やめた、で済むがインパール作戦は軍事作戦。命令を受けたビルマ方面軍、第15軍は従うしかなかった。そして補給もない中、貧弱な装備で果敢に戦った。

コヒマの戦闘に参加した英軍将校、アーサー・スウィンソンは著書「コヒマ―悲劇のインパール作戦,日本かく戦えり」の序文でこう記している。

日本の読者はすでにご存じのように、コヒマは、貴国の陸軍が敗れた激烈な戦闘である。しかし、著者は、日本の読者がかつての敵軍もさることながら日本軍の将校、連隊将校、兵士たちに対して寛大な気持ちをもって、この記録を読まれることを希望する。戦史を通じて、彼らがその守備に見せたほどの優秀な戦術と勇気はほとんど前例がないのである。彼らは四六時中、飢餓と疫病と砲撃に苦しみながら、しかもなお諦めなかった。わが偉大な司令官、スリム元帥は「かかる戦況で陣地を死守できたのは日本軍をおいてほかにない」と書いている。この敗北は日本軍の恥辱となるものではなかった。いや、日本軍の勇気と忍耐力とは誇るに足るものであった。

また、グルカ隊隊長 D・ホースフォード中佐は「日本兵は第一級の兵士であった。砲撃をやめると、半堀壕から飛び出してきて防戦をいつまでも続けた。」と述べている。日本側からの銃声が止んだあと、日本陣地に入ったグルカ兵はみな涙した。倒れ伏している日本兵は痩せこけて、何日も食べていないことがわかったからだ。

自分の胸が熱くなるのはこういった先人の、日本人の誠実さに触れた時である。

■慰霊祭
ムーンサーン寺での慰霊祭は9時30分に始まった。参列者は総領事館関係者を始め数十人。主宰者から、日本将兵、軍属ばかりでなく、この作戦で亡くなられたタイ人も合わせて慰霊させて頂くとの挨拶があった。自分が北タイに住んで、タイの人々から暖かく接して貰えるのは、ボロボロの敗残兵となっても現地の人たちの顰蹙をかうような振る舞いをしなかった先人のお陰、と思っていた。その感謝を表する意味で慰霊碑に拝礼し、慰霊祭に参加してきたわけであるが、主宰者の挨拶でタイの戦没者を忘れていたことに気づいた。

タイは日本の同盟国だったから、バンコクチェンマイはB29の空襲を受けているし、インパール作戦遂行のために建設された泰緬鉄道、チェンマイとクンユアムを結ぶ白骨街道建設でも多くの犠牲者を出している。ビルマ侵攻にあたってはタイ人の軍属も従ったことだろう。自分はこれまで邦人の慰霊だけ考えていた。でも今回初めて、共に戦い、そして亡くなったタイの人々にも哀悼の意を表し、また70年以上前から我々日本人に温かい眼差しを向けてくれるタイの人々に感謝しつつ献花した次第である。

慰霊祭の式次第は日泰両国語で書かれていたし、主宰者の挨拶、黒江筆頭領事が追悼の辞も日本語とタイ語両方で行われた。特に領事のタイ語は完璧で、タイ人参列者にも感銘を与えたのではないだろうか。

■国歌斉唱
昨年と同じくNHKの「全国戦没者追悼式」の同時中継があった。天皇皇后両陛下のご臨場に続いて国歌斉唱、ムーンサーン寺の我々も唱和する。傍らのHさんはあとで、50年ぶりに君が代を歌ったためか万感胸に迫り、涙が出た、と言われていた。それを聞いて私も、という人が何人もいた。異国で歌う君が代には格別の思いが去来する。それにしても帰国かなわずビルマで、タイで亡くなった英霊の無念、如何ばかりか。

この慰霊祭は日本人有志のボランティア、並びに多くのタイ人の協力で開催された。深く感謝したい。また、チェンライからのツアーをお世話してくれたJトラベルのYさんにも御礼を述べたい。供物、線香手配も含め、彼女の助力無くしてスムーズな慰霊碑巡りはできなかった。



写真は慰霊祭祭壇、両国の国旗に注目、祭壇中央の慰霊碑、日本からの中継画像、献花焼香、タイ人のコボリさんはチェンマイの有名人、最後はタイお約束の集合記念写真。