チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

所詮、サラリーマン

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所詮、サラリーマン

■ご意見無用
毎晩ではないが晩酌をする。酒量は多くない。ビール1本がやっと。ラオカオのソーダ割りを1杯飲むこともある。

気持ちよく飲んでいるところへ、酒は体に良くない、やめろという人が現れたらどうなるか。好きで飲んでいるんだからいいじゃないですか、手が震えるってこともないし、百薬の長の範囲でやってますよ、位のことは言い返すだろう。
いい年こいて、小学生相手にテニスして勝った、勝ったと喜ぶなんてみっともない、と言われれば、確かにその通りだ。でも別に喜んではいないし、お互い楽くプレーしているのだからいいでしょう。

嗜好品や趣味、スポーツでも、人に批判されると面白くない。まして、思想、信条に基づいて書いた記事が出鱈目とバレてしまっても、はい、私が間違っておりました、申し訳ありませんとは中々言えない。歴史的事実は変えられない、これからも変わらぬ姿勢で頑張ります、ほどの言い逃れはするだろう。

言い逃れでこっそり人の噂も75日を待つのかと思ったら、いつの間にか朝日は、捏造記事で日本と日本人を貶めた「加害者」から、右翼に不当なバッシングを受ける「被害者」へ、更に進化して言論弾圧に立ち向かうヒーローになっている。

自分の立ち位置は元々保守ではなく、中道左派くらいと思っている。己の意見がいつも正しいとは思っていないので、ネットで左右いろいろ目を通しているが、以下のような意見を読むと何だかなあ、と脱力感に囚われる。

「朝日バッシングに私は抵抗する。朝日を屈服させたら次は東京新聞。読売や産経がどんなにうそを振りまいても非難するメディアがいなくなる。そうして国民の自由と権利は奪われて行く。
かつて私たちの祖母や祖父、母や父が暮らしに汲々としている間に軍政が敷かれたように。戦争の準備が始まる」

「吉田調書の公開は朝日新聞を叩く罠だ。安倍晋三氏の談話も意図的な朝日バッシングだ。こんなことで言論弾圧しようとする卑怯な奴が日本の首相か!」

朝日新聞バッシングが続くなら、朝日をしばらく購読しようっと。朝日がなくなった日本はもっと怖いもん」

占領政策に踊った人たち
朝日は上記のような読者に支えられている特殊な組織だ。オウム真理教ほどでもないが、マインドコントロールされている。でも読者ばかりでなく、実は日本人全体がマインドコントロールされてきたという「歴史的事実」を忘れてはならない。

江藤淳の「閉された言語空間-占領軍の検閲と戦後日本」では、米国が戦後行った日本の洗脳工作が鋭く告発されている。

米国は、
1. 検閲によって言論を封鎖し、
2. 新聞やラジオをはじめとするあらゆるメディアの報道を規制し、
3. 米国が押し付ける日本悪玉史観を、そのメディアを使って流布し、
4. その史観を学校の教科書に使って、日本=悪玉の思想を持った日本人を大量生産する
という工作を、占領した日本という国に施していく。
しかも、その検閲という組織的工作を、頑なに隠蔽しつづけた。

この論文が1989年に文芸春秋に発表された時、論壇からほぼ黙殺されたのは米国の工作が浸透していたからにほかならない。江藤は米国が占領下の日本で行った検閲を、このように表現する。

「日本人にわれとわが目を刳(く)り貫かせ、肉眼のかわりにアメリカ製の義眼を嵌め込むことにあった」
「邪悪な日本と日本人の、思考と言語を通じての改造であり、さらにいえば日本を日本ではない国、ないしは一地域に変え、日本人を日本人以外の何者かにしようという企てであった」

朝日を支持する人に共通するのは日本が嫌いということだ。国益と聞いただけで軍靴の響き、と延髄反射する。そういえば「日本は日本人だけのものではない」という首相がいたが彼も朝日の読者か。

検閲は新聞雑誌だけではなく個人の信書も含まれていた。出版物や私信を英文に訳してGHQに告発していた日本人は7千人いたという。当時、英語がそれだけできる人は限られていた。このエリートたちは占領後、口を拭って自分たちの行ったことを語らないばかりか、大学やマスコミに入り込んで、後ろめたさを忘れるために自虐史観、日本悪玉史観を広めた。

自虐史観は日本の、マスコミの、そして朝日の空気であった。朝日には2千人の記者がいるという。自分の書いたものが紙面に乗らなければ存在価値はなく、出世もしない。周囲の空気に沿った記事ならば掲載され、評価される、となればその方向で筆を舐める。従軍慰安婦なんていなかった、と変な正義感を振り回しても社内でシカトされ、果ては配所の月。

皆と仲良くやりたいのは人の常。記者といっても所詮はサラリーマンだ。



写真は先週末ドイ・フア・メーカムで開催されたひまわり祭りのスナップです。ソード・タイから約40キロ、ミャンマー国境の村です。