チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

一時帰国

カオラム

カオラム、竹筒の中身はこんな感じ

2020年、靖国神社の桜

靖国の庭園の桜

同上

目黒川の桜

 

一時帰国

■歯が取れた

今年の1月のことである。カオラムを食べていたら左上顎のブリッジの歯が3本分外れた。カオラムとは竹筒に入ったもち米だ。ココナツミルクで味付けされ、小豆が入っている。竹筒は薄いので5ミリずつ割いて中身を取り出す。上手に竹を割くと竹の薄皮がもち米にまとわり付くので手にくっつかない。でも口に入れれば餅であるから粘度がある。それでカオラムが歯に付着して入れ歯が取れたというわけだ。よく餅を喉に詰まらせて年寄りが窒息死、というニュースを聞くが、カオラムでもその危険はある。義歯が外れたくらいで済んでよかった。

この義歯は日本で入れたものだ。チェンライの歯科でも治療できると思うが、多くの邦人と同じく自分もタイの歯科医の技量には満足していない。それで歯の治療を兼ねて一時帰国することにした。でも日本の冬は日頃、短パンとTシャツで過ごしている自分にはちと厳しい。幸い、右側上下の歯は健在なので味醂干しでもモツでも噛み切れる。暖かくなるまで帰国を待っても問題はない。

チェンライの3月、4月は旅行ガイドのネットでも煙害がひどく観光に適さないと言っている。また4月はタイ正月ソンクランで水掛の大騒ぎが始まる。今年は水掛がユネスコ無形文化遺産に指定されたことを受け、一段と盛り上がりそうだ。観光客にとっては水掛のイベントはエキサイティングかもしれない。でもどこで氷水を浴びせかけられるかわからず、近年はソンクラン期間中の外出を控えている。歯科治療は桜の咲く4月初めにしよう、ソメイヨシノが散っていても目黒川の八重桜は楽しめるはずだ。

 

■航空券代と利便性は相反

感染症以後、タイにも外人観光客が戻ってきているのか、以前のようなバンコク-東京往復3万円などという格安チケットは姿を消している。歯科治療が主目的ではあるし、桜を見るためだからLCCに拘ることもないかと思って1月以上、いろいろと航空券の検索をしていたが、結局、往復6万円台のLLC航空券を購入した。貧乏性なのだろう。また今回はチェンマイ往復なので直行便ではなく、1,2か所の空港を経由して羽田に到着する。時間がかかる分、割安となっている。

いつもはチェンライ-バンコク-東京の便だが、発着時間にムリがない便は軒並み12万以上だ。早朝発、深夜着の便はいくらか安いが前泊、あるいは空港で夜を明かすことになる。いつもドンムアン空港内のベンチで一夜を過ごし、朝便でチェンライ着という友人がいる。慣れればどういうこともないというが、彼はまだ60代で体力があるからなあ。

登録しておくと、メールで検討中の航空券の最新価格はこちら、と連絡してくれるチケットサイトがある。もう購入済みだからいいよ、などという必要もないから、日ごとに変動する航空券価格を見ている。概ね為替に連動するのではないかと思うが、突然とXX千円値上がりしました、というメールが来る。すると2,3日後に○○千円値下がりしました、という連絡が来る。もし購入済みでなかったら、ああ、今が底値だ、と思って検索、予約してしまうかもしれない。底値と思っても1,2日後にさらに安くなっていたりする。株と同じで誰もが底値で買えるとは限らない。チケットサイトではAIが客の心理を読んで購入行動を起こさせるようにしているのではないか、と疑っているところだ。

 

■空から3万円が

2020年3月に一時帰国した。すぐに戻るつもりだったが武漢肺炎のせいで1週間の差でタイに戻り損ねた。でもそのおかげで1年8カ月、日本の生活を満喫し、映画は130本ほど観たし、国内旅行も温泉も楽しんだ。桜を見る機会はこの年と翌2021年の2回あった。武漢肺炎のお蔭でこういった時間を過ごせたと言えば言い過ぎであるが、冥途の土産話ができたと言ってもいい。世の中、良いこと、悪いことはコインの裏表だ。

