チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

センジャイパタナのブランコ祭り

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センジャイパタナのブランコ祭り

■イェクザ・ラチュ・ビウ
アカ語で「イェクザ・ラチュ・ビウ」、ブランコ祭りの季節がやってきた。ブランコ祭りは8月中旬から9月初めにかけてアカ族の間で行われるお祭りだ。ブランコ祭りについては毎年のように書いている。ブランコなんか見て何が面白いの?と言われるかもしれないが、アカ族の衣装はエキゾチックで美しい。絵になる、というのであろうか、アカの伝統衣装をまとった女性は3割方美人に見える。少女であれば谷間に咲くリンドウのように可憐で愛らしい。思わずシャッターを切ってしまう。日本の浴衣や振り袖と同じで、現代では山岳民族が伝統的衣装を着るのはお祭りのようなハレの日に限られる。
ブランコ祭りはアカ族最大の祭りだ。今年もアカ協会のアトゥに連絡して各村で行われる祭りの予定を教えてもらった。キリスト教に改宗して伝統的な精霊信仰から遠ざかった村もあるが、今年も多くの村で祭りが開催される。

祭りや伝統を忘れることは民族の独自性、地域の連帯、誇りを失う道である。
日本ではアメリカの占領時代に祭りが禁止された。祭りは郷土愛を深め、愛国に繋がる、愛国はいずれ米国に歯向かう方向に進むと危惧したわけだ。柔道、剣道が体育の授業から外され、歌舞伎の仇討もの、例えば仮名手本忠臣蔵、曽我兄弟などの上演が禁止されたのも同じ理由だった。

福岡の博多どんたく、京都の祇園祭、大阪の天神祭り、東京の神田祭、秋田の竿灯祭り、こういった伝統的な祭りが完全に消滅したら、日本人は先祖、郷土、民族の共通性を失った、フワフワした「地球市民」になってしまうだろう。

■民族の誇り
アカ族も含め、山岳民族は二級市民としての扱いを受けている。タイは厳然とした階級社会である。最近も山岳の人の血液は輸血には使えない、といったデマが飛んで、チェンマイの病院の医師がそれを正式に否定するといった新聞記事があった。

差別の中にあっても伝統を守り、祭りを続けるアカ族は民族としての誇りを失ってはいない。ブランコ祭りはその象徴でもある。アトゥから、祭りに来るなら、自分の出身村、センジャイパタナがいいよ、そこで会おうじゃないか、と言ってきた。
センジャイパタナのブランコ祭りには3年前に行ったことがあって、「ブランコ祭り再び」という題で4本ほど原稿を書いている。あの時はテレビクルーと一緒だったが、今年もバンコクから取材が来るのだろうか。

祭りの期間は2日間とのこと。実は祭りの予定は未定である。これまでもアトゥの情報を基に山岳の村に行ってみたら、すでに終わってた、まだ始まってない、ということが何度かあった。でもこれはアトゥがいい加減だからではなく、村長の一存で予定は簡単に替えられてしまうかららしい。今回も初日に行ってみたら会場の小学校校庭で子供たちが竹の筒を持って踊りの練習中、ステージは飾りつけをやっている。祭り本番は明日とのこと。まあセンジャイパタナはチェンライから60キロ、車で1時間15分の距離だから、ちょっとしたドライブをしたと思えばいい。

若い女性はいないけれど
翌朝、村へ出なおした。前日、ジャージ姿で踊りの練習をしていた少女が清楚なアカ衣装で出迎えてくれた。日本人ということで来賓席へ、珈琲とカノム(ココナツ餅)の接待を受けた。珈琲がインスタントではない本格的な焙煎珈琲だったことに感激。そういえばこの村の至る所に珈琲の木があって、びっしり実をつけていた。

3歳から5歳くらいの幼児集団、そして12,3歳の少女集団、それから伝統舞踊保存会婦人部みたいな40代、50代のおばさんを中心とした集団の3つが広場でアカの舞踊を踊る。いわゆる10代半ばから20代の乙女は完全に欠落している。若い人は山を下りて学校に通うか、都会に働きに出ているからだろう。
アカの踊りは踊り手が垂直に持った竹筒を地面に打ち付けてステップを踏む。トントンと竹筒で地面をたたくのは地の中の精霊を呼び出すためとか。チェンライの大きなステージで見るアカダンスは現代風にアレンジされていて、必要以上に腰をくねらしたり、手を回したりする。でもこの村の踊りは単純なステップで、時折、膝をカクンと折る程度の素朴なもので、アカペラのアカ歌と共に自分としては好ましいものだった。

客の中にファランが3,4人、日本人は3人ほどで観光客を呼び込むというより、ごく内輪の祭りのようだった。しかし再会したアトゥが何人か中国人を案内してきたと言っていたから、これからはこのような鄙びた祭りにも中国人がどっと押し寄せてくるかもしれない