チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ナーンの街で

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ナーンの街で

■ワット・プーミン
9月にナーンに行った。目的はボートレース観戦だったが、1日中レースを見ているだけでは疲れる。レース会場を抜け出して、ワット・プーミン見物に出かけた。

前回3月に来た時は本堂の全面改修工事を行っていた。今回再訪して見ると、金、白、赤に塗り直されてまるで新築の寺のようだ。1596年に建立された、とガイドブックには出ている。しかし古い歴史を感じさせるものは何もない。お寺は古びているほうが有り難みがあると思うのだが、タイ人と日本人の感覚はこういったところでも違う。
寺に安置されている本尊にしても、日本であれば石仏、木彫、乾湿作り、あるいは金銅仏など千差万別でそれぞれに趣きがあるが、タイの本尊といえば図体はでかいが金ピカ金属製の一点張り、お釈迦様の徳が金色(こんじき)となって現れるというのだが、本物のゴールドではないだけにかえって安っぽさを感じてしまう。

ワット・プーミンの本堂は十字形をしていて過去仏が四面四体に配置されている。だから東西南北どの入口から入っても、正面にご本尊を拝むことができる。金色ではあるが少し赤みを帯びており、心なしふっくらとしたお顔立ちだ。

■壁画
堂内は薄暗いが、目が慣れてくると壁から天井にかけて描かれた壁画ははっきり見えてくる。ジャータカ(本性譚)、ランナー地方の民間伝承、それにナーン地方の人々の生活が3層に分かれて描かれている。
伸びやかで人々の表情も生き生きとしている。この壁画は何度見てもいい。

フランス軍の一隊も描かれているところからそれほど古い時代のものではない。19世紀後半にタイルー族の絵師によって描かれた。タイルー族は19世紀前半に雲南省からナーンへ移住してきたと言われ、ボートレースもタイルー族の祭りだという。

刺青の男が妖艶な美女の肩を抱き、何やら囁いている絵がある。美女も満更でもない表情だ。これが有名な「刺青男と婦人の図」である。この刺青男が絵師本人ではないか、と言われている。

チェンライの5ツ星ホテル、デュシットは各部屋、各フロアにこの壁画のコピーを飾っている。北タイを、いやタイを代表する芸術作品だと思うのだが、保存が良くない。ナーンを襲った洪水で水浸しになったからというが、壁画の一部は剥落し、残っている部分も色がくすんできている。
日本の技術援助で150年前の美しさを取り戻して欲しいと思うのだが、高松塚古墳の彩色壁画を台無しにしてしまった文化庁では無理だろうか。

■ワット・プラ・タート・カオ・ノーイ
この寺はナーン市の南西3キロ、250mの山の上にある。市内を見下ろす斜面にはテラスが設けられており、そこに巨大な釈迦立像が一体ある。
ワット・プラ・タートの名称を冠するお寺はタイに数多くあるが、ワット・プラ・タートとは「聖なる物質」即ち、仏舎利のことで、仏舎利のある寺は当然ながら格が高い。
寺がある山の頂上まで車で登ることができる。街を見下ろすテラスには女子高生が3人いただけで森閑としている。この日はレースの決勝戦がある日だから観光客も街の人も皆、レース会場のナーン川へ出払ってしまっているのだろう。
テラスから双眼鏡を覗いてみたら、パッタナ・パックヌア橋と欄干に懸けられた垂れ幕の一部が見えた。

金ピカの巨大仏像の写真を撮ったし、山を降りようかな、と思ったら、女子高生がやってきてボートレース会場まで乗せていってくれ、という。お安い御用だ。中の一人が英語をよくしゃべる。いま高校3年、英語の教師になるつもり、コラートの大学を受けるなどという。ナーンにも教員養成の大学があるんじゃないのと聞くと、「ナーンの大学は程度が低いから行きたくない」とのこと。
地元を出て都会に行きたいというのは日本と同じか。

■再びレース会場へ
チェンマイはもちろん、チェンライでもファランを見かけることは珍しくない。しかしナーンではかなりの人出があったにもかかわらず、2日間で見かけた外人は二人だけだった。ドラゴンボートはやはりマイナーな競技か。

日本人も一人いた。身のこなしがタイ人とは違うからすぐ分かる。観光地で見かける日本人は、多くの場合、強烈な「話しかけるなよ」オーラを発散している。評論家加藤秀俊氏は海外で、「日本の方ですか」と話しかけて「ノー」と言われたことがあるそうだ。何がノーなものか、と書いていたが、自分も相手が困っていれば別だが、あえて話しかけないようにしている。

学生の時、スペインの街角で邦人とわかればお互い挨拶し、時間があればお茶や食事を一緒にした頃が今となっては懐かしい。

写真は上から「ワットプーミン」「ワットプラテートカオノーイ」「刺青男と婦人」