チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

戦争の大義

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戦争の大義

■懺悔と平和の月
8月に入ると、日本では懺悔、懺悔の日々が始まる。戦争は嫌だ、平和が大切です、などと子供にまで言わせる。広島、長崎、そして終戦記念日まで犠牲者を悼む毎日が続く。ついでに御巣鷹山日航機事故犠牲者の追悼番組も加わる。事故も戦争も亡くなった方は同列に犠牲者だ。とにかく日本が悪かった、アジアに謝ろう、こういったマスコミの懺悔の大合唱にはうんざりする。懺悔とは「自分の以前の行いが悪い事だったと気づき、それを悔いて(神仏などに)告白すること」だが、大東亜戦争は日本中が悔いるほど悪いことだったのか。絨毯爆撃や原爆で何十万もの非戦闘員を殺戮した国こそ懺悔すべきと思うのだが。

自分も15日はチェンマイで行われた戦没者慰霊祭に参列した。でも自分は戦没者を「犠牲者」とは思っていない。インパール作戦を酷評する人は多いけれど、兵士は立派に職責を果たした。食糧は尽き、身一つでビルマから撤退してきた兵士であっても決して見苦しいことはしなかった。その証拠にタイ人は彼らを暖かく迎え入れ、体力が回復するまで世話してくれたではないか。

産経新聞の記者、高山正之氏は「戦争」と「戦闘」は違うという。戦闘では手足や頭が吹き飛んだり、血が噴き出したりと悲惨である。死体もゴロゴロ出るだろう。誰もこんな目にあいたくないし、見たくもない。これを「戦争は嫌だ」の一言で片づけてしまう。でも戦闘と違って、「戦争」には目的があり、結果としてその目的が達成されたかどうかが重要となる。

インパール作戦の目的
インパール作戦は、イギリスの植民地支配からの独立を願ったチャンドラ・ボースインド国民軍との共同作戦であった。食糧、弾薬の途絶する中、一度はインド国民軍と共に、コヒマとモイランに進出、遂に念願のインドの3色旗をインド国領土に翻した。しかし、制空権を持ち、物量に勝る英印軍に押され、雨季の6月、惨憺たる撤退を余儀なくされた。

戦後イギリスは「インパール作戦に参加したインド国民軍は、イギリスに対する反逆者」として、3名の将校を極刑に処そうとしたが、このことがインド民衆の怒りに火をつけた。抗議運動はインド全土に広がり、いたるところで官憲と衝突、流血の惨事となった。特にイギリス海軍所属のインド人乗組員の一斉反乱が与えた影響は大きく、遂にイギリスも事態収拾困難と考え、統治権を譲渡、相当の年月がかかるであろうと言われていたインドの独立は、パキスタンとともに戦後わずか2年後の昭和22年8月15日に達成されたのである。

インパール作戦は失敗だったかもしれない。でもインドの独立という目的は、インパール作戦が契機となって達成されたと言える。

「我々インド国民軍将兵は、インドを解放するために共に戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対し、最も深甚なる敬意を表します。インド国民は大義のために生命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を末代に至るまで決して忘れません」。

「太陽の光がこの地上を照らすかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、夜空に星が輝くかぎり、インド国民は日本への恩を決して忘れない」。

こういったインド人の感謝の言葉を読めば、インパールに散った英霊たちを単なる「犠牲者」とは呼びたくはない。そういった自分の気持ちをわかって頂けるだろうか。

■先人の気概
8月15日の全国戦没者追悼式における天皇陛下のお言葉の中に「ここに過去を顧み、深い反省の上に立って」の一節がある。これを拝聴した時、「深い反省」とは何だろうと考えた。

どうして先の大戦で負けてしまったのだろう、この次はどうすれば負けないで済むのか、その手立てを構築する、そういったことも反省のうちに入るのではないか。青山繁晴参議員や竹田恒泰氏は「戦争はしてはいけない、でも戦争したら決して負けてはいけない」と言っている。防衛大学校を別にすれば、戦争を研究したり、戦争学を講じている大学はない。見たくないものは見ない、見えないものは存在しない、戦争という言葉を無くせば、或いは聞かなければ、この世から戦争が無くなるわけではない。戦争を研究することから、敗戦の反省は始まる。

戦争にはまず大義というものがある。昭和天皇の開戦並びに終戦のご詔勅には大東亜戦争大義が簡潔に述べられている。日本は自存と自衛のため、アジアの解放のために戦った。日本は謝る必要はない、とマハティール首相は言っている。アジア諸国中共と半島を除いて、日本に感謝していることを忘れてはならない。

 

 

慰霊祭の行われたムーンサーン寺の一角にインパール作戦の資料館があります。

インドで今も敬愛されているチャンドラ・ボース