チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

再びアカの葬式へ

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再びアカの葬式へ

■アトゥの奥さんの葬式
アカ族の子供寮、スーファン寮(夢の家)の代表、アリヤさんから電話があった。アカ教育文化協会の代表、アトゥの奥さんが亡くなったとのこと。アトゥはアカの文化、伝統を守ろうという活動を実践しており、チェンライの、というよりタイの有名人である。先日、ホェイモ村を再訪した時、村長のソンバットさんが、アトゥの奥さんがガンに罹っており、具合がよくない、明日は山を越えて、お見舞いに行くなどと話していた。それから1月もたっていない。心より冥福を祈る。

2年前、アトゥのお父さんの葬式に参列した。葬儀は5日間続いた。丸太からの舟棺制作、精霊への詠唱、あるいは生け贄の豚や牛の屠殺、解体など民俗学者ではない自分にとっても興味深いものだった。しかし朝昼晩と単調な味のアカ料理を食べ続け、最終日、雨の中の埋葬に3時間も立ち会ったため、帰宅後、高熱を出して寝込んでしまった。(この時のレポートはこちらから、http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/52082577.html )

お父さんの葬式の時は、アトゥから、「アカの伝統に則った葬儀をするから」と直々の招待を受けたので、5日間付き合ったわけであるが、今回は何日間続くかもわからないし、最終日の埋葬の日だけ顔を出すことにした。

■センジャイパタナへ
葬儀場はお父さんの時と同じセンジャイパタナ村にある実家。チェンライ市内から車で1時間ちょっとの距離だ。9時過ぎに着いた。道はバイクや車で一杯だ。前回と同じく、家の前の広場にはテントが張られて、その下では100名を超す人々がテーブルについて、豚肉の塩スープやら茹で野菜を食べている。
お棺が安置されているというアカ様式の家の2階に上がる。部屋の入口でアトゥに会えた。何と言っていいかわかりませんが・・・。取りあえず香典とウィスキーの瓶を渡す。促されてお棺が安置されている部屋に入る。菊やバラの花輪がお棺の周りだけでなく部屋一杯に飾られている。お棺は丸太をくり抜いた伝統的なものではなく、菩薩様が四方に彫り込まれた高級市販品である。奥さんは享年48歳。何度か彼女とは会っている。飾られた写真を見て思い出した。控えめで清楚な女性だった。

みんなと朝飯を食ってくれ、とアトゥに言われたが、朝食は済ませてきた。階下のテントへ戻る。メンバーは2年前とほぼ同じであるし、5年もチェンライにいるのだから、多少は顔が広くなる。あちこちから声がかかる。葬式外交、それぞれ挨拶をして回る。
2年前は会場全体がラオカオの匂いに包まれていたが、この日は葬儀5日目、最終日のせいか、ラオカオのお勧めはあまりない。テーブルではビールを飲んでいる人も多い。

■目の前で水牛が牛肉に
庭で数人のピマ(呪い師)が詠唱を始めた。ピマの家系に生まれ、今はピマ見習いという、16歳の少年も混じっていた。
杭に水牛が繋がれた。立派な雌牛だ。水牛に塩をなめさせて落ち着かせる。お父さんの葬式では5日で5頭の水牛が屠られたが、いつも早朝に儀式が行われたため見ていない。水牛が屠殺される場面を見るのは今回が初めてだ。ピマが長さ2mほどの槍を取り出した。先端30僂鋭い刃となっている。村人が緊張して見守る中、ピマが呪文を唱えながら、牛の胸に一度、二度と槍を突き刺す。牛は叫び声も上げず、杭の周りを半周し、前足で土を蹴った。左胸から血が流れているが吹き出すというほどではない。心臓を刺し抜かれ、血は胸腔を満たしているのだろう。水牛は絶望したように上を見上げると、足をもつれさせてどうと倒れこんだ。

その時を待っていたように、男たちが一斉に牛に飛びかかった。直径15僂曚匹糧弔魑蹐梁里両紊肪屬、板の上に数人の男が乗る。牛の肋骨はこの重さで折れたのではないか。牛の口に棒を突っ込み、無理やり開けさせた口にバケツの水が何倍も注ぎ込まれた。間違いなく水死する量である。溢れた水はテントまで流れてきた。喉に棒を突っ込んでいた男が牛の目を指で触って死を確認する。すると女たちが袋に入れた籾を運んできて、牛の頭に振りかける。籾で牛の頭は完全に覆われてしまった。2年前の葬式では、朝行ってみると籾に埋もれた牛の死骸がある、という状況であったこと思い出した。

■お父さんの傍らに
出棺は午後一時過ぎだった。棺、花輪、それに故人の衣服、あるいは紙でできたお札、金貨などがトラックに載せられた。墓場は2年前、アトゥのお父さんが葬られた山の斜面だった。彼の墓から2mほど下がったところにセメントで固められた墓穴ができていた。そこに男達の手で棺が降ろされ、故人の衣服、身の回りの品と共に埋葬された。


写真はアカの葬儀。
上から「お棺」「ピマ(呪い師)の詠唱」「埋葬」以下牛の解体の様子。