チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

断捨離

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チェンライ花祭りから

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断捨離


■捨てる
小学生の時から30歳で家を出るまで、今の家に住んでいた。自分の部屋は長らくそのままになっていたので、押し入れの戸袋には古い手紙や書類が詰まっていた。

飛ぶ鳥、跡を濁さずではないが、自分もそろそろ身辺整理を始めるべき年齢だ。なんだ、こんなもの残しておったんか、などと息子たちに言われたく無いので、不要なものを整理することにした。チェンライに戻れないのだから時間はある。

60になった時、もうこれらの本を読み返す元気も時間もないと思い、何度も有価物置き場を往復して本をすべて処分した。もともと着るものには無頓着だったので、衣服の始末も簡単だった。でもまだ捨てるものがある。どういうわけか、学生時代からのパスポートが全部そろっていた。出入国のスタンプを押すページが足りなくなって増補した旅券もある。この頃は海外出張が多かったな、などと追憶に耽っているといくら時間があっても足りない。旅券の写真がだんだん老けてくる。こんなに年寄りじみた写真で、と当時は思ったものだが、今見ると若々しい。タイに戻ったら、ホレ、昔はこんな顔だったんよ、とお手伝いさんを笑わせてやろうと、写真だけ切り抜いて旅券はすべて破棄した。

中学生3年から高校にかけて書いていた日記が出てきた。昔から字が汚くてそれだけでも読む気がしないし、自分でも恥ずかしくなるほど稚拙なことが書かれている。今に至っても稚拙な文章を書いているが字がきれいなだけブログの方がましである。「悪筆のさほど困らぬ職を持ち」の人生であったが、タイピストや写植のお姉さんに頼まなくても文書が書ける時代が来るとは思わなかった。

日記は50年以上経って紙質が劣化しており、かなりの厚さのページを難なく破ることができた。これで恥多きわが人生の一部は闇に葬られた、ということになる。

 

■感傷に耽る暇はない
その次は手紙だ。以前に処分したつもりであったが、それでも大きな菓子箱に一杯残っていた。40年以上前に亡くなった父からの手紙もあった。明治生まれの父は自分と違って端正な字を書いた。家族の消息を伝える何気ない内容でも元海軍技術将校らしく、簡潔で無駄のない文章だ。それでも息子に対する控えめな愛情が伝わってくる。父は61歳で亡くなった。70歳を越えた息子が、50代の父の気持ちを推し量る。あまり話をすることはなかったが、やはりいい父親だったんだなあ、と感傷的になってしまった。

終活である。手紙を一つ一つ読んではいられない。読めばいくつもの思い出がよみがえってきて整理の手が鈍る。明日死ぬとしたら思い出など取るに足らぬこと、残された人のゴミ捨ての手間を少しでも省くことが肝要だ。ちと心が痛んだが、友人や家族の手紙を思い切って破いていった。これで菓子箱はからになり、思い出の一部も消去された。この自分が消去される日も近いのであるからそれで構わない。

 

■写真も処分
チェンライにも2,3軒、日本雑貨を扱う店がある。夜逃げをした家から洗いざらいかっさらってコンテナで運びこんだのではないかと思うくらい雑多な品が売られている。「先祖代々」と書かれた湯飲みもあれば、位牌の入った仏壇もある。痛ましく思ったのは幸せそうな家族写真のスタンドだった。岸辺のアルバムではないが、この家族はどうしているのだろう。日本でもゴミ置き場に古い写真が散らばっていたことがある。写真には霊が籠っているとは言わないが、心が乱れる。

写真もかなり家に残っている。もう亡くなった親戚や知人、自分の写真を処分した。叔父や祖母の写った写真を破くときは躊躇したけれど、もう知っている人もいない。それでも全部に手を掛けることは憚られ、整理は途中となっている。

 

■葬式の手はず

今回、帰国した折、息子、娘に、タイで客死することになっても葬式には来なくていいと言い渡した。ブアさんの修行していた寺の住職と仲良くなり、数年前にその寺のメンバーになった。メンバーフィーは10万B。誰でもメンバーになれるわけではないのは霞が関カンツリー倶楽部と同じ、住職のお眼鏡にかなう人物という条件が必要。メンバーは死期が迫るとお寺で面倒を見てくれ、葬式一切を執り行ってもらえる。遺骨は多分、メコン川に流してくれる。葬儀互助会のタイ版といえる。

息子たちは「行くよ、実父が死ぬと7日休みがもらえるんだ」と言っていた。エンディングノートには、葬式に来た子供には別途10万Bを支給し、北タイ観光をして帰るよう書いてある。これでいつ死んでも慌てることはない。待てよ、死んだら慌てることなどできないか。