文化、伝統の継承
■ アカ族の人口
タイにおけるアカ族の人口は、1996年タイ社会福祉局の調査によると、256集落、49,903人となっている。漠然と5、6万人いるのかなあ、と思っていたが、アトゥの奥さんの葬式で出会ったアカ連合会の元会長の話では、もう10万人を越えているという。近年、ミャンマーから移ってきたアカが多い。ミャンマー国境には民族紛争があるし、ビルマ軍は少数山岳民族の人権には考慮しない。それと、やはり経済的問題が大きいだろう。タイは中進国であり、経済成長率は2013年予測で低くなったとはいえ4%、失業率は2012年で1%以下である。
チェンライでも建設ブームで、土地の値段がどんどん上がっている。女中のブアさんは2年前、100坪の土地を15万B(約45万円)で買ったが、最近、隣接して造成された土地は100坪で50万B(150万円)で売り出されたという。
好景気とインフレは兄弟みたいなものだから、我々は来た5年前、庭掃除のおばさんの日当は150Bだったが、今では350B出さないと来てもらえない。
殆ど金銭と縁のない暮らしをしていた少数山岳民族もタイに行けば豊かな暮らしができる、と移住してくるのだろう。安価な労働力を確保するために、タイ政府も出入国管理を以前より緩和している。
■アカ社会の変貌
アカ族がタイに住みつくようになったのはせいぜい100年前のことである。移動焼畑農民であるから、ラオスやミャンマーから山伝いに移動してきたところがたまたまタイだった、という感じか。精霊信仰を守り、せいぜい数十戸の村で暮らす。
日本の農村も昔は古くからの仕来り、慣習がしっかり根をおろしていて、年寄りや親のいうことに従っていれば問題の無い社会だったのだろう。しかし、経済成長に伴って、農村から都会へと労働力が移っていく。三ちゃん農業などと言われたのは昔のことで、今では農業の担い手がなく、村の祭りの存続も覚束ないという地方もある。
アカ族にしても同じ問題がある。若い人は都会で働く。またミッショナリー、各国NGOの援助により、子弟は親元を離れ、タイ語を学び、タイの教育を受ける。親の話すアカ語はダサいと思われる。
関西地方は別にして、東北、九州、あるいは沖縄から上京してきた友人が、言葉のなまりをどうやって東京弁に近づけようか、と必死になっていた。まあ都会育ちに自分にしてみれば、何でそんなこと気にすんの、と時には滑稽に感じたが、本人にとっては真剣だったのだ。
アカ族のタイ語にもアカなまりがあって、それでタイ人からバカにされることがある。
■いつまで続くか、文化と伝統
アトゥの奥さんの葬式はアミニズムの古来の方式だった。村総出で葬儀が行われ、連日、参会者全員に三食を供する。精霊への生け贄、参会者のへのご馳走として毎日、豚や水牛を屠殺しなければならない。お金持ちでなければ、もうアミニズムに則った正式の葬儀を営めないのが実情だ。
小さい集団で移動、焼き畑を繰り返してきたアカ族には独特の風習、祭りがある。風習は村の構成員にとって実は大きな枷となっている。日本の田舎と同じで、この目に見えぬ規制がいやで村を出るという若者もいる。
また、アカ族では双子の誕生は不吉なこととして、赤ん坊は殺される運命にあった。今では双子が生まれた途端にキリスト教に改宗する手段があるので、赤子殺しは無くなっていると聞く。葬式もキリスト教なら簡素でお金がかからない。
日本でもキリスト教や無宗教で葬式をする人が増えていると聞くが、宗教上の理由よりも経済的メリットからそうする人が多い。
■支援のパラドクス
北タイでは多くのNGOが、少数山岳民族の支援を行っている。民族の誇り、伝統文化を継承してほしい、というのがNGOの願いだ。NGOの活動は貧困対策、教育支援の2つが大きな柱だ。多少、豊かになれば情報も増え、収入が不安定な農業よりも都会で就業機会を求める人が増えてくる。
教育支援で子供たちを高校、時には大学まで行かせる。アカの女の子は頑張るから、高校、大学に行くのは女の子が多い。教育を受けた女性が村に帰って、小卒の男と一緒に農業を継ぐことはまずない。誤解を恐れずに言えば、NGOの支援は本来の目的とは逆に、村の伝統文化を破壊し、タイの二級市民を作っているだけともいえる。
世界には3000を越える民族が存在するというが、国民国家はせいぜい200だ。
民族は国家に収斂されていくのか、それとも貧しくとも伝統文化を守っていくのか、それを決めるのは彼ら自身で、自分が口を出せる問題では勿論ない。
写真は前号の葬式のものです。
お父さんにおんぶした子供は、英国婦人とアカ族とのハーフです。