チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ひとりぼっち

隣家、ブアさんちのライチ

食べきれないほど生った

カノム、これも果物

マンゴー、これも食べきれないほど生る

バナナもなっている

木の間に野生のミツバチが巣を作っている

 

 

ひとりぼっち

■4人殺害立てこもり事件

なんとも悲惨な事件が起きたものだ。長野県で31歳の男に2人の女性と警察官2人が殺された。女性らは刃物で刺され、警察官は猟銃で撃たれた。警察官は拳銃を所持していなかった。また携帯していてもパトカー内に猟銃弾が撃ち込まれたことを考えると応戦する時間はなかったと思われる。田舎ではあるし、まさか猟銃をぶっ放す事件が起きるとは考えていなかったのだろう。

ドラマ「相棒」でも殺人事件が起こると、誰が、どうして殺意を抱いたかを推理する。長野で起こった事件の場合は、新聞の発表によると、「ひとりぼっち」と悪口を言われたことが犯行の動機だったという。こんな些細な理由が殺意につながり、犯行に及ぶとは常識では考えられない.「相棒」でも上司に意地悪された、不倫がばれそう、で殺人事件が起こる。こんなことで殺人事件が起こるなら、サラリーマンの半分くらいは殺したり、殺されたりしちゃうよ、などと思っていたが、「ひとりぼっち」で殺人事件が起こってしまうなんて「相棒」の杜撰な脚本のほうがよっぽど真実性がある。

ひとりぼっちとは「独り法師」が音変化した言葉で宗派、教団に属さない法師が当てもなく世の中を彷徨い歩く姿から来ているという。同義語としては孤独/孤立無援/天涯孤独/単身/独身/独り身/独り者/寄る辺ない/四面楚歌/村八分/仲間外れ/除け者/爪弾きなどがあげられる。

長野の31歳の男は家族と同居しているのだから決してひとりぼっちではない。お父さんは地方の名士であるし、村八分、爪弾きでもなさそうだ。強いてあげれば独り身ではあるが、まだ31歳と若いし、男性の生涯未婚率は30%近い(2020年国勢調査)ことを考えれば、特殊な身の上というわけではない。そもそもひとりぼっちはある状態を指す言葉で、差別、非難の意味は含んでいない。ひとりぼっちが殺意につながるとしたら,犯人の心の闇は深いということだろうか。

■増加する孤独な老人
ひとりぼっちの同義語、孤独、孤立無援、単身、独り身、寄る辺ない等を見ていたら、これ、自分に該当するじゃないか、と思った。一人暮らしを単独世帯というが、令和2年の国勢調査によると単独世帯は全世帯の38.1%となっている。単独世帯の特徴の一つは65歳以上の高齢者が多いことで、男女合わせて630万人の高齢者が一人暮らし、これは65歳以上の老人の18%を占める。つまり老人の5人に1人が一人暮らしというわけだ。

もちろん、一人暮らしイコールひとりぼっちというわけではない。社会と接点を持っている、家族が良く訪ねてくる、友人と飲みに出かける、こういった活動的な老人は多い。体力、気力があるうちはいいが、そのうち外出も覚束なくなり、家に籠りきり、友人、知人も少なくなる。あまり長生きすると子供の方が先に逝ったりする。高齢者は孤独になるし、孤独に耐えるのが高齢者の務めというか宿命だと思う。ひとりぼっちがなんだ。俺の若いころはなあ、などと休暇でチェンライにやってきた息子に説教した。日常は簡単なタイ語を話すだけだから、日本語が良くわかる息子が来るとつい饒舌になってしまう。

息子は「高田純次が言ってたけどさあ、年をとってやっちゃいけないことは『説教』と『昔話』と『自慢話』だってよ」。

■世の中に交わるとにはあらねども
なんだと、年寄りが説教、昔話、自慢話をしなくなったら何を話せというんだ、他人ならともかく息子なら、ハイ、ハイ、ご高説ごもっとも、となんでも拝聴するのが礼儀っつうもんだ。それに自慢話は、結局、それがもとで失敗したという反省がついて回るから、聞く価値がある。例えば、俺は若い時、モテてなあ、という話のあとには、ミツグだけで何もいいことはなかった、本命にはこっぴどく振られた、とかの落ちがつく。今はモテるの?と聞かれても、うーん、もう少しカネがあればなあ、などとタイ・ロングステイ老人のきまり文句をつぶやいたりする。

高田純次は、「だからオレはエロ話しかできないんだよ」と続けている。彼は自分と同年齢であるが彼のエロ話は聞くに値するだろうし、周りも喜ぶ。だが自分のエロ話では周りがしらけると思うし、そこまでして他人の歓心をかおうとは思わない。異国に暮らす孤老といわれても仕方ない境遇ではあるが、良寛さんに倣って「世の中に交わるとにはあらねどもひとりぼっちを我は好めり」と開き直って元気に毎日を過ごしていきたい。
それにしてもどうして「ひとりぼっち」が殺意に結びつくのか?