チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

「つかみ」に惹かれて

f:id:hidenaka24:20190813194226j:plain

f:id:hidenaka24:20190813194210j:plain

f:id:hidenaka24:20190813194501j:plain

f:id:hidenaka24:20190813194530j:plain

f:id:hidenaka24:20190813194545j:plain

f:id:hidenaka24:20190813194554j:plain





「つかみ」に惹かれて

■「つかみ」は大切
つかみにはいくつか意味がある。ここで言うつかみとは、「相手の気持ちを引きつけること。また、その事柄。お笑い芸人が観客を引きつけるために最初に放つ独創のギャグ。また、講演や説明会の最初に聴衆の関心興味を高めるために話す事柄」である。
最近読んだ本の「つかみ」にいたく感心したので、そのまま引用する。

私は日本という国が大好きです。
ただ告白しますと、そんな気持ちになったのは五十歳を過ぎてからです。いやもっと正直に言うと、六十歳に近くなってからでしょうか。
若い頃はそんなことに気付きませんでした。自分が生きるのに夢中で、むしろ社会や世の中に不満を常に抱えているような人生を送ってきました。早い話、己の幸福だけを追いかける生き方をしていました。当然、日本という国に対しても、感謝の年など少しも持っていませんでした。
 しかし人生の折り返し点を大きく過ぎ、半生を振り返ってみると、自分は何といい国に生まれ育ったのだろうと気付くようになりました。むしろ、若い頃はなぜこんな当たり前のことに気付かなかったのだろかと思います。
もちろん、今も社会に対する不満は山ほどあります。 
(中略)
 それでも私は、日本は素晴らしい国だと胸を張って言えます。日本が嫌いな人たちも、日本人が優しく、誠実で、勤勉で、悪事を憎む国民であることを否定する人はいないでしょう。
 しかし戦後、私たちは、国を愛せ無くなるような教育を受けてきたといっても過言でもありません。それは自虐史観にとらわれたメディアのせいでもありますが、実は最もひどいのは教科書なのです。本来は、日本の素晴らしさを子供たちに教えるためにあるはずの教科書が、それとは正反対のものになっていたのです。しかも、それは年を追うごとにひどくなっていきます。
 私が『日本国紀』(幻冬舎)を書こうと思った理由の一つはまさにこれです。こんな歴史教育を放置していては、未来の日本を担う子供たちが祖国を愛せない人間になってしまう。
生まれた国を愛せない人間ばかりになった国に、はたしてどんな未来が待っているでしょうか。
(以下略)

■国を愛する心
引用は百田尚樹氏と有本香氏の対談本、『「日本国紀」の副読本、学校が教えない日本史』のまえがきである。書き出しの「私は日本という国が大好きです」が光る。核心をまず述べて、その理由を書き、そして日本を貶める戦後日本の歴史教育に矛先が向かう。さすがベストセラー作家、わかりやすく、テンポのいい文章だ。ついつい、本文を読まなければ、という気になる。「つかみ」の傑作と思う。

未熟だった己の国家観をまず素直に反省し、なぜこの本を書いたか、なぜ、日本は素晴らしいのか、逆にダメなのか、なぜ、日本は歴史に学べないのか、更には「消された歴史」、教育の現場で蔓延する「負の歴史教育」など、対談本とはいえ内容は充実している。百田、有本両氏の国を愛する心が十分に伝わってくる一冊だ。

■すごい国
歴史(ヒストリー)は物語(ストーリー)と語源が同じである。歴史は年表の羅列ではなく、喜怒哀楽の迸る、活き活きとした物語であるべきだ、そして誇りをも掻き立てる物語であるべきだ、と百田氏は言う。

南蛮人の鉄砲を見てびっくりした土人は世界中にいただろう。でも種子島に鉄砲が伝来した1543年から約30年後の1575年には長篠の戦において織田、徳川連合軍は武田の騎馬軍団を3000挺の鉄砲を駆使して打ち破っている。びっくりしただけではなく、時を経ずして鉄砲の大量生産システムが出来上がっていたということだ。

また、1853年にはペリー来航があった。日本人以外でも蒸気船にびっくりした土人はいたと思うが、ペリー来航後、数年内に薩摩藩佐賀藩、伊予宇和島藩が文献を頼りに蒸気船を建造した。それにペリー来航後、わずか15年に明治時代に入る。これだけの大変革を短期に成し遂げる国が世界にあっただろうか。戦後の復興のスピードは言うまでもない。

■自国の歴史に虹を見る
英国の言語学者オーエン・バーフィールドは「歴史は虹のようなものだ」と言っている。歴史的事実は無数にある。しかしそこに虹を見ようとするなれば、特定の視点と距離が必要である。
虹を構成する水滴は塵も含まれているだろう。化学物質も含まれているかもしれない。歴史はきれいごとばかりではない。しかし、無数に存在する水滴に虹を見るように、子孫に誇るべき国民の共通認識を歴史として伝えていく、これは大切なことだ。百田さんはそれを「日本国紀」を始めいくつもの著書で我々に示している。

今、はっきりと言いたい。私も日本という国が大好きです。

 

 

写真は今盛りの竜眼ラムヤイ)、市場の様子