チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ブログ500号

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ブログ500号

■回数だけは
タイで書いたブログの数が500になった。1年は52週、週2回のアップだから1年100回強、タイに来てからほぼ5年で500回。一回400字詰め原稿用紙にして4枚半ほど、500回というと1800枚になる。岩波新書講談社新書は原稿用紙にして350枚から400枚といったところだから、分量としては新書4冊から5冊に相当する。これだけの長さの駄文にお付き合い下さった読者の方々に、この機会を借りて厚く御礼申し上げたい。

分量はともかくとして、もちろん内容は本にするようなレベルではない。ウズベキスタンに赴任する時、ある人から2年間、一つのテーマを追いかけていれば本が一冊書けますよ、と励ましを受けた。その時はそんなものかなあ、と聞き流したが、ウズで書いたブログの3分の1を一つのテーマに絞っていたら、分量としては本1冊分にはなっていただろう。でも、一つのテーマを追いかけるということは受験勉強を続けるようなもので、日夜緊張とひたむきな努力が要求される。怠け者である自分には根が続かない。

考えてみれば、浪人するつもりだったから受験勉強だって、形だけ1,2カ月ほどやっただけだ。
浪人を経験したお陰で、頑張れば何とかなるという教訓を得た、という友人がいる。友人から見れば、お前は格好だけ付けて、不真面目に人生を過ごしている、ということになるのだろう。

「今日という日ある限り働くのだ」といったゲーテには及ぶべくもないが、自分はこのように無為に日々を過ごしていていいのだろうか、と反省することがある。

■タイに暮らす
50歳になった頃からチェンライをたびたび訪れるようになった。それはアカ族との出会いがきっかけとなったからで、このことは何度か書いた。
ネットや図書館でアカに関する記事や本を読み、いつかアカ族の村に住んで、民俗学者の真似事をしてみたいと思うようになった。日本の学者はせいぜい3,4カ月アカ村に滞在して、通訳を介して情報を集め、レポートを書く。アカ族の女性と結婚し、アカ村に何年も暮らす退職者はいるが、そういった人はモノを書かない。

自分がアカ村に住み、アカ語を学んで、テーマを掘り下げれば、ネットで読む学生の修士論文より面白いものが書けるだろう、という自負はあった。論文をいくつも書いたからとて、学会に属していないから、発表の場があるわけではなし、教職のクチがかかってくるわけでもない。それに教えることはウズベクで経験済み。教師に向いていないことはわかっている。

アカ村に草葺きの家を建ててもらい、そこに通いの小女を一人置き、自分は窓辺の小机で筆を走らせる。立身出世はもとより、身過ぎ世過ぎの糧とはならぬが、好きなことをして余生を送る、そういった生活にあこがれた。

■初志貫徹の決意が揺らぐ
というわけで、お母さんがお亡くなりになったあと、どうされるんですか、と聞かれた時、アカ村で暮らす、と答えていた。でも最近は、さあ、どうしますか、とあいまいに言葉を濁す。

アカ村滞在が2,3日ならばいい。でも4日、5日となってくると、初めは新鮮で美味しいと思ったアカ料理がいやになってくるのだ。まず、調味料は塩だけ。味噌、醤油、マヨネーズ、バターなど全く使わない。味は単調だ。いくら採りたて野菜、新鮮豚肉スープでも塩味だけでは飽きてくる。調味料はないわけではなく、ナムプリックという漬け汁があるが、飛び上るほど辛い。唐辛子の塊だ。村の人はご飯や茹で野菜にこの汁をつけて食べる。ほかの料理も辛いものが多い。皿数は多くても食べられる料理は限られる。
アトゥのお父さんの葬式で5日ほどアカ村に暮らしただけで、あこがれの生活の厳しさを知った。

アカ村に住む限り、人間の3大欲望の1つ、食欲をあきらめなければならない。若ければアフリカの奥地でトウモロコシ粥を1年啜り続けても、将来につながるからと、民俗調査を頑張れるかもしれない。

でもそう長くもない余生、1日3度のささやかな楽しみをあきらめてまでもやるべきこととは何であろうか。誰も読まないレポートなんか書くよりさあ、うまいもの食って、うまい酒飲んで、あー、今日も何事もなく過ぎた、シャーワセ、シャーワセ、それでいいじゃん。

遠藤周作の小説には、どうしようもないダメ人間が出てくる。自分の弱い性格と重ね合わせて、落ち込むことがある。「自分の弱さを背負いながら一生懸命生きるのは立派だ」と遠藤先生は弱い人を優しい目で見る。

でもラオカオ飲んでネットを見て寝てしまう自分は、立派な生き方をしているとはとても言えない。


写真は今が盛りの花と収穫を終えた稲
この写真は切り株の上に稲穂をおいて乾燥させているところ。タイ米は背が高いのでこの方法で乾燥させることが可能です。日本米は背が低く田んぼ乾燥はできず、またタイ米のように地面に打ち付けたくらいではモミが稲穂から離れませんので、日本米は手がかると言ってこちらの農民には評判が悪いです。