チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

2月の帰国雑感

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2月の帰国雑感

■清浄の歴史
訪日した外国人が一様に驚くのは、街や駅、電車内などにゴミが落ちていないことである。チェンライはスリランカミャンマーの都市に比べれば清潔なほうである。それでも日本に行くときっちりとした美しさ、清潔さに感動する。スーパーも清潔で商品の並べ方にも美しさが感じられる。

娘の結婚式は飯田橋にある東京大神宮で行われた。神前結婚式の歴史は、明治33年、当時の皇太子殿下(後の大正天皇)と九条節子さま(後の貞明皇后)の御結婚の礼に始まるという。宮中の歴史において初めて皇居内の賢所(かしこどころ)のご神前で行われた御婚儀の御慶事を記念して、東京大神宮が一般の人々に向けた神前結婚式を創始した。神前結婚式はその後、一般の人にも広がって今ではホテルの結婚式場でも行われている。

東京大神宮は神前結婚式を初めて日本で行った神宮で結婚式では100年以上の歴史がある。神前での祝詞奏上があって、その後、黄色の菊の花を手にした4人の巫女が、新郎新婦の門出を祝し、「豊栄舞(とよさかのまい)」を舞ってくれた。別名「乙女舞(おとめのまい)」ともいわれる優雅な舞である。玉串拝礼の後にも子孫繁栄の象徴である蝶の装束をまとった巫女が舞う「豊寿舞(とよほぎのまい)」が奉納された。舞は篳篥や琵琶による雅楽の生演奏付きである。美しく磨かれた舞台、あでやかな衣装の巫女さんに、千年を越える日本の清浄さ、静謐さ、風雅といったものを感じた。日本の街にはごみが落ちていない、見習うべきだと外人が言っているが清浄さに関しては歴史が違う。だからこれからも外国の都市は汚くあり続け、日本の都市は美しくあり続けるだろう。

■日本でタイ語を話す
帰国すると、街中でも駅でも電車の中でもみんな日本語を話している。当たり前じゃないかと言われるかもしれないが、タイに住んでいるとああ、言葉がわかる、という幸せを感じる。タイ人同士の会話やラジオは始めから理解しようという意欲がない。仕方なくタイ語を喋ることがあるが、相当のストレスを感じる。
その点、日本語はスルスルと耳に入ってくるし、こちらの言いたいこともわかってもらえる。

成田から我が家の最寄り駅、戸越へ行った。京成と都営地下鉄は相互乗り入れをしているから成田空港から乗り換えなしで戸越まで行ける。車内で暫しまどろんでいたが、青砥あたりで隣を見ると若い女性が、携帯のタイドラマに見入っている。画面にタイ語が流れていたのでそう分かった。女性と目が合ったので、つい「パイナイ?(どこ行くの)」と聞いてしまった。おねえさんは慌ててイヤホンを外し、「ギンザ」などと言う。突然、変な爺さんがタイ語で話しかけてきたのでビックリしたみたいだ。何でもタイのバトミントンチームのマネージャーをしており、試合の関係で日本に7回ほど来ているが、東京以外は行ったことがない、是非、北海道に行ってみたい、などとたわいのない話を彼女の降車駅である新橋まで続けた。

それにしてもタイ語の発音は難しく、ちょっとイントネーションが違うとチンプンカンプンのタイ語になってしまう。大体、「ボクね、チェンライに10年住んでいるんよ」とタイ語で言ったのだが、彼女に「チェンライ」が通じない。何度か繰り返していたら、ああ、チェンラーイ、と言って笑った。「チェン」は低く、「ラーイ」はRの巻き舌でラーと延ばしてイで音を落とす。彼女はいくらか英語を話したので何とかなったが、10年もいてチェンライが通じないのだから嫌になる。
彼女は「私の名前はxx、あなたは?」などと聞いてきた。タイ人同士だと名乗り合ってから携帯番号を交換するのが普通だ。でも彼女はバンコク住まいだし、会うこともないかと思って携帯は聞かなかった。大きなチャンスを逃したかもしれない。

■機内にて
成田からバンコクへの便は時節柄、卒業旅行と思しき若者で一杯だった。それも二人連れの女性が多い。LCCだから飲食物の持ち込みは禁止されているのだが、家で握ってきたのか爆弾のような海苔むすびを食べている子もいる。乗務員は見て見ぬふりだ。
日本語はわかりやすいので、聞くともなしに彼女たちの会話が耳に入ってくる。「トゥクトゥクにも乗ってみたいよね」、「あぶないんじゃない?」。聞いてくれればなんでも教えてあげるのに、と思ったが変なオジサンと思われるので黙っていた。

ドンムアンに到着して、飛行機のドアが開くのを待つ間、後ろのほうで「ああ、お漬物が食べたーい」という声が聞こえた。せいぜい4,5日の辛抱であるが、やはり日本人なんだなあ、と微笑ましく思った。