アランとラオスへ
■旅での出会い
アラン・スコット、一昨年、世界遺産ルアンプラバンに行ったとき、タイとラオスの国境の町、フエサイで偶然出会ったオーストラリア人だ。(http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/51406335.html)
年齢は50代半ば、もらった名刺には建築家とあったが、アジア各地を旅行して少数山岳民族の写真を撮るのが趣味。何枚かアカ族の写真をメールしてもらったが、セミプロ級の腕前だ。長身で、スピルバーグの映画「激突」に出てくるデニス・ウィーバーに似ている。
彼と出会ったおかげでラオス、中国国境の町、ムアンシンで「満月祭り」が行われることを知った。たまたまミニバスで同席したウィーンの退職判事夫婦を誘って祭りに行ったことはブログにも書いた。
1年以上音沙汰がなかったのに、先週突然、アランから11月12日から3週間ほどラオスのボケオ県、ポンサリ県のアカ族を訪ねる旅に出る、ついては一緒に行かないかという誘いのメールが来た。全行程は付き合えないが、10日位はなんとかなる。即、OKの返事を出した。
その後、なんとも言ってこないので、中止になったものと思っていたら、チェンライで会おう、というメールが7日に来た。いいけど・・・問題は原稿だ。
「都合により、しばらくブログをお休みします」で構わないとは思うのだが、もしかして更新を楽しみにして下さっている方もおられるかもしれない。そこで、数年前に書いたアカの村、パナセリ訪問記を掲載することにした。
パナセリはこのレポートを書いた時から大きく変貌を遂げた。もう村には住んでいない登場人物も多い。その経緯はいつか書くことにして、まだ長閑だったパナセリを何度かに分けてご紹介したい
■アカ族の村を訪ねて(1)
2005年1月、タイ北部の少数山岳民族、アカ族の村でホームステイした。少数民族であるが故の困難な環境の中で、自分たちの文化に誇りを持ち、暖かい心をもって生活している人々のことを皆さんにも知ってもらいたいと思い筆をとった。
1.アカ族の村、パナセリでホームステイ
タイ北部を旅行する時、私がいつもお世話になるHさんはタイ人の奥さんとチェンライ県メースアイに暮らして10年以上になる。彼はバイク店を経営していた。タイにおいてはオートバイのような高額商品は月賦払いが普通である。タイ人のバイク店はタイ人には月賦払いを認めても、山岳民族には一括払いでなければバイクを引き渡さない。日本人のHさんはタイ人であろうと山岳民族であろうと分け隔てなく月賦払いに応じた。公平な彼のビジネススタイルはアカ族に大いに感謝された。いろいろな経緯があってHさんのバイク店は倒産してしまった。困窮するHさん一家にアカ族の青年アダムは山からお米や野菜をいつも届けた。快くバイクを売ってくれたHさんへの感謝を忘れていなかったのである。
今は事業を盛り返して豪邸に住むHさんだが「本来は(日本人で金持ちの)俺が(貧しい)アダムを助けなきゃいけない立場なのに、あの時は情けなかったネー。」と当時を振り返る。その後もアダムとHさんの交際は続き、その縁で今回アダムの家に4泊5日という短期間ではあったが、ホームステイすることが出来たのである。
アダムはチェンライ県にあるパナセリという村の副村長である。村は戸数96戸、住民約600名、パナセリに隣接して、半世紀前に八路軍に敗れた国民党系の中国人が流れてきて出来た中国人村がある。戸数は100戸くらいか、パナセリより裕福な家が多い。アカ族の家は高床式、かやぶき屋根で壁や床は編んだ竹で出来ているが、裕福な家になると屋根がスレートあるいはトタン板で、壁や床が竹ではなく木の板となる。中国村ではかやぶき屋根の家はほとんど見かけない。また中国人村から200メートルほど離れて、ラフ族の村がある。
パナセリを含むこれらの集落には宿屋、みやげ物店、理髪店といった、いわゆるサービス業に属する店はない。近頃盛んになってきた山岳ツーリズムとは無縁の場所だ。
中国村とパナセリの間に生徒数1500名、教員数50名のメーナムカム・スクールという小、中併設校がある。この学校には近郷近在の村から、子供によっては片道2時間の山道を上り下りしてやってくる。
タイの1月は乾季である。学校の校庭にはピンクの桜が咲き誇っていた。海抜1000メートル、気温は朝方に10度以下に下がるが、昼は25,6度に上がり半そででも汗をかくくらいになる。1日の間に冬と夏を経験できるわけだ。村には桜だけではなく、コスモス、ススキの穂、スモモの花、菜の花、あじさい、更にひまわりにそっくりな黄色い花も咲いており、今の季節はいつ?という感じがする。
村にはいたるところに放し飼いの鶏、ヒヨコが闊歩していて土を啄んでいる。道端には犬がゴロゴロ寝そべっているし、やせた猫が屋根を徘徊している。時には子豚まで道を歩く。これが阿鼻叫喚、修羅の巷にならないのは生まれた時から全ての生き物が共存しているからだろう。花といい、動物といい、また親しげに微笑む人々、元気に走り回る夥しい数の子供達など散歩するだけでも心温まる村だ。(続く)
写真上から「アカ村行きバス」「ラオス・タイ国境」「国境行きバス」「桜とアカの家」