チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

4月の日本で

満開の桜 ソメイヨシノ

雨で散った桜の花びら、まるで雪のよう

渋谷の雑踏

目黒川の八重桜

同上

 

4月の日本で

■今年の桜に思う

実質2週間の一時帰国であったが、7年ぶりに遅い開花だったという桜を満開から花吹雪まで楽しむことができた。我が家は桜の名所、目黒川に近いのでソメイヨシノから八重桜までしっかりカメラに収めた。他に青山墓地、横浜、靖国神社目黒不動などの桜を撮った。小中学校の校庭には大抵桜が咲いていた。時節柄、入学式に行くと思しき新一年生と若いお母さんとすれ違った。変質者と思われるので学校近くではカメラは取り出さなかった。

感染症騒ぎのため2000年3月から1年8カ月、日本に滞在していた。だから桜の季節を2回過ごしたが、その時に比べても今年の桜は見事だった。森永卓郎さんではないが、もしかすると今年の桜が見納めかなあ、という潜在的な予感があるのかもしれない。何せ自分は森永さんより10歳も年長なのだ。

同年配の友人と会って昔の話に打ち興じる。いつもと同じ話だが面白い。一種の伝統芸能と言ってもいい。思いのほか長生きしたので今日が我が人生の千秋楽だとしても8勝7敗、何とか勝ち越せたと思える。友人たちは実に元気で明るく、勝ち越しはもちろん、人生終盤に勝ち星を重ねて敢闘賞に手が届くのではないか。

 

■歩く速度

10年以上前、先輩からメールが来た。「朝、日課で散歩をしているのだが、女子高生に追い抜かれる。口惜しい」。我が家は小中学校の通学路にあたっている。我が後輩たちとすれ違ったり、同方向に歩いたりする。自分も後ろから来た可愛らしい女子中学生に追い抜かれてしまう。背の高さは向こうが低いけれど足の長さはほぼ同じはずだ。何故? 理由は2つ、一つは彼女らの歩幅が広い、2つ目は足の回転力だ。年を取ると歩幅が短く、回転力が鈍る。これで歩行速度が遅くなる。彼女たちの歩調に合わせようとしたが、なかなかうまくいかない。チェンライでは歩く機会が少ないせいで足の振出が遅れてしまうようだ。

まあ老人が若い人に追い抜かれるのは世の常、仕方がない、と一時はあきらめたが、頭の中で早稲田の応援歌「紺碧の空」を歌いながら歩くと足の回転力がそれなりに速まり、スタスタと歩ける。ほぼ女子中学生と同じ速度だ。でも応援歌を「若き血」に替えて頑張ったが、数分も速歩を続けると息が切れてきた。テニスと歩行では使う筋肉が違うからなあ。それにしても中学生と張り合って何になる。知床旅情でも口ずさみながら自分のペースで歩くほうが健康上、また精神衛生上よろしいという年代かもしれない。

しかしながらチェンライの歩行者天国(土曜市、タノン・コン・ドゥーン)ではタイ人の歩行速度の鈍さにいつもイライラしている。コート-(御免なさい)と声をかけて追い抜くこともある。所変われば品変わる。その場、その場の状況に合わせたスピードで、は車だけではないようだ。

 

■中国人

以前の滞在では感染症騒ぎが終息していなかったので、銀座、渋谷、新宿などの盛り場、あるいは電車内の混雑はそれほどでもなかった。通勤時間でなければ概ね座ることができた。今回はどこに行っても人が溢れている。外人も多い。

映画を見た後、明治通りを渋谷駅方面に歩いていた。人通りは多い。歩道の真ん中で4,5人の人が立ち止まって何やら話している。通行の邪魔だ。でも彼らを巧みに避けて歩行者が行き交う。通りすがりに聞こえてきたのは中国語。そういえばチェンライからチェンマイに来るバスの中で中国人が10分以上電話でガンガンまくし立てていた。独善的、傍若無人は他人への配慮を考えない中国人に相応しい形容だ。

 

■日本人の仕草

エスカレータでは右側は登る人のために空けて左側に並ぶ。道ではお互いぶつからぬよう間合いを見ながら歩く。その微妙な間合いが少しでも崩れると、会釈をかわし、小さな声で「スミマセン」などという。万世一系礼節の国日本、と思うがそれはお互いが間合いを充分認識しているという前提がある場合に限る。

つり革を掴んで立っていた。車内広告やドア上のスクリーンが物珍しく、キョロキョロしているうちに少し体が後方にズレたらしい。すると我が後方を通る若者が「チッ」と舌打ちした。長らく電車に乗っていないせいで車内における立ち位置が日本人の常識からずれていたのだろう。ある女性(50代タイ生活長し)は狭い道で「ジャマなんだよ、ババア」と言われたと憤慨していた。

自分も日本人らしく行動しなければ「あのジジイは中国人か」と思われかねない。異国生活で身に付くことはあるが同時に日本人として忘れてしまうことも確かにある。