チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

8月に思うこと

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8月に思うこと

■ 安倍談話
安倍首相の戦後70年の談話は、よく練られたものであった。一部保守層から、またリベラルの側からも非難されたが、それは一方に偏った見解ではなかったことを示している。米国、豪州、インドネシアなどの国から絶賛され、意外にも中国、韓国は非難をかなり抑えた。却って日本のマスコミや野党の方が大騒ぎ。

朝日新聞の15日付社説は「いったい何のための、誰のための談話なのか」のタイトルで、

 「安倍首相の談話は、戦後70年の歴史総括として、極めて不十分な内容だった。侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、国際的にも注目されたいくつかのキーワードは盛り込まれた。しかし、日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされた。反省やおわびは歴代内閣が表明したとして間接的に触れられた。この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う」。

侵略と謝罪を盛り込め、談話を出せと言っていたのは朝日でなかったか。自分の思い通りでなかったから出すべきではなかった、という。朝日の「変わらぬ報道姿勢」は今も健在だ。

安倍氏がここで潔く謝罪し、国民とアジア諸国民との間に横たわる負の連鎖を断ち切る――。こんな決断はできなかったのか」、と朝日は言うが、これまでの内閣は謝罪して来なかったのだろうか。歴代内閣の謝罪で「アジア諸国民との間に横たわる負の連鎖」が断ち切れなかったばかりか、相手はかさにかかって謝罪を求め、結果、日本の国益を損なってきたではないか。

「(安倍首相が)国会での数の力を背景に強引に押し通そうとしても、多くの国民と国際社会が共有している当たり前の歴史認識を覆す無理が通るはずがない」と朝日は言う。
しかし共同通信社が14,15両日に実施した全国電世論調査によると、安倍談話を「評価する」との回答は44.2%で、「評価しない」の37.0%を約7ポイント上回り、内閣支持率は43.2%で、前回7月の37.7%から5.5ポイント上昇した。YAHOOのネット調査では73.5%が安倍談話を評価している。日本国民の良識は健在である。

朝日は社説でいう「多くの国民と国際社会」、「当たり前の歴史認識」とは何かをはっきり説明して欲しい。まさか多くの国民とは朝日新聞社員、国際社会とは中韓2国、当たり前の歴史認識とは反日ではないでしょうね。

■大東亜解放戦争
自分としては今回の談話で、安倍さんが欧米の植民地主義をチクリと批判していること、子や孫に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない、とリベラルの歴史認識にくぎを刺したことを評価している。

8月15日を過ぎて、マスコミの終戦特集は例年のように憑き物が落ちたように消えてしまった。多少、不謹慎なたとえであるが、クリスマスのあとのツリーや正月明けの松飾を思わせる。8月始めから15日までが戦没者鎮魂、反戦デーが続き、そのあとは9月1日の震災を忘れるな報道に流れていく。個人的にはなんだかな―という気になる。

今年の戦後特集をネットで見ていて、これまでと少し方向が変わったかなと思う。それは贖罪一辺倒ではなく、日本には戦う理由があり、米国だって決してほめられたものではない、つまり、公平な立場で国際情勢、歴史の中で大東亜戦争を見直そうという動きである。

東条内閣が今次の戦争を大東亜戦争と呼ぶ、と閣議決定した。だから日本は大東亜戦争を戦ったので、太平洋戦争を戦ったのではない。大東亜にはアジアの勃興、つまり、白人にふれ伏すべき劣等アジア人が白人宗主国に楯突く響きがあってよくない、という理由でGHQに使用を禁じられた。米国の占領は終わったが、未だにNHKを始めとするマスコミは大東亜戦争を使わない。日下公人さんは先の戦争を大東亜解放戦争と名付けるべきだった、と言われている。更に帝国陸海軍は大東亜解放軍と改称していれば、世界が日本を見る目は変わったのではないか。

■本当の気持
原爆、東京大空襲など非戦闘員を無差別に殺戮した米国の「戦争犯罪」を指弾する声が少し大きくなったことも今年の特徴だと思う。母は若い頃、人間に魂があると言うなら、どうして原爆でやられた人たちが幽霊となって、米国に祟らないのか、と言っていた。

たまたま原爆投下直後に広島に入った軍人がいた。皮膚がぼろぼろに垂れ下がった被爆者がすり寄ってきて、「兵隊さん、必ず仇(かたき)をとって下さい」、と口々に訴えたという。

被爆者の心、戦没者の気持、などというが、自分の都合で言い換えてはならない。日本人なら「仇をとって下さい」の訴えを常に、深く、噛みしめるべきである。