今年のロイクラトン
■ロイクラトン
暦の上ではオークパンサー、10月の満月の日が雨季の終り、乾季の始まりとされる。オークパンサーとは雨季の約3ヵ月間、お寺に籠って厳しい修行していたお坊さんたちが修行を終えて外へ出てくる日だ。
でも本当の雨季明けは11月の満月の日、ロイクラトンまで待たなければいけないとタイ人は言う。確かに統計データでもチェンライの10月の降水量は134㎜、11月は39㎜となっていて11月の乾季到来を裏付けている。
今年、チェンライは100年に一度の洪水に見舞われた。11月に入っても雨が降りやまず、メーサイではミャンマーと国境を隔てる川が何度目かの氾濫を起こした。ロイクラトンは全国で行われるが、洪水の被害を受けた北タイでは例年にも増して乾季を告げるロイクラトンの祭りが盛大に開催されたようだ。
ロイクラトン祭りは水の祭典とも言われる。ロイクラトンとは、灯籠(クラトン)を川に流す(ロイ)というタイの人々の間で古くから続く風習だ。河川の水位がもっとも高く、旧暦12月の満月の夜に人々が川岸に集まり、川の女神“プラ・メー・コンカー”へ感謝の気持ちを捧げる。バナナの幹や葉などで作った直径20センチほどの灯籠の上に蝋燭と線香を立て川に流す。水面に蝋燭の灯がともる灯篭がいくつも流れていく様子は幻想的で今やロイクラトンはタイ観光庁挙げての一大観光イベントとなっている。
尚、灯篭流しと聞くと日本では先祖供養のイメージがあるが、ロイクラトンでは供養の意味は全く無く、川の女神にこの川水のお蔭で秋の収穫ができたことへの感謝、また同時に川を汚してしまったことを謝罪する儀式とのこと。
■近くの川で
11月15日のロイクラトンの日、ブアさんに誘われて近くのターサイ川で灯篭流しに出かけた。橋の下はUターンができる道路となっているが例年この場所に焼きそばや焼き鳥などを売る屋台が並び、近所の人で賑わう。舞台もしつらえられており、楽団、並びに歌手、ダンサーが来て大音量で盛り上がる。9時を過ぎれば近所のおばさんたちも舞台に上がって踊りまくる。
灯篭は1つ20B、手の込んだもので30B、灯篭専門の屋台が並んでいるが、概ね手作り、主材料はバナナの葉であるからそれほど原価は高くはないのだろう。ターサイ川の岸は水面から1メートル以上ある。この日のために作られた灯篭流しのための場所に板の階段を降りる。灯篭流しは家族、それも幼児も参加するので安全面は十分に考慮されている。
ブアさんは灯篭を「お金持ちになれるよう祈願して流せ」という。川の女神への感謝の念はないようだ。川の女神、プラ・メー・コンカーはヒンズー教から来た神様らしい。仏教儀式とは関係ないのだが、ブアさんは田鰻が十数匹入った袋を買ってきて川に放流していた。これは奈良の興福寺で行われている「放生会(ほうじょうえ)」と同じでタイではタンブンの一つとなっている。自分にも田鰻入りの袋が渡された。家に持って帰って煮つけにしようよ、食べられるんでしょ、などとブアさんを揶揄いながら、放流した。田鰻の命を救ったタンブンのお蔭でこれからの人生が幸せになる、とは思えないがこれもタイの慣習であるから素直に従う。
■人出に吃驚
毎年驚くことはここで行われるロイクラトンには、どうしてと思うほど多くの人々が集まることである。地域のタイ人中心でファランはほとんどいない。観光客はゼロだと思う。お寺で行われるオークパンサーやマーカブーチャー(万仏節)などタイでの仏教儀式でも人が集まるが概ね白衣を着た大人ばかりで子供はいない。ロイクラトンは家族参加側の儀式らしく子供が多い。小学低学年の子供がライターをもって爆竹や花火に火をつけて其処ら中に放り投げる。中国製爆竹は爆音が半端でない。
お母さんやお父さんに抱かれた赤ん坊や幼児もいる。日頃、近所では子供の姿を見ないのだが、この日だけは少子化が進むタイでも結構子供がいるじゃないか、などと思う。また、これだけ多くの地元民をまとめて眺めてみると、チェンライ、ターサイ地区特有の顔立ちがあるのではないか、などと考えてしまう。チェンマイはやはり都会で、チェンマイ日曜市を歩く地元民は、ここターサイのランナー人とは違って格段に垢ぬけている。これでバンコクに行けばその違いは更に顕著となるだろう。
屋台巡りをしていると、前に住んでいた団地の顔見知りに会う。やー、元気にしてる?、お互い久闊を叙す。考えてみれば自分もターサイ地区に住んで十数年になる。顔貌、風体も何割かはランナー化しているのだろう。