2020年のフライト状況は混乱を極めていて、航空券を予約してはキャンセルされる、を何度か繰り返した。LCCだから予約と同時にカードで支払った航空券代は戻ってこないものと諦めていた。ところが今回、チェンマイ-羽田往復の切符を予約したらチケットサイトからあなた様からお預かりしているお金が3万何千円かあります、これを使いますか、というお知らせが来た。あの時、このサイトで予約、キャンセルを繰り返していたとは全く記憶になかった。突然と空から3万円が降ってきた感じだ。もちろん使います。お蔭で往復の航空券代は3万円ちょっとで済んだ。一時帰国が祝福されているようで大変嬉しい。

 

 

ゲーム、アニメ、漫画

近くのサンサーイ市場

刃物屋さん、1本800円くらい

バッグ専門店 400-800円が多い

何を売っているかというと

アリの卵、タイ人の好物

蜂蜜、絞ると蜜が出てくる

 

 

ゲーム、アニメ、漫画
■テレビゲーム
半世紀ほど前のことだが、中東に石油化学プラントを建設するために設立された合弁会社に出向していた。会社は数社からの出向者で占められていた。その当時インベーダーゲームが流行っていて「インベーダーゲームで9000点を挙げると本社に戻れるらしい」という噂があって、皆、昼休み、あるいは終業後、喫茶店に行ってゲームに興じていた。

インベーダーゲームの正式名称はスペースインベーダー。スペースは宇宙、インベーダーは侵略者で、侵略してくる宇宙人(インベーダー)を迎撃するシューティングゲームである。画面上方から迫り来るインベーダー(敵キャラクター)を、左右に移動できるビーム砲で撃ち、インベーダーを全滅させることを目的とする。時々、上空に敵母艦のUFOが出現し、これを撃ち落とすとボーナス点を獲得できる。それまでは射的のように動かない相手を打ち落とすゲームが一般的だったけれどインベーダーゲームは敵と対戦し、攻撃をかわして相手を倒すと遊べる時間が長くなるという画期的なゲームだった。別に本社に復帰できなくても誰もが熱中する。

でも自分は反射神経が鈍いせいか、インベーダーにやられてすぐにゲームオーバーになってしまう。ゲームにのめりこむほどお金と時間がなかったので、自分には向かないと諦めた。その後、わが家にスーパーマリオのテレビゲームが入り込んだ。子供と対戦してボロ負けし、これでは父親の権威が台無しだ、と思ってテレビゲームにのめりこむこともなかった。

■結局無縁の世界
コンピュータゲームはその後、単なる子供の遊びではなく、世界をリードする日本の誇る文化と産業に育った。社会人の頃、海外に行くと外人がプレーステーションがなんたらかんたらと話題にするので困惑したものだ。でもゲームをしなかったことに悔いはない。身近にゲームに熱中している人を見るが、達成感があるかもしれないが、自分から見れば単なる時間潰しにしか見えない。でもあれだけの時間を費やしても飽きないのだから面白いのだと思う。ゲームのいい点は初期投資を別にすれば費用は掛からないことだろう。今は無料ソフトがコンピュータでロードできるから、費用対面白さからいったら抜群のコスパがあると言える。面白いからやってみろよ、という人もいるが、自分に残された時間をゲームで無為に過ごすのもどうかと考えてしまう。

趣味、嗜好は人それぞれ、ゲーム好きから見れば、自分は人生の楽しめる部分を自ら放擲した人間とみられているのかもしれない。ゲームをやらなかった分、その時間を○○に充てたので有意義な日々を送ることができました、とはとても言えない。それに何に時間を費やしたのか自分でも定かではない。ボンヤリしていただけだったのなら、ゲームで興奮して達成感を味わっていたほうがマシだったか。

■拡大する市場規模
Momoka Japanなどのユーチューブを見ると、秋葉原でのゲームソフト購入が目的で来日したという外国人が少なくない。「ファミ通ゲーム白書2023」によると、2022年の世界のゲームコンテンツの市場規模は約27兆円、2022年の日本国内ゲーム市場規模は約2兆円となっている。任天堂ソニーのゲーム関連売上に7割以上は海外向けというから立派な輸出産業だ。
因みに三菱UFJの関連調査会社が行った2022年のスポーツ参加市場規模は約 1.4 兆円で

スタジアム観戦市場、スポーツ施設利用・会費市場が着実に回復という。この1.4兆円にはスポーツ用品購入費用も含まれている。やっぱり戸外で体を動かすとか、プロスポーツの観戦より屋内でやるシコシコやるゲームのほうがすそ野は広く、これからも市場規模が拡大していくと見込まれている。ゲームの方は携帯というハードがあるし、ゲームソフトとITの進歩は日進月歩、次々と目新しいものが登場する。

