チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

8月の恒例行事に思うこと

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8月の恒例行事に思うこと

■春秋に義戦なし
8月になった。この時期になるとNHK終戦記念特集を流す。広島、長崎の原爆慰霊祭の様子も放送する。戦没者を悼むについては人後に落ちるものではないが、先の大戦で日本が一方的に悪かった、世界に頭を垂れるべきといった報道姿勢には反発を感じる。

春秋に義戦なし。戦争の勝ち負けは腕力の強弱であり、正義とは関係ない。日本にも米国と同じように言い分がある。白人と有色人種との歴史的人種対立といった視点からの主張もできる。戦後69年を経て、米国では大東亜戦争ルーズベルトが仕掛けたものだ、という歴史書回顧録が出版され始めたという。日本ではまだまだであるが、お互いの正義を事実に基づいて客観的に検証する動きが出てきたということは喜ばしい。

歴史は勝者が書くものであるが、敗者がそれを一方的に受け入れなければいけないという決まりはない。日本は19世紀から20世紀にかけて、中国(清)、ロシア、英国、オランダといった世界の強国を打ち負かしてきた。先の大戦でも一度は米軍をフィリピンから追い出した。

ソ連にも負けていない
ノモンハン事件は30万のソ連軍が満州、朝鮮を奪おうと一方的に攻撃を仕掛けてきた国境紛争である。ソ連崩壊後に明らかになったソ連側内部機密文書ではソ連の損害25,565名、日本の損害 17,405名となっており、決して負けたとは言えない。もし、日本が負けていたのであれば、ソ連が停戦協定で戦闘以前の満州国国境を認めるはずが無い。

ソ連は日本がポツダム宣言を受諾した3日後の8月18日に、千島列島の占守(しゅむす)島に攻撃を開始した。島を守備していた帝国陸軍第91師団が応戦、21日に停戦となったが、この戦闘でソ連側の数値によれば、日本軍の死傷者1000名、ソ連軍の死傷者1567名であった(日本軍の死傷者は600名程度、ソ連軍の死傷者は3000名程度との日本側推定数値もある)。占守島の戦いがあったおかげでソ連による北海道北東部の占領を免れた。

建国以来2千年、負けたことのない日本がただ一度だけ、それも米国に負けただけでどうして世界に卑屈な態度を取らなければならないのか。中国はもちろん、中央アジア、中東、欧州でも歴史のある国には勝ったり負けたりの歴史がある。それでも国の誇りは失っていないではないか。

タイだってビルマラオスにコテンパンにやられ、住民は皆殺し、町は廃墟にされた歴史を持つ。それでもタイ人の愛国心は日本人より強いように感じるし、逆に今は戦勝国民であったビルマ人やラオス人を見下しているように思う。

■過ちは繰り返しませぬから
広島の原爆慰霊碑の石碑前面には、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれている。

外交評論家の加瀬英明氏は、戦後米国を訪問し、原爆投下決定に携わった人々に質問した。「もし大東亜戦争末期、日本が原爆を開発していたとしたら日本に原爆を落としたか」。答えは「もちろん投下しなかった」。核兵器を持っていたら核攻撃は避けられたという。ということは、「過ちを繰返」さない、言いかえれば二度と原爆を落とされない、そのためには日本は核武装しなければならないということだ。核を持つ用意があると言っただけでも、原爆を落とされるという過ちを防ぐ効果はあるだろう。

東京裁判の判事の中で唯一、国際法の専門家であったインドのパール判事は「『過ちは繰り返しませぬから』とは、どういう意味か。原爆を落としたのは日本人ではない。日本人の子どもたちが罪悪感を背負って卑屈になり、健全な精神を失っていくのを見過ごすことはできない」と述べている。

だが戦後の教育はパール判事が危惧したように進んだ。中共や韓国に修学旅行に行き、私たちの先祖はお国にひどいことをしましたと生徒に謝らせる高校もあると聞く。

■要するに国益
「時が、熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにその所を変えることを要求するであろう」。

この言葉はパール判事の日本無罪論の締めくくりの部分である。米国はこの意見書の出版を占領期間中認めなかった。米国は、日本人が「罪悪感を背負って卑屈になり、健全な精神を失っていく」ように仕向けた。これは米中韓国益に適うことであった。皆グルだが、国益は正義とは関係ないし、非難するに当たらない。

日本は事実に基づいた歴史検証を行いつつ、我が国の国益を追求していけばいい。東京裁判史観はその中で乗り越えられるに違いない。





写真は8月のチェンライ郊外、まだ田植えをやってます。