チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ナーンのボートレース 1

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ナーンのボートレース(1)

■ボートレースはいつ
ナーンには2度行っている。最初は16世紀に建立された古刹、ワット・プーミンやナーン国立博物館を見物。2回目は県内のボークルアという3億年前の塩井戸を訪ね、塩を12キロ買ってきた。

ナーンは山に囲まれ、14世紀にナーン王国として栄えた城下町だ。街は全部歩いて回れるほど小さいが、それなりに落ち着きと歴史が感じられ、自分好みの街といえる。

ここでの発見の一つはドラゴンボートである。
ワット・プーミンの前の広場に50人乗りのドラゴンボートの実物が展示されていたし、博物館にはボートの模型やレースの写真があった。TAT(タイ観光庁)ナーン事務所で貰った地図にもボートレースの写真があった。

定期的にレースがあるに違いない。係員にボートレースの開催時期を聞いたのだが、タイの観光案内所ではありがちなことだが、英語が全く通じない。
拙いタイ語で苦戦している自分を見かけた通りすがりの女性が通訳を買って出てくれた。どうやら9月に大掛かりなレースがあるらしい。

■優勝体験
ドラゴンボートには思い入れがある。日本にドラゴンボートなるスポーツが普及し始めた当初、もう20年以上前になるがその頃から、自分は東京龍舟というクラブに入って舟を漕いでいた。
年々、競技人口、開催レース数はうなぎ上りに増え、レベルも高くなった。昔は東京龍舟は強豪として知られ、連戦連勝であったが、今は決勝レースに駒を進めるのがやっとというところ。

実は2008年のドラゴンボートレース日本選手権大会、シニアの部の決勝レースで優勝艇の舵を握っていたのは何を隠そう、この自分である。このことはすでに書いている。しつこいな、と思われる向きもおありと思うが自慢できることがほとんどない人間なのでどうかご寛恕のほどお願いしたい。

ドラゴンボートいろいろ
ドラゴンボートは世界数十カ国で盛んに行われ、アジア大会、世界選手権大会といった国際大会が開催されている。日本からも毎年、海外遠征している。
2009年、チェコプラハで開催された世界選手権大会に、日本代表チームの一員(舵手)として出場できる権利はあったが、タイにロングステイしたため、派遣チームの練習に出られず、世界大会を諦めた。

日本選手権大会や国際試合で用いられるドラゴンボートの標準艇は漕ぎ手20名、それに舵手1名、太鼓1名、計22人乗りとなっているので、競技用ボートはこの標準艇に収斂されてく傾向がある。しかし、日本では沖縄のハーリー(爬龍)の32名漕ぎ、長崎のペーロン(白龍)の27名漕ぎを始め、10人漕ぎ、8人漕ぎなどいろいろなボートで競漕が各地で楽しまれている。

日本では沖縄のハーリーが最大規模であるが、タイでは50人乗りという大型ボートがあるという。ワット・プーミンの前庭に展示されていたボートは
正に50人は乗り。あの舟がナーン川を疾走する様子はどんなに迫力があることか、想像するだけでもワクワクする。

ドラゴンボート小史
紀元前4世紀、戦国時代に楚辞を著した屈原という詩人がいた。ドラゴンボートはこの屈原と関係が深い。

屈原は楚の国の宰相として懐王を補佐し、数々の業績を上げたが、それを快く思わない人々もいた。彼は讒言にあい、職をとかれ、僻地の湖南省へと流された。屈原は腐敗した宮廷と祖国の将来を憂い、汨羅(べきら)にその身を投げた。

屈原が河に身を投げたという話はすぐに広まり、人々は争って汨羅に船を出し、屈原の救出に向かった。また救出は無理でもせめて遺体をという気持ちは近郊の農民、漁民の願いだった。それほど屈原湖南省の人々に敬愛されていたのである。
しかし三日三晩、どんなに捜索しても屈原は見つからなかった。人々は魚が屈原の遺体を食べてしまわないように太鼓を打ち鳴らし、笹に巻いた餅ご飯を川にまいた。屈原が汨羅に身を投げたのは旧暦の5月5日とされている。日本で5月5日の子供の日に粽(ちまき)をたべる習慣はこの故事に由来する。

屈原の死を悲しんだ人々は、5月5日になると屈原を偲び、水の神、竜をなだめるため太鼓、銅鑼を鳴らし、水をはねかけて汨羅に乗り出したという。これがドラゴンボートレースの起源といわれる。

というわけでドラゴンボートは中国南部が発祥である。彼ら中国人の進出した東南アジアでは何処の国でも盛んにレースが行われている。もちろんタイ各地でボートレースが開催されているのであるが、これまで見る機会に恵まれなかった。4年近くタイにいて、テレビは別としてレースを見るのは今回が初めてだ。

まずは、ナーンの観光案内所に電話をしてスケジュールの確認をした。8月末のことである。(続く)



写真上がドラゴンボート、下の三枚がメーコック川の風景