新文化は日本から
ついでに日本発の文化と産業と言えばアニメガ挙げられる。先般、漫画家の鳥山明氏が亡くなったが、彼の死は世界に衝撃を与えたらしい。ブラジルでは3万もの人が弔問に集まったという。各国もトップニュースで報じた。もし首相が亡くなってもこれほどの扱いは受けないと思う。だから鳥山さんは首相より偉大な存在だったと言える。アニメはアカデミー賞を取るし、漫画は世界で何億部も出版されている。

自分が子供の頃はハリウッド映画やホームドラマが米国の素晴らしさを象徴していた。今は日本のアニメや漫画が日本の素晴らしさを象徴している、と外人が口を揃える。漫画を読むとバカになると言われて育った自分には俄かには信じられない時代になっているようだ。

 

沖縄は捨て石?

2021年、日本で撮った桜

同上、横浜

同上、山桜か

目黒川

同上

同上

 

沖縄は捨て石?

今回は伊勢雅臣さんのブログ、国際派日本人養成講座「先人たちの死闘 ~ 沖縄、特攻、空襲の真実」から沖縄の部分を引用紹介します。

数字で見る沖縄戦の死闘ぶり

 まず沖縄戦ですが、米軍を主体とする連合軍は55万人の兵力を投入し、そのうち戦死者約1万2千人、戦傷者約7万人という米軍史上最悪規模の犠牲者を出していることが、日本陸海軍の頑強な抵抗ぶりをなによりも物語っています。

 ちなみに『史上最大の作戦』と邦題がつけられた映画に描かれたノルマンディー作戦は、連合軍がドーバー海峡を超えて、フランス側に上陸した作戦で、投入兵力も130万人という大規模なものでしたが、連合軍の戦死者は2千人以下、負傷者は約6千人でした。両方の作戦での双方の投入兵力と死傷者数を比べてみると、次のような表にまとめることができます。

 ノルマンディー作戦
  連合軍投入兵力  1,300千人  死傷者  8千人
  ドイツ軍投入兵力   380千人       9千人

 沖縄戦
  連合軍投入兵力    550千人  死傷者 82千人
  日本軍投入兵力    116千人      94千人

 沖縄戦はノルマンディー作戦に比べれば、両軍の投入兵力で数分の一の規模ですが、死傷者数は連合軍、日本軍とも一桁大きいのです。しかも日本軍は5分の1の兵力ながら、ほぼ自軍の9割近い損害を与えています。沖縄戦がいかに真剣勝負だったか分かります。

 対独戦の勝敗を決定づけたノルマンディー上陸作戦に比べれば、沖縄戦は日本領土での最初の戦闘であり、その面積も日本全体の約0.6%です。今後の本土決戦は、その100倍以上の面積と人口を相手にしなければなりません。その沖縄戦で戦死傷者8万7千もの損害を受けていては、本土全体を占領するには百万の犠牲が出る、と米軍が恐れたのも当然でしょう。

 この数字だけ見ても、日本軍がいかに必死に沖縄を守ろうとしたかが窺えます。「日本軍が沖縄を捨て石にした」などというのは、あきらかに沖縄を日本政府から切り離そうという政治的な意図を含んだプロパガンダです。

 沖縄戦での日本軍の戦いぶりを見て、米政府および米軍高官たちは、日本に無条件降伏させようとするルーズベルト大統領の方針がいかに愚かなものかを知り、ポツダム宣言での有条件降伏勧告に切り替えたのです。

出撃した三十輌の米軍戦車のうち、帰ってきたのはわずか八輌であった

 日本軍の戦いぶりを具体的に見ておきましょう。米軍は昭和20(1945)年4月1日に沖縄本島に上陸しました。4月8日から16日間、嘉数(かかず)台での激戦が行われました。嘉数台は沖縄本島の中心部からやや南に下った高台で、そこからは那覇市も含め、南部の平坦な地域が一望できます。

 沖縄本島を制圧するには、このあたりの高台を攻略する必要があり、それを見越して日本軍は陣地を構築していました。米軍もこの嘉数台の占領を目指して続々と部隊を投入し、ここで両軍の戦死傷者10万人とも言われる大激戦が展開されました。米陸軍省が編纂した戦史では両軍の戦いぶりをこう記述しています。


