チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

カレンダーもあと1枚

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チェンライ市内から10分も走れば

 

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こんな風景が広がります

 

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タイ米です

 

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そろそろ刈入れ

 

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溜池

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我がフォルツァ



カレンダーもあと1枚

■1月7日のブログから
気が付けば今年もあと30日余り、月日の経つのは早いものだ。1年を振り返るには早いが、今年最初に書いた記事、「期待できる年」を読み返してみた。

韓国は昨年10月に国際観艦式に於ける自衛艦旭日旗の自粛要請、10月、11月の戦時労働者、いわゆる徴用工への賠償判決、それに12月20日には日本海で韓国の駆逐艦自衛隊のP1哨戒機に対して火器管制レーダー(射撃管制用レーダー)を照射した事件が起こった。レーダ照射事件で韓国は日本の哨戒機が低空で接近し「威嚇飛行」を行ったと主張し、レーダー照射は事実無根として日本に謝罪を求めている。いわば逆切れである。戦時労働者への賠償判決ではまだ日本企業の資産売却が行われていないが、韓国が日韓請求権協定の国際条約を遵守する気は全くない。従来、日本は韓国の主張に沿う形で懸案の解決を図ってきたが、安倍政権は前記の問題に一歩も譲らない。

一方、中国はというと、中華思想か誇大妄想かは知らないが、習近平主席は「中国製造2025」で盗んだ技術を以て西欧を凌駕し、2049年共産党建国100年には中国主導の人類運命共同体を建設すると広言している。中国の覇権を米国が許すはずがない。トランプ米大統領は関税で中国を痛めつけた。中国も報復関税で応じたがこの経済戦争、中国に勝ち目はない。更にペンス副大統領のハドソン研究所での演説でわかるように、米国は自由、平等、人権を掲げて中国に妥協を迫っている。人権で中国共産党が妥協する余地はない。中国も逃げ道のない隘路に追い込まれている。

本年最初の記事の締めはこうなっている。
「今年中に文在寅大統領はもちろん習近平主席のクビも今年中に飛んでしまうのではないか。いいことがありますように、・・・2019年の酒は一段と旨く感じられる」

■嘘の国
あとひと月で、韓国、中国のトップのクビが飛ぶかどうかわからないが、その後、オウンゴールといってもいい失策で、事態は更に両国にとって苦しいものになっている。

まず、韓国であるが、日本の輸出管理強化に対抗する形で打ち出したGASOMIA(軍事情報包括保護協定)の終了通知とその条件付き延長である。チンピラヤクザがまた金がせびってやろうと弱虫少年を脅してみたら、少年の横に居た空手の有段者にボコボコにされた。チンピラは「今日はこれで勘弁してやらあ」と捨て台詞を吐き乍ら逃げる。米韓日の関係はこんなところか。

青瓦台の鄭義溶国家安保室長は、記者団に対し「GSOMIA終了通知の効力を停止したことに関連して日本が事実と異なる合意内容を発表したことに対して抗議し、謝罪を受けた」と述べた。これは面子を守るため韓国内に向けた嘘である。即座に日本側から否定された。日本が反省して韓国をホワイト国に戻さなければGSOMIAを終了させると豪語しているが、いつ、どのタイミングで終了させるのか定かでない。やれるもんならやってみな、だ。

世界各国は中露も含めて韓国のみっともなさ、嘘に呆れているという。韓国でベストセラーとなり、日本でも20万部売れているという「反日種族主義」のプロローグの題名は、ずばり「嘘の国」である。以下小見出しで「嘘をつく国民」、「嘘をつく政治」、「嘘つきの学問」、「嘘の裁判」と続く。著者の一人、李栄薫元ソウル大教授は日本記者クラブで「韓国の嘘に寄り添う良心的日本人が日韓関係を悪くした」と述べている。だが良心的日本人は激減したのではないか。

■香港の動きによっては
中国は6月からの香港の民主化デモとその進展に大きな衝撃を受けている。8月には民主派は5大要求を掲げ、香港の民主化を要求し、デモも先鋭化して中国共産党との対決姿勢を明確にした。まもなく米国の香港人権法が成立するし、世界の民主国家ほぼすべて民主派を応援、日本の国会の中にも香港の民主派支持の動きが出てきた。

