チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

北タイの仏教遺跡巡り(5)

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北タイの仏教遺跡巡り(5)

■タイの街と川
旅の3日目、サワンカロクからスコタイを通り過ぎ、カンペッペの遺跡を見物し、一泊280Bの宿へ泊った。この日の走行距離は170キロ。カンペッペにはピン川という比較的大きな川が流れている。1日目に泊まったラムパンにはワン川が流れていて雨季にはボートレースが行われるという。2日目に訪れたシーサッチャナライ歴史公園の裏手にはヨム川という川が流れていた。その日泊まったサワンカロクの街もヨム川沿いにあった。ヨム川はスコタイ市内に下っていくから、シーサッチャナライで焼かれた陶器、宋胡録はまずスコタイに舟で運ばれ、そののち、ヨム川からナーン川を経由し、チャオプラヤー川を経て、海路中国、インドネシア、フィリピン、そして遠く日本に運ばれたのだろう。

考えてみると、通常、タイの街には大きな川が流れている。流れは緩やかであるし、川舟がひっくり返るような台風はないから、水運に便利な場所に人が住み、街ができる。川の流れが緩やかであれば、稲作ができる。その昔、中国雲南省からタイに南下してきたタイ族は川沿いに、支流を遡りながら入植していったのだろうと思う。

■帰宅経路
カンペッペの夜は特筆することもない。市場の近くにある焼き肉レストランで食事、店員の女性がコンバンワと日本語で話しかけてくれたが、はい、こんばんわ、と答えただけで何も起こらず。日本人と分かったから少し愛想がよかったのか、は思い過ごしか。

旅の目的はシーサッチャナライ、カンペッペの遺跡を見ることだった。目的は達したのであとは帰宅するだけだ。カンペッペからチェンライの自宅までは473キロ、6時間10分。3年前、ホンダのシティでカンペッペから一気にチェンライまで走ったことがある。交代で運転したが車でさえあれだけ疲れたのだから、スクータでは到底無理。

1号線を248キロ北上すれば、ラムパンに到着するが3日前に泊まったばかり、チェンマイまで行けば行きつけのホテルはあるし、美味しい店もある。しかし、342キロ、4時間27分。結構きつい。

急ぐ旅ではないのでチェンマイ手前のラムプンに泊まり、翌日、チェンマイで買い物をして帰宅、ということに決めた。ラムプンまで314キロ、3時間50分。今日は移動だけだからまあいいか。

■ラムプン
旅行中はおおむね8時にホテルを出発、道路沿いの大きなガソリンスタンドにはトイレはもちろん、コンビニやコーヒーショップがある。
GSで停車して、パンと牛乳の朝食をとる。慎重に選んでもタイの菓子パン、ブドウパンは美味しくない。これが仏領インドシナであったラオスカンボジアであればパンが格段に美味しいのだが、パンの味のためにタイが植民地になればよかったなどとは言えない。

ラムプンは11世紀から13世紀末までハリプンチャイ王国の都として栄えたという。ハリプンチャイ王国ビルマから来たモン族の国だった。現在の住民の多くは、18世紀頃に中国の西双版納より移り住んだタイルー族を祖先としており、織物などにタイルー文化の影響があるという。ラムプンも他の都市と同じく、ビルマ、ランナー等の侵略を受け、その後、タイ族が移り住んだりと目まぐるしく住民が変わる。戦争があれば住民はすべて連れ去られ、街は無人の廃墟となることもまれではなかった。スコタイもアユタヤとの戦争に敗れた後、何百年も廃墟としてジャングルの中に放置されていたという。

ラムプンにもチャオプラヤー川と合流するクワン川という川が流れている。その川沿いにワット・プラタート・ハリプンチャイという大きな寺がある。ここには1418年建立、20m四方の台座に立つ高さ46mの金色に輝く仏塔がある。古い割にはケバケバしいな、と思ったら10年ほど前にリニューアルされているらしい。ワット・プラタートが頭につくお寺は各地にあり、北タイにも10寺はある。ワットはお寺で、プラタートは聖なるもの、即ち仏舎利を意味する。だからワット・プラタートには必ず仏舎利が納められている(と思う)。

参拝後、このお寺の並びにあるホテルに泊まった。350B、日本円で千円ちょっとだが、前2泊が200B台だったから、少し高いように感じた。この日の走行距離は340キロ。

翌日はラムプンから30キロほど離れたチェンマイに入り、チェンマイで買い物をした後、チェンライの自宅へ。最終日の走行距離は227キロ。締めて4泊5日の走行距離は1261キロ。体力的にきつくはなかったが、見落とした博物館、寺、あるいは窯跡もあり、もう少し効率的に回れなかったかという反省はある。また行けばいいと思うが、そろそろ「また」が許されない年齢に差し掛かっている。
(この項終わり)




写真上2枚はカンペッペ歴史公園、あとはワット・プラタート・ハリプンチャイと参拝のドレスコード、肌が出ているとダメみたいです。