チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ブランコ祭り再び(4)

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ブランコ祭り再び(4)

■アカの村は坂の中
ブランコが完成したら、3つの近隣アカ村から女性が集まってきて、ブランココンテストをする。それをNOMOテレビが取材するという予定であったが、断続的に強い雨が降るため中止なってしまった。

でも山の天候は変わりやすく、雨が降っていたと思ったら、急に空が明るくなって太陽が照りつけてきた。アカセンターでお茶を飲んでいるだけでは手持無沙汰なので村を散歩する。センターからブランコ会場まで道は下りになっていて、道の両側にポツン、ポツンと家がある。家と家の間には珈琲が植えられていて、青い実がびっしり付いていた。

お祭りといっても華やかな飾りや人出でにぎわうということはない。静かな佇まいの村である。10分も歩けば村はずれに出る。戻ろうと来た道を見上げると恐ろしいほどの傾斜だ。登り始めたがこれが難儀。足の裏と脛の角度は45度くらいではなかったか。息が切れる。アカ族の村はこういった勾配のきつい山腹に造られている。旅人が村を去る時に村人と「サヨナラ」の挨拶を交わす。アカ語では去る人が山を登っていくのか、それとも下って行くのかで「サヨナラ」の云い方が違うという。
道の途中で休んでいると、小太りの幼児がタカタカと足取りも軽く道を登ってくる。

兄が、ジャマイカのスプリンター、ボルトは山の中で生まれ、坂道を走りまわっていたから、金メダルが取れたんだ、などという。山で育ったからと言って誰もが100mを9秒58 で走れるようになるとは限らないが、幼児の軽やかな走りは、お迎えの近い年代としては眩しかった。急坂を登る筋肉とテニスで使う筋肉は違うらしく、2,3日、ふくらはぎに痛みを感じた。

■アカの食事
夕食はアトゥたちと彼のおばさんの家で食べた。藤製の座卓にテーブルクロス代わりにバナナの葉が敷かれている。鶏のスープのほかに数点のおかずが並ぶ。バナナの花、筍、ドクダミ、薄荷などの生野菜が無造作におかれる。野菜は丸めて辛いソースを付けて食べる。おばさんがこれ美味しいよ、と長細いものを指す。直径1cm程度か。小蛇かと思ったが、田ウナギだった。時折ブアさんがタンブン用(川に放す)に買ってくるが、食べるのは初めて。箸でポキリと折って、円筒形のウナギを口でしごいて骨だけ残す。キモは築地でよく食べた鰻肝と同じ味がした。
料理には時限爆弾のような唐辛子が入っているので、それを除けながら一通りのおかずを食べた。

アトゥは「サスティナブル」な活動を目指すため、チェンライ近郊にアカ様式のゲストハウス兼レストランを建てる計画を語ってくれた。でも、アカ料理は塩味、野菜は庭に生えている野草、かなりの工夫をしないとレストランにリピーターを呼びこむことは難しいのではないか。

■アカの踊り
食事がすむと、アトゥが、さあ、踊りが始まるぞ、という。テラスで食事をしていたテレビクルーが姿を消していた。彼らを追って、村の広場に行く。薪の山が照明の先に見えた。かがり火を囲んで踊りが始まるらしい。村の男や子供たちも集まっている。アトゥを始め、男たちも民族衣装に着かえて、細長い太鼓や小型のシンバルを持つ。やがて10名を超すアカ女性が登場した。
薪に火がつけられ、男の先導する太鼓に従って、女たちが長い竹筒を土に打ちつけながら、かがり火を周りながら踊る。竹筒を打ち付ける音は先祖を呼び出す音だという。ドアのノックと同じか。
踊りは単純に見えるが、ステップが時折変わる。一人がステップを代えると、即座に全員がそのステップに合わせる。年長者の哀調を帯びた歌が流れる。

踊り手にはサトミちゃんのお母さんも交じっていた。一年に一回だからね、と楽しそうだ。でも踊りに参加している女性はサトミちゃんのお母さんが一番若いくらいで、アカ伝統舞踊保存会婦人部といった感じの年配女性ばかり。若い女性がいないのは仕方ない。センジャイパタナから1号線まで車で30分もかからない。そこから長距離バスで仕事のある都会へ行く。また高校、大学への通学は、街での下宿が普通。若い人は村を出て残るのは年寄り中心ということになる。過疎問題は日本だけではない。

祭りは伝統文化で、民族の誇りを呼びさまし、祖先への思いを新たにする行事である。
戦後、GHQは日本の祭りを禁じた。伝統を遮断することにより、日本人を骨無しの「地球市民」にし、郷土愛、愛国心を消し去る企みであった。だが日本の祭りは復活し、年々盛んになっていく。

伝統が途絶えるとき民族は消える。アカの踊りを見ながら、そんなことを考えた。
(続く)




写真は珈琲の実、坂道、田ウナギ、踊り、アカ女性ではなく地元の女子大生と、踊りを見る子供