チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

説教、昔話、自慢話

トードタイの朝市

同上、牛肉屋

同上

トードタイのGHに咲いていた花

同上

同上

説教、昔話、自慢話
高田純次の自戒
「歳とってやっちゃいけないことは『説教』と『昔話』と『自慢話』だよ」。これは高田純次が2015年7月に放送された毎日放送情熱大陸』で述べた言葉だ。チェンライに遊びに来た息子が「お父さん、」とこの言葉を紹介してくれた。聞いた時は、なんだとー、と不快に思った。歳を取ってこの3つをやめたら何を話せばいいんだ。これから勉強して国連職員になり、世界平和のために働きたいとかの夢を語れとでもいうのか、大体、説教しちゃいけないなどと、お前が俺に説教しているのではないか。

考えてみたら現役の頃、上司、同僚にも「説教」と「昔話」と「自慢話」を常々、聞かされていたように思う。でも若い頃は「説教」を親身な忠告、「昔話」は有益な先行事例、自慢話だって懸案解決の近道、能力発揮の成功例として素直に聞いていた。その割には大した人生を送っていないではないか、と揶揄されるかもしれないが、聞いていなかったら我が人生、もっと悲惨な結末を迎えていたに違いない。

今、こうして貧しくとも日々口に糊し、粗末なれども寒風を防げる衣服に身を包み、雨露を凌げる家に住み、亡父の没年をはるかに超える老齢でありながらスタスタ歩けるのは、これまで多くの人にお世話になってきたお陰、日本に生まれたお蔭であると感謝している。

いつも山岳民族の竹壁の家に生まれなくてよかったなあ、と考える。情けないが同情する前にその境遇にならなかった巡り合わせに手を合わせてしまう。女中のブアさんが「日本人に生まれたということは前世で相当のタンブンを積んだからでしょう」という。タンブンを積んだ覚えはないが、来世で牛や馬、あるいは中国人に生まれ変わらないようお寺や坊さんへのタンブンは欠かさない。

■説教
説教はとは、宗教の教義・教典を、その信者や民衆に、口頭で説き明かすこと。また、そこで話される内容そのものを指す場合もある。転じて、目下の者に対して、教え導くために言い聞かせることや、堅苦しい教訓をいう場合もある。説教をする人には高度な知識、見識が要求され、聞く人に「なるほど」と理解させねばならない。知識、見識、経験となるとやはり20歳の若者よりも老人の発する言葉のほうが説得力を持つ。

ローマの枢機卿の平均年齢は70歳を超えている。「お若いの、年寄りの言うことを聞きなされ」、これは神父ばかりでなく一般民衆の社会でも受け入れられていたことと思う。しかしながら世界中のカトリック教会で性的虐待問題が明るみに出てきた。2021年10月5日に発表されたフランスでの調査報告では、1950年以降、フランス国内では推計21万人以上の未成年者がカトリック教会の聖職者など3000人以上から性被害を受けたという。年寄りの言うことを聞いたら大変なことになる場合もあるということだ。

■昔話、自慢話
亀を虐めている子供たちから浦島太郎は亀を助けて海に逃がしてやりました。昔話をしてはいけないというなら浦島太郎の話はいけないのか。これは冗談。嫌われる昔話は「俺の若い頃はなあ、算盤片手に終電まで男も女も決算作業をやったもんよ」と言った類のものだ。昔話は自慢話とつながっていることが多い。更に自分と自分の経験を美化することによって今の風潮、若い世代を貶す、これが煙たがられる。

天下のご意見番、大久保彦左衛門は、特に武功はなかったというが「時に元亀3年、三方ヶ原の戦いに」などと昔の話を持ち出して徳川家光を辟易させる。これは講談やドラマでお馴染みである。どうせ昔話をするなら源平合戦治承・寿永の乱)とか文永、弘安の役を引いて、歴史的な大局観をもって具体的な政策具申をすればよかったと思うが、講談、ドラマでは年の功を笠に着て将軍を困らしているだけだ。

彦左衛門には子孫への教訓のために書き残した3巻3冊からなる自伝『三河物語(みかわものがたり)』の著書がある。読んではいないが「忠節一筋に艱難(かんなん)辛苦を耐え、たびたびの合戦で一族に多大な犠牲を出しながら、懸命に徳川に奉公してきたのに、大久保一族は何一つ報われない」という恨み言を連綿と書き綴ったものという。
彦左衛門は享年80歳、当時としては長寿を全うしたと言えるが、不平、不満を抱き続けた一生は幸せだったと言えるだろうか。

高田純次は「失敗があって普通。苦労して当たり前」、「自分が人並み以上の努力をしたかといえば、そんなことは全くない。ただひとつ、他人よりも少しだけ『楽しく生きよう』と思っていたかもしれません」と言う。昔話、自慢話であっても人生に前向きの人の話なら聞く価値があるかもしれない。