ナーン旅行
■複雑な歴史
ナーンはすでに10回くらい訪れている。チェンライから約220キロ、タイ北部の県だ。ラオスと国境を接している。13世紀にはカーオ王国というタイ族の一派であるカーオ・ナーンという民族集団の都市国家があった。この国はお隣のパヤオ王国、スコタイ朝、チェンマイのランナー朝と抗争を繰り返し、15世紀半ばには滅ぶ。その後、18世紀にビルマの後ろ盾でナーン王国が成立、これにシャムが介入し、王国にビルマの認めた王様とシャムの推す王様が2人並立していた時期もある。大国のはざまで、こっちに付いたり、あっちの味方をしたり。
タイは先の大戦で日本と共に英米に宣戦布告しながら、いつの間にか連合国の一員として戦勝国の仲間入りを果たした。その卓越した外交力はとても日本の及ぶところではない。昔から小国家に分かれて離合集散を繰り返してきたので、外交能力が自然と身についたのではないか。
■ナーン国立博物館
さて、ナーン王国は1931年まで続き、子孫は貴族に列せられている。国王の住居であった洋館が残っていて、今は国立博物館となっている。弟夫婦と昨年訪れた時、博物館は内部修理のため閉館だった。今年の3月に再訪したが、まだ工事中で展示は1階のみ、本来であれば先史時代の遺物やカーオ王国時代の古仏が見られるのだが、ナーン王家の至宝、黒象牙と民俗資料の一部を除いて、展示品はほとんどなかった。
展示品が少ないからであろうが、入館料は無料だった。
タイの博物館、国立公園の入場料には、タイ人価格と外人価格があって、時には外人はタイ人の5倍ほどの入場料を徴収される。60歳以上であれば、外人でもタイ人価格となる場所もある。以前、このナーン国立博物館で外人価格を請求され、以前は老人割引だったのに、と免許証を見せてごねていたら窓口のお姉さんが、根負けしたのか、タイ人価格にまけてくれたことがある。また老人力を行使してタイ人価格を勝ち取れるか、と緊張していたが無料と言われて脱力してしまった。
今回は弟夫婦と3度目のナーン訪問だったが、博物館の内装工事は続行中。広い庭の中に建てられた趣のある2階建ての洋館の写真を撮っただけで、入館はしなかった。
■ワット・プーミン
ワット・プーミンはナーンで一番有名なお寺。16世紀、カーオ王国時代に建てられたというが18世紀にビルマ軍によって徹底的に破壊され、現在の本殿は19世紀後半に改修、建立されたものという。本殿はタイ国内で唯一の様式で、ジャトゥラムック様式( 4方向に出入口のある形)、4方向に向いている仏像、ナーガ(蛇神)の体の中央で本殿を支えている形、となっている。昔の1バーツ札にこの本殿が印刷されている。日本の百円札や1万円札に法隆寺の夢殿が印刷されているからワット・プーミン本殿はタイの夢殿と言っていい。
本殿内中央には4つの大きな釈迦像が互いに背を向けて4方向を向き鎮座している。これはいかなる方向からでもナーンに向かって手を合わせれば、仏様が正面から応えて下さるように、という配慮だそうだ。釈迦像はスコタイ様式、右手指先を地に付け(触地印)、まさに地の中から菩薩を呼び出そうとしている。タイではこの印を結んでいる釈迦像は多い。
内部の壁画はジャータカ(お釈迦様の話)、民話、昔のナーンの人々の生活ぶりが描かれている。この壁画は北タイ文化を代表する芸術品である。中でも裕福そうな婦人に入れ墨、ちょぼ髭の男が何やら囁きかけている図は特に有名で、ナーンはもちろん、チェンマイ、チェンライの夜店ではこのカップルをあしらったTシャツが売られている。
■禁酒日
弟夫婦は年回3回、2ヶ月のプチ・ロングステイを繰り返している。あまり遠出をすることは好まず、のんびりとチェンライ暮らしを楽しんでいる。今回の滞在でも2泊3日の旅は初めて。それもナーンに2泊だ。ナーンはこじんまりしていて、城下町の佇まいと落ち着きがある。古いお寺もある。魅力はそれだけではなくて、前回見つけた美味しい中華料理店に行ける、ということも二人をナーンに向かわせた理由の一つだと思う。2夜連続で中華料理を食べた。
残念なことはタイの憲法草案承認選挙のため、飲食店での酒類提供が禁止されていたことだ。タイでは選挙日とその前日は飲めない。1日目はビールを出してくれたが、途中で店員さんが禁酒日に気付き、ビールをコップからマグカップに移して飲む羽目になった。2日目は酒類を注文しなかったが、ここはタイ、うまく交渉すれば抜け道が見つかったに違いない。
写真はワット・プーミン、四面釈迦像、壁画、壁画コピー土産、ナーン国立博物館、丘の上の寺ワット・プラタート・カオ・ノイ、ナーン市街が一望できます。