チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

3度目のクンユアム

f:id:hidenaka24:20191124150207j:plain

泰日友好記念館全景

 

f:id:hidenaka24:20191124150213j:plain

作戦に使用されたトラック

 

f:id:hidenaka24:20191124150221j:plain

2年前にも指摘したが「日本軍の軍帽」の文字が逆さ

 

f:id:hidenaka24:20191124150240j:plain

展示品の鉄兜

 

f:id:hidenaka24:20191124150247j:plain

村の娘さんとのスナップ、兵士と村人の関係がわかる

 

f:id:hidenaka24:20191124150251j:plain

ムアイトー寺の日本兵像、何となくタイ風

 

f:id:hidenaka24:20191124150256j:plain

作家伊藤桂一さんの碑、これは変わらない



3度目のクンユアム

■訂正とお詫び

8月にYAHOOブログから現在のはてなブログに変更した。はてなブログでは記事をアップすると、以前に書いた関連記事が表示される。そのお蔭でクンユアムの戦争博物館(泰日友好記念館)には2009年8月、さらに2017年6月に訪問していることがわかった。そして2009年の訪問では12本、2017年の再訪時に6本の記事をアップしている。片田舎の、訪れる人も決して多くはない博物館に関してよくこれだけ書くことがあったなあ、と我ながら感心する。

と同時に、前回アップした「メーホンソン再訪」の記事中に間違いがあったのでお詫びして訂正します。まずムートン寺は「ムアイトー寺」が正しい。「チューチャイ氏が日本政府から勲3等を授章された」と書いたが、実は駐タイ日本大使館で行われた平成19年春の叙勲伝達式で、チューチャイ・チョムタワット氏には旭日双光章が贈られている。旭日章は、「社会の様々な分野における功績の内容に着目し、顕著な功績を挙げた者を表彰する場合に授与するもの」とされ、旭日双光章は勲5等にあたる。

またチューチャイ氏は、叙勲の前年6月、現在の上皇上皇后両陛下が、プミポン国王即位60周年記念式典のためタイに行幸啓された折に謁見が叶い、両陛下から直接、感謝のお言葉を賜った。天皇陛下はチューチャイ氏の著書、「第二次世界大戦でのクンユアムの人々の日本の兵隊さんの思い出」にも目を通されていたとのこと。

■チューチャイ氏、叙勲に当たっての挨拶
小林大使閣下及び令夫人、日本大使館の皆様、並びに本日ご参列の皆様、

 去る、4月29日、日本の天皇陛下より旭日双光章を賜りました。他に比類するものを見つけるのが困難な程の陛下の御慈悲に大変喜ぶと同時に感激しております。私にとりましては、昨年6月13日に両陛下への拝謁を許されたことに続く、もう一つの人生最高の喜びであります。
 小林大使から私の業績についてご紹介頂いたことに感謝します。また、今回の叙勲のためにご尽力頂いた日本大使館員の皆様に感謝申し上げたいと思います。

 私は、日本のマスコミや大勢の日本の方から、いつも「なぜ日本の兵隊に関する博物館を設立しようと思い立ったのか」と聞かれます。この問いに対し、自分はいつも2つの動機があると答えています。動機の一つは、私も日本人同様、すべてのものには魂が宿っているという考えを共有しているからです。博物館に展示されている物の中には手作りの物もあります。したがって、私はこれらの物には3つの魂が宿っていると考えます。1つ目は、その物を作った人の魂です。物にはそれを作った人の情熱、忍耐、愛情が込められております。これらが込められていなければ、その物は良い物にはなりません。2つ目は、その物を使った人の魂です。どんな物にもそれを大切に使い、生死を共にした人の愛情が込められています。そして、最後に、それらの物がご先祖様の残したものであれば、その子孫がその物を拝みに来ます。したがって、3つ目は、持ち主の子孫の魂です。

 動機の2つ目は、私は旧日本軍の方々に、博物館を最善のものにすると約束しました。私は、戦場での辛酸に耐え、我々の近所で亡くなった日本兵の方々の魂が、安心して極楽浄土へ行けるよう望んでいます。ここにいる皆さんも彼らへの祈りを捧げて頂ければと思います。私は、我々が共に考え、共に行動し、共に守っていけば、日タイ両国民の関係は益々良くなっていくと信じています。私は、すべての聖なる物が、天皇皇后両陛下ならびに皇族の皆様にご多幸とご健勝をもたらすことを祈念致します。

最後に、本日ご出席頂いた皆様に御礼を申し上げると同時に、霊験あらたかなものが皆様の健康をお守り下さるよう祈念しつつ、私のご挨拶とさせて頂きたく存じます。

■変容
2009年に博物館を初めて訪れた時は、古ぼけたチューチャイ氏手作りの小さな展示館だった。入り口にはクンユアムをよく知るタイ文学者、岩城雄次郎氏の手書きの寄付依頼状が置かれていた。

2017年に再訪した時は辺りは一変していた。平成24年(2012年)タイ日修好125周年を記念して、日本から多額の資金が出たため。3階建ての新館が建設された。展示品は日本軍の遺留品の他に、クンユアムの歴史パネル、周辺山岳民族の文化紹介、民具等が展示され、民芸博物館も兼ねている。2016年にチューチャイ氏は亡くなり、広大な敷地を含め記念館の管理はメーホンソン県が行っている。2年ぶりに訪問したが、展示説明、内容には改善のあとは見られなかった。

チューチャイ氏の思い入れとは別の方向に記念館が変わっていくことがないことを願いたいと思う。