11月24日に投票が行われた香港区議会(地方議会)選挙は開票作業が完了し、直接選挙で選ぶ全18区で計452議席の8割超を民主派が獲得する地滑り的勝利となったという。親中派は、香港市民は民主派デモの暴力に辟易しており、秩序を求めて親中派が圧勝すると言っていたし、日本のコメンテータにも同じ意見の人がいた。民意は選挙結果ではっきりと示されたが、中国共産党はデモ封じ込めの体勢を崩していない。もし中国が天安門の再現となる強硬策を取れば世界が許さない。もちろん習近平主席の国賓での訪日は無くなる。香港民主化運動が蟻の一穴となって中国共産党を瓦解させる可能性も出てきた。

来年を占うのはちと早いが、2020年は更に旨い酒が飲めそうな気がする・・・・。

 

香港人権民主法」は28日トランプ大統領が署名して成立しました。

 

3度目のクンユアム

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泰日友好記念館全景

 

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作戦に使用されたトラック

 

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2年前にも指摘したが「日本軍の軍帽」の文字が逆さ

 

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展示品の鉄兜

 

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村の娘さんとのスナップ、兵士と村人の関係がわかる

 

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ムアイトー寺の日本兵像、何となくタイ風

 

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作家伊藤桂一さんの碑、これは変わらない



3度目のクンユアム

■訂正とお詫び

8月にYAHOOブログから現在のはてなブログに変更した。はてなブログでは記事をアップすると、以前に書いた関連記事が表示される。そのお蔭でクンユアムの戦争博物館(泰日友好記念館)には2009年8月、さらに2017年6月に訪問していることがわかった。そして2009年の訪問では12本、2017年の再訪時に6本の記事をアップしている。片田舎の、訪れる人も決して多くはない博物館に関してよくこれだけ書くことがあったなあ、と我ながら感心する。

と同時に、前回アップした「メーホンソン再訪」の記事中に間違いがあったのでお詫びして訂正します。まずムートン寺は「ムアイトー寺」が正しい。「チューチャイ氏が日本政府から勲3等を授章された」と書いたが、実は駐タイ日本大使館で行われた平成19年春の叙勲伝達式で、チューチャイ・チョムタワット氏には旭日双光章が贈られている。旭日章は、「社会の様々な分野における功績の内容に着目し、顕著な功績を挙げた者を表彰する場合に授与するもの」とされ、旭日双光章は勲5等にあたる。

またチューチャイ氏は、叙勲の前年6月、現在の上皇上皇后両陛下が、プミポン国王即位60周年記念式典のためタイに行幸啓された折に謁見が叶い、両陛下から直接、感謝のお言葉を賜った。天皇陛下はチューチャイ氏の著書、「第二次世界大戦でのクンユアムの人々の日本の兵隊さんの思い出」にも目を通されていたとのこと。

■チューチャイ氏、叙勲に当たっての挨拶
小林大使閣下及び令夫人、日本大使館の皆様、並びに本日ご参列の皆様、

 去る、4月29日、日本の天皇陛下より旭日双光章を賜りました。他に比類するものを見つけるのが困難な程の陛下の御慈悲に大変喜ぶと同時に感激しております。私にとりましては、昨年6月13日に両陛下への拝謁を許されたことに続く、もう一つの人生最高の喜びであります。
 小林大使から私の業績についてご紹介頂いたことに感謝します。また、今回の叙勲のためにご尽力頂いた日本大使館員の皆様に感謝申し上げたいと思います。

 私は、日本のマスコミや大勢の日本の方から、いつも「なぜ日本の兵隊に関する博物館を設立しようと思い立ったのか」と聞かれます。この問いに対し、自分はいつも2つの動機があると答えています。動機の一つは、私も日本人同様、すべてのものには魂が宿っているという考えを共有しているからです。博物館に展示されている物の中には手作りの物もあります。したがって、私はこれらの物には3つの魂が宿っていると考えます。1つ目は、その物を作った人の魂です。物にはそれを作った人の情熱、忍耐、愛情が込められております。これらが込められていなければ、その物は良い物にはなりません。2つ目は、その物を使った人の魂です。どんな物にもそれを大切に使い、生死を共にした人の愛情が込められています。そして、最後に、それらの物がご先祖様の残したものであれば、その子孫がその物を拝みに来ます。したがって、3つ目は、持ち主の子孫の魂です。

