チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ナーンのボートレース 4

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

ナーンのボートレース(4)

■やはりタイか
日本のボート大会ではにわか作りのチームが出てくる。漕いだ経験がない人がほとんどだから、舟はまっすぐに進まず、コースを外すは、パドルがムカデの足のように波打つはで、ほとんどレースにならない。それはそれで大会を盛り上げる意味では面白い。その点、ナーンの選手はよく訓練されていて、パドルの乱れはないし、ボートが大きく蛇行してしまう、いわゆる舵曲げもない。
従って、レースは2、3分おきにスムーズにスタート、ゴールを繰り返す。1日目は予選であるが、出てくるチームはみな日本の大きなレースの準決勝出場チーム並の練度を持っている。

それと漕ぎ手が皆若い。10代後半から20代前半の若者が主力、その中にリーダーで30代の人が一人くらいいる。日本のように40歳、50歳でも現役です、という人はいない。屈強な若者を集めるのが容易ということだろう。

レースは3本漕いでそのうち2本、先に勝ったチームが勝ち上がる。いくら若くても何本も漕ぐにはスタミナ配分が必要なのだろうか。漕ぐ距離は500mだが1艇身くらい差をつけられると、ゴール前100mないし150mの地点でほとんど漕ぐのをやめてしまうチームがあった。また大差をつけて先行している艇ももう抜かれることはあるまいとばかりに、力を抜く。タイムレースではないから許されるのだろうが、日本でこんなレースをしたら顰蹙を買うに違いない。いくら差があってもゴールの線を超えるまで、最後まで全力で漕ぐ、というのが日本のレースだ。ゴールを超えたら白目を剥いて倒れるくらい、最後まで全力で漕げ、と指導された自分としては、なんだかなあ、という気になる。

また、スタート地点まで数百m川を遡らなくてはいけないのだが、その時、自力では漕がず、動力船の船べりを掴んで上流に向かう艇がある。すべての艇が動力船の助けを受けているわけではなく、自力でスタート地点まで漕いでいく舟もある。
0.01秒を争うレースであるから、不公平ではないかと思うのだが、これもタイのおおらかさなのだろう。

■人出が減少
1日目、何人かのタイ人に、2日目の決勝は夕方4時半に始まることを確かめた。3時半頃会場に行ってみると、人出は少なくなっているが、それでもかなりの見物人が残っていた。ただ露店のあたりは前日の午前中に比べれば閑散としている。

日本では決勝レースの頃になると会場にはあまり人がいない。予選敗退のチームとその関係者が帰っているからだ。表彰式は通常、上位3チームと関係者しか残っていない。それも帰宅の渋滞、あるいは祝勝会のことが気になって、表彰式が終わればあっという間に会場から人影が消える。時には楯やカップなどが置き去りにされる。プラスチック製のカップや楯はもらって嬉しくはないことはないが、あっ、忘れてきた、といっても誰も指弾したりしないだろう。常勝のチームは置き場所に困るほどカップをもっている。
優勝賞品としてリンゴの木3本分のリンゴとか電子レンジ20台などをもらった経験があるが、カップや楯よりもこの方が嬉しい。

■いつの間にか決勝戦
さて、淡々とレースが進むのだが、結局、決勝の3本レースが始まったのは6時を回った頃だった。ここまで残ったチームはさすがに隙がない。パドルの動き、水のキャッチ、そして時折見せるレースの駆け引き、選手の緊張が伝わるのか観客席も静かだ。地元の一部を除けば大声を出して応援するということはなく、みな黙って見ている。勝負判定の旗が上がる時だけわずかに歓声が上がるくらいだ。

選手たちも勝っても負けても喜怒哀楽を表さない。僅差でゴールを抜けたからといって雄叫びをあげたり、パドルや拳を宙に突き上げるといったパフォーマンスはしない。

陽が大きく傾いた頃、川岸の観覧席に座っていた人たちが一斉に立ち上がった。今のレースが決勝戦でナーンのドラゴンボートはこれで終了したらしい。

その昔、山下埠頭前で行われた横浜大会の決勝戦、我が東京龍舟艇はまっさきにゴールに滑り込んだ。「ウィニングランをするぞ」と仲間に言って、警戒艇の制止を無視して埠頭方向に舵を切り、舟を岸と並行に走らせた。岸近くは波があり、潮の動きも不安定、舵の真価が問われる。岸壁の人たちの拍手や歓声がはっきり聞こえる。こみ上げる歓喜を抑えるように舟は進む。つい昨日のできごとのようだ。

暮色迫るナーン川では優勝艇と準優勝艇がゴール先でひっそりと回航していた。最後までストイックだ。こういった慎み深い静かなレースが古都ナーンには相応しい。自分も人々について会場をあとにした。(終わり)

写真はナーン大会