チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

光陰矢の如し(2)

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光陰矢の如し(2)

■ロイクラトン
11月初旬は連日雨が降った。季節的には乾季であるが、まるで日本の梅雨空のよう。一晩で50mmを越すような大雨もあり、幹線道路から団地に入る道の右に広がる田んぼでは、実ったばかりの稲穂が倒伏し、冠水してしまった。腐ってしまったら収穫は見込めない。米の買取価格は下がっているようだし、農家にとってはダブルパンチである。

11月6日は旧暦12月の満月の日にあたり、ソンクランと並んでタイを代表する伝統行事、ロイクラトンが全国で行われた。この夜はバナナの葉で作ったクラトン(灯篭)を水に流し、コムロイ(行灯型熱気球)を上げる。チェンライは生憎の雨模様、例年に比べコムロイの数は少なかったようだ。

灯篭を水に流すと聞くと、「去年のあなたの想い出がテープレコーダーから こぼれています。あなたのためにお友達も集まってくれました・・・・私の小さな弟が何にも知らずに はしゃぎまわって精霊流しが華やかに始まるのです」というさだまさしの物悲しい「精霊流し」を思い浮かべる。それでロイクラトンは死者を弔う行事だろうと思う邦人は少なくない。

でもこの祭りは収穫作業か終わり、豊作を感謝すると共に、水の女神コンカーに祈りを捧げ、今年の罪や汚れを洗い流し、自らを清めるといった意味合いの祭りである。昨今ではカップルでコムロイを上げ、うまく空に上がったらふたりの恋が成就するという恋人岬顔負けのおまじないイベントになっているとか。

我が団地の近くを流れるラオ川でもロイクラトンのイベントがあった。「線香花火が見えますか、空の上から」なんてものではなく、花火がドカンドカンと上がり、まるで前線の砲撃戦だ。ニイさんは近所のおばちゃん達と夜通し、飲んで踊って大騒ぎ。おばちゃんたちにも今夜、1000Bでどう?なんて声がかかったそうな。これでは死者も浮かばれまい。
ニイさんは翌日、腰が痛くて二日酔い、母の横で毛布をかぶって寝ていた。

■小旅行
ここひと月、旅にはソード・タイ、ランパンなど数回の小旅行に出かけている。
ソード・タイで行くところは決まっている、朝市、クンサー博物館、丘の上のシャン様式のお寺。勾配のきつい道を散歩することもあるが、なんとなく心惹かれるエキゾチックな街だ。様々な民族が共存している割には観光客がほとんどいないせいだろうか。

ネットには日本語の情報はあまりないが、米国人、ドイツ人、オランダ人等が書いたレポートはかなりある。でも数年から10年以上前の記事が多い。その頃はドイ・メーサロンとの分岐点からソード・タイへ向かう道は未舗装で、オフロードバイクでなければ行けなかったようだ。まさに秘境の名に相応しかったであろう。ネットには翻訳機能が付いている。そのおかげでオランダ語やドイツ語で書かれていても一応、意味は取れる。

クンサーがシャン邦共和国を捨てて、ビルマに亡命したとき、3人の若い妻を伴っていたとか、ソード・タイに今も住む人がクンサーと米国CIA幹部との通訳を務めた、といった話はファランの書いたレポートで知った。

■変わりゆく街
白人は戦争をする時、有色人種を手先として最前線で戦わせる。先の大戦では、英国はマレー人、インド人をシンガポールの最前線で戦わせた。米国もモン族やクンサーのシャン族、あるいは国民党の生き残りを訓練してベトコンやクメール・ルージュと戦わせた。クンサーはCIAの忠実な命令実行者だった。

共産ゲリラ掃討が一段落した時、CIAはクンサーとアヘンの買取交渉した。この交渉に通訳として立ち会ったのがリムタンGHの主人、ジョンというシャン族の人という。CIAはクンサーのアヘンの買取に失敗すると、一転、クンサーを「麻薬犯罪人」として彼の首に200万ドルの賞金をかけ、クンサー軍を攻撃する。「狡兎死して走狗烹らる」はいつの世も同じか。

隠れ里と言われるソード・タイもここ1年、明らかに変貌しつつある。まず、1つもなかったマッサージ店が2軒出来た。数年前には1軒だけだったGHは4軒、常宿、プーセンタワン・リゾートは増築しているし、丘の上にはリゾートホテルとみられる大きな建物が出来つつある。バービヤはまだないが、カラオケ店は5軒ある。ムーカタの店が2つできて夜は若い人や家族連れで一杯。ファラン御用達、唯一の中華レストラン、ティンティンは閑散としている。何の変哲もない北タイの田舎町になるのは時間の問題か。

ソード・タイを見ずして北タイを語るなかれ、というファランの言葉ももうすぐ過去のものとなりそうだ。




写真はコムロイ(多分チェンマイ)、クンサー、シャン様式の寺ワットカーカム、朝市