 動機の2つ目は、私は旧日本軍の方々に、博物館を最善のものにすると約束しました。私は、戦場での辛酸に耐え、我々の近所で亡くなった日本兵の方々の魂が、安心して極楽浄土へ行けるよう望んでいます。ここにいる皆さんも彼らへの祈りを捧げて頂ければと思います。私は、我々が共に考え、共に行動し、共に守っていけば、日タイ両国民の関係は益々良くなっていくと信じています。私は、すべての聖なる物が、天皇皇后両陛下ならびに皇族の皆様にご多幸とご健勝をもたらすことを祈念致します。

最後に、本日ご出席頂いた皆様に御礼を申し上げると同時に、霊験あらたかなものが皆様の健康をお守り下さるよう祈念しつつ、私のご挨拶とさせて頂きたく存じます。

■変容
2009年に博物館を初めて訪れた時は、古ぼけたチューチャイ氏手作りの小さな展示館だった。入り口にはクンユアムをよく知るタイ文学者、岩城雄次郎氏の手書きの寄付依頼状が置かれていた。

2017年に再訪した時は辺りは一変していた。平成24年(2012年)タイ日修好125周年を記念して、日本から多額の資金が出たため。3階建ての新館が建設された。展示品は日本軍の遺留品の他に、クンユアムの歴史パネル、周辺山岳民族の文化紹介、民具等が展示され、民芸博物館も兼ねている。2016年にチューチャイ氏は亡くなり、広大な敷地を含め記念館の管理はメーホンソン県が行っている。2年ぶりに訪問したが、展示説明、内容には改善のあとは見られなかった。

チューチャイ氏の思い入れとは別の方向に記念館が変わっていくことがないことを願いたいと思う。

メーホンソン再訪

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パーイ手前の鉄橋、現在は使われていない。

 

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メーホンソンの夜市

 

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こんなものが売られていた。

 

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チョーンクラン寺

 

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ムートン寺の日本兵

 

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泰日友好記念館入場券



メーホンソン再訪

■乾季は旅行シーズン
11月11日のロイクラトンも過ぎ、漸く乾季らしい天候になってきた。最低気温は15度前後、日中は30度を越えるが湿度が低いので高原の夏のように爽やかである。気候がいいからテニスコートに仲間が集合するかというとそうでもない。コートに行ってみるとスイス人のロバートしかいなくて、仕方ないから二人でラリーを1時間ほどやって帰る日もあった。やはりダブルスのゲームをしないことには楽しくない。

どうしてコートに人が来ないか。多分、こんなに良い季節なのにテニスなんかやっていられるかと、みな旅行に出てしまうからだろう。自分も本来であれば、フォルツァに跨って数泊のツーリングに出かけるところである。チュンポンまでタカの渡りを見に3千キロのツーリングをしたのは1昨年の、またその前年の2016年にはミャンマーに旅したのは11月の乾季の時だった。乾季はハイシーズンで、ホテルの宿泊料が倍に跳ね上がる。でも通常、自分が泊まるGHは年間を通して数百バーツと変わらない。

7月にラオスを旅行した時は、概ね、1泊あたり1000円から1200円のGHに泊まっていた。旅の8日目、タイに再入国してすぐのウドンタニで、大きなホテルにフォルツァを停めた。予約してないんですが、とフロントで訊ねると1泊1400Bという。本来であれば、他を当たってみますという価格であるが、いつも安宿ばかりではなあ、という気持ちもあったのでこのホテルに投宿した。
久しぶりに3桁の金額のホテルに泊まったせいか、部屋の広さ、アメニティの豊富さ、清潔さに感動した。シャワールーム、バスタブまである。1400Bと言えば日本円で5千円前後だが、天皇陛下はムリにしても宮様方がご宿泊になっても決して恥ずかしくないのでは、と思ったくらい。たまにはいいホテルに泊まるべきではある。

■白骨街道
11月に日本から次男が1月の滞在予定でやってきた。再就職が決まり、時間に余裕ができたからという。これまで何度かチェンライに来ているし、国際運転免許持参であるからほったらかしでもいいのだが、折角来てくれたのだから、と北タイの西の端、メーホンソンを案内することにした。チェンライから約400キロ、車で8時間弱であるから、交代で運転していけば訳はない。またメーホンソンから約60キロ離れたクンユアムには世界で唯一、日本軍を好意的に扱っている戦争博物館、泰日友好記念館がある。

