チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ナーン小旅行 4

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ナーン小旅行(4)

■ムラブリ族
ナーン国立博物館の1階には県内に暮らす少数山岳民族の生活民具や習俗に関する展示がある。ムラブリ族について多くはわかっていない。ナーン県、隣のプレー県に合計250人のムラブリ族が確認されている。いわゆる滅びゆく、もしくはもう滅んでいる少数民族だ。

ムラとは人、ブリは森、文字通り、森に暮らす狩猟、採集民族だ。タイやラオスでは「ピー・トン・ルアン」と呼ばれる。「黄色いバナナの葉の精霊」、
外国では The Spirits of Yellow Leaf 「黄色い葉の精霊」として知られる。
時には狩りをし、蜂蜜、木の実、芋などを採集し、数日から数週間で移動を繰り返す。移動したあとにはバナナの葉で葺かれた小さな日除け小屋と焚き火跡が残されているだけ。
他民族とのかかわりを避け、素早く移動していたため、彼らの存在が世界に知られたのは20世紀になってからだ。1938年にベルナザイクがムラブリを初めて紹介した本が翻訳されている(「大林太良(1994)『黄色い葉の精霊』アジア文庫 平凡社」)。日本にいれば読みたい本の一つだ。

人種的にはモンゴロイドで、明らかにタイ族やモン、シャン、アカ、リスなどの少数山岳民族とは違う。言葉はモン・クメール語派のカム語に近いという。文字も口承伝承も持たない。古代は平地にいたものが他民族に追われて山の中に入り、環境に適応するために文化的に退行したものではないかとも言われている。

■万事控えめの人々
ムラブリ族はリーダーはいるものの狩猟や採取で得たものは村人全員に平等に分ける。言葉は囁くようであり、森の精霊にふさわしくやさしく、まるで鳥が歌うようであるという。
ある日本人がムラブリ族の幼女に持っていたクリームパンを半分あげたところ、彼女は近くにいた子供たちを呼び集め、少しずつちぎって渡し、自分はほんのひとかけらを口にしたという。

「ムラブリはとても正直で心やさしく、穏やかな性格の持ち主で、争いごとを好まない。嘘をつかないし、盗みもしない。何かトラブルに見舞われそうになれば、ただ逃げるだけである」という報告がある。そういった性格を育む平等で助け合いの生活を長く過ごしてきた。

ムラブリ族の平均寿命は35歳ほどだった。たくさん生まれるがマラリヤ結核などで死ぬ子供が多いからだ。精霊のお告げにより、農耕、牧畜はしなかった。今は政府から植物の種や豚や鶏を無償提供され、また社会から寄付が集まり、暮らしは変わった。もう裸で暮らす人はいない。定住し始めた当初の草葺きの家はスレート葺きになったし、栄養状態も良くなった。平均寿命も延びた。若者はタイ語を話し、バイクにも乗る。森での生活を経験し、伝統的生活習慣や技術を記憶している人々はもう40歳を超えている。
定住していてもムラブリ族は核家族単位でプイと村を出ていく。ムラブリ族としての文化的結束を強める風習、伝統的な祭りといったものが無いらしい。つい半世紀前まで金銭とはほとんど縁のない生活を送ってきた彼らであるが、もう元の森の生活に戻ることはできないであろう。

■失われる誇り
定住生活をするようになってムラブリ族は世に知られる存在になってきた。その「生態見物」に人が集まるようになって彼らの生活は一変する。彼らの住むナーン県ウィエンサー郡のホイユアク村はすでに観光村となっている。

欧米の観光客がガイドに連れられて村に来ると、わざわざフンドシ一丁になって火打石での焚き火、昔ながらのバナナの葉でできた小屋で豚の丸焼きなどの実演を見せてくれる。この様にお金を稼ぐオジサンがいる半面、大して働かなくても食べられるようになったため、朝から酒におぼれる人も出ているという。異文化に適応できなかったアボリジニーアメリカンインディアンを思い起こさせる話ではある。

ホイユアク村に来るのはファランだけではない。タイ人のお金持ちがランドクルーザーで乗り付け、子供たちを集め、ジュースを1本ずつ与える。しかし、ワイというタイの挨拶をし、コップクンカー(タイ語でありがとうの意)と言わない子にはあげない。
そのタイ人は決して悪意でそうしているのではないと自分は思う。タイの言葉や礼儀を学ぶことが彼らの明るい未来につながると思ってのことだろう。

援助は時として援助を受ける人の誇りを打ち砕く。善意の支援であっても、結局、それは持てる者の奢りに過ぎないことがある。
ムラブリ族で酒浸りになる人がいるというが、それは強者に対する彼らのささやかな抵抗ではないのか。

写真一番上は「博物館正面」、次が「庭」、「博物館の内部」、「山岳民族の民具」が二点。