チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

メーホンソン再訪

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パーイ手前の鉄橋、現在は使われていない。

 

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メーホンソンの夜市

 

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こんなものが売られていた。

 

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チョーンクラン寺

 

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ムートン寺の日本兵

 

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泰日友好記念館入場券



メーホンソン再訪

■乾季は旅行シーズン
11月11日のロイクラトンも過ぎ、漸く乾季らしい天候になってきた。最低気温は15度前後、日中は30度を越えるが湿度が低いので高原の夏のように爽やかである。気候がいいからテニスコートに仲間が集合するかというとそうでもない。コートに行ってみるとスイス人のロバートしかいなくて、仕方ないから二人でラリーを1時間ほどやって帰る日もあった。やはりダブルスのゲームをしないことには楽しくない。

どうしてコートに人が来ないか。多分、こんなに良い季節なのにテニスなんかやっていられるかと、みな旅行に出てしまうからだろう。自分も本来であれば、フォルツァに跨って数泊のツーリングに出かけるところである。チュンポンまでタカの渡りを見に3千キロのツーリングをしたのは1昨年の、またその前年の2016年にはミャンマーに旅したのは11月の乾季の時だった。乾季はハイシーズンで、ホテルの宿泊料が倍に跳ね上がる。でも通常、自分が泊まるGHは年間を通して数百バーツと変わらない。

7月にラオスを旅行した時は、概ね、1泊あたり1000円から1200円のGHに泊まっていた。旅の8日目、タイに再入国してすぐのウドンタニで、大きなホテルにフォルツァを停めた。予約してないんですが、とフロントで訊ねると1泊1400Bという。本来であれば、他を当たってみますという価格であるが、いつも安宿ばかりではなあ、という気持ちもあったのでこのホテルに投宿した。
久しぶりに3桁の金額のホテルに泊まったせいか、部屋の広さ、アメニティの豊富さ、清潔さに感動した。シャワールーム、バスタブまである。1400Bと言えば日本円で5千円前後だが、天皇陛下はムリにしても宮様方がご宿泊になっても決して恥ずかしくないのでは、と思ったくらい。たまにはいいホテルに泊まるべきではある。

■白骨街道
11月に日本から次男が1月の滞在予定でやってきた。再就職が決まり、時間に余裕ができたからという。これまで何度かチェンライに来ているし、国際運転免許持参であるからほったらかしでもいいのだが、折角来てくれたのだから、と北タイの西の端、メーホンソンを案内することにした。チェンライから約400キロ、車で8時間弱であるから、交代で運転していけば訳はない。またメーホンソンから約60キロ離れたクンユアムには世界で唯一、日本軍を好意的に扱っている戦争博物館、泰日友好記念館がある。

メーホンソンに至る1095線は約800のカーブがある山道だ。戦時中、ビルマに侵攻するために旧日本軍が建設した。インパール作戦失敗後、傷ついた将兵はこの道を通ってチェンマイへと敗走した。敗走途中、道の傍らで多くの将兵が還らぬ人となった。そのため、この1095線は「白骨街道」と呼ばれた。今は完全舗装され、ファランのグループツーリングだろう、大型バイクが行き交っている。

■泰日友好記念館
メーホンソンでは「地球の歩き方」に掲載されているパノラマホテルに泊まった。800Bのスーペリアルーム、ハイシーズンだから仕方ないか。夜はチョーンクラン湖のほとりで開かれている夜市に行った。湖畔にしつらえられた座卓で、屋台で調達した料理を家族や恋人同士で楽しんでいる。鄙びた風景で心が和んだ。ライトアップされた湖畔のチョーンクラン寺も風情に花を添えた。やはり旅には出るものだ。メーホンソンは霧の街として有名だ。翌朝早く、この湖は霧に包まれて、湖畔の霧に浮かぶ仏塔をカメラに収めようと多くのファランが詰め掛けていたという。自分はその時は白河夜船、息子からそうだったと聞いただけ。

2日目、クンユアムの泰日友好記念館を訪れた。この博物館にはクンユアム郡警察署長チューチャイ・チョムタワット氏がクンユアム郡の各家庭で保管されていた鉄兜、衣類、飯盒、工具など日本軍関連資料1,000点以上を収集し、展示品として寄贈している。チューチャイ氏が日本政府から勲3等を授章された後、かなりの額の援助があり、大きな記念館に建て替えられた。予算が潤沢にあったのか、記念館の向かいにあるムートン寺には日本軍の隊列像や絵画コーナーが設置されている。ムートン寺には野戦病院があってここでも多くの将兵が戦病死した。予算が出た時、タイの芸術家に銅像や絵画を発注したのはいいが、その後のメンテナンスの予算が出ないのか、銅像の兵士の指はもげたままだし、担いでいる木銃は割れて長細い板になっている。

記念館備え付けの訪問者ノートでチェンマイの日本総領事がつい最近訪問されていることを知った。展示説明に不適当な個所はあるし、銅像の修理費用も含め、改善のための予算措置を講じて頂けないものか。