 火炎放射器を装備した自動操縦戦車も加え、全戦車三十輌が、日本軍陣地の主力に強力な攻撃を加えようとこの台地に集結したのである。・・・戦車三輌が進撃の途中、台地付近で地雷にあって擱座(かくざ)した。
 戦車隊が列をつくって進撃しているとき、西原丘陵の陣地から日本軍の四十七ミリ対戦車砲が猛攻を加えてきた。敵弾は十六発が発射されたが、米軍は一発も撃ち返せずに戦車四輌を撃破されてしまった。
・・・とくに村落に入るときが激戦で、村落周辺、あるいはその中に入ってからでさえ、戦車十四輌がやられた。その多くは敷設地雷や四十七ミリ対戦車砲にやられたものだが、なかには、重砲や野砲で擱座させられたものもあり、また日本軍が爆薬箱をもって接近攻撃法をこころみ、爆薬もろとも戦車に体当たりし、自爆をとげるという特攻にやられて撃破された戦車も多かった。
 午後一時三十分、いまや米軍歩兵が来るのぞみはすっかり断たれ、戦車隊は、もとの線まで後退するよう命令をうけた。朝、嘉数高地に出撃した三十輌の米軍戦車のうち、午後もとの位置に帰ってきたのはわずか八輌であった。

 ここで戦っている日本陸軍将兵の姿は、爆薬箱を抱いて突っ込んでくる特攻もありますが、それ以外は地雷や対戦車砲を駆使した正攻法の近代戦です。こういう戦いで、米軍は予想をはるかに超える出血を強いられたのです。

 その一方で、軍属として戦闘に参加した5万7千人近くの県民と、それ以外の一般県民が3万7千余の合計9万余の県民の犠牲が出たことは事実です。

 しかし、日本軍は県民の被害を最小にしようと努力しました。長勇(ちょう・いさむ)参謀長が米軍侵攻の前に県庁に出向いて、島田叡県知事や荒井退造警察部長に「県には北部山岳地帯への住民疎開と6ヶ月分の食料確保をお願いしたい」と依頼しています。こうした軍と県庁の協力で、20万人近くの県民の命が救われています。(引用終わり)

 

「沖縄は捨て石」ではなかった。 プロパガンダに毒され、我々は英霊の真心を踏みにじっているのではないか。

 

チェンライの上下水道

マンゴーの花

シャワー室排水管

キッチン排水管

我が家のバナナ

同上

これはブアさんちのバナナ

 

チェンライの上下水道

■下水処理

昨年の4月末に引っ越したので、新居に住んで10カ月経ったことになる。トイレ・シャワー付きの部屋2つにリビング、キッチンのそれ程大きな家ではないので、建築に要した期間は4か月足らずだった。始めブルドーザーで穴を掘って、基礎となるコンクリートを流し込んだ。ついでに大きな穴を掘って浄化槽を埋め込んだ。タイで家を建てる場合、建築資材は基本的に施主の支給となる。建築業者は支給された部材や水回り用品、屋根、床材をはめ込んでいくだけ。浄化槽は多彩な支給品購入作業の嚆矢というべきものだった。

チェンライ郊外には建築資材、タイルなど家の建築、増改築に必要な品を売っている店がいくつもある。そういった店の敷地内には背丈ほどの大きな球形あるいは円筒形のプラスチック成型品が積み重なっている一角がある。これが浄化槽だ。

チェンライには下水道設備はない。市内でも汚水は近くの川に流れていく仕組みだ。アセアンのマーケティング情報サイト、アセアン・ジャパンによると、タイ王国では下水道の普及率は極めてひくい。上水道の普及率、81.9% に比べ、下水道の普及率は僅か9.6%(2010年度のMWA数字データ)だ。(因みに日本の下水道普及率は80.6%)それでも首都バンコクは2010年度の下水道普及率は60%弱となっているが地方都市はまだまだ。

チェンライはもちろんチェンマイでも生活排水が流れ込むいわゆるドブ川があちこちに流れている。どうせ雨季になればドーッと汚水はメコンチャオプラヤーに流れていくと達観しているのだろう。確かに雨季には小汚かったドブ川に滔々と水が流れていく。その濁流に乗って魚が飛び跳ねる。さすが「水に魚あり 田には米あり」の国ではある。

 

