チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

南方呆けと感じるとき

 

JRの車内

逗子、海岸通り、清掃の人

森戸海岸の裕ちゃんの碑

兄、慎太郎氏は悪筆で有名だった

森戸海岸から裕ちゃん灯台を臨む

同じ場所から望遠で

南方呆けと感じるとき

民度の違い

もう東京からチェンライに戻っているのだが何かと気忙しく、本来のノンビリとした生活には戻っていない。それでも帰宅2日目にはテニスを始めたし、サンサーイの朝市やランムアン市場、センタンなどに行き、必要食材を購入している。料理酒、味醂穀物酢、つゆの素も買った。すべて1リットル入りで一人暮らしの自分にはおおすぎるのであるがチェンライには小瓶が無いから仕方がない。

チェンライに戻ると、無秩序に絡まり合う電柱の電線,ゴミが散乱する道路際、生育状態がバラバラの稲田、それにムリな追い越し、割り込みにうんざりして、やはり日本はいいよなと思う時がある。

よく職場環境改善活動で「5S」が取り上げられる。5Sとは、「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「躾(しつけ)」の5つをアルファベット表記した際に、頭文字が「S」になることから付けられた用語だ。人によっては最後の躾という言葉に違和感を持つかもしれない。これは「整理」「整頓」「清掃」ができれば自然と職場環境は「清潔」になる。躾とは清潔を維持する心構えが全体に及んでいることを指す。清潔を是とし、率先遂行する心構えは日本の文化、高い民度を表しているように思う。

ポイ捨て、無秩序な街並み、運転マナーの悪さはタイの文化、民度が違うから仕方ない。民度の違いに目くじら立てて、不快な気分になるだけで馬鹿らしいし、これがタイのいいところでもあるのかも、と思うようになった。これは自分がタイ化している証左だろう。

■逗子の道路で

そうは言っても東京は狭い路地でさえゴミ一つなく、歩いていて気持ちがいい。住宅の玄関先にさりげなく花の鉢が置いてある。住人の奥床しさ、センスが感じられる。

逗子の海岸通りは車のすれ違いが難しいほど狭い道路である。歩行ゾーンはあるが人がちと道路中央側に寄ると車は減速せざるを得ない。ドライバーにすれば「ノロノロ歩いてんじゃねーよ、ジジイ」と言いたいところだと思うが、減速して自分が道路際によって車を避けるまで待つ。タイであればよくてクラクション、悪ければ轢かれてしまう。

この狭い通りで如雨露とデッキブラシを持つ老人を見た。道路に水を掛け、ゴシゴシとこすっている。制服にネックストラップを下げているのでボランティアではなさそうだ。よく見ると、彼は道路の鳥の糞で白く汚れたところに水を掛け、デッキブラシで洗っている。小柄な老人は白い場所を探しては黙々とブラシで洗い流す。車が来れば作業の手を休めて車を通す。清掃、清潔はここまでやるか。チェンライでは絶対見られない風景と感動した。

■電車内で

私鉄、地下鉄、JRと公共交通機関を利用したが、日本の車内は静かで清潔である。ほとんどの人が座るなり携帯を取り出して画面に見入る。座席全員が携帯、日本滞在中、車内で新聞を読んでいる人を一人だけ見た。新聞は消えゆく産業だ。

車内があまりにもきれいなので写真を撮った。この頃は個人情報が何たらとうるさいので、得意の盗撮技術でさりげなく人の顔が映らないようにシャッターを切った。

何年か前、午後の都営地下鉄に乗った。車内は空いていて学校帰りの小学生が乗っていた。低学年と思しき少女が床に正座して座席にノートを広げて書き取り練習を始めた。制服を着ていたからさぞかし名のある私立小学校の児童なのだろう。あまりにも自然な行動、姿だったので写真を撮るのも忘れ、勉強に勤しんでいる彼女を降車駅まで眺めていた。タイでは小学生が一人で通学する、それも電車で、はあり得ない。大体、チェンライでは電車が走っていない。

■服装、持ち物の変化

在宅勤務、時差出勤が一般化したせいか、いわゆるラッシュアワーが無くなったように思う。現役の頃はギューギュー詰めの地下鉄で通勤したものだ。それでなくても不快なのに押した、押さないで口論が始まる。今はそんな殺伐とした風景はないのだろう。

昭和、平成始めの頃は、ほぼ全員ネクタイ着用だったが、今回、ネクタイ姿を車内で見かけることは稀だった。昭和のビジネスマンは背広ネクタイでアタッシュケースを下げている、が普通だった。自分も近場の海外出張ならアタッシュケースひとつで出かけたものだ。今は背広にリュックサック、若い人には違和感がないのだろう。車内で立つと後ろを通る人の邪魔になるのでリュックは胸にかける。これが現代日本の礼儀だと知らず、背負ったままでいたら後ろを通る若者にチッ、と舌打ちされた。長いタイ暮らしで南方呆けしたのだなと思う瞬間である。