メーホンソンに至る1095線は約800のカーブがある山道だ。戦時中、ビルマに侵攻するために旧日本軍が建設した。インパール作戦失敗後、傷ついた将兵はこの道を通ってチェンマイへと敗走した。敗走途中、道の傍らで多くの将兵が還らぬ人となった。そのため、この1095線は「白骨街道」と呼ばれた。今は完全舗装され、ファランのグループツーリングだろう、大型バイクが行き交っている。

■泰日友好記念館
メーホンソンでは「地球の歩き方」に掲載されているパノラマホテルに泊まった。800Bのスーペリアルーム、ハイシーズンだから仕方ないか。夜はチョーンクラン湖のほとりで開かれている夜市に行った。湖畔にしつらえられた座卓で、屋台で調達した料理を家族や恋人同士で楽しんでいる。鄙びた風景で心が和んだ。ライトアップされた湖畔のチョーンクラン寺も風情に花を添えた。やはり旅には出るものだ。メーホンソンは霧の街として有名だ。翌朝早く、この湖は霧に包まれて、湖畔の霧に浮かぶ仏塔をカメラに収めようと多くのファランが詰め掛けていたという。自分はその時は白河夜船、息子からそうだったと聞いただけ。

2日目、クンユアムの泰日友好記念館を訪れた。この博物館にはクンユアム郡警察署長チューチャイ・チョムタワット氏がクンユアム郡の各家庭で保管されていた鉄兜、衣類、飯盒、工具など日本軍関連資料1,000点以上を収集し、展示品として寄贈している。チューチャイ氏が日本政府から勲3等を授章された後、かなりの額の援助があり、大きな記念館に建て替えられた。予算が潤沢にあったのか、記念館の向かいにあるムートン寺には日本軍の隊列像や絵画コーナーが設置されている。ムートン寺には野戦病院があってここでも多くの将兵が戦病死した。予算が出た時、タイの芸術家に銅像や絵画を発注したのはいいが、その後のメンテナンスの予算が出ないのか、銅像の兵士の指はもげたままだし、担いでいる木銃は割れて長細い板になっている。

記念館備え付けの訪問者ノートでチェンマイの日本総領事がつい最近訪問されていることを知った。展示説明に不適当な個所はあるし、銅像の修理費用も含め、改善のための予算措置を講じて頂けないものか。

 

 

命拾いと税関トラブル

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ラオス出入国管理事務所

 

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出国スタンプを押してもらうところ

 

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税関

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友好橋

 

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友好橋、中央に鉄道が通っている。

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友好橋

 

 

命拾いと税関トラブル

■自ら招いた危険
ラオスベトナムの旅も8日目、バンビエンを発って昼前にラオス、タイ国境に続くバイパスに出た。片側2車線、直線の続く舗装道路であるが、まだ作りかけとみえて、車線が1つになったり、未舗装の凸凹道になったりする。国境を行き交うトラックやコンテナ搭載車両が眼に付くがそれほど混雑しているわけではない。日本の国道に比べればガラガラと言っていい。これまでラオス国内では片側1車線の曲がりくねった悪路を走ってきただけにこういった広く、見通しのいい道路に出ると、後進国から中進国へ近づいている感を深くする。バンビエンとビエンチャンを結ぶ国道13号線とは比べ物にならないほど走りいい。ついスピードも上がる。

コンテナトラックの後ろを走っていた。大型コンテナを荷台に、もう一つのコンテナをけん引車両に乗せている。スピード規制はあってないようなものだから大型トレーラーでも100キロ以上で飛ばしている。ラオスでは車は右側通行である。トレーラーの右後方に付いてスクータを走らせていた。走行車線を走っている場合、先行車両の左後方から追い越しをかけるのがルールである。見通しの良い道であるし、もうすぐタイに入国できるという油断があったのか、100キロ以上で走行するトレーラーの右側から追い越しをかけた。トレーラーとフォルツァが平行に走り始めたその時だった。トレーラーが右折するのか我がスクータに車体を寄せてくる。思わず大声を上げた。ブレーキをかけるか。でも咄嗟に取った行動は自分でも不可解なものだった。右の路肩にスクータをバンクさせながら急加速したのだ。トラックはどんどん我がスクータに近寄ってくる、接触すれば即、転倒、後輪に巻き込まれたら即死だ。路肩の幅は2mくらい、その右は草むら、更にその右は木立が茂る無人の林、スピードを上げたフォルツァは、近づいてくるトレーラーと草むらすれすれの路肩のわずかな間隙をすり抜けた。あと1m追い越しが遅れていたら、木立に突っ込むか、トレーラーに接触していただろう。サイドミラーに、びっくりしたのかはるか後方に停止しているトレーラーがチラリとみえた。