■浄化槽

下水処理施設も下水道もないから、チェンライでは市内から山岳民族の山の中までどこの家にも浄化槽が設置されている。この浄化槽は世界に誇る日本の発明品という。浄化槽はいくつかの層に分かれていて汚水を好気性、嫌気性微生物を利用して浄化する。現在、より簡易な構造の嫌気性処理のみで汚水を浄化する単独浄化槽が世界の主流となっている。日本では2001年から単独浄化槽の新規設置は禁止されている。

我が家の浄化槽にはトイレからの排水のみが流れ込む仕組みだから、世界主流の単独浄化槽だ。入った量だけ出ていき、出てきた水は土中に染み込んでいく。出てくる水は汚いんじゃないの?匂わないの?と心配される向きもあるかもしれないが、浄化作用は下水処理工場と変わりないというし、庭土が湿っていることもない。浄化槽を埋設してある付近に生えているバナナは育ちがいいような気がするがこれは気のせいだろう。

シャワー室や台所、洗濯機からの排水はどうなのかというと家の外に塩ビ配管が伸びていて、そこから庭の溝に流れていく。溝に一瞬溜まるがそのまま土に染み込んでいく。敷地外に水が流れていくことはない。時折、お勝手からソーメンの切れはしや野菜屑などが配管を通して溝に溜まることがあるが、自分が寝ているときに野鳥が飛んできてめぼしいものを啄んでいく。従ってここも水気や臭いはない。逆に散水の必要がないと思っているのか溝にブアさんが里芋系の観葉植物を植えている。

 

■水道とゴミ捨て

タイの上水道普及率は80%を越えているが、タイ人でも水道の水を飲む人は稀だろう。各戸にポリ瓶入りの水を配達する水屋さんが走り回っているし、食堂でも配達された水が供される。タイの生水は一切口にしないという邦人もいるが、自分は料理や珈琲、紅茶には水道水を使用している。但し、水道水は時折断水するし、水圧が一定ではない。チョロチョロとなるとストレスが嵩じる。そこで我が家では2立米ほどの貯水タンクとモータを設置している。停電、断水が同時に起こらない限り、水の心配はない。

ゴミの収集は週1回である。収集に合わせて部屋のゴミをブアさんが片付けに来るので、東京にいた時のようにゴミの分別、収集日時の確認などの煩わしさからは解放されている。缶、瓶、プラ類は回収業者が引き取ってくれる。魚、鶏骨はブアさんが野良猫にやっている。出入りの猫がバイクのシートにマーキングをしたことがあり猫を敵視していたが、庭に侵入してくる蛇を猫が取っていることを最近知った。庭にはガマ蛙がいるから蛇もいる。こちらの蛇は無毒とは限らない。魚の骨くらいで蛇退治をしてくれるなら感謝すべきかもしれない。なお野菜や果物の生ゴミは木の根元に撒いておくと野鳥が食べに来てあとは肥料となる。案外、日本にいた時よりもエコな生活をしているかもしれない。

日本が豊かに強くなるとき

ゴールデントライアングルのワット・プラテート・プーカオ入口

慰霊碑への階段

戦没者慰霊碑

いくつかの慰霊碑がある

タイ駐屯軍司令官中村中将の出した注意書

同上 タイ人の頭をなでるな、泥酔するなとか細かい注意が

 

日本が豊かに強くなるとき

■飯山陽さんの心意気

衆院東京15区補欠選挙イスラム思想研究者の飯山陽さんが日本保守党から出馬することになった。数年前に彼女の著書「イスラム教の論理」(新潮新書)を読んだことがあり、学識には敬服していた。日本保守党は作家の百田尚樹氏が自民党LGBT法案可決に怒って結成した政治団体だ。従来の保守政党に飽き足らぬ人々の支持を受け、有料党員数は6万人を越えるという。

飯山さんは「今の政治家は日本を貧しく、弱くするような政治をしている。座視するのは忍びない」と述べ、「日本を豊かに強くする政策理念を掲げる日本保守党に共感した」、さらに「ノルマンジー作戦でも誰かが先陣を切らなければいけなかった、私が日本保守党の先駆けになります」と決意を語っている。

出馬会見をユーチューブで視聴したが、「私は国費留学させてもらい、今の自分があると思っている、これからはお国にお返しができるよう頑張りたい」と言っていた。国費留学した学者の中で国の恩に報いたいと考え、行動する人はどれだけいるだろうか。飯山氏の勇気と志に感動した。

 

