チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ドイ・フア・メ―カム

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ドイ・フア・メ―カム

■ひまわり祭り
チェンライ県の北西はミャンマー側へ半島のように突き出している。その突端にあるのがドイ・フア・メ―カム村だ。ソード・タイから更に36キロミャンマー寄り。まだガイドブックには載っていない山の村だ。ここのミャンマーの山に沈む夕日、雲海を破って昇る朝日は知る人ぞ知る美景、と言われている。

タイは基本的には平地の国である。北部や中部で降った大雨が1日5センチ位じわじわと増水していってバンコクに洪水をもたらす。平地なので、日本と違って水が一気に海へ流れていかないのだ。そのせいかタイの人は山が好きなようだ。それに高地は涼しい。チェンライはタイのスイスと言われ、バンコクのお金持ちはロングスリーブの服を楽しむために、チェンライのリゾートを訪れるという。

チェンライ市内はせいぜい海抜500mくらいだが、ドイ・フア・メ―カムは海抜1800m。タイで「寒さ」を体感できる貴重なスポットである。この村一帯は国立公園となっており、11月にはメキシカンサンフラワーが山の斜面を黄色く埋め尽くし、村を挙げてのひまわり祭りが開催される。タイ国内はもちろん、遠く海外からも観光客がこの山村に押しかけるという。

■土埃の中を
例年、11月の第3土、日にドイ・フア・メ―カムのひまわり祭りが開催される。ソード・タイのガイド一級と自負する自分としては一度、この祭りを見ておきたい。25年落ちの愛車、カリビアンに友人2名を乗せて、朝7時半にチェンライを出発した。まずソード・タイまで約1時間半、ここから36キロほど山道を登る。数年前に書かれたレポートではダートコースを2時間、と書いてあったが、発展著しい中進国タイであるから、現在はほぼ舗装されている。まだ工事中だったり、ダートの個所はある。悪路に差し掛かると、もうもうたる土煙で前が見えなくなる。後塵を拝するということは辛いものである。すぐ窓を閉めるのであるが、後部座席に置いたリュックは細かい粉土で白く覆われてしまった。

日頃は通る車やバイクは殆どないのだろうが、年に一度の祭り、山上を目指して、交通量は多い。途中行き過ぎる村にも盛装して迎えのトラックやソンテウを待つ人々が多くみられた。一本道だから、間違いようがないのだが、時折、道端にお祭りの看板が立っている。やがて、村の入り口を示す、ゲートがあらわれた。英語で「ドイ・フア・メ―カムへようこそ」。うん、間違いない。

■ひまわり広場
村内の駐車案内には陸軍の兵士が当たっていた。10時半だが、靄が立ちこめ、ブルゾンが必要なほど寒い。駐車場のあたりにもメキシコひまわりの群生がある。ひまわりと言ってもキク科の植物で、花の大きさは直径15センチほど。

村は斜面に沿って家が立ち並んでいる。斜面の中ほどに広場があって、そこがお祭り会場になっている。広場に至る小道の両側には焼き鳥や土産物の屋台が出ている。以前は村にクンサーの兵士が駐屯していて、盛んにアヘンを栽培していたという。今はコーヒー生産が主流、コーヒー豆の屋台も出ていた。

広場後方の斜面は一面ひまわりの黄色で覆われている。全山が黄色に染まります、というキャッチフレーズほどではないが華やかで、誰でもデジカメを向けたくなる美しさだ。メイン会場であるから屋台も多く、山岳民族やタイ人、観光客で一杯。広場のわきにはアカ族のブランコが作られていた。このあたり、アカ族、リス族、ラフ族、モン族、タイヤイなど多くの山岳民族が住んでいる。お祭りとなれば、各民族がそれぞれの衣装を着て踊りを披露する。この各民族の踊りが祭りのウリとなっている。まだ昼前なので、踊りは始まっていないが、リス族の衣装を着た娘さんが待機してて、観光客とのツーショットに応じていた。観光客の中に白人のお嬢さん二人いたのだが、タイ人がこの二人と次々と写真を撮る。そんなに美人でもないが、ファランが珍しいのだろうか。

我が同胞の集団がいて、山岳民族の子供たちにプレゼントを渡すセレモニーをやっていた。長いことタイにいると、雰囲気で、あっ、この人は日本人だな、と分かるようになる。日本女性はたおやかで品がいいように感じる。日頃、ブアさんやニイさんを見ているせいか。
チャーハン目玉焼き乗せ、25B、手羽元唐揚げ3本20B、遠くミャンマーの山々を眺めながら昼食、霧が晴れると日差しが急に強くなる。

帰る時、駐車場入り口がトラック2台で塞がれ、カリビが出せない。無線で不法運転手を呼び出してくれた兵士に「昼飯でも」と友人が100B差し出したが、峻拒された。これは軍政のよい影響かもしれない。