チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ナーン小旅行 5

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ナーン小旅行(5)

■ムラブリ族
先日,友人に会ったら、あれ、もうナーンから帰ってきたの? と言われた。ブログの旅行記が続いていたので、ずっとナーンにいると思っていたらしい。ナーンへは2月3日から5日までの2泊3日の小旅行であった。

旅行2日目の朝に博物館に行った。そこでナーン県のムラブリ族の説明展示を見た。佐渡の朱鷺ではないが、生物はある程度の個体数がないと絶滅する。民族も同じでムラブリ族のように、確認されているだけで300人弱といった数では今後、民族として存続することは難しい。

ムラブリとは「森の人」の意味だが、インドネシア語で「森の人」と言えばオランウータンだ。同じように好奇の目で見られてきた。ムラブリの存在は1970年くらいまでほとんど世界に知られることはなかった。
牧畜も農業も知らずに裸で暮らしている未開部族、石器など使っていないのに石器時代そのままに、などと書いてあるレポートもある。モン族の農業の手伝いなどをすることはあったし、どうして得たのかわからないが鍛冶の技術を持っている。

■興味本位で
文明と隔絶した生活を送っている未開部族が時折、アマゾン奥地などで発見される。彼らに会いに行くは時間もかかるし、危険も伴う。行っても会えるとは限らない。ところがナーン県はムラブリ族の観光化を進め、彼らの住むホイユアク村までの道路を整備している。バンコクから空路1時間10分、誰でもいつでも「未開の裸族」に会えるのだ。

1983年、バンコクのある会社が、自社の物産展の呼び物として、ムラブリ族をバンコクに連れて行き、全国的に知られるようになる。男女とも腰を覆う布切れだけで暮らしていたので民族衣装はないし、独自の音楽、舞踊も持たないのであるが、バンコクではムラブリ族ショーなるものが催されたという。もっとも、アイヌの熊祭りは昭和に入って日本人が考案したものというから、少数民族を利用しようという人の考えはいずこも同じかもしれない。

ホイユアク村には研究者ばかりでなく、観光客もテレビも来る。1980年代初めにNHKがムラブリの伝統的生活を紹介した。2003年2月には「世界ウルルン滞在記」(毎日放送)で広瀬久実が森の中?でムラブリ族に出会っている。高嶋政宏がムラブリ族を紹介するという番組もあった。

これまで文明と接触したことのなかった彼らだが、自分達が見世物になっていることはわかる。訪問者が多くなるにつれ、タイ人用、ファラン用、日本人用などの仮面をかぶり、それなりのショーと割り切って対応するようになったことは想像に難くない。

■タイに吸収される民族と文化
2000年にタイ政府は定住を条件にムラブリ族にタイ国籍を与えた。定住すれば定職がいる。観光客相手のショーを演じるのか、モン族やタイ族の農業の手伝いをするのか。年配のムラブリ族は、森はすべて自分達のものだったのに、モン族やタイ人が木を切り倒したため、自分達が住めなくなった、とこぼす。

ムラブリの子供達は学校に通い、タイ語を習得している。彼らの言語習得能力の高さは言語学者も驚くほどであるが、その反面、ムラブリ語は話者自体の減少もあってもはや消え去る運命にある。ムラブリ語を今から言語学的に解明したり、保存することは言語学者でもお手上げの状態らしい。

今回のナーン旅行ではムラブリ族の住むホイユアク村には行かなかった。火打石で火をおこし、竹筒でご飯を炊くショーを見てもどうか、と思うし、森の生活から切り離され、見世物になっている彼らを見るに忍びないということもある。

実はムラブリだけではなく、狩猟移動焼き畑農民だったアカ族、ラフ族、リス族などにも、開発と援助をめぐって同様の問題が見られる。彼らは今、国籍を与えられ、定住している。よりよい職業と高収入を求めて街の学校に通い、都会に働きにでる。村に残って細々と農業をしているだけでは将来の展望が開けないのだ。だが、海外からの援助の多くは少数民族の伝統と暮らしを守る、がスローガンになっていて、タイ政府の少数民族同化政策と合致しない面がある。

貧しくとも村に住み、独自の伝統と文化、言語を守るという動きと、豊かさを求めて、村を離れ、都会や観光地で2級市民として働くという動き、この2つの動きが山岳民族の中に共存している。

アイヌがそうであったようにムラブリとその言語、風習は消える。他の少数山岳民族は同じ運命を辿らないとは誰も断言できない。
日本でもこの分で少子化が続くと、紀元3000年頃には日本人は数百人しか残らないという。どこかの国で変なキモノを着て、「ジャパニーズショー」をやらされることになるかもしれない。

写真一番上が「ムラブリ族」、以外の写真はチェンライ750年祭に出演したアカ族です。