■チェンライで戦没者慰霊祭

先頃、日本人会の知り合いが我が家にやってきた。どうということもない雑談に興じたわけだが、彼がチェンライでも戦没者慰霊祭を挙行してはどうか、という提案をした。戦没者慰霊祭は毎年、チェンマイのムーンサーン寺、バンガード高校で行われている。自分がこうして北タイで差別もされず、暖かくタイ人に接してもらえるのは先人のお蔭と思っている。だから一年に一回くらいは大東亜戦争で戦った兵隊さんの慰霊と感謝の気持ちを捧げたいと、毎年のように8月15日にチェンマイの慰霊祭には参列していた。

チェンライ県のゴールデントライアングルを見下ろす高台にプラタートプーカオ寺がある。その境内にはいくつかの戦没者慰霊碑が建立されている。この慰霊碑の前でチェンライ日本人会主催の慰霊祭を8月6日の平和記念日に行おう、という。

どうしてこの寺に慰霊碑が建立されているのかわからない。総領事館経由で厚労省に建立の経緯などを調べてもらったがよくわからなかったそうだ。チェンマイの慰霊祭の2つの会場には野戦病院があり、多くの将兵が没したところである。クンユアムの泰日友好記念館、ムアイトー寺、カンチャナブリ等にも慰霊碑はあるがそれぞれ戦没者との関連がはっきりしている。

プーカオ寺の慰霊碑の中には「タイ・ビルマ方面 現地人戦没者慰霊碑」があり、このように刻まれている。「この慰霊碑は、第二次世界大戦時に、タイ・ビルマ方面に進駐した日本軍によって、不幸にも多くの現地の人が殺害されました。それ等の人々を慰霊するために建立したものです。合掌してください」。旧日本軍は現地人を「殺害」するためにインパール作戦を行ったのではない。それにタイは日本の同盟国だったからタイ人を殺害する理由もない。恐らくサヨクの人が建てた碑だろう。

自分は原爆投下の8月6日に日本が悪うございました、と合掌する気にはなれない。戦没者慰霊祭はやはり天皇皇后両陛下が武道館でお言葉を述べられる8月15日をおいて他はない。

 

■先人への感謝の気持ち

チェンマイの慰霊祭は日本人会とは関係なく「戦没者慰霊祭実行委員会」の有志によって長年続けられている。チェンライ日本人会が主催する慰霊祭が挙行されるにしても、これまでチェンマイの慰霊祭に参列しなかった会員がどれだけ集まるか疑問である。チェンライには旧日本軍との歴史がこうあって、ここでこれだけの方々が亡くなった、日本人としてどうしても慰霊祭を挙行したい、そうでなければ自分の気持ちがすまないという志を持つ人々に支えられて慰霊祭は行われるべきだと思う。

保守とは旧弊にしがみつく頑迷な思想ではない。飯山陽さんは「保守とは自分の大事な人や大事な場所、大事なものを守っていく思想だ」という日本のお祭りでも、地域の伝統を守り、それを守り育てた先祖を敬い、地域の人々を大切に思い、その伝統、慣習を次世代につなげようという思いに支えられている。日本が豊かに強くなれば自然と先人に感謝する心、愛国心が生まれ、チェンライでどうしても慰霊祭をやりたいという有志が澎湃として出現するのではないか。

実は日本人会の若い方(といっても40歳くらい)が、チェンライの慰霊祭の話にそれはいいことです、と即座に賛意を示したと聞いた。日本保守党の一種のブームといい、若い人の戦没将兵への思いといい、日本と日本国民にいくらかの希望を見出しているところである。

曲り角に来た

チェンライの花祭りから

同上

チューリップ

ラベンダーか

写生をする人

必ずポーズをとる

 

曲り角に来た

中国経済終了

日課のテニスから帰宅してシャワーを浴びると10時近くになる。6ゲーム先取のダブルスの試合を普通は2つ、3人しかいないのでもうひと試合と頼まれれば3つやる。真面目に3試合走り回ると疲れが出てそのままベッドにひっくり返って休むこともある。寄る年並だ、無理はするまい、いや、まだ体が動くうちがハナ、もう暫くしたら足も動かなくなる、などと取りとめもないことを考える。そしてやおら身を起こし、PCに向かう。時事問題解説のユーチューブを視聴する。中国経済がガタガタだ、という声が大きくなっている。