心のゆるみがあった。交通ルールを守らない自分が悪かった。あんなところで右折してくるとは思わなかった、では言い訳にならない。見えない力に守られていたのだろう。反省と感謝を心に繰り返しながら、スピードを緩めた。

■書類の不備
ラオスビエンチャンとタイ、ノーンカイの間を流れるメコン河、そこに1174mの友好橋が架かっている。これを渡ってタイに戻る。昼過ぎにラオスのイミグレに着いた。出国手続きはそれほど時間がかからなかったが、スクータの通関で問題が生じた。ラオス入国の際に発行して貰うべき書類がないのだという。そういえば、ラオスで2,3度、交通検問に引っ掛かった。その折、警官が必要書類がないと言っていた(ような気がする)。その度にその書類は車に必要なもので、バイクには要らないはずだ、と強弁して通してもらっていた。入国の際、フエサイのラオス税関から発行された書類は全てケースの中に入れてきている。途中で無くすはずがない。係官は書類を手にしてついてこい、という。オフィスビルの中に行くと係官の上司らしい人がいた。やはり書類が不備のようだ。自分でも思い当たるフシがある。フエサイの税関係官に、どこから再入国するの、と聞かれた時、フエサイから、と答えた。係官は同じ国境を出入りするのなら、と渡すべき書類を省略したに違いない。これまで来た道を3,4日かけてフエサイに戻ればタイに再入国できるだろう。でもまたあの悪路をなあ。

■2時間の足止め
上司は自分では判断しかねるといったらしく、さらに上の階にある恐らく署長とおぼしき人のオフィスに連れていかれた。会議室付きの大きな個室だった。肩章がベタベタついた制服の署長は不思議なことに日本語が流暢だった。「大丈夫、心配いりませんよ、あれ、書類ではルアンナムターに行くとなってますねー」。
結局、係官が書類とスクータをもう一度照合し、問題なければ出国できることになった。ここまで2時間近くを要した。かなり消耗したが、来た道を戻らなくて済む嬉しさは格別。

係官は遮断機がある道路を指さして行け、と顎をしゃくった。遮断機の前で車が一時停車している。遮断機が上がったので車の通過に合わせてスクータで通り抜けた。後ろで係員が何か叫んでいたがもう出国手続きは済んでいる、構うものか。こうして友好橋の利用料を踏み倒した次第。

 

王侯貴族の暮らし

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11月11日、ロイクラトンの月

 

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燈篭流し、先祖供養とは一切関係ない

 

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宴会

 

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川岸の屋台

 

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我が家の近くでこんなに人が集まることは珍しい

 

王侯貴族の暮らし

                                      

■いくらあれば暮らせるか

タイで暮らすといくらかかりますか、という質問を受けることがある。案外、この手の質問に対する答えは難しい。質問者がどういったレベルの生活を頭に描いているかわからない。

東京は物価高で暮らせない、とにかく生活費を安くあげたい、ということであれば、タイの庶民は日本円で5万円以下で暮らしている人が大半だから、タイの田舎に行って月1万円以下のアパートに住んで、タイ人と同じ食事をしていればタイの庶民の収入で暮らせるだろう。でも食べて寝るだけ、普通の日本人がこんな環境で満足できるとは思わない。タイの食事は辛いものが多いし、香辛料も違う。たまには和食が食べたくなると思う。チェンライでも和食店が増えてきたが、店によってはなんだかなあという料理が出てくる。

外国に住む以上、ある程度の妥協を要求されるし、妥協のレベルが高い人はそれなりのコストを覚悟しなければならない。あなたの要求レベルによって生活費は変わってくるでしょう、が正しい答えかもしれない。

 

最近、ヤフーニュースに「タイにプチ移住してみた 生活費はいくら必要かリアル検証」という記事があった。業界紙の記者がバンコクでロングステイしてみたという体験記である。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191107-00000004-moneypost-bus_all

東京ーバンコク間の航空運賃が日本円で3万円前後、夏服だけで過ごせる、セブンイレブンの弁当が150円、エアコンをつけっぱなしでも電気代は3500円、といった体験が綴られている。記者は、「月10万円あれば充分暮らせる、少し余裕ある贅沢をしたいなら、月15万円ほどあれば十分といえそうだ。もし、日本の生活に不満を抱いているならタイ移住を検討してみてはいかがだろうか」と結んでいる。

