一時帰国と洪水
■安全を見て
現在、品川の家にいる。帰国前の9月12日からチェンライのコック川が氾濫し、その模様は日本でも報道された。チェンライ? 聞いたことあるぞ、確かあいつがロングステイしているところじゃないか、と友人からお見舞いメールをもらった。我が家まで水は来なかったが市内各所、低いところは泥水につかり、日本人会員の中にも数人、床上、床下浸水の被害にあわれた方がいた。何千軒も水に漬かるというほどの大規模洪水ではなく1,2日で水は引いた。その後、数日は雨が降らなかったので水溜りはなく、心配されたデング熱の発生はなかったようだ。ご存じのようにデング熱はウィルスを持った蚊に刺されることによって感染する。
出水の置き土産の泥にはみな片付けに難儀したし、泥が乾いた道路では車の巻き上げる土埃がまるで煙害を思わせるように視界を妨げた。我が家は断水となったが電気、ガスは通常通りであったので、まあ生活できた。12日はチェンライの空港が閉鎖となったが翌日から飛行機が飛び始めたし、自分の成田行きはチェンマイ空港から飛ぶ。まず、帰国については心配はないと思ったが、チェンライとチェンマイの間は180キロある。どこで豪雨となり、幹線の118号線が流されないとも限らない。安全を見て1日早く出てチェンマイに1泊することにした。チェンマイの空港は地形上、冠水しないとのこと、市内が冠水しても遠回りならホテルから空港に辿り着ける。
■バス内で濡れる
出発日前日にチェンライで高級と言われているグリーンバスに乗った。一人掛けと二人掛け2列のゆったりしたバスだ。まずは快適なバスの旅、でも雨季は雨季、県境を越え、チェンマイ県に入るころから雨が降ってきた。自分が運転しているわけでもなければバイクでもない。いつもと違う高さから外界の景色を眺めていた。意外とビニールハウスが多い。ということは設備投資をしても見合うだけの換金作物、高級野菜などを栽培しているのだろう。チェンマイでかけでなく最大消費地、バンコクに運ぶための流通も完備されているはずだ。自分が移り住んだ十数年前に比べるとタイも発展しているなあ、などと感慨に耽っているうちに山を越えてバスはチェンマイ市内に続く平坦な道へ入った。
しかしこのあたりで雨脚が強まってきた。強雨となっても10分か15分もすれば小雨に変わることが多い。ところがこの日の雨はどんどん強くなるばかりだ。ついにバスの天井から雨漏りがしはじめた。左右の冷房吹き出しの壁の隙間からぽたぽたと水滴が落ちてくる。8割ほどの乗車率であったが客は雨漏りのしない席に移動を始めた。彼らの慣れた動作を見るとバスでの雨漏りは常識となっているのだろうか。自分の席にも水滴が落ちてきたが窓際に体を押し付けて何とか直撃を防いだ。ブレーキをかけてバスがスピードを緩めると水滴はジョーという一条の水流となって流れ落ちてきた。これがタイの高級バスの現状です。
■何とか洪水を避けて
チェンマイではホテルに一泊し、翌日の夜に空港に向かった。チェンマイ発、関空行きのベトジェット便はほぼ満席、0時35 分発で大阪に7時着、ゆっくり眠れると思ったが時差の関係で飛行時間は5時間余り、それでも疲れていたのでよく眠った。
関空からジェットスターで成田空港へ。チェックインできれいなお姉さんにリュックを計量された。5キロちょっと。肩に下げたバッグも載せろという。合わせて8キロ。7.9キロまでなんですよね、取り出すものはありますか。携帯を取り出して7.9キロになった。本当はダメなんですよ。こういう時、不満そうな顔になるとか、ましてやキレる老人にはなれない。「どうもありがとうございました」。深々と頭を下げた。
到着した23日の夜辺りからチェンライのブアさんやお世話になったチェンマイの友人から頻々と洪水情報が入るようになった。チェンマイとチェンライを結ぶ118号線が一部通行止めになった。チェンライではまたコック川流域が水に漬かったらしい。泥水を片付けたばかりの被災民はまたの出水でがっくりしていることだろう。ジアップ先生の家にもまた水が出たそうだ。
チェンマイでもピン川が危険水域を越え、市内各所で冠水、避難勧告がでた。空港まで送ってくれたチェンマイの友人はいち早くホテルに避難していた。そのまま家にいたら車が冠水するところだったという。
水害に会われた方々には心からお見舞いを申し上げるが、2,3日一時帰国が遅れたら、まだチェンライかチェンマイでうろうろしていただろう。「私は神に愛されている」というべきだろうか。