品川神社に行ってみた
新装なった本殿
祈る人1
祈る人2、参拝客は少なかった。
本殿横の稲荷神社
石段、シンゴジラはここに足をかけた。
長寿社会の陰で
■世界標準から見れば
無為徒食の余生を送っている。友人の中にはまだ働いている人もいるし、成人学校で勉強を続けている人もいる。一億総活躍社会にあって、自堕落に過ごしていると、世間に対して申し訳ないと思うことがある。その上、しがない身の上でありながら、天下の御政道に盾突くブログを書いたりもする。
昨今の話題といえば武漢肺炎と小室問題の2つだ、書いて書けないことはない。でも人が言っていること、書いていることをパクって、それに自分が思ったことを少し付け加えて出来上がり、という安直なものになる。読み返してみて自己嫌悪に陥り、ボツにする。
「なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、そういう私も日陰育ちのひねくれ者、お天道様に背中を向けて歩く ・・・ 馬鹿な人間でございます」、鶴田浩二の「傷だらけの人生」に共感する。でもわが人生を振り返ってみて、それほど傷だらけであっただろうか。また、世間に申し訳ない、などと何度か書いてきたが本心からそう思っているのだろうか。アンタ、日本に生まれただけで、もう勝ち越しているよ。タイ人ならきっとそういうに違いない。いや、中国、韓国を含む世界の大多数の人がそう思っている。
■不老長寿を実現
山田風太郎の「人間臨終図巻」を読むと、名を残した人でも若くして亡くなっている。40歳でウェーバー、ポー、中江藤樹、41歳でカフカ、尾崎放哉、速水御舟など。他には今では治る結核、梅毒の2大疾病で亡くなった人がが目に付く。ちなみに脳梅で亡くなった人は、シューマン、スメタナ、モーパッサン、ニーチェ、シューベルト、ハイネ、ゴーギャン、ロートレック、アル・カポネ・・・・(日本人は略)
というわけで、2019年厚労省発表によると日本人の平均寿命は女性87.45歳、男性81.41歳となり1989年に比べ、男女共、数年寿命が延びた。不老長寿は秦の始皇帝からの願い、平均寿命ではなく平均余命となるとさらに延びるから、日本では人類の夢がほぼ達成されたと言っていい。傘寿、米寿は当たり前、大変めでたい世の中であるが、手放しでは喜べないことも付随して起こる。
■孤独死
孤独死とは主に一人暮らしの者が誰にも看取られることなく、当人の住居内などで生活中の突発的な疾病などによって死亡することを指す。特に重篤化しても助けを呼べずに死亡している状況を表す。関連する言葉として、公的に用いられる孤立死や、単に独居者が住居内で亡くなっている状況を指す独居死などがある。
今、自分が家で死ぬと孤独死に分類される。ブログがアップされなくなったら連絡するよ、と息子は言うし、土日はお隣の奥さんから夕食の差し入れがあるから、変だ、となって見つかるまで2,3日だと思う。孤独死が発見されるまでの平均日数は17日という。
孤独死が多い時期は7,8月、おそらく熱中症で倒れてそのまま、というケースが多いのだろう。発見された時の状態は悲惨である。ネットで「孤独死」を検索するとまず、特殊清掃が出てくる。残置物処理、原状回復にかかる費用が百万単位になることは珍しくない。遺族に迷惑をかけたくない、と「特殊清掃保険」に入る老人もいる。
NHKの調べによると孤独死は年間3万2千人、孤独死比率は女性に比べ男性の方が5倍くらい多いというから他人ごとではない。孤独死しやすいのは、以下のような環境の人だという。
• (特に男性の)高齢者
• 配偶者と別れた人、死別した人
• 未婚の人
• 親族がいない人
• 親族付き合いのない人
• 仕事をしていない人
• 持病のある人
• 隣人付き合いがない人
いくつか思い当たる点がある。
■まずは個人の責任
チェンライにいれば、女中さんは来るし、ご近所の人の目、ガードマンの見回りがあるから、発見は比較的早いだろう。チェンマイではゴルフに行くと言って行方不明、1週間後に車の中で、とかアパートで異臭に気づいた管理人が発見、というケースがあった。チェンライでは発見は早かったが、遺族が見つからず、葬式まで1月近く霊安室暮らしをした人がいる。
孤独死の問題点の一つとして本来、助けを呼ぶことができたら助かった命が失われることが挙げられる。老々介護で、介護者が倒れ、被介護者共々亡くなってしまう、意識が朦朧としても助けを呼べないといったケースである。
孤独死は人間関係を保つなど個人の責任で防ぐことが基本だ。でも政府は今年の2月、感染症の影響で深刻化する孤独・孤立対策の総合調整を行う「孤独・孤立対策担当室」を内閣官房に設置した。孤独死を減らそうと国が救いの手を差し伸べてくれる。
やはり日本はいい国だ。