 

■ストレスだらけ

この記事を読んだ日本の友人から、年金だけでもこれなら王侯貴族の生活が可能ではないか、とメールがきた。ウーン、王侯貴族ねえ・・・・。

業界紙の若い記者と違って年金生活者はどこかしら体調に問題を抱えている。屋台のぶっ掛け飯でおなかを壊さないとも限らない。冷房の部屋に引きこもり、というわけにもいかないから30度の炎天下を歩いて脱水症状、体力を消耗して生活習慣病が悪化する、タイの医療は信用できるか、同じ薬を処方して貰えるか、常備薬を受け取りに日本を往復するのでは、とても月10万では暮らせない。

 

自分を含め、老い先短い年金生活者に残された楽しみは食事、たまには和食もどきで故国を偲びたい。ところがそのわずかな楽しみが、ええっ、これが和食かよ、とストレスの元になりかねない。周りは言葉も通じず、気転も効かず、何事にもお気楽なタイ人ばかり、アー、もう嫌だ、日本に帰ろう。それほど短気でなくても病を得て、心弱くなりひっそりと日本へ帰国する人は少なくない。日本に帰る家がある人はいい。「父帰る」ではないが、自分勝手なことして暮らしてきたんだから、と日本の親族、友人から見放され、帰るべき家もなく、タイ嫁にも逃げられて、北タイのアパートで孤独死という末路を迎えたご同輩もいる。どこが王侯貴族なものか。

 

■生活を比較すると

ところで王侯貴族の生活とはどんなものだったのだろうか。ウェールズ歴史研究家、たなかあきらさんのブログによると中世ヨーロッパの王侯貴族の生活は

①祈りと勉強:精神のやすらぎ、統一と自己啓発

②領国の業務:午前中に集中し、短い時間で効率的に

③休養と娯楽:効果的に休養し、夜は娯楽に

というものだった。朝は早起きで、領主としての重要でかつ難しい仕事は、午前中に詰め込んで終わらせている。午後は、狩りや貴族同士の会談、人脈構築のための行事で、現在の接待ゴルフみたいなもの。そして夜は、晩餐のあと音楽、ダンス、アクロバットもっと身近な人との交流・歓談って感じ、だそうだ。

 

今の自分の生活は、というとお祈りも仕事もせず、狩り(テニス、ドライブとか)と娯楽、PCで貴族でも聴けなかった最高級のクラシック音楽を聴き、道化より笑えるバラエティのユーチューブを見ている。晩餐といっても当時は手づかみで肉を頬張るくらい。こっちはタイ飯、イタ飯、和食、肉、魚、野菜なんでもござれ、酒だって世界の酒が金さえ出せば飲めるし、実際飲んでいる。何千キロも離れた友人との歓談、交流も思いのまま。これは王侯貴族どころか、神様でもできなかった恵まれた生活ではないか。

 考えてみれば自分は何と言う幸せな時代に生きていることか。昭和、平成を生き、令和の御世に暮らす幸せを感謝しなければバチが当たる。

まあ「いくらあれば」も大切だが、どこで暮らそうと、面白く住みなすものは心なりけり、の気持ちが一番重要ではないだろうか。

 

 

バンビエンから国境へ

 

 

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ブルーラグーン

 

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飛び込み台が見える

 

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タムチャン鍾乳洞

 

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国道13号線から

 

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雲がかかっている

 

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13号線を臨む

 

 

バンビエンから国境へ

 

■薬物事犯の少ない国
韓国ではチョーヨンピル、桂銀淑などの芸能人が違法薬物で逮捕されている。また海外留学した若者の間で大麻が流行、とか報道されている。だから韓国では違法薬物が蔓延しているのではないか、と思うが実際はそうでないようだ。中央日報によると、韓国は国際社会で麻薬の清浄地帯に認識されていて、麻薬関連犯罪者数が人口10万人あたり約10人で、米国の50分の1、豪州の3分の1、タイの10分の1とのこと。それにしても性犯罪、窃盗、詐欺・ぼったくり、暴行傷害事件で世界のトップを走る韓国で薬物事犯が少ないのは不思議な感じがする。

