日本から来てくれた(2)
■自宅からチェンセーンへ
2日目は娘一行をチェンライ観光の定番、メコン河のボート乗りに案内した。我が家からチェンセーンまで70キロ、車で1時間20分の距離だ。10年前はチェンライからチェンセーンまでの道は工事中で、泥だらけの道を徐行しながら走った覚えがある。今は高速道路と言ってもいい片側2車線の舗装道路、ついスピードが出てしまう真っ直ぐな道が続くが、高速道路でない証拠に時折、信号があるし牛が横切ることもある。この道路は中国の援助で架けられた友好橋建設に合わせて整備された。橋ができるまでは中国雲南省とタイ北部を上り下りする小型貨物船で賑わっていた。
ラオスとタイを結ぶ橋ができれば中国、タイの経済交流は一段と盛んになり、チェンセーンあたりは一大工業地帯になると言われていた。道路が整備され、土地価格はバンコクの金持ちが買い漁ったため何倍にも跳ね上がり、バブルの熱気に満ちていた。この第4友好橋の完成は2013年12月であるが、その後、チェンライ県に中国資本の工場ができたという話は聞かない。黄粱一炊の夢。お蔭でチェンライ-チェンセーンを結ぶ道路は殆ど車の往来がない。左右の視界もひらけていて、いかにも北タイの田舎といった快適なドライブが楽しめる。
■チェンセーンの古寺と市場
チェンセーンは1327年にランナー王国の都があったメコン河沿いの古都である。古寺ワット・プラタート・チェデルワンにまず立ち寄る。チェデルワンとは大きな仏塔(パゴダ)を意味する。その通り高さ88m、底の幅24mのチェンセーン最大の仏塔がある。底の部分は八角形で、上部にいくに従って丸い鐘の形になるというのが特徴。これがその後のチェンセーン様式パゴダの見本となったといわれている。「プラタート」の名前がつくお寺にはお釈迦様の骨とか髪の毛の遺物が安置されている(ことになっている)ので、プラタートと聞けば「寺格」が高いと思う。神社なら別格官幣大社か。
20年以上前、初めてこのお寺を訪れた時はかなり荒れ果てており、本尊の頭上だけ屋根があったが、その後本堂が再建されている。本堂では教えてもいないのに3歳になる下の子が手を合わせて本尊を拝んでいる。おお、この子は仏の子か。爺バカも極まれり、かもしれない。
お寺のあとはチェンセーン市場を訪れる。日本からのお客さんには雑多な露店が並ぶ市場に興味をもつ人が多い。ここでカオニャオ、ナマズ丸焼き、焼き鳥を仕入れる。
■ドンサオ島の変貌に驚愕
チェンセーン市内からメコン川を遡って13キロ走ると黄金三角、いわゆるゴールデントライアングルに到着する。メコン河からタイ、ラオス、ミャンマーの3か国の国境が見える。その昔は麻薬を巡ってドンパチのあった地域だが今は平和そのもの。巨大な黄金の仏像、プラ・プッタナワラーントゥーが見守っている。この釈迦像の高さは約16m、鎌倉の大仏の約13mより大きい。20年前はこの黄金仏もなかった。北タイはどんどん観光化している。
ここで娘一行に経験してほしかったのがメコン河のボート遊覧である。4人乗りの小舟で500B、20人乗りの大型船をチャーターすると800B、この際、子供を一人ずつ大人が抱きかかえるので小舟にした。細長い舟にトラックのエンジンがついている。乾季に入ったとはいえまだ流量の多いメコンを小舟はエンジン音を響かせて走る。波の上をバタン、バタンと上下しながら進む。その度に波しぶきがボート内に降りかかる。この恐怖が幼児のトラウマにならねばいいが、と思ったが子供も結構楽しかったようだ。舟は数分でドンサオ島に着いた。島と言ってもラオスから河に突き出た場所で、ラオス領ではあるが旅券は不要。でも入国税30Bが必要。
ドンサオ島にはニッパヤシの土産物店、小汚い食堂が並んでいて鄙びたアジアの観光地という趣があった。ここに上陸した観光客は物乞いの子供を掻き分け、グッチやエルメスのニセモノや怪しい骨董品、免税のウイスキーやブランデー、洋モクなどを買い求めていた。蛇やサソリ入りの酒も売っていたなあ。
今回、島に行って驚いた。船着き場が整備されており、上陸してみると2車線の道路が走っている。食堂はレストランに変貌し、客のいくところはすべて舗装済みだ。レストランは中国人で一杯、カジノ目的の中国人客がここまでやってくるのか。
片隅の卓に陣取って、チェンセーンの市場で買ってきた鯰や焼き鳥で昼食、4人で総額90B(約400円)だったが娘一家も義妹も大満足、これをコスパがいいというのだろう。(続く)