チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

クンユアム再訪(4)

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クンユアム再訪(4)

■メーホーンソンを出る
メーホーンソンは盆地に開けた小さな町だ。山間の町なので乾季は霧に包まれ、幻想的な風景が楽しめるという。あまり人の行かない辺鄙な場所であるが、それが却って観光客を引き付ける。チェンマイからミニバスで6-7時間かかる。料金は250B(約830円)と安いがかなりの難行苦行。忙しい旅行者には1日2便あるプロペラ機がお勧め。飛行時間は45分、費用は6千円ほど。

メーホンソンにはカレン族、モン族など山岳民族が多く住む。ビルマ領であった時代が長いので、寺院の建築様式、祭り、食べ物に至るまでミャンマー文化の影響を強く受けている。チョーン・カム湖畔のビルマ風寺院、140度の熱水が湧き出る温泉プークローン、中に川が流れる巨大洞窟タム・ロート、森の中の大滝パースア滝等、見どころは多い。本来であれば3,4日滞在してゆっくり観光すべきであるが、今回の目的はクンユアム、一泊しただけで街を抜ける。

メーホンソンからクンユアムまでは85キロ、1時間41分とグーグルにはある。やはりカーブが続く山道でスピードは出せない。道は108号線一本であるが、クンユアム方向を示す道路標識がやたらとある。標識には日本とタイの国旗が描かれていて、「タイ日友好記念館はこちら」と宣伝しているように思われた。108号線でも多くの将兵が倒れていった。道路沿いにいくつか慰霊碑があったことを記億しているが、今回は見落としてしまった。

■タイ日友好記念館
クンユアムにはミャンマーに抜ける道が開いており、昔からミャンマーとの交易が盛んだった。ここに日本軍はインパール作戦の重要な兵站基地を置いた。27万の日本将兵がここからインパールを目指して進軍していき、多くは還らなかった。そして、敗走してきた将兵はここで暫しの休息をとり、体力を回復した者はチェンマイへと転進していった。

クンユアムの町中に入り、108号線が大きく右に曲がってその右側に記念館があった。この博物館は、1995年にこの地の警察署長として赴任してきたチューチャイ・チョムタワット氏が村人が保存していた日本軍の遺留品を収集し、1996年に個人的に設立した「第二次世界大戦博物館」がもとになっている。

8年前に訪問した時は入口の近くに、クンユアムを何度も訪れたタイ文学者、岩城雄次郎氏の手書きによる寄付依頼のポスターが貼ってあったりして、こじんまりとした展示館であった。ところが今回行ってみると1万坪という広い敷地の中にミャンマー様式の寺院を模した2階建ての新館が建っていた。博物館の前には平和を祈念する女性と鳥のモニュメントがあり、英、タイ、日の3か国語で鎮魂の祈りが刻まれている。

入り口には観光案内を兼ねた受付があった。受付嬢に入館料100Bを支払い、パンフレットを受け取る。タイ日修好宣言調印125年を記念して、日本から多額の資金が出たので2012年に新館を建設したという。展示品は日本軍の遺留品の他に、クンユアムの歴史パネル、周辺山岳民族の文化紹介、民具等が展示され、民芸博物館も兼ねている。これから多目的大ホール、宿泊棟やサッカー場を3面作る計画もあると言う。日本からドーンと金が出るんだから、この際、何でも作っちゃえ、という感じ。

■管理主体の変化
私費を投じて博物館を創立したチューチャイ氏に日本政府は報いている。2006年にプミポン国王即位60周年のため、天皇皇后両陛下はタイを行幸啓された。その折り、バンコクで催されたレセプションの席に、チューチャイさん夫妻が招かれた。彼は感動を持ってこう書いている。「天皇・皇后両陛下は、手を前に差し出されて握手をお求めになり、私が来たことに対して喜びの意を表されました。そして、私の設立した博物館についてお話になりました」。天皇陛下はチューチャイさんの著書をお読みになられ、博物館に関する活動に加え、戦時中に日本兵を助けたタイ国民に感謝のお言葉を述べられたという。更に2007年4月には、春の叙勲で「旭日双光章」が贈られた。叙勲伝達式でチューチャイさんは「謁見に続く人生最高の喜び」とスピーチした。

チューチャイ氏は昨2016年1月に亡くなった。彼の文章や資料、写真を収めたサイト、「第二次世界大戦でのクンユアムの人々の日本の兵隊さんの思い出」http://www5f.biglobe.ne.jp/~thai/を管理しているチューチャイ・チョムタワット事務局は、彼の死を機に活動を停止して解散するという。

更に「当サイトは、クンユアムに在る、『タイ国メーホンソン県立タイ日友好記念館』と一切関係がありません」と書かれている。お金がドーンと入ったばっかりに、というよくある悲劇があったのだろうか。(続く)



写真は道案内、新館、最後は天皇陛下とチューチャイ氏