チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

LGBT理解増進法案上程

 

チェンライの花まつりから

同上

場外の植物売り場

なかなかの出来

剪定もいい

タイでも盆栽ブーム到来か



LGBT理解増進法案上程

■個人の嗜好

差別はいけない、少数者の権利は守られるべきだ。憲法14条にそう書いてある。でも自分や家族の身になって考えてみると、それらが常に正しいかどうか、と思うことがある。

6月21日の国会会期末までに採決されるかどうかはまだわからないが、自民党が提出している「LGBT理解増進法案」はその一つだろう。差別はいけない、のひとくくりで判断すべきことではないことが、次第に明らかになってきた。上程前から保守論壇では反対する意見が圧倒的で、自民党の内閣部会では反対意見が多かったにもかかわらず、部会長一任の強行突破でG7前の国会に提出された。

■  Tが問題だ

レズ、ゲイ、両刀使い(LGB)は、人に迷惑をかけない限り、個人の嗜好に属する問題だから、好きにすれば、と自分は思う。個人の嗜好とは髪の長い人が好き、太った異性に引かれる、の性的なものからプラモデルの組み立て、蒸気機関車、楽器演奏まで様々だ。だから嗜好によって入学、就職、あるいは病院で不利益を被ることは、建前上許されないし、これまでも嗜好により差別を受けた事例はほとんどないはずだ。バンド活動にのめりこんで会社の欠勤日数が増え、クビになる、これは差別とは無関係だ。

おすぎとピーコだけではなく、昔から才能あるLGB関係者は居たし、現在も活躍中だ。タイではゲイ、レズはごく普通、化粧品売り場の店員は女装男性の方が多いような気がする。タイに暮らすようになって、あ、この人ゲイ、と判断できる度合いが増したが、だからと言って、お互い日常生活に影響があるかというと全くない。LGBで悩む人はタイに来てください、と書いたことがある。知り合いのオランダ人はタイで恋人を見つけ、男同士幸せに暮らしている。

保守論客が問題としたのはT、即ち、トランスジェンダーだ。外見は男であるが心は女性、またはその逆、これを尊重しろという。米国では「差別をなくし」たため、男女共用トイレしかないところがあり、そこではレイプ事件が続出した。また俺は女だ、と言って女子陸上に出場した選手が大部分のメダルを搔っ攫うという事案もあった。そのためスポーツ一本やりで頑張ってきた女子選手が当てにしていた奨学金から締め出されたとか。

俺は女だ、という男が女子トイレや女湯に入ってきても、拒否できない。拒否したら「差別だ」と逆ねじを食らって警察に捕まる。LGBまでは嗜好の問題で一般人には関係がない。好きにすれば、の世界である。でもトランスジェンダーの尊重は、一般の女性の迷惑になるばかりか、場合によっては女性が性犯罪の被害者になりかねない。

性も風俗の一つとしてみれば、長年にわたって培われた民族の常識、良識があって、それに従えば間違いないのではないか。常識に照らせばLGBによって関係者が不利益を被った例はないにあって等しいし、Tに関しては百害一利なし、従って「LGBT理解増進法案」は必要なし、である。どうしてエマニエルとかいう米国大使の内政干渉を唯々諾々と受け入れなければならないのか。

アメリカなんて禁酒法というバカげた法律を施行して、ギャングのさばらせた国だ。アメリカでもやっていないLGBT理解増進法案を日本で通させて、何か利益があるのだろうか。何かどす黒い悪意を感じる。

■少数を尊重?

欧米の一部ではLGBTにQを足して性の多様性を尊重すべきという意見もある。そうなるとロリコンの変態男の近所に住むファミリーはどうなるのか。女児など安心して幼稚園や小学校に行けなくなる。こういう男が隣の家に住んでいるといやだ。これに近い発言をした首相補佐官は発言を撤回して謝罪したにもかかわらず、即、クビになった。

性の多様性なら一夫多妻は認められるのだろうか。日本でも歴史的には側室制度があり、実質一夫多妻制が認められていた。でも現代では一夫多妻制、重婚は民法、刑法で禁止されている。

一夫多妻を認める国はイスラム国家を中心に決して少なくはない。回教徒が日本に移民してきて、一夫多妻制を実行したらどうなるのか。日本女性を娶ったら、権利・義務関係はどうなるのか。我々、少数者の権利を守れ、と言われたら回教徒の風習を尊重するのか。実はイスラム教徒が賽銭箱を蹴飛ばし、お地蔵さんを破壊した事件が起きている。彼には罪の認識は全くない。それどころかアッラーの教えを実践したと誇りに思っている。

あらゆる価値観、嗜好を持った少数者が、自分たちを尊重せよ、と声高に叫ぶ。今こそ歴史、文化に基づく判断、つまり健全な保守思想、言い換えれば昔からの常識が必要とされているのではないか。