いわゆる「ゼロ・コロナ政策」解禁されて、中国経済は2023年に急速に回復し、世界成長の原動力としての役割を再び果たすと予想されていた。2003年の経済成長率は目標の5.2%を達成したと喧伝しているが、まともな経済学者でこの数字を信じている人はいない。3月5日に開幕した全人代全国人民代表大会)で、李強首相は、2024年の経済成長率の目標を5%前後にすると表明した。しかし、GDPの3分の1を占める不動産市場は不動産開発大手、中国恒大集団の破綻、碧桂園(カントリー・ガーデン)の債務不履行懸念等で冷え込んでいる。不動産バブルの崩壊だ。投資目的のマンションは値下がりどころか建設中止で支払った金はパアという事態も生じている。

経済不振は海外旅行に出かける中国人の激減にも表れている。2019年にタイを訪れた中国人観光客は約1千万人、それが2023年には約350万人と約3分の1に減っている。訪日中国人観光客も2019年の約960万人から2023年は262万人と約4分の1だ。

 

■でたらめの数字

GDPの伸びと国の輸入額の伸びは相関関係があるが、2023年の中国の貿易輸入額は前年比10%減という。相手国があるから貿易額は正確だ。だから中国のGDPはマイナスだという話も納得できる。また2023年の中国の失業率は5.2%となっているが、7月に発表を停止した若者の失業率が20%前後だったことを考えてもこの数字は怪しい。因みに日本の2023年の失業率は2.45%となっている。

欧米へ留学した中国人の帰国が相次いでいるという。大金持ちはともかく、不動産で潤った小金持ちの子弟は、親の経済苦境のため学費、生活費は払えなくなっている。米国は中国人留学生へのビザを厳格化しているのでその影響もあるかもしれない。

中国は「中所得国の罠」に陥ったといエコノミストは少なくない。中所得国の罠とは多くの途上国が経済発展により一人当たり国内総生産GDP)が中程度の水準(中所得)に達した後、発展パターンや戦略を転換できず、成長率が低下したり、長期に低迷したりすることを指す。中国を巡っては、ここ数年の成長率の低下と、一人当たり1万ドルといった高度成長経路の区切りから、まさに経済の転換期を迎えている。これまで「曲がり角にきた日本経済」という話を散々聞かされてきたが、とうとうお隣、中国に曲がり角が来たわけだ。

半世紀ほど前、東京外国語大学の学長、中嶋嶺雄先生の講演を聞いたことがある。中国が改革開放路線に大きく舵を切っていた時代だったが、先生は「社会主義的資本主義っておかしくないですか?丸い三角というようなものです」と中国経済の将来に疑問を持たれていた。資本主義は自由が原則だ。中国は民間を抑えて国有企業優先、民間でも自由な活動はできない。先生の指摘は25年経って正しいことが証明されようとしている。

 

■ホンネは経済なんかどうでもいい

前駐中国日本大使、垂水秀夫氏へのインタビュー記事が産経新聞にあった。垂水氏は中国が経済よりも国家の安全を重視し始めたという。

「われわれの論理からすれば外交面で、中国はどんどん独善的に変わってきているということだろう。改革開放政策を進めた鄧小平時代の中国は経済発展が最優先で、比較的平和で安定した国際環境を必要としていた。ところが今の中国は経済発展以上に、国家の安全を重視している。あるいは習近平国家主席自身が中国共産党の正統性のために、中国を強くするとか、中華民族の偉大な復興だとか、人民を鼓舞するようなことばかり言っている。それが行き過ぎた結果が(高圧的な)『戦狼外交』だ」

「一方で中国の地方政府は、投資を呼び込もうと日本企業に盛んに働きかけている。でも、日本企業関係者が中国に行こうかと思っても、ビザ取得のためにそれだけ煩雑な手続きを強いられる。矛盾しているでしょう。なぜかというと中国にとって国家の安全が最重要とされるからだ。経済発展と国家の安全が衝突した場合は、後者が優先される」(引用終わり)

国家の安全イコール習近平の安全だ。人民もいい迷惑だ、と思うのだが。

説教、昔話、自慢話

トードタイの朝市

同上、牛肉屋

同上

トードタイのGHに咲いていた花

同上

同上

説教、昔話、自慢話
高田純次の自戒
「歳とってやっちゃいけないことは『説教』と『昔話』と『自慢話』だよ」。これは高田純次が2015年7月に放送された毎日放送情熱大陸』で述べた言葉だ。チェンライに遊びに来た息子が「お父さん、」とこの言葉を紹介してくれた。聞いた時は、なんだとー、と不快に思った。歳を取ってこの3つをやめたら何を話せばいいんだ。これから勉強して国連職員になり、世界平和のために働きたいとかの夢を語れとでもいうのか、大体、説教しちゃいけないなどと、お前が俺に説教しているのではないか。

