チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ラオス旅行 2

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ラオス旅行(2)

■旅程が決まる
船着き場からフエサイのバスターミナルまでソンテウで送ってもらった。乗客は二人、相方のオーストラリア人の名はアラン、半分引退した建築士、10年くらい前から北タイ、ラオスを回って少数山岳民族の写真を撮り続けているという。彼はフエサイからルアンプラバンの途中にあるルアンナムターに行く。初めて聞く地名だ。そこにはアカ族をはじめとする少数山岳民族が住んでいて、4日後の満月の夜、年に一度のお祭りがあり、それを見るためにはるばるメルボルンからやってきたとのこと。「アカ」と聞いて、即予定を変更した。まずルアンプラバンに2泊してルアンナムターに取って返し、フルムーンフェスティバルに参加する。そしてフエサイからタイへ戻る。

* 写真一番上はフエサイ・ツーリスト、その下のルアンプラバン行きVIPバスの前にいるのがアラン氏

難行苦行の12時間
名前はVIPバスであるがタイのVIPバスとは大違い、普通の冷房付きバスだ。トイレは付いていない。煙草を吸う勿れ、台湾省衛生局とか漢字のテッカーが車内に貼ってあったから台湾から輸入した中古バスなのだろう。左右に二人掛けの座席が並んでいる。足が前の座席につかえるほど狭い。足の長いファランでなくてもちと辛い。乗客は7割程度、白人のバックパッカーが半分くらい、一応指定席であるが、自分の隣に客が来なかったのは助かった。
バスは夕暮れのフエサイを北東に進む。片道1車線の国道、街路灯は全くない。時折集落を通り過ぎるが、家の造りは茅葺の屋根、壁は竹編み板と実にシンプル。三匹の子豚の話に出てくる一番上のお兄さん、ブーの建てた家と同じで、オオカミのひと吹きで飛んでしまいそうだ。壁を通して家の明かりが漏れている。一応、どこの村にも電気は来ているようだ。家の中で子供たちがテレビを見ている光景も目にした。
乾季であるから日が落ちると気温は急激に下がってくる。それなのにバスは冷房を切る気配がない。備え付けの毛布を体に巻きつけても足の先が冷たくて眠れない。車内には運転手の眠気覚ましだろうか、深夜放送の音楽がずっと大音量で鳴り続けている。これに加えて、前方の席では酒を飲んだラオス人が大声で話し、ラジカセで別の音楽をかけている。仕方がないのでイヤホーンを耳栓代わりにICレコーダでサザンのライブを最大音量で聞く。

*三番目の写真は、ルアンプラバン行きVIPバス? の内部

■悪路、霧の中を
ラオスには タイのノンカイからタナレーンまで約5キロ、これ以外は鉄道がない。陸運に頼っているはずであるが幹線の国道であっても完全舗装されていない。道路を一つとっても国の経済レベルが分かる。タイは国民一人当たりGDPが4千ドルを超えている中進国、ラオスは800ドルほどの発展途上国である。未舗装のでこぼこ道と舗装道路の割合は半々といった感じであったが舗装道路でもメンテが悪く、時折、道路の穴にはまってバスが大きくバウンドする。
バスは山道を走る。登りでは降りて押しましょうか、と思うくらいスピードが落ちるが、下りでは惰性でスピードを上げる。カーブはきつく、対向車が飛び出してくるたびに急ブレーキがかかる。
午前4時過ぎ、外を見ると霧が立ち込めている。視界は10メートルくらいだが徐行する様子はない。時折やってくる対向車もそれなりのスピードを出しているので、ライトが見えた途端にお互いがブレーキをかける。そのたびに体が前のめりになる。座席に座りなおしたり、横になったり、何度も姿勢を変えてみたが、熟睡することはできなかった。途上国の深夜バスは体にも神経にも相当のストレスがかかる。「深夜特急」バスはやはり若者専用の交通手段であって熟年には向かない。

■まずはシャワーを
フエサイを出発してから12時間、朝もやの中、午前6時過ぎにルアンプラバンのバスターミナルへ到着。寝ぼけまなこのバックパッカーと共にソンテウで市内へ。ラオスの通貨、キップに慣れていないので、市内まで1万5千(キップ)と言われて眠気がすっ飛んだが、バーツに直せば60B(約160円)、それほど高いわけではない。当然のようにバーツ札が通用する。
ソンテウは10分ほど走って市内の中心、シーサワンウォン通りにとまった。通りの両側にレストラン、土産物店、ゲストハウスが並んでいる。落ち着いた雰囲気の街並みだ。多分、建物の高さが一定で、ラオス語と英語で書かれた看板が統一されたデザイン、大きさであるせいだろう。まず宿を探す。最初のGH は40ドルと言う。自分の基準では高すぎる。2軒目は一泊15ドルというのでここに決めた。宿帳に記入しているとき、バスで一緒だったバックパッカーの女性が入ってきたが、15ドルと聞くと、また来るわ、と言って出て行った。若い人は安宿でも構わない。それが若さの特権だ。(続く)

*その下の写真は、ルアンプラパンの朝、一番下はバッグパカー達