582. ご近所の葬式へ(1)
■ナーさん
お坊さんが我が家にやってくるとき、ご近所やブアの村から信心深い女性が同席する。一緒にお経を唱えタンブンをするためだ。同じ団地に住むナーさんは、我が家はもちろん、近所のお寺の行事でも必ず顔を合わせる。年は40過ぎ、明るく控え目な女性で、多少ガサツなブアさんとは親しいお寺友達となっている。ナーさんは小柄な体に似合わず、大型のランドクルーザーを乗り回している。団地内ですれ違う時、車の高い座席から微笑んでくれる。
親しそうにしてくれるのは彼女も我々と同じく、母親を介護しているからと知ったのは最近のことだ。がんの手術をしたが回復がはかばかしくない、70歳半ばであるが頭はしっかりしている、などの情報は女中さんから聞いた。チェンライの病院に2カ月ほど入院していたが背中や腰4か所に床ずれができて、イタイ、イタイと泣いている、お茶碗に半分ほどのバナナで命をつないでいて、痩せこけてもう長くないらしい。我が家の隣は空き家となっていたがナーさんが1月契約で借りた。故郷のイサーンから親類縁者が十数人やってきて、泊まり込みで待機していた。
お母さんは再入院して点滴だけでなく口にも鼻にもチューブのマカロニ状態、「痛い?」と聞くと声も出せず、一筋涙を流したという。まるで見てきたようにブアさんは話し、ママさんをマカロニ状態にするのだけはやめましょう、という。兄と女中さんは意見が異なることが多いのだが、兄も母の終末医療については意見が一致している。治る見込みがないのに徒に苦痛を長引かせるには忍びない。
■葬儀初日
今朝、ナーさんのお母さんが亡くなった、とブアさんが言う。なんか張り切っている。葬式は3日続くらしい。葬儀は自宅で行われる。テントが道路にせり出して張られている。ブアさんの助言で香典を500B包む。新札のほうが喜ばれるという。このあたり日本とちと違う。夜を待ってナーさんの家に行く。生花に飾られたお棺と遺影があって、すでにホエドイ寺の僧侶たちが読経をしていた。
通常5人ないし7人の僧侶がきてお経を読む。庶民の葬儀であれば、ご住職に1000B、伴僧には一人200Bがお布施の相場であるが、ナーさんはお金持なので、住職に1万、伴僧には500B出すだろうとのこと。テントの下には親類、友人、それに顔見知りの団地の人々150人くらいが集まっていた。お経は延々と続き、それが終わると信徒代表といった感じのおじさんが先導してお経を唱え、参会者一同がそれに唱和する。全員参加型枕経か。香典を渡してすぐに退出できるかと思ったが、2時間以上お付き合いすることになってしまった。
■葬儀2日目、3日目
2日目はチェンライ市内の仏具屋で買った袈裟布を遺影横の僧侶席へ献納、この布を僧侶にタンブンすることはタイの葬式の約束事で、昨年、邦人のT さんの葬式に行くときにブアさんからこの布を持たされたことを思い出した。
テントの下にはいつも100人以上の関係者がたむろしている。食事は市内のケータリング会社の仕出しである。料理の数からみて1食5千Bは下らない、とブアさんが言う。この日の夕食のおかずはすべてナーさんの家からもらってきたものばかりだったが、ブアさんの作る炒め物よりずっと美味しかった。
葬儀最終日3日目にご遺体は荼毘にふされるのであるが、この日はあけておくように、とブアさんに申し渡されていた。10時半にナーさんの家に行くと、テントの下にはなんと50人以上の僧侶、メ―チー(女性修行者、タイでは女性の出家は認められていない)がテーブルを囲んで食事をしている。ナーさんが各地の坊さんをお呼びして食事のタンブンをしているのだ。手伝いの女性やケータリング会社のボーイがテーブルを忙しく行き来してご馳走を運んでいる。タイ仏教は戒律が厳しいから、僧侶は精進料理だけと思われがちだが、タンブンされたものは有難く頂くというのが建前。だから一般的にタンブンされれば僧侶は豚肉でも魚でも食べる。この日もプラニン(テラピア)の羹などが供されていた。
何故、こんなに多くの坊さんが集まっているのか。理由はナーさんが敬虔な仏教徒で、近郊及び有名寺院に日本円で数十万円から百万円のタンブンをしているからだそうだ。「義理掛け」ではないが、お寺さんもこういう時にお返しに参列するということか。あの坊さんはどこそこのお寺から、この坊さんはどこそこの、とブアさんが近郊6カ寺から参集していると教えてくれた。お布施だけで10万Bは下らない。
ナーさんのお母さんはきっと成仏できることだろう。(続く)
写真はブアさん、ナーさん、僧侶食事、サパーンとお棺