考えてみたら現役の頃、上司、同僚にも「説教」と「昔話」と「自慢話」を常々、聞かされていたように思う。でも若い頃は「説教」を親身な忠告、「昔話」は有益な先行事例、自慢話だって懸案解決の近道、能力発揮の成功例として素直に聞いていた。その割には大した人生を送っていないではないか、と揶揄されるかもしれないが、聞いていなかったら我が人生、もっと悲惨な結末を迎えていたに違いない。

今、こうして貧しくとも日々口に糊し、粗末なれども寒風を防げる衣服に身を包み、雨露を凌げる家に住み、亡父の没年をはるかに超える老齢でありながらスタスタ歩けるのは、これまで多くの人にお世話になってきたお陰、日本に生まれたお蔭であると感謝している。

いつも山岳民族の竹壁の家に生まれなくてよかったなあ、と考える。情けないが同情する前にその境遇にならなかった巡り合わせに手を合わせてしまう。女中のブアさんが「日本人に生まれたということは前世で相当のタンブンを積んだからでしょう」という。タンブンを積んだ覚えはないが、来世で牛や馬、あるいは中国人に生まれ変わらないようお寺や坊さんへのタンブンは欠かさない。

■説教
説教はとは、宗教の教義・教典を、その信者や民衆に、口頭で説き明かすこと。また、そこで話される内容そのものを指す場合もある。転じて、目下の者に対して、教え導くために言い聞かせることや、堅苦しい教訓をいう場合もある。説教をする人には高度な知識、見識が要求され、聞く人に「なるほど」と理解させねばならない。知識、見識、経験となるとやはり20歳の若者よりも老人の発する言葉のほうが説得力を持つ。

ローマの枢機卿の平均年齢は70歳を超えている。「お若いの、年寄りの言うことを聞きなされ」、これは神父ばかりでなく一般民衆の社会でも受け入れられていたことと思う。しかしながら世界中のカトリック教会で性的虐待問題が明るみに出てきた。2021年10月5日に発表されたフランスでの調査報告では、1950年以降、フランス国内では推計21万人以上の未成年者がカトリック教会の聖職者など3000人以上から性被害を受けたという。年寄りの言うことを聞いたら大変なことになる場合もあるということだ。

■昔話、自慢話
亀を虐めている子供たちから浦島太郎は亀を助けて海に逃がしてやりました。昔話をしてはいけないというなら浦島太郎の話はいけないのか。これは冗談。嫌われる昔話は「俺の若い頃はなあ、算盤片手に終電まで男も女も決算作業をやったもんよ」と言った類のものだ。昔話は自慢話とつながっていることが多い。更に自分と自分の経験を美化することによって今の風潮、若い世代を貶す、これが煙たがられる。

天下のご意見番、大久保彦左衛門は、特に武功はなかったというが「時に元亀3年、三方ヶ原の戦いに」などと昔の話を持ち出して徳川家光を辟易させる。これは講談やドラマでお馴染みである。どうせ昔話をするなら源平合戦治承・寿永の乱)とか文永、弘安の役を引いて、歴史的な大局観をもって具体的な政策具申をすればよかったと思うが、講談、ドラマでは年の功を笠に着て将軍を困らしているだけだ。

彦左衛門には子孫への教訓のために書き残した3巻3冊からなる自伝『三河物語(みかわものがたり)』の著書がある。読んではいないが「忠節一筋に艱難(かんなん)辛苦を耐え、たびたびの合戦で一族に多大な犠牲を出しながら、懸命に徳川に奉公してきたのに、大久保一族は何一つ報われない」という恨み言を連綿と書き綴ったものという。
彦左衛門は享年80歳、当時としては長寿を全うしたと言えるが、不平、不満を抱き続けた一生は幸せだったと言えるだろうか。

高田純次は「失敗があって普通。苦労して当たり前」、「自分が人並み以上の努力をしたかといえば、そんなことは全くない。ただひとつ、他人よりも少しだけ『楽しく生きよう』と思っていたかもしれません」と言う。昔話、自慢話であっても人生に前向きの人の話なら聞く価値があるかもしれない。