日本も田代まさし、飛鳥、スノボの元日本代表などの事例はあるが、やはり薬物事犯の少ない国である。欧米では成人の大麻経験率は軒並み30%、40%台という調査結果がでているが、日本では1%台と圧倒的に少ない。オランダ、ポルトガル、米国でもいくつかの州で大麻は解禁されているから、これから経験者が増えるかもしれない。タイでも制限付きではあるが大麻の栽培が許可された。大麻は、勝新がいみじくも言ったように「体にいい」そうだし、特に酒の飲めない人はこれでちょっと世間の憂さを晴らしてもいいのでは、と個人的には思う。末期がんの痛みに苦しんでいたタイ人がいる。大麻を吸うと痛みが少なくなり、ご飯も口に入るというので死ぬまで大麻を使っていたという。自分は、歯を食いしばって痛みに耐えるタイプと対極にいる人間なので末期がんになればこの道を選ぶかもしれない。

■バンビエン
前段が長くなってしまったが、バンビエンは旅人が違法薬物に「沈没」する街だったという。北タイにあるパーイも、その昔、欧米のヒッピーが麻薬サンクチュアリとして大挙押し寄せた。バンビエンとパーイの共通点は鉄道、空港がなく、悪路を何時間もバスに揺られ、やっとのことで到達できる陸の孤島ということでこれは今も変わらない。不便な場所だから警察の力も及ばない。でもそれは20年も前の話、今はアジア系の若者が自然を楽しむ健全な街となっている。
韓国人がバンビエンの街を席捲するようになったのは、ここ2,3年の話で、それは韓国で放映されたドラマの影響とか。どんなドラマだったのかわからないのだが、韓国の若者3人がこの街を訪問する話らしい。

バンビエンの見どころというと、まずは「ブルーラグーン」が挙げられる。街から7,8キロ離れた自然の中にある天然のプールだ。ルアンプラバンのクアンシ―の滝と同じくエメラルド色の水が湛えられている。ここで川からせりだした大木からジャンプして、或いはターザンのようにロープから水に飛び込む。これが観光客に人気で、ジャンプの順番待ちになるることも。その他にもナムソン川の川下り、山登り、タムチャン鍾乳洞見物など自然の中でのんびりと過ごしたい人にはいいところのようだ。

実はバンビエンには1泊しただけで翌朝にはビエンチャンに向けて出立した。2,3日、ゆっくりしてもよかったのかもしれないが、いずれにしてもアウトドアが中心、ドラマの若者たちも大麻には手を出さず、バンビエンの自然を楽しんだのだろう。

■予定変更
ラオス、べトナムの旅も8日目、バンビエンを朝8時半に出る。ラオスの首都ビエンチャンまでは157キロ、約3時間半の距離、昼過ぎにはビエンチャンに着くだろう。2,3日、ビヤラオを飲みながらビエンチャンでのんびりするか。国道13号線を南下する。バンビエンを出るとまた山道に掛かる。北タイの山、ベトナムハロン湾の海から突き出した山、中国桂林の漓江のほとりに立つ山、そしてビエンチャンへ続く国道から見える山は大昔の海底が隆起したできた石灰岩層の山だ。ラオスの山も同じく、地表からにょっきり立ち上がっていて水墨画の山を思わせる。標高は2000mを越えるのではなかろうか。見上げる山の中腹に白い雲がかかっている。わたる風もひんやりしている。単独ツーリングにも余裕ができたのか、スクータを停めて風景写真を撮った。

山道を下りると国道は平坦な道となった。その途端、沿線は一帯一路の工事現場の連続となり道路状況が極端に悪くなった。概ね工事は中断しており、ひとけがなかったが、1カ所だけ橋の溶接作業をしている現場があった。予定通り2年後に高速鉄道は開通するのであろうか。

ビエンチャンの手前で左に曲がる大きな道路が出てきた。この道を行けばタイとの国境に行けるのではないか。何人かの運転手に確認した。よし、もう今日中にタイに再入国しよう。

 

バーツ高と経済発展

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アダムのお母さんとお兄さんの奥さん

 

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舞台では少女の踊りが

 

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ハイティーンから20代の女性は村を出ている

 

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中学生か

 

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テーブルがいっぱい

 

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若いお母さんと赤ん坊

 

バーツ高と経済発展


■バーツが高い
チェンライで暮らすロングステイヤーの多くは年金を頼りに暮らしている。円で振り込まれた年金をタイバーツに両替して日々の費えに供しているわけだから、為替に敏感になる。年金額は変わらなくても為替に依って実収入が異なってくる。思えば民主党政権、日銀白川総裁のもとでは1万円は4000Bを越えていた。それが今は1万円の交換レートが2800Bを割っている。実収入が3割以上減ったことになる。

2010年当時、円は1ドル80円ちょっとだった。今は108円、円安のせいもあるが、タイバーツがドルに対しても強くなっている。バーツがなぜ高いかというとタイの国力が上がってきたという見方がある。GDPの伸びは堅調だし、物価、平均賃金の伸びも著しい。10年前は日当300Bでいくらでも田植えの手伝いが集まったが、今はメバーンのニイさんでも1日400-500B貰わないと、と言っている。物価も1杯30Bが普通だったクイッティオは今は40B、カオマンガイは30Bが今は45B、珈琲花園のアメリカン珈琲も20Bから今は35Bだ。

3割も為替が上がれば、訪タイ観光客が減りそうなものだが、中国人を筆頭に訪タイ観光客は増えている。逆に3割もおトクなったのだからと日本へ観光旅行に出かけるタイ人が激増している。景気がいいのだろう。しばらくは1万円-2800B近辺のバーツ高が続くという見方が一般的だ。

■責任者出てこい
それにしても日本の経済評論家はあてにならない。10月に消費税が10%に増税される、日本はデフレ経済に突入し、円高、恐らく1ドル100円割れになるという人が多かった。自分も自分の希望に合わせて評論家のご託宣、つまり円高、バーツ安を信じ、両替の機会を窺っていたがさっぱり円高にならない。昔から1ドル50円、日経平均1万円割れと言い続けている通称「紫婆」の大学教授を始めとして、デフレ、円高を予測していた人には責任取ってもらいたい。

マスコミも身の丈発言の萩生田文科相や雨男発言の河野防衛相を非難するくらいなら、ウソを振りまき、年金生活者の心を乱した評論家を少しは糾弾してもらいたいものだ。
チェンライの邦人はせめて1万円が3000Bにならないかねえ、と言っているが為替動向と秋の空、どうにかなるものではない。だからといって「もとの濁りの民主恋しき」というほど利己的にはなれないところが日本人だ、といえようか。

■パナセリの変化を見ても
タイは目まぐるしく発展している。物価の上昇もさることながら、ここ10年、街を走る車が多くなったと感じる。つまり一般の人が車を所有できる程、所得が向上したということだろう。ほとんど見かけなかった大型オートバイが、今はバンバン走っている。チェンライ市内の道路には交通信号が整備され始めた。以前は車が少なかったから交差点でも交通信号が必要なかった。

昭和20年代の半ば、新橋から日本橋まで赤信号に引っ掛からずに行けた、という話を聞いたことがある。チェンライも昭和30年から一挙に令和、とまでは行かないが昭和50年ほどの進歩を遂げたといっていいと思う。

初めてアカ族の村パナセリを訪れたのは2002年のことだった。1号線から未舗装の山道を2時間かけて行った。茅葺き屋根のアカ家屋が軒を連ねていた。車を所有している家はなくバイクがあればいいほう、村人は深夜、村を徒歩で出発し、翌朝に麓の郡役所に着く、という生活だった。今はこの道は完全舗装、時間は半減された。

副村長、アダムと知り合い、毎年のようにパナセリ滞在を繰り返した。アダムはメーサイで仕入れた装飾品をパタヤで売る商売を始めた。これ大当たり、彼の成功を見て大挙村人がパタヤに移動して同じ商売、村は茅葺きから瓦屋根の新築ブームとなったが、村人はパタヤ在住だから空き家だらけ。ところがパタヤにロシア人の足が途絶えると同時に装飾品ビジネスはゼロとなった。アダムは村の産品である烏龍茶を中国に輸出するビジネスに乗り換える。これで村人は村に戻って仕事ができる。村人の足はバイクから中古トラック、そして新車となっていった。えっ、アカ族がビールを飲んでたの?とタイ人に驚かれたのがついこの間の話だ。

11月2日、アダムのお母さんの80歳の誕生祝の宴席に招かれた。近郷の村から300人ほどが集まっていた。アダムの影響力の強さを感じた。車で乗り付ける人も多い。ラオカオ、ビールどころかウィスキーもふんだんに振舞われ、次から次へ運ばれる料理も肉、魚と豪華。2002年に行った時は庭を走っていた鶏を1羽締め、鳥スープ、野草、白米の食事だった。アカ族でさえ生活向上著しいのだから、タイの経済発展は推して知るべし、バーツ高は仕方ないか。