九段から日比谷まで
■東京もいいけれど
この稿がアップされている頃はもうチェンライに戻っている。半月ほどの短い東京滞在であったが、主目的の義歯は入ったし、区役所関係の手続きも終了した。東京にいると、このまま東京にいてもいいかなと思うし、チェンライに戻れば、やっぱり北タイの暮らしも悪くないと思う。住めば都ではないがそれぞれいいところがある。
昔、「誰も書かなかったXX」という偶々移り住んだ外国都市の悪口雑言満載の本が書店に積まれていた。著者はおおむね滞在期間が1年ほどだ。ポンと見知らぬ国に放り込まれると、見るもの聞くもの日本と違い過ぎて、日本はよかったと思う前に「この国は遅れている、この国はおかしい」という非難が口をついて出る。異国で毎日イライラしながら過ごすのもどうかと思われるが、そういった人でも2年、3年と過ごすうちに、その国の良さがわかってきて日本と外国を相対的に評価できるようになってくるという。
どこの国にもいい人も悪い人もいて、文化風習、食物も違う。タイと日本を行き来してお互いのいいところを見て心穏やかに暮らせる。亡き母が「上を見ればきりがない、下を見ればきりがない」と言っていたことを思い出す。中庸を重んじ、心穏やかに暮らす。それに突然何かに目覚めて「10年後のオレを見てくれ!」と興奮したところで10年後にはこの世から消えている公算がつよい。
■靖国神社参拝
帰国中、靖国神社に詣でた。異国で安穏に暮らせるのもお国のために戦ってくださった先人のお陰、と思っているので、一時帰国の度に訪れる。また我が母校が靖国の隣にある。変わり果てたとまではいわないが50年前の面影を求めて塀の中を覗き込む。門扉には無用の者の入校を禁ず、という注意書きがある。確かに自分も「無用の者」だ。
前回靖国に詣でたのは4月、まだ桜が散り残っている頃で、参拝を待つ人の列も長かった。今回はパラパラとしか人がいなかった。深く頭を垂れて前日の石破総裁選出を英霊にお詫びした。本殿右手には社務所があり、絵馬が奉納されている。あまりいい趣味とは言えないが絵馬を眺めるのが好きである。たどたどしく「おばあちゃんのびょうきがなおりますように、そらがとべますように」といった絵馬を見ると心和む。今回は「高市早苗内閣の成立を心から祈願します」と言った絵馬がいくつも上がっていた。高市内閣の成立はちと先になるが、必ず実現すると信じたい。
遊就館は通常展示が年内休止とか、ロビーで外人客が休館の説明を受け、残念そうにしていた。ロビーには零式艦上戦闘機(ゼロ戦)、八九式十五糎加農砲、C56型31号蒸気機関車等が展示されている。この31号機関車は泰緬鉄道開通式に使用されたものという。
ロビーにはお土産品売り場がある。ここで日章旗のワッペンを購入した。このワッペンをバイクの風防や車のフロントガラスに貼っておくと警官が免許証の提示も求めず、「行け」と合図をしてくれるからだ。もちろんこれは北タイでの話。
■皇居を半周
靖国参拝の後は日比谷で映画を見ることにしていた。上映までには時間がある。同行の兄に九段から日比谷まで歩こうかと提案したら歩くという。九段下から竹橋、大手町、丸の内…、曇りながらそれほど気温は高くない。お堀端は観光客やジョギングを楽しむ人が一杯。高校生の時、部活の準備運動で皇居一周のランニングをしたものだ。あの頃は皇居外周を走る一般人はいなかったように思う。考えてみたら自分が皇居周辺を走っていたのは60有余年前のことだ。いわゆるジョギングブームが起こったのは東京オリンピック以後とネットにある。
ジョギングの特徴は、そのゆっくりとしたペースと身体への負担の少なさにあるそうだ。ランニングと比較すると、ジョギングは速度が遅く、そのために心拍数も低く抑えられるので、長時間、楽しみながら続けることができる。
皇居を走る人はさまざま、独りで、夫婦、グループで、老若男女様々だ。外国人も走っている。来日目的の一つは皇居一周だったのか。ゆっくりと時には休みながら走るジョギング派もいればマラソン選手並みのスピードで駆け去るランニング派もいる。
自分も昔は颯爽と走ったものだが、今となってはジョギングもおぼつかない。ヨレヨレと走る老人は同情と憐憫の対象でしかない。九段から日比谷までのウォーキング約1時間半。チェンライではそもそも歩く習慣がない。でもこれしきの行軍、つらいと言っては先の大戦に散った英霊に失礼に当たる。まだ普通に歩けることを感謝しながら有楽町駅を過ぎて映画館